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恋と真実
30. 僕はミシェル
しおりを挟むミシェルはカリタス伯爵家の次男として生まれた。
父の名はロベール。母の名はニネット。
他界した祖父と祖母については全く記憶にないけれど、祖母はとても優しく、祖父はとても厳しくて恐ろしい人だったと、ミシェルはよく両親から聞かされた。
そんな祖父に似たという兄オスカーの存在が、ミシェルは苦手を通り越して恐怖でしかなかった。冷たく光る銀灰色の目で睨み下ろされるたび、どうしても怖くて逃げ出してしまう。そして次に会った時は、逃げたことを散々に怒られてしまうのだ。
怖くてつらくて悲しくて、泣いているミシェルを優しい母ニネットはいつも抱きとめてくれた。
「まあ……またオスカーにそんなことをやらされてしまったの? 可哀想に、ミシェルのお手々とお目々がこんなに腫れてしまっているわ。ミシェルはあの子とは違うのだから、同じように出来なくても仕方がないというのに、困ったわねぇ……」
「頑固なところは父上に似てしまったからなあ……。こんなに小さな頃から鍛錬などさせなくとも良いだろう、厳し過ぎると注意しても、あの子は聞きやしないのだよ。精霊の寵愛があれば何でも無茶を言っていいと思っている。あれでは敵しか作らないだろうに。我が家の跡取りとして、もう少しどうにかならないものかなあ……」
「ミシェル、つらくて怖かったら気にせず、いつでもお父様とお母様のところにいらっしゃい。無理なんてしなくてよいのですからね」
「母様の言う通りだ。ささ、一緒にお菓子を食べよう。今日ぐらいお休みしたって構わないさ」
両親はいつだってミシェルの味方だった。けれど愛し子というのはとても強くて、両親といえどオスカーを止めることはできなかった。あの後オスカーは「勝手に家庭教師を帰らせないでください!」と父を叱り飛ばしていた。―――家長である父ロベールに対して、なんて偉そうな態度なのだろう。でも、誰もオスカーを罰することはできないのだ。精霊の寵愛を受けた人間というのは、それほど強いものなのだ。
それからもオスカーはミシェルが泣いていようと情け容赦なく勉強させ、くたくたの汗だくになっても木剣を振るわせた。
(ぼくの兄様は、なんてひどいひとなんだろう。ぼくは兄様みたいにできないのに。ずるいよ、じぶんはさいしょからなんでもできるからって)
厳しい兄オスカーが魔導伯になり、家を出てホッとしたのも束の間、どこへ行っても素晴らしい兄の評判が聞こえてくる。
精霊の愛し子。優れた召喚士。レムレスの継承者。恵まれた体格に、他者を威圧する灰の髪と灰の双眸。
なのにミシェルは、そんなに頭はよくないし、魔法の才能だってないし、身体が小さいから剣を振ったって強くなれないし、極めつけに平凡な茶髪と平凡な茶色の瞳。
あの男の弟がこれだって? そんな声があちこちから聞こえてきた。
ミシェルは知っている。本当は父ロベールも母ニネットも、兄に比べてこの子は……と思っている。
使用人達だってみんな、きっと内心では「あの兄に比べて見劣りの激しいお坊ちゃまだ」と思っている。
だってミシェルを見る時の目が、いつも同情たっぷりなのだ。あんな立派な兄の弟に生まれて可哀想に、と目が言っている。
毎日毎日、みじめで悲しくてつらかった。
第一王子殿下の側近候補に選ばれたと聞いた時は、絶望した。嫌だ、無理だと言ったけれど、両親は申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまないね、ミシェル……国王陛下のご命令だから、辞退は出来ないのだよ……」
「それに、候補として名前を連ねるだけでもとっても名誉なことなのよ。大変かもしれないけれど、きっと大丈夫よミシェル」
全然大丈夫ではなかった。ミシェルは我の強い他家の令息から弾かれ、立っているだけで光を放つような王子殿下とは目を合わせることすらできなかった。
