鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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友との再会

41. 認識の相違

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 ……新婚? 蜜月?
 ぱち、と瞬きをしている間に、リアムはいつもの胡散臭い笑顔に戻ってしまった。

「お食事は部屋に運ばせますので、今宵は皆様、ごゆるりと疲れをお取りください」

 とっとと部屋に引っ込んで大人しくしてやがれ、という意味だ。それ以上の問答が許される雰囲気はなく、一行は客室に強制連行、もとい案内された。

「―――えっ? 私と殿下が同室なのですか?」
「はい。お恥ずかしい限りですが、何分なにぶんこぢんまりとした館でございまして、貴きお客様用のお部屋が二部屋しかないのです。一室はモレス様にご利用いただき、こちらの広いほうのお部屋は殿下とルークス様、お二人でご利用いただければと」

 執事は恐縮した様子もなくにこやかに言った。

「私は気にせんぞ。そのほうがパッシオ達も護衛がしやすかろうしな」

 ジュール王子は何でもないように言い、近衛隊長が渋々ながら頷いた。彼を含め近衛は三名しかおらず、実際、護衛対象が二人とも同じ部屋にいてくれれば守りやすい。
 しかし、ヴェリタスの使用人が王子の側につけられる様子はない。さらに、部屋に食事を運ばせるということは、晩餐会もないということ。王子をもてなす気がまるでなく、とことん侮辱しているとしか思えない。
 密かに憤っている騎士達に、ジュール王子は「勘違いをするな」と釘を刺した。

「そもそも強引に押しかけたのはこちらであって、ヴェリタスは我らを招いてすらおらぬ。ヴェリタスに宛てた手紙の返信でも、応と書かれてはいたが『歓迎する』とは書かれていなかった。かの《精霊公》は人に変じて日が浅く、慣れるまでは些事でわずらわせたくないというのがヴェリタスやレムレスの意向だった。それを真っ向から曲げさせているのが我らであり、細やかな対応を期待するのは厚顔というものであろうが」
「殿下……」
「ご理解いただけて幸いにございます」

 ハッと胸を突かれる近衛騎士の感動へ水を差すように、執事はリアムによく似た胡散臭い笑みを浮かべ、おおよその食事の時間を告げた後、一礼して部屋を出て行った。
 いくら王子が寛容さを示したからといって、この悪びれなさ。不満を強めたのは近衛だけではなかった。

「殿下。あなたは押しかけ訪問と仰いますが、あなたや陛下にとってもこれは不本意な成り行きだったのでしょう? それをヴェリタス様にご説明すればよろしいのでは?」
「そのようなこと、しょせん我らの都合でしかない。ところでジスラン。そなた、ヴェリタスはもともと平民であると知っていたか?」
「―――え?」

 ジスランは目を丸くした。

「存じませんでした。初めてお会いした時点で、あの方はもう魔導伯でいらしたので……」
「で、あろうな。先ほどの執事も含め、この館に仕える従僕は御者以外すべて、奴の兄だ。料理人は父親だぞ」
「ええぇっ!?」
「母君は奴が生まれてすぐ他界したそうだがな。奴の親兄弟はみな、家族がともにいられるよう末息子に仕えることを望み、父上の手配した教師から基礎を学んだそうだ。ゆえに、王侯貴族のもてなしに無知なわけではないが、今でも一家全員が平民の流儀を好み、堅苦しい晩餐の席を嫌う。私は気を遣わんでいい気楽な客人として、むしろ好感を得ているほうだ。そうでなくば今頃、猟犬に追い立てられて無様に逃げ帰っていよう」
「王子のあなたをまさか、犬で追い立てるなんて……」
「気に入らぬならばやるさ。後で文句を言おうものなら、『おや、獣に追われたのですか? それはそれは災難でございましたねえ。何せ森の中、凶暴な獣などあちこちに潜んでおりますからねえ。いやお命がご無事でようございました、お怪我などはございませんか?』などと、ぬけぬけと返すであろうよ」
「……ありありと浮かびました。さも同情たっぷりに、笑顔で励ましてくれそうですね」

