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恋と真実
34. 暗鬼の巣窟
しおりを挟むレムレスの館は広く、仕えている人の数も多い。ほとんどが初めましての顔ぶれだった大宴会の翌日、見学しながらゆっくり案内してもらったけれど、館の中だけで一日がかりになった。
その日以降は天候が崩れ、外の案内は保留になっている。領地はなくともレムレスは広大な敷地を保有しており、オスカーが使役霊に乗せて案内してくれる約束になった。悠真は今から楽しみで、気分は遠足前の幼稚園児だ。
悠真の知識の偏りや不足分について、本に書かれていない部分の補足はゾーイが教師役になってくれた。多忙ではないか心配したものの、この館は頻繁に客を招くことがなく、また季節的にも今が一番のんびりできる時期とのことで、それではとお願いすることになった。
ゾーイが先生をしてくれている間の数時間、オスカーは執務室や自分の研究室、作業場などに籠もっている。急ぎの仕事はもう片付いているので、彼がいては口にしにくいことを尋ねる時間を設けたのではないか、とゾーイは推測していた。
オスカーの伴侶の相談相手として、確かに彼女はうってつけだった。
「伴侶……伴侶か。そう、なんだよね……」
ご伴侶様、と呼ばれ、館の皆から賑やかな挨拶を受けた大宴会の日から、はや幾日かが過ぎていた。
数えてみればオスカーに出逢い、今日までほんの一ヶ月すら経っていない事実に愕然とする。
悠真の感覚では有り得ないスピード婚、しかも相手は同じ性別。お付き合いや告白をすっ飛ばして先に身体を繋げることになり、それから毎夜求められて濃密な時を過ごしている。
悠真の負担を慮ってか、夜明けを拝むほど長時間に及ぶことはなくなったが、日中何かの拍子にふと蘇りかけ、頬の熱を冷ますのが大変な思いをさせられていた。その行為自体に身体を回復させる作用があるようで、体調だけは毎度絶好調なのが余計に居たたまれない。
「前の僕が今の僕を見たら、絶対にこいつ誰? って顎が外れそうになるよ……」
「お恥ずかしいですか?」
「うん……。でも、その、嫌ではない、けどさ……」
ゾーイの生温かい目を感じつつ、ごにょごにょと顔をそらす。
毎度、あの甘ったるさに撃沈しそうになるのが困りものだ。膝に乗せられ、耳元に睦言めいた響きで囁かれながら、一緒に本を読んだり「あーん」をされたり口づけをされたり……しかもそれを、人前であろうが平気でやるのだ、オスカーは。
悠真の対外的な護衛または従者として、魔導塔の人員をこちらに送る提案をしてきたリアムが砂を吐きつつ、「新婚の蜜月に犠牲者を送り込もうか、なんて残酷な話を勝手に進めなくて正解だったよ」と保留にしたぐらいである。
(でも嬉しい……めちゃくちゃ幸せだ……僕、前より頭悪くなっちゃったんじゃないの……?)
しかし、である。徐々に実感が湧いてきて、悠真はふと気付いた。
それはあの夜、ガゼボでオスカーと過ごした時間。
熱烈で怖いぐらいの執着を覗かせ、畳みかけられた言葉の数々。
あれはつまり、プロポーズ、だったのではないか。
自分はそれに、どう返したか。
(…………あれ? 答えてない?)
嬉しかった。間違いない。そこで感情がいっぱいになって、爆発してしまった。
それきりだ。
(えっ、嘘!? ほんとに、ちゃんと答えてないぞ!?)
