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恋と真実
36. デートと一大ミッション
しおりを挟む雲ひとつない快晴の青を背景に、四枚の翼を広げたのは闇色のドラゴンだった。
以前悠真があちらの世界で目にしたティラノサウルスの全身骨格、大きさだけならそれに匹敵している。頭部はこちらのほうがスマートで、前足はどっしりと太い。
そして何といっても、こちらには翼があった。悠真にとって憧れのザ・飛竜が、銀色に光る目で悠然と見おろしてくる。
「《ラディウス》だ」
「っっか、……っこいいい~っっ!!」
今日は悪天候で延期になっていた、館の外の案内だ。フード付きのコートを着るのは、この世界に来て初めてである。毛皮のブーツを履いて手袋をはめ、まず案内されたのは何故か屋上。
ヘリポートみたいだな、と思ったら、まさに用途はそれだったわけだ。
「あれ? 鞍がもう装着してあるんだね。でも、これって」
鞍は継ぎ目の曖昧な闇色だった。特注なのかと思ったが、《シーカ》の装備と同じ感じがする。
「契約を結んだら、これが現われた。元々は騎竜だったのだろう。《シーカ》同様、あるじを失い彷徨っていたようだ」
「そうなんだ……よかったね、オスカーに拾ってもらえて」
《ラディウス》が長い首をもたげ、悠真の胸に鼻をこすりつけてきた。
「うわ、かわいい。撫でていいのかな」
「……構わんと思うが」
「やった! うわぁ、結構ふかふかなんだね? 硬そうだと思ってた」
爬虫類っぽい生物ではなく、毛皮のあるタイプのドラゴンだったようだ。
嬉しそうに撫でまくる悠真と、撫でられて心なしか嬉しそうな使役霊を見比べ、オスカーは苦笑する。《シーカ》の時もそうだったが、彼の使役霊を前にして「かっこいい」だの「かわいい」だのと歓声を上げ、撫でたがる者など悠真ぐらいだ。
「夕刻前には戻る」
「かしこまりました。ユウマ様、どうぞ空からの観覧を心ゆくまでお楽しみくださいませ」
「うん! 行ってきます!」
悠真はウキウキと鞍へまたがり、オスカーが後ろから支え、手綱を手にして合図を送る。《ラディウス》は翼の角度を変えながら、羽ばたきもなくゆるやかに飛翔した。
「わっ、風を受けて飛ぶんじゃないんだ?」
「大気中の魔力の流れを利用している。これ自身の魔力と、私の与える魔力だけで飛ぶこともできるが、今はその必要がないな」
みるみるうちにレムレスの館が小さくなり、眼下に広がる圧倒的な雪景色に悠真は歓声を上げた。
「高所を恐れる者もいるが、平気そうか」
「足元が危なくて、中途半端に高い所だったら怖いかも。でもこれだけ高かったら感覚がマヒするし、それに……その……」
「それに?」
「……お、オスカーがいたら、怖いことなんてないな、って……」
これだけを言うのにぶわわ、と耳まで赤くなり、手袋にぽすりと顔をうずめてしまう悠真だった。
オスカーが低く笑い、腹の前に回した腕へぎゅ、と力をこめる。もしリアムが目撃していれば、とことん苦い茶をウィギルに頼んでいただろう。
「……飛んでるのに、風がそんなに強くないね? 気温も地上と変わらないみたいだけど、そういうものなの?」
「いや、これが騎乗者を守るために、結界を張って調整しているからだ。風の抵抗を受けないだけでなく、冷気もある程度は防ぐ」
「じゃあ、《ラディウス》のおかげで快適なんだ。ありがとう《ラディウス》」
飛竜が首を上下させた。使役霊でなければ、竜らしく咆哮で応えていたかもしれない。
「それにしても、北の森って広いんだなあ。こんなに広いなんて知らなかった」
「広さだけなら、王国の総面積のおよそ三分の一はあるからな」
「そんなに!?」
「ああ。レムレスの敷地は、あの壁で囲っている内側すべてだ」
「……万里の長城?」
「万里もない。犬雪車で一日もあれば周り切れる」
自宅を一周するのに一日がかり。スケールが違い過ぎて、咄嗟に感想が出てこない。
(それ以前に、普通は自宅に城壁とか堀なんてないよね)
ぽかーんとする悠真の頭からは、それ以前に自宅を案内するためだけに普通は竜に乗ったりしないのだ、という一般常識が抜けていた。
(これ個人宅の敷地って呼んでいいの? 普通に『土地』でいいんじゃ? でもちゃんと壁の内側だし、管理棟みたいなのも建ってるから敷地でいいのか? いいのかな?)
