鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

文字の大きさ
上 下
30 / 95
恋と真実

30. 僕はミシェル

しおりを挟む

 ミシェルはカリタス伯爵家の次男として生まれた。
 父の名はロベール。母の名はニネット。
 他界した祖父と祖母については全く記憶にないけれど、祖母はとても優しく、祖父はとても厳しくて恐ろしい人だったと、ミシェルはよく両親から聞かされた。

 そんな祖父に似たという兄オスカーの存在が、ミシェルは苦手を通り越して恐怖でしかなかった。冷たく光る銀灰色の目で睨み下ろされるたび、どうしても怖くて逃げ出してしまう。そして次に会った時は、逃げたことを散々に怒られてしまうのだ。
 怖くてつらくて悲しくて、泣いているミシェルを優しい母ニネットはいつも抱きとめてくれた。

「まあ……またオスカーにそんなことをやらされてしまったの? 可哀想に、ミシェルのお手々とお目々がこんなに腫れてしまっているわ。ミシェルはあの子とは違うのだから、同じように出来なくても仕方がないというのに、困ったわねぇ……」
「頑固なところは父上に似てしまったからなあ……。こんなに小さな頃から鍛錬などさせなくとも良いだろう、厳し過ぎると注意しても、あの子は聞きやしないのだよ。精霊の寵愛があれば何でも無茶を言っていいと思っている。あれでは敵しか作らないだろうに。我が家の跡取りとして、もう少しどうにかならないものかなあ……」
「ミシェル、つらくて怖かったら気にせず、いつでもお父様とお母様のところにいらっしゃい。無理なんてしなくてよいのですからね」
「母様の言う通りだ。ささ、一緒にお菓子を食べよう。今日ぐらいお休みしたって構わないさ」

 両親はいつだってミシェルの味方だった。けれど愛し子というのはとても強くて、両親といえどオスカーを止めることはできなかった。あの後オスカーは「勝手に家庭教師を帰らせないでください!」と父を叱り飛ばしていた。―――家長である父ロベールに対して、なんて偉そうな態度なのだろう。でも、誰もオスカーを罰することはできないのだ。精霊の寵愛を受けた人間というのは、それほど強いものなのだ。
 それからもオスカーはミシェルが泣いていようと情け容赦なく勉強させ、くたくたの汗だくになっても木剣を振るわせた。

(ぼくの兄様は、なんてひどいひとなんだろう。ぼくは兄様みたいにできないのに。ずるいよ、じぶんはさいしょからなんでもできるからって)

 厳しい兄オスカーが魔導伯になり、家を出てホッとしたのも束の間、どこへ行っても素晴らしい兄の評判が聞こえてくる。
 精霊の愛し子。優れた召喚士。レムレスの継承者。恵まれた体格に、他者を威圧する灰の髪と灰の双眸。
 なのにミシェルは、そんなに頭はよくないし、魔法の才能だってないし、身体が小さいから剣を振ったって強くなれないし、極めつけに平凡な茶髪と平凡な茶色の瞳。
 あの男の弟がこれだって? そんな声があちこちから聞こえてきた。

 ミシェルは知っている。本当は父ロベールも母ニネットも、兄に比べてこの子は……と思っている。
 使用人達だってみんな、きっと内心では「あの兄に比べて見劣りの激しいお坊ちゃまだ」と思っている。
 だってミシェルを見る時の目が、いつも同情たっぷりなのだ。あんな立派な兄の弟に生まれて可哀想に、と目が言っている。
 毎日毎日、みじめで悲しくてつらかった。

 第一王子殿下の側近候補に選ばれたと聞いた時は、絶望した。嫌だ、無理だと言ったけれど、両親は申し訳なさそうに眉を下げた。

「すまないね、ミシェル……国王陛下のご命令だから、辞退は出来ないのだよ……」
「それに、候補として名前を連ねるだけでもとっても名誉なことなのよ。大変かもしれないけれど、きっと大丈夫よミシェル」

 全然大丈夫ではなかった。ミシェルは我の強い他家の令息から弾かれ、立っているだけで光を放つような王子殿下とは目を合わせることすらできなかった。
 恥ずかしくて悲しくて、しくしく泣きながら部屋に籠もった。そんな時に思い出したのは、幼い頃に読んだ物語。
 誰にも内緒でずっと自分の姿に唱え続けたら、どんな願いでも叶えてくれるなんて、そんな夢のようなことが本当にあったらいいのに。
 それはやってはいけないことだと、叱る兄の声が聞こえた。あれは何歳いくつの時だったろう。確か大事な手鏡を取り上げられて、ミシェルは大泣きしたのだった。だってミシェルはお友達がいないから、話しかける相手が誰もおらず、ずっとひとりぼっちで寂しかった。

「願うことの何が悪いの? 兄様は自分が何でも恵まれてるから、そうじゃない僕の気持ちなんてわからないんだ」

 ミシェルは毎晩、鏡の中に祈り続けた。いつか鏡の精霊様が応えてくれたらいいのにと思いながら。

「もっとお勉強ができるようになって、魔法も使えるようになりたい。みんなが僕をすごいって、素敵だって言ってくれるような僕になりたい。こんなにつまらない何もできない僕なんてもう嫌だ。もしも誰かが僕の代わりに全部やってくれるなら、この身体をあげたっていいよ。お願い、どうか僕を助けて……」