嬉しいです、自分も同じ気持ちです、これからよろしくお願いします等々、Yesに該当する言葉を全く口にしていない。
マジかよ、僕最悪、と悠真は頭を抱えた。
□ □ □
王城の会議室にて、長年王家に仕えてきた重臣達が大テーブルを囲み、その半数は不満も露わに各席についていた。
議題は七日前、突然現われた新たな精霊についてである。
あの魔導伯レムレスが、なんと精霊に恋慕をし、口説き落として人に変化させ、己の伴侶として迎え入れた―――王にその報告をしたのが魔導塔の筆頭であり、報告したその日のうちに、件の精霊は王国貴族としての登録を完了し、レムレスと婚姻まで結んでしまっていた。
茶番だ、と彼らは確信した。あの冷酷な男が色恋にうつつをぬかすなど、誰も信じはしない。その精霊が今までにない存在であり、早々に自分達が囲い込むための手段として婚姻を用いたのだと容易に察しがついた。
「恐れながら陛下、いささか早計だったのではないかと愚考いたします。せめて数日は審議期間を設け、のちに精霊様のお身柄について決定すべきであったかと」
「さよう。あまりにも一方的、陛下の権威を蔑ろにしておると言わざるを得ぬ」
「魔導塔にばかり力が集中してゆくことを許しては、彼奴らの増長が止まりませぬ」
最上位席に座る国王ガーランドは、真綿で牙を包むように噛みついてくる大臣達を、いつものように威厳に満ちた態度と表情で軽くいなしている。父王の横に立つ第一王子のジュールは、父王に改めて尊敬の念を抱きつつ、内心で嘆息した。
かの精霊が我が国での生活に慣れるまで、一切の干渉は罷りならぬと既に申し渡したことを、また懲りずに持ち出しては長々と無益に時間を浪費させる。それが七日前からずっと繰り返されていた。
彼は将来、自分でこれらを御さねばならないのだ。改めて父王の偉大さを思い知ると同時に、暗澹たる気持ちで沈み込みそうになる。
「せめて例の精霊様とやらに、ご挨拶にお出でいただくようお願いすべきではございませんかな」
「さよう。正式にお招きし、その精霊様が真に危険のない御方であるかどうか、見極めるべきにございましょう」
要するに、彼らが言いたいのはこれに尽きる。その精霊を城に呼べ。自分達に見せろ。口調だけは丁寧でも、不可侵の存在たる精霊への畏敬の念は欠片もない。
何度も何度も言い方を変えて同じ要求を重ね、王が根負けするのを待っているのだ。それが叶えば、お次は「この精霊は自分達が保護するべきだ」となるのだろう。
「余の暗殺計画を知り、魔導塔の者に警告を発したのはかの精霊であったと、そなたらは耳にしておるはずだが。余を危機より救いしものは、そなたらにとって警戒すべきものということか」
「へ、陛下、決してそのような……」
「その件も含めまして、精霊様には詳しゅうお話をお聞きしとうございまする。レムレスや魔導塔筆頭の言に偽りがあるとまでは申しませぬが、事実ならば、我ら臣下一同、陛下の貴き御身をお救いいただいた感謝を申し上げるべきではございませんかな」
ああ言えばこう言う。そもそもあの暗殺計画自体、王家に恩を売るため、魔導塔が裏で画策したのではないかと囁かれていた。発覚から解決までがあまりにも早く、証拠も揃い過ぎていたからだ。
もしその精霊が実在するのであれば、なんとしてもこちら側に取り込むべきであろう。しょせん人化した精霊など、自分達の力でどうとでもなる。
……そうでなければ、どうする気なのか。
「ふむ。かの精霊には恩義があり、一度は会うべきである、という意見はもっともであるな」
「陛下、では……」
「我が息子ジュールを北の森に向かわせよう」
「は!?」
「い、いえしかし、陛下」
「北の森は人外の巣窟、危険でございましょう!」
「余の名代としてジュール以上に相応しき者はおらぬ。それにそなたら、心得違いをするでないぞ? 余が直々に感謝してやるからここに来いと、精霊を呼びつけよと申すか? それで怒りを買った場合、そなたらは如何にして責任を取る。よもやこの首を差し出せと言うのではあるまいな」
「陛下! 我らはそのような」
「第一王子を向かわせる。新たなる精霊の見極めについても、第一王子に一任するものとする。よいな、ジュール」
「お任せくださいませ。名代としてのご挨拶、また見極めについて、決して父上と王家の名に傷が付かぬよう果たして参ります」
「うむ」
「なっ……」
「それではただちに準備に取り掛かりますので、これにて失礼いたします」
暴論だ、一方的に過ぎると異口同音の不満が飛び交う中、ジュールは胸に手を当て、颯爽とその場を後にした。
(感謝いたします、父上)
急ぎ執務室に足を運べば、そこには側近候補の数名が待機していた。
人払いをし、王命をそのまま彼らにも伝える。安堵と緊張が室内に満ちた。
「いよいよですね」
「ああ。ジスランは私に同行を。他の者達は留守を任せたい」
不満は上がらず、頷きが返った。
ジュール王子は今回の候補者全員を己の側近にする心づもりであり、彼らにだけはその意向を伝えていた。信頼し、信頼される相手を得ることが如何に困難であるか―――父王が毎度付き合わされているあれを眺めるたび、これに対抗するには何よりそれが必要なのだと嫌でも理解させられた。
要求を通すためだけに、その場の誰もが茶番だとわかっている茶番を何時間でも、何日でも繰り返す。あんなものは心底うんざりだと、この者達には正直にぶちまけもした。
全員、共感しかなかった。
その得難いものを、変貌する前の―――いや、変貌した後のミシェルが彼らに与えてしまった以上、手放すことなど考えられはしないし、それは生涯に渡る損失であると彼らは理解していた。
先日、辛抱できずにミシェルへ致命的な引っかけをしてしまった少年、クレマン・タクススも例外ではない。クレマンは短慮に走った己を恥じ、何故そのような行動を取ってしまったのか、原因を既に突き止めていた。
『祖父に、誘導されたのかもしれません』
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