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恋と真実

31. 胸に巣食う嵐

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『それにしても、とんでもないことをしてくれたね。を別の世界から引きずり込んだ上に放逐、なんて……』

 口止めをしておかなかった己のうかつさに、オスカーは内心舌打ちをした
 だが幸い、悠真はその時点では到着していなかったようだ。改めてリアムに〝それを口に出すな〟と筆談で伝えれば、リアムは神妙に頷いていた。覚え書き用紙をちぎって手の中で書き、書き終えたらすぐに燃やしたオスカーの慎重さは、こうまでしなければ彼には筒抜けになるのだとリアムを震撼させた。
 否定はしないが軽々と肯定もできない。そんなリアムが積極的にオスカーへ力を貸すようになったのは、その時からだ。


「ミシェルは、おまえを―――……」
「やめて。聞きたくない」

 咄嗟に拒絶の言葉が出た。オスカーはすぐに口を噤み、それでも悠真から目を逸らすことはなかった。

「……ああ、そうだ。そうだったよ。僕は聞いてた。案外すんなり着いたんだ。最初からあの場にいて、二人の会話を全部見てた」

 独白のように頭の中身が勝手に出て、悠真の表情があの頃の人形に戻っていく。

「耳に入った瞬間、蓋をしたんだ。あ、コレいらないやって。あったら邪魔なやつだって。そうじゃないと、僕は」

 その後にどう続けようとしたのか、自分でもわからなくなり、悠真は首を傾げた。

「なんだ。僕の記憶力って全然あてにならないんだな。こんなあっさり消えたり自己改竄してるなんて。ポンコツもいいところだ」
「ユウマ。私は」
「謝らないで。ミシェルの代わりの謝罪なんて聞きたくないよ。だって、あなたのせいじゃないんだから」

 今は自分より目線の低い、真摯なまなざしに微笑みかけた。その眉根が寄るのを見て、悠真の内側に弾けたのは憎しみだった。
 自分の中に生じた信じられない感情を押し込めようとしたら、当のオスカーがそれを止めた。

「ユウマ。堪えなくていい。吐き出せ、呑み込まずに」
「嫌だよ。だって僕の中身、いま最悪にぐっちゃぐちゃなんだよ。こんなの吐き出したら、さすがのあなただって、もう付き合ってらんないってなるでしょ」
「ならない。何度でも言うぞ。おまえが何を想い、どのような存在になろうとも、決しておまえを見捨てない」
「へえ……そう? それ、同情? 責任感? 義務感? ―――あんたの弟が僕を殺したから? なのに諸悪の根源がノーテンキなまんまで、代理で罪滅ぼしをしなきゃなんて、お兄さんは大変だね」
「違う。私は」
「何が違うんだよ。……ああ、だから嫌だったんだ。こうなるから。だって無意味だ。叫んだって無意味だ。何も変わらない。何も―――」

 樹々が揺れた。風が吹いているのだろう。

「無意味ではない。叫んでいい。私はここにいる」
「だから、あんたにこんなのぶつけたくないって言ってんだよ。あんたがいなくなったら、あんたに嫌われたら、僕は、僕は……」
「嫌わない。……言い方を変えるか。おまえが泣いて嫌がろうが、私から離れたくなろうが、捕まえて私の傍から離さん。どんな手段を用いてもな」
「へ」

 オスカーの手が悠真の耳朶に伸びる。

「カラスは生涯、同じ相手とつがう。この国でカラスの意匠の宝飾品を贈る相手は、己の生涯の伴侶であるという意味だ。おまえが寝ている間に無断でこれをつけた。つける瞬間も今も、私の中には満足感しかない」

 そこから垂れて煌めく石に、唇がうっすらと凄艶な笑みを形作った。
 悠真の目が丸くなり、人形めいた無機質さが消える。
 たっぷり朝寝坊をし、昼近くなって起きたら、耳にピアスがついていた。オスカーはその時も、今のように満足げにピアスを弄び、「似合う」と囁いた。
 気だるい空気の名残と、くすぐったさと恥ずかしさで、どうしてこれをつけたのか、結局訊きそびれてしまったのだが……。