 ―――ミシェルの願いは叶った。
 ある日を境に、ミシェルではない誰かがミシェルの身体を動かし始めた。お祈りが届いたんだ、とミシェルは嬉しくなった。
 その『誰か』は、ミシェルの出来なかったことを次々と叶えていった。中からその様子を眺めながら、「そうか、そうすればよかったんだ」とミシェルはいつも感心した。

 お茶の淹れ方を教われば、執事は嬉しそうに「お上手です」と相好を崩した。テラスで両親に腕前を披露すれば二人とも驚いて、そして嬉しそうに飲んでくれた。
 お勉強だって、その『誰か』がやってくれた。先生達は以前のように残念そうな顔はせず、手を叩いて褒めてくれるようになった。魔法もどんどん上手になって、両親が「さすがカリタス家の子だ」と誇らしそうにしてくれた。

(そうか。ああいう風にしてあげれば、みんな喜んでくれるんだね)
(嬉しいな。殿下達が声をかけてくれるなんて)
(考察文って、線を引いたらわかりやすくなるんだ。そうしようっと)

 ずっと自分の容姿が平凡過ぎて恥ずかしかったけれど、その『誰か』はいつだって平気で顔を上げ、物怖じせずいろんな人に笑顔で話しかけていった。兄のように男らしく整った美貌ではないけれど、自分の容姿も本当は結構可愛らしいのだとミシェルは学んだ。
 笑いかけてあげれば、使用人達はみな幸せそうな表情かおになる。カリタス邸の人々も、王子殿下も、側近候補のみんなも、みんなが好きになった。

(ふふ、すごいなあ。。どうして今までわからなかったんだろう? 兄様―――ううん、ちょっと子供っぽいかな。『兄上』ってお呼びすることにしよう。……兄上だって、を見たら叱ったりなんて出来ないよね、きっと)

 半年ほども経てば、ミシェルはすっかり自信がついていた。
 そうしてだんだんと、見ているだけでなく、自分がそれをやりたくてたまらなくなってきた。
 もうミシェルに酷いことを言って傷付ける人はいないし、怖くて俯くこともない。はきちんと憶えたから、『誰か』には帰ってもらっていいだろう。

(とびきりの笑顔でお礼を言おう。僕はもう大丈夫だから、もうきみは居なくてもいいよって)

 ミシェルが笑顔で感謝すれば、みな喜ぶ。だから『彼』もきっと喜んでくれるだろう。
 ―――そう思ったのに、最後にとんでもないことを言われてしまった。

 お願い出て行って、と祈ったら、すぐに出て行ってくれたからホッとしたけれど。せっかくの「ありがとう」が台無しになってしまった。

「ふぅ……びっくりした。酷いよ、僕の身体を自分のにするつもりだったなんて。僕の身体なのに」

 だって僕が、ミシェルなんだから。


しおりを挟む
感想 57

あなたにおすすめの小説

獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果

ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。 そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。 2023/04/06 後日談追加

実はαだった俺、逃げることにした。

るるらら
BL
 俺はアルディウス。とある貴族の生まれだが今は冒険者として悠々自適に暮らす26歳!  実は俺には秘密があって、前世の記憶があるんだ。日本という島国で暮らす一般人(サラリーマン)だったよな。事故で死んでしまったけど、今は転生して自由気ままに生きている。  一人で生きるようになって数十年。過去の人間達とはすっかり縁も切れてこのまま独身を貫いて生きていくんだろうなと思っていた矢先、事件が起きたんだ!  前世持ち特級Sランク冒険者(α)とヤンデレストーカー化した幼馴染(α→Ω)の追いかけっ子ラブ?ストーリー。 !注意! 初のオメガバース作品。 ゆるゆる設定です。運命の番はおとぎ話のようなもので主人公が暮らす時代には存在しないとされています。 バースが突然変異した設定ですので、無理だと思われたらスッとページを閉じましょう。 !ごめんなさい! 幼馴染だった王子様の嘆き3 の前に 復活した俺に不穏な影1 を更新してしまいました!申し訳ありません。新たに更新しましたので確認してみてください!

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました

taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件 『穢らわしい娼婦の子供』 『ロクに魔法も使えない出来損ない』 『皇帝になれない無能皇子』 皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。 だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。 毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき…… 『なんだあの威力の魔法は…?』 『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』 『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』 『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』 そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

兄たちが弟を可愛がりすぎです

クロユキ
BL
俺が風邪で寝ていた目が覚めたら異世界!? メイド、王子って、俺も王子!? おっと、俺の自己紹介忘れてた!俺の、名前は坂田春人高校二年、別世界にウィル王子の身体に入っていたんだ!兄王子に振り回されて、俺大丈夫か?! 涙脆く可愛い系に弱い春人の兄王子達に振り回され護衛騎士に迫って慌てていっもハラハラドキドキたまにはバカな事を言ったりとしている主人公春人の話を楽しんでくれたら嬉しいです。 1日の話しが長い物語です。 誤字脱字には気をつけてはいますが、余り気にしないよ~と言う方がいましたら嬉しいです。

聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!

伊桜らな
ファンタジー
家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。 いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。 衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!! パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。  *表紙画は月兎なつめ様に描いて頂きました。*  ー(*)のマークはRシーンがあります。ー  少しだけ展開を変えました。申し訳ありません。  ホットランキング 1位(2021.10.17)  ファンタジーランキング1位(2021.10.17)  小説ランキング 1位(2021.10.17)  ありがとうございます。読んでくださる皆様に感謝です。

処理中です...