恥ずかしくて悲しくて、しくしく泣きながら部屋に籠もった。そんな時に思い出したのは、幼い頃に読んだ物語。
誰にも内緒でずっと自分の姿に唱え続けたら、どんな願いでも叶えてくれるなんて、そんな夢のようなことが本当にあったらいいのに。
それはやってはいけないことだと、叱る兄の声が聞こえた。あれは何歳の時だったろう。確か大事な手鏡を取り上げられて、ミシェルは大泣きしたのだった。だってミシェルはお友達がいないから、話しかける相手が誰もおらず、ずっとひとりぼっちで寂しかった。
「願うことの何が悪いの? 兄様は自分が何でも恵まれてるから、そうじゃない僕の気持ちなんてわからないんだ」
ミシェルは毎晩、鏡の中に祈り続けた。いつか鏡の精霊様が応えてくれたらいいのにと思いながら。
「もっとお勉強ができるようになって、魔法も使えるようになりたい。みんなが僕をすごいって、素敵だって言ってくれるような僕になりたい。こんなにつまらない何もできない僕なんてもう嫌だ。もしも誰かが僕の代わりに全部やってくれるなら、この身体をあげたっていいよ。お願い、どうか僕を助けて……」
―――ミシェルの願いは叶った。
ある日を境に、ミシェルではない誰かがミシェルの身体を動かし始めた。お祈りが届いたんだ、とミシェルは嬉しくなった。
その『誰か』は、ミシェルの出来なかったことを次々と叶えていった。中からその様子を眺めながら、「そうか、そうすればよかったんだ」とミシェルはいつも感心した。
お茶の淹れ方を教われば、執事は嬉しそうに「お上手です」と相好を崩した。テラスで両親に腕前を披露すれば二人とも驚いて、そして嬉しそうに飲んでくれた。
お勉強だって、その『誰か』がやってくれた。先生達は以前のように残念そうな顔はせず、手を叩いてミシェルを褒めてくれるようになった。魔法もどんどん上手になって、両親が「さすがカリタス家の子だ」と誇らしそうにしてくれた。
(そうか。僕がああいう風にしてあげれば、みんな喜んでくれるんだね)
(嬉しいな。殿下達が僕に声をかけてくれるなんて)
(考察文って、線を引いたらわかりやすくなるんだ。今度僕が書く時もそうしようっと)
ずっと自分の容姿が平凡過ぎて恥ずかしかったけれど、その『誰か』はいつだって平気で顔を上げ、物怖じせずいろんな人に笑顔で話しかけていった。兄のように男らしく整った美貌ではないけれど、自分の容姿も本当は結構可愛らしいのだとミシェルは学んだ。
自分が笑いかけてあげれば、使用人達はみな幸せそうな表情になる。カリタス邸の人々も、王子殿下も、側近候補のみんなも、みんながミシェルのことを好きになった。
(ふふ、すごいなあ。僕ってこんなことができたんだ。どうして今までわからなかったんだろう? 兄様―――ううん、ちょっと子供っぽいかな。『兄上』ってお呼びすることにしよう。……兄上だって、今の僕を見たら叱ったりなんて出来ないよね、きっと)
半年ほども経てば、ミシェルはすっかり自信がついていた。
そうしてだんだんと、見ているだけでなく、自分がそれをやりたくてたまらなくなってきた。
もうミシェルに酷いことを言って傷付ける人はいないし、怖くて俯くこともない。やり方はきちんと憶えたから、『誰か』には帰ってもらっていいだろう。
(とびきりの笑顔でお礼を言おう。僕はもう大丈夫だから、もうきみは居なくてもいいよって)
ミシェルが笑顔で感謝すれば、みな喜ぶ。だから『彼』もきっと喜んでくれるだろう。
―――そう思ったのに、最後にとんでもないことを言われてしまった。
お願い出て行って、と祈ったら、すぐに出て行ってくれたからホッとしたけれど。せっかくの「ありがとう」が台無しになってしまった。
「ふぅ……びっくりした。酷いよ、僕の身体を自分のにするつもりだったなんて。僕の身体なのに」
だって僕が、ミシェルなんだから。
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