「こんなの、いつ、用意したの。ほかに、贈りたい人が、いたとか?」
「おまえを抱いた最初の夜の翌日、他の仕事は後回しで良いから早急に作れと、衝動的に職人に命じていた」
「そ、そうなんだ。へえ~……。まさかさ、ほんとに、僕なんかに一目惚れでもしてたってわけ?」
「それは正直、わからん。一夜目にしても、純粋に術式として挑むつもりだった。だがおまえにとっては、つい最近まで見知らぬ相手、それも同じ性を持つ相手から犯される立場になる。だから極力、おまえの心身が苦痛を感じぬようにつとめた。終わってみれば、のぼせ上がっていたわけだが」
「ソウ、ナン、ダ……」
「おまえは可愛かった」
「うぐ……!」

 意地悪くリアムの揶揄からかい方を真似たつもりが、反撃を食らって火傷したのは悠真だった。慣れないことをするものではない。

「二夜目からは、いかにしておまえを私の身体に溺れさせるか腐心していた」
「わわ、わかった! わかりました! ええっと、その…………もしかして、オスカーって、僕に夢中……なの?」
「そうだ」

 照れも躊躇ためらいもなくあっさり肯定した。これだから経験豊富のイケメンは、と悠真は叫びたくなった。
 本人に確かめるまでもなく、オスカーは確実に経験値が高い。つねづね悠真はオスカーを俳優ばりに格好いいと思っているし、悪評など気にしない女性だって少なくないはずだ。女性に限らず、男性にもモテるだろう。
 なのに、そんな男が、悠真に夢中なのだという。

「……変な生物だから、研究対象にしたいとか?」
「今ここでおまえの口を私の唇で塞ぎ、朝まで欲望をねじこんでもいいか?」
「ま、待って、待って、待って」
「おまえに溺れている」

 なんてことを言うんだ。畳みかけてくる男に、悠真は真っ赤になって口をハクハクさせた。
 もしやキスがあのタイミングだったのは、術式は関係ないと強調するためだったのか。
 必要なくなったのに、ずっと悠真の身体に触れ続けたのは、オスカーもそれなりに気持ちよくなれて、この身体を気に入ってくれたのかな、ぐらいにしか思っていなかった。だったらいいな、でも飽きられたらどうしよう、とかなんとか、ドキドキしたり悩んでみたり。

(っ、……ああもう! どうなってんだよ、この涙腺!)

 目からぼたぼたと雫が落ちる。ぎゅっと目を閉じても止まらないそれが腹立たしくて、オスカーを睨みつけた。

「僕、調子に乗るよ。みっともない顔でぎゃあぎゃあわめくかもしれないよ。それでも見放したりしないって約束できるの?」
「いくらでも誓おう。見放さないし、おまえが逃げようとしても逃がさん。必ず捕まえて、我がもとに閉じ込めよう」
「……怖いなあ」

 オスカーは悠真の左手をすくい、薬指に口づける。
 この世界にも、左手薬指に何か意味はあったろうか? 首をひねるも、思いつかなかった。

「僕はさ。兄と姉と両親と祖父母がいて、みんなすっごく仲が良かったんだ。友達も気のいい奴らばっかりでさ……」

 唐突に語り始めた悠真に、オスカーは目で先を促した。

「猛暑日だったんだ。急に喉が渇いて、頭が痛くなって、めまいがしてさ。やばいと思ったら目の前が暗くなって、気が付いたらミシェルになってたんだ。家に帰ってる途中の道で、たまたま周囲に人がいなくて、日射病か何かで意識をなくしたまんま、それきり……きっとそういうことなんだろうと思った。家族や友達の顔が浮かんでは、悲しませちゃってごめんなさいって何度も泣いたよ。でも僕が泣いていると、この世界の両親や、僕の世話をしてくれる人を困らせるから……生まれ変わった世界で、精一杯生きようって決めたんだ。それなのにさ……」