《ラディウス》は敷地内の上空を旋回し、外側には出ていなかった。自家栽培用の畑や犬用の運動場、庭園として整えられている範囲を除き、ほとんどが森に見える。ただし外部の森とは違い、やはりきちんと人の手が入っており、際限なく伸び放題の増え放題にはならないのだという。
「あそこに見えるのがリアムの館だ」
「結構近いんですね。でも、実際に歩いたら遠いんだろうなぁ」
「歩けばな。リアムの館の北側に、岩山があるのは視えるか」
「少し奥にある、ゴツゴツした黒っぽい岩山? あそこだけ雪が全然積もってないけど」
「あれが便宜上、魔導塔の本部だ」
「えぇっ、あれが!?」
「岩山の内部をくりぬいて内装をととのえ、研究所や実験室、地下栽培室、保管庫……アリの巣状に造り上げられた、文字通り魔法使いの巣窟だ。幻惑の魔法陣で余人には視えぬようにしているが、私やおまえのような存在には幻惑が効かない。それは利点ではあると同時に、他人が隠している何かをそうと知らず見破ってしまい、さらにそれを口にしてしまうリスクがある。幻術の見分け方については、のちほどコツを教える」
「そうか、そういうこともあるんだ。気を付けなきゃ。魔導塔の本部って、確か場所を公表してないよね?」
「していない。出入りを許された者のみ、視ることができる」
悠真は口元を引きつらせた。うっかりでも決して人に喋ってはならないトップシークレットだ。今後、外部の人間に会った時、話していいことといけないことが何なのか、しっかり憶えておかねば。
やがて《ラディウス》が高度を下げた。樹々をかすめる高さで飛行していると、凄まじい速度で『飛んでいる』のがよくわかる。ギリギリの低空飛行は、周囲の景色があっという間に後方へ流れ去って行き、さながら屋根のない新幹線だ。
さすがにちょっと怖くなり、オスカーの腕を掴む手に力が入ってしまったものの、悠真はずっと満面の笑顔だった。怖いけれど、恐怖心など凌駕するぐらい最高に楽しい。
昼近くなり、長城を南に越えた。「あちらが王都だ」と示された方角に、森の切れ目と、遠目にもよくわかる立派な城。
「……なんだか、行きたくない、ような……?」
悠真は不意に「いやだな」と感じ、身体をねじってオスカーに抱きついていた。
「行かせるつもりはない。方向を教えただけだ。この辺りで昼にするぞ」
安心させるようにポンポンと背を叩き、オスカーは飛竜を近くの丘におろした。
周りは雪。飛竜の背に乗ったまま食事となる。ベルトで身体にしっかり固定するタイプの鞄には、手づかみで食べられる携帯食が入っていた。長旅ではなく日帰りなので、日持ちより味を重視している。
しっとり焼いたパンを潰して具材を巻き込むのは、悠真にトルティーヤの話を聞いた料理人がこちら風にアレンジしたものだ。レムレス邸の厨房は着々とレパートリーを増やしている。
つい甘えた行動を取ってしまったのが気恥かしくて、悠真は料理人に感謝しながら、美味しいお弁当に集中した。
「僕が魔法で出した水、飲めるかな?」
「おまえの水なら飲用に堪えるだろう。その辺の魔法使いが出した水では、空気中の塵や不純物が混入して飲めたものではないが」
「試してみてもいい?」
「今はやめておけ、溜める器がない。試すなら館に戻ってからだ」
「ん、わかった」
水筒の中身は果実酒だった。下手に水を混ぜたらまずくなってしまう。
その後、自然に会話が途切れた。悠真はいつの間にか横抱きにされ、オスカーの胸にもたれかかっていた。
―――はた、と気付く。僕、またもや無意識に甘え切っていないか?
完全に無意識だった。この男の甘やかしに、すっかり慣らされてしまっている。それでいて不意に我に返った時、とてつもない羞恥に身悶えする羽目になるのだから、始末に負えなかった。
(なんでオスカーは平気なんだよう。世の中のこ、恋人同士って、みんなこういうの平気なの?)
だが、悶えている場合ではない。悠真は今朝、己へ密かにミッションを課したのだ。
二人きりでデート、もとい、案内をしてもらうこの機会に、あのガゼボの続きを―――経験値不足のせいで、そんなつもりはなかったのにスルーしてしまったプロポーズへ、しっかり応えるのだ、と。
婚姻が成立して何日も経っているのに今さら感しかないかもしれないが、これを放置しては悠真は自分が許せない。第一、オスカーからの意思表示は毎日、たっぷり、山ほどもらっているのに、自分からは全くないのだ。これはいけないだろう。
(だから今日は、今日こそ、僕からオスカーに、キスをするんだ……!)
もうあんなにいろいろされているのに、思いついたのがこれだけだった。けれど悠真にとっては、『たかが』キスではないのだ。
「オスカー!」
「ん?」
一念発起し、彼のコートの前をぎゅっと握りしめながら、悠真は顔を上げた。
(ええと、……ここからどうすればいいんだっけ?)
オスカーの唇を。どうすればいいんだっけ。頭からすぽんと飛んでしまった。
「ユウマ?」
「えぁ、……その、……え~と……」
「…………」
「ぁむ!? ……ン、ふっ……!」
先手を取られた。もたもたするからである。
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