 なかなか似ている声真似にジスランが呻き、近衛達は突っ込みどころを見失って微妙な顔になる。
 ただ、ジュール王子の言わんとするところは理解できた。要は相手の事情に通じない者が、こちらの基準を一方的に押し付けるなということだ。

「そのようなことよりも、ヴェリタスが妙な言い回しをしていたな。私の空耳だったのだろうか」
「私も聞き間違いをしたような気がしております。確か『新婚』だのなんだのと仰っていたような、そうでないような……」
「『蜜月』とも言っていたような気がするのだが。……あれは何の謎かけだと思う? それとも単に私を揶揄からかっていただけなのだろうか。奴はいつも大真面目な顔でおちょくってくるゆえに、区別がつかん」
「あのレムレス様が婚姻という手段を用いてまで保護なさるぐらいですから、私達が思う以上に《精霊公》は魔導塔で重視されている、という意味かもしれません」
「なるほど。そうだな、私もあのレムレスがそういう手段をとは驚いたが、新たな精霊に群がる者どもを蹴散らすには最適な手段だとも思った。となると、ヴェリタスに提案されてのことではなく、レムレス自身が効率を重視して申し出たのやもしれん」

 冷ややかで威圧的な美貌のレムレスは、非効率でわずらわしいことを徹底的に嫌う人種にしか見えない。それはこの場にいる全員の共通認識だった。

「私個人の好き嫌いで分類するならば、レムレスは嫌いではないのだが」
「私もです。あのヴェリタス様が『友』と呼んでおられる方なのですし、本来は恐れるべきではないのでしょうけれど……どうにも『恐ろしい』と感じてしまいます」

 情けないですが、と付け加えたジスランに、ジュールは心から頷いた。
 あのレムレスは、噂されているような『人の情がない冷血漢』ではない。そうであれば、あのヴェリタスの友人になるはずがない。
 だからジュールは、以前の―――本来のミシェル・カリタスが、あまり好きにはなれなかった。二言目には『兄』を持ち出して己を卑下する少年に、万人向けの公平な笑顔の下で苛立ちを覚えていた。
 なのに自分がレムレスへの苦手意識を拭えないのだから、勝手なものだ。

「お話の腰を折って申し訳ございません、殿下」
「なんだ、パッシオ?」
「御身のお世話係について、いかがいたしましょう? 我々はてっきり、こちらで使用人を用意されるものとばかり思っておりましたので……」
「不要だ。こう見えて、己のことは一通りできるように躾けられている。ジスランは……」
「私もです。我が家では最悪、殿下と自分の二人きりになってしまった時のことも想定して教育されておりますので―――」

 ガシャァン、と、けたたましい音が別室から響いてきた。

『―――無礼者め!! この私を誰だと思っている!!』

 ……モレスの声だ。目が覚めたらしい。

「あれは何をわめいているのだ……」
「着替えをどうせよというのか、有り得ぬ、などとわめいておりますね……」

 断片的に聴こえてくる声を拾えば、晩餐会に招かれないことや、身の回りの世話係がつかないことに腹を立て、何かをひっくり返したようだ。

「従者を連れて来るつもりでいたようですし、もしやそういう服しか用意してこなかったのでしょうか」

 一個にしぼってなお大きなモレスの旅行鞄の中身は、複雑で絢爛けんらん豪華な貴族服しか詰められていなかったようだ。
 自分だけで着替えられない服は持ってくるなと、ジュールは全員に命じていた。王子の命令を無視して許されるつもりの自分は、本当に何者のつもりでいるのだろうか。

「パッシオ」
「はっ」
「もしヴェリタスの館の者が『服』を提供したならば、モレスへの監視を強めよ。あ奴の持ってきた衣類、何かが仕込まれているということだ」


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