 悠真はスゥ、と息を吸い込んだ。

「あんな! あんなくだらない! 独りよがりのクソガキの他力本願な、くっそどうでもいい『お祈り』とやらのせいで、僕は死んだって!? ふざけんな!! 僕は何にも出来ないから!? おまえがなんにもやらないだけだろ!! おまえのどこが独りぼっちだ!! あんだけ人に囲まれて自由にのびのび生きといて、僕が泣いてた理由すら考えもしないで、自己陶酔も大概にしやがれ甘ったれ坊主が!! そんなことで、そんなことで僕の人生は、僕の家族は、みんな、みんな……!!」

 叫びは途中から嗚咽に変わった。両手で顔を覆ってむせび泣く悠真を、力強い腕が抱え込んだ。
 額に口づけが降る。瞼を閉じれば、唇が重なってきた。幸せ過ぎて全身が痺れた。

「……ごめん」
「何故謝る?」
「だって、あんたこそ、あれの被害者だろ。なのに、僕ばっかり、発散してる」
「私が?」

 泣き過ぎてくらくらしながら見上げれば、オスカーが虚を衝かれた顔をしていた。

「昔のミシェルが、『兄様』に言われたセリフで憶えてるのって、『勉強しろ・怠けるな・逃げるな』ぐらいだったんだよね。顔すら曖昧でさ。ミシェルは『兄様こわい。僕を叱ってばっかり』ってメソメソ泣くんだけど、拳骨も食事抜きもないし、僕としてはそんなに怖いか? って不思議だったんだよ」

 三食食べて、おやつも食べて、何人もの召使いに坊ちゃま坊ちゃまとチヤホヤお世話されながら、毎日ふかふかのベッドで気持ちよく眠っていた。
 当時ミシェルが四歳ぐらいとすれば、オスカーもまた十四歳ぐらいでしかなかったことになる。

 ―――高位貴族の子弟であれば、四~五歳程度から教育が始まるのが常識。何ら早いことはない。幼児期ほど吸収が早いのはこの世界でも共通であり、早ければ三歳から教師をつける家もある。もちろん最初は簡単な読み書きからで、無理なくその子のレベルに応じて授業は設定されてゆく。
 つまりミシェルの兄は至極まっとうに弟を叱っていたわけで、悠真が思い返しても理不尽なセリフはひとこともなかった。
 全員が同じ条件である以上、ここで怠ければ末路は悲惨だ。なのにミシェルは勉強が嫌で逃げ回ってばかり。木剣を振るのが疲れて嫌なら、別の運動をしていたか? 何もしていなかった。遊ぶだけだ。

 記憶力が壊滅的に悪いということはない。椅子にずっと座っているのが苦痛なのでもない。病気がちで身体が弱いのでもない。遊びたい盛りのお子様が遊んだって悪くはない。
 でもお勉強は嫌だから逃げた。鍛錬は疲れるから逃げた。

 待ちぼうけを食わされた家庭教師が報告するのは、当主ではなく長男だった。家庭教師に詫びて、兄が授業をさぼった弟を捜しに行けば、弟は両親とお喋りしながらお茶とお菓子を楽しんでいた……なんてこともあった。
 しかもその後の授業は全部『優しい父様』がキャンセルの連絡を入れてくれており、ミシェルは大喜びしていたのだ。激怒した兄が父を叱り飛ばし、なんて怖くて偉そうなんだろう、と怯えたりもしていた。

「……そんなこともあったな」
「やっぱり、記憶違いじゃないんだ。あんな記憶がある時点で、なんか変だな、って気付くべきだったよ。小さい子だから、自分より大きい人の大声を怖がるのは当たり前かな、なんて思った自分がバカだった。……あなた、孤軍奮闘してたんだろ。誰も味方がいなくて」

 ずっと独りぼっちなのは、彼のほうだった。祖父がいなくなってからずっと。
 灰の瞳が揺らぎ、抱きしめる腕に力が籠もった。


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