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恋と真実

35. 後悔と誓い

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 クレマン・タクススの祖父は、カリタス家と同格の伯爵だ。高位になるほど家の数は少なくなり、同格の家の大半は水面下で反目し合っている。
 クレマンの父は入り婿で爵位がなく、義父ちちと妻に頭が上がらない。
 ある日、祖父は孫息子に夜会での話をした。カリタス夫妻に世間話を振ってみたら、夫妻はよくある腹の探り合いと気付かず、本気でただの世間話として応じたという。
 先代と違って張り合いがないと祖父は嘲笑しつつ、ふと思い出したように言った。「あちらの家の息子は、最近体調が悪いそうだ」と。

『先日も熱が出て、味覚が少しおかしくなっておるらしい。不調を隠して笑顔を見せる健気けなげな息子だそうだが、以前も倒れたことがあると言うし、病弱ならば殿下の側近など辞退させればよかろうに。そうそう、味覚がおかしくなると言えば、このような話があってな―――……』

 夫妻の顔色から「何かある」と勘付いたのだろう。味覚に関する何かを誤魔化したいとなれば、すぐに思い浮かぶのは『精霊の悪戯』だった。精霊と深く接触した者の味覚が一時的におかしくなる症状、そしてカリタス家の息子の変貌。
 思えばあからさまな誘導だったが、孫息子はこれで釣れると祖父は読んでいたわけだ。案の定、クレマンはきっちり引っかかった。

 クレマンは父に似て腹芸が得手ではなく、動揺が顔と態度に出やすいたちだった。ミシェルと親しくなる以前は、家を背負ったプレッシャーを隠せぬまま、ジュール王子の腰巾着の座を勝ちとろうと躍起になっており、王子の目にはギラついた野心家に映っていた。実際は、単に素直で不器用なだけだった。
 いつも通り振る舞え、という指示を完璧に遂行できる者もいれば、クレマンのようにどうしても苦手な者もいる。通常ならこの時点で候補からは外されるのだが、候補の一人であるエルヴェ・フルーメンが待ったをかけた。

 エルヴェは逆に「腹芸は大得意です」とアピールするほど、演技が上手いし機転も利く。彼の祖父は国王陛下にしつこく絡んでいるうちの一人、フルーメン大臣だ。それについて彼がジュール王子に謝罪した時の言葉が、「うちのジジイトシのせいか話長くて申し訳ありません。八割ぐらいボケてますが気長に付き合ってやってください」だった。
 彼はフルーメン大臣の嫡子が愛人に生ませた子で、ずっと孤児院に放り込まれていたが、嫡子が事故死して回収され、「引き取ってやった恩を返せ」と非常に厳しい教育を受けた。そんな経緯があり、己の祖父をかつの如く忌み嫌っている。

『クレマンが注目されていれば、俺としては動きやすくなります。このまま彼には隠れみのになってもらえればと思うんですが』

 つまりクレマンが囮になればいいという、聞きようによっては酷い提案なのだが、当のクレマンは目からうろこが落ちていた。自分は足手まといにしかならないと、戦力外通告を覚悟していたからだ。
 エルヴェの提案にジュール王子も前向きになり、指示を一部訂正することにした。いつも通りにできる者は継続し、できない者はいつも通りでなくて構わない。
 ただ、決して口にしてはならないことを幾つか頭に留めておき、言葉や文章の形にしてはならない。それだけ守っていれば、つい口調が怪しくなろうが、態度がぎこちなくなろうが、全く問題なしとする。

『親切ごかしに声をかけてくる者がいれば、必ず報告せよ。他の者は囮役に注目する者の様子をさりげなく見張れ』
『承知しました。人前でクレマンに〝どうした、様子がおかしいぞ〟と声をかけてみていいですか?』
『そのほうが自然ですよね?』
『クレマンは〝何でもない〟と答えてくれるだけでいいぞ。こう、何でもない風を装いつつ、どうしてもぎこちなくなる感じに』
『頑張れ、クレマン』
『…………ええお任せください!』

 クレマンの動揺は祖父へ筒抜けになっているに違いなく、今後もし祖父から探りを入れられた場合は、無理をしている表情になっても構わないからシラを切れ。そんな指示にクレマンはもちろん、肩に力を入れていた面々もホッとした様子だった。

『今後もこのように、先の見通しが立たずとも、常に己を律しておかねばならない状況はいくらでも考えられる。我々にとって、己の未熟さを勉強するいい機会だったと考えよう』

 自戒をこめつつジュール王子が言い、全員が敬礼を返した。特にクレマンはその言葉を強く胸に刻んだ。
 国王陛下への突き上げが始まったのは、国王陛下が《新たなる精霊》について発表を行う前。本来は魔導塔と連携し、後日主だった臣下の招集を行って……と予定を組むはずだったのが、完全に狂ってしまった。
 話す前から、何故か皆が《精霊》について厳しく追及してくるものだから、何かがどこからか漏れたのは確実。しかも、北の森にも不穏な輩がうろついていたという。

 リアム・ヴェリタスは《風の精霊》の愛し子だ。ヴェリタスの会話を盗み聞ける者は、同格あるいは格上の愛し子ぐらいしかいない。しかも彼は行動時に隠形の術を使うことが多く、尾行も困難を極める。国王に謁見を求めたことは知られていても、やりとりの間は常に人払いがされていた。つまり漏れたのは別の場所からだ。

 クレマンは自分が祖父の情報源になり、カリタス家への疑惑が《新たなる精霊》に結びついたのだと確信していた。だいたい料理人に塩入りの菓子を作らせれば、いくら小手先の人払いをしようと、何を試したかなどバレて当たり前ではないか。
 そして祖父が孫を駒にしたように、祖父の行動もまた誰かに監視されており、我先に利を得ようとする者が国王陛下のもとへ殺到した。

(自分の失態が許されていいとは思わない。だから許しを請うのではなく、二度とこのような失態は犯さない自分になることを、いつかに誓おう)

 まだ今は会えないけれど。いつかその日が来ることを心待ちにして。

 そうして迎えた今日、ジュール王子は北の森へ赴くよう父王に命じられた。
 実のところ、ジュール王子とジスラン以外、その《精霊》が何者であり、ミシェルと関係があるのか否かすら、はっきりとは知らされていない。けれどうっすら想像はつく。それはこの二人以外、まだ知ってはならないことなのだとも。

「『彼』の様子は?」
「相変わらずです」
「ここに呼んだのは側近候補の一部だ。ゆえに『彼』が不在であっても、誰にも怪しまれない……とは、楽観せぬほうがいいだろうが」
「バレバレだとしても、『彼』を放置してしまうと、妙なのが接触をはかってくるでしょうね。我々が確保しておく意味でも、『今まで通り』の継続が望ましいでしょう」
「その通りだな。―――北の森への同行者はジュールに加え、それぞれの護衛として近衛騎士を二名。計四名で行こうかと考えている」
「護衛が二名!?」
「危険ではありませんか?」

 王子の一行としてはあまりにも少ない人数だ。しかしジュールは、あの森に関しては大所帯で向かうほうが危険だと知っている。
 数多の魔法使いが棲み、彼らの使い魔が跋扈ばっこしていると噂の北の森へゆくこと自体は、さほど恐れていない。
 怖いのは……ヴェリタスに叱られるか、それとも生涯トラウマになるほどおちょくり倒されるのか……両方かもしれない、と密かに戦々恐々としていた。

「行き先はヴェリタスの館だ。のちほど父上からヴェリタス宛ての手紙を送ってくださるだろうが、私からも送っておこう」
「まさかとは思いますが、訪問を断られたりはしないでしょうか?」

 ジスランの気がかりに、ジュールは「それはない」と首を振った。

「私はいつでも来ていいと言われている。奴は一時期、私の家庭教師だったからな」



   □  □  □



「言いましたっけねえ、そういや。むかーしむかしですがね」

 可愛い生徒はいつでも大歓迎ですよ、と、まだ分厚い聖人の皮を着ていた頃に微笑んで言ったのだった。
 リアムはフォルティス親子からの手紙それぞれに目を通して嘆息した。
 王城の使いは森の中までは入らず、北の森の入り口付近にある配達所に手紙を預け、配達人がその手紙を森の中の各家に届ける。利用者は少ないが皆無ではなく、森に入ろうとする者を見張る役目も持っていた。

「なかなか図々しくなったねえ。誰の教育だろう」

 リアムはなるべく品質のいい便箋を選び、要約すれば「いいよおいで~」と書いた。この手紙はリアムの館の使用人によって配達所まで届けられ、そこから配達員が王城へ届ける。昔は調教した魔鳥を王城に飛ばせた時代もあったが、魔鳥を殺して手紙を奪う者が続出し、今の形におさまっている。
 次にリアムはよりぬきの品質の便箋を選んで、丁寧にご機嫌伺いの手紙をしたため、レムレスの館に届けるよう命じた。


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