鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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恋と真実

29. 吐露

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「仮定の話ではあるけれど、がいるかどうか調べる方法ってあるかい?」

 リアムが言い、館の中の目につく場所にある鏡をいくつか見て回ることになった。
 結果として、オスカーの館の鏡に特段不審な点は見つからなかった。すべてに目を通すまでもなく、悠真には「ここのは全部大丈夫」という直感が閃いたのだ。

「リアムさんのお館も大丈夫です。前もそうだったんですけど、淀んでない感じがします」
「この場所からでもわかるのかい?」
「なんとなく、ですけど……」

 オスカーは悠真の中に鏡への恐怖心が植え付けられているのではと懸念したが、当の本人は全く気にする様子がなかった。乞われるまま悠真を姿見に近付けると、悠真は迷いなく鏡面に触れて微笑を浮かべ、そこに虚勢はなかった。
 指先は沈むことも消えることもない。もうこの中へ無理やり取り込まれることはなく、ずっと彼を閉じ込めていたものの気配はもうどこにもないと悠真にはわかった。

「気分が悪くなったりはしないか?」
「はい。むしろ安心するような、心地良さを感じます」
「ならいいが」
「ふうん。私にはよくわからないけれど、特別心地いい鏡とかあるの?」
「そ、それは……」
「ん? ……はぁーん? な、る、ほ、ど、ねぇ、あの部屋の鏡かな~?」
「~~っ!」
「リアム。揶揄からかうな」
「ちょい待って。待って。そこで《シーカ》出すのは卑怯だと思うんだ。殺意高くない!?」

 そんな一幕があったものの、ひとまずミシェルが会った『かもしれない』何かについては保留となった。いるかいないかすら定かでないものに、いつまでも時間を取られるわけにはいかない。
 それにオスカーの祖父が言っていた通り、鏡それ自体は害悪ではなく、大切に扱っていればちゃんと守ってくれるものだ。要は付き合い方を間違えなければいいのである。

「そのへん気を付けていれば、あまり神経質にならなくていいと思います」
「了解。逆に、気にしたほうがいい鏡ってわかるかい? ユウマくんが怖いって感じるやつ」
「それは」



   □  □  □



 ―――ミシェルの鏡が怖い。ミシェルの寝室にあった、あの姿見が。
 それは誰にとっても予想通りの答えであり、本当に何かがあるのか、心の傷が原因なのかは悠真にすら判断がつきかねた。

「僕はそろそろ失礼するよ。ともかくユウマくんの手続きを済ませるのが先決だから、明日午後にまた来るね」

 鏡の中の存在については現状打つ手はなく、ほかにも解決せねばならないことは山積している。
 玄関先でリアムの背を見送りながら、ちらりと見えた巨大な魔犬と犬雪車ぞりに悠真が「ふわぁぁあぁ……!」とおかしな声を上げたのは余談だ。残念ながら室内着のみの軽装で外には出られず、オスカーも決してそれを許さなかった。
 許したら確実に長時間になる。

「庭に行く。防寒着を」
「は」

 唐突にオスカーが命じ、すみやかに二人の外套が準備された。
 なんでいきなり庭? と困惑しながら、自分にぴったり合うそれに袖を通して悠真は恐縮する。

(どうすんの僕、無駄飯食らいの居候なのにこんな立派なコートまで。……もし生活費みたいなのが下りるようだったら、全部オスカーに受け取ってもらおう)
 
 ブーツも室内履きから屋外用に変えられた。外套とデザインが統一されており、どちらも内側がフカフカな毛並みになっている。
 外套の上からさらに毛皮でくるまれ、当たり前のように抱き上げられて悠真は目を白黒させた。衣類と毛皮の重みが増えているのに腕が揺らがないなんて、魔法使いの鍛え方がこれでいいのか。
 身体の芯がブレる様子もなく、しっかりした足取りで進むあるじの後ろに、籠を持ったペトラとモニカが続いた。

 内庭への扉が開け放たれ、悠真はこの館の敷地の広さを実感した。
 融雪剤が撒かれ、そこだけ雪のない敷石の路をオスカーは無言で歩いてゆく。無言でも不思議と苦痛はなかった。建物の外の景色に、悠真はすっかり心を持っていかれていた。
 空気が冷たい。風が頬を撫でる。さっきまでまだ明るかった橙色の空は、半分以上が青から群青に変わっている。氷のせつは夜の訪れが本当に速い。

 自然の森をそのまま残したのか、雪の重みで枝葉がモッチリ垂れさがる樹々は高さも幅も不揃いで、完璧に整えられ過ぎた造園があまり好きではない悠真の好みに突き刺さる。けれど森だって放置していればジャングルのようになったりするから、自然に見えても手入れをする人が雇われているはずだった。
 やがて湖のような池の前に出た。水面には氷が張り、氷の上にところどころ雪が積もり、その雪の上に小鳥の足跡を見つけて悠真はほっこりした。
 だがそれ以上に、池の真ん中のガゼボにクリティカルヒットを食らった。

「お、オスカー? あれって、あの建物、オスカーが建てたんですか?」
「いや、もとからあった。手もほとんど加えていない」

 つまり千年前の建物をそのまま使っているということで、ほぼ遺跡である。悠真はドキドキわくわく胸を弾ませた。
 オスカーはペトラとモニカから受け取った籠を悠真に抱えさせ、その遺跡ガゼボに通じる橋をスタスタ歩いて行く。侍女達が一礼して館のほうに戻っていき、代わりに橋の手前に《シーカ》が立った。

「他者の目と耳を気にせず思索に耽りたい時、よく使う場所のひとつだ」
「めちゃくちゃ素敵なところだと思います! 現代いまのはもっとひらけているというか、周りから筒抜けの構造になってますけど、これはなんだか秘密基地みたいですね」
「秘密基地か。確かに」

 ふ、とオスカーが笑み、悠真はますます嬉しくなった。彼もそういうものに心躍るのだ。
 どっしりとした石材で造られたガゼボの内部は冷凍庫状態だったが、小さな暖炉があり、魔石を二~三個放り込んで魔力を流せばかなり温かくなった。外套は脱げないけれど、頬を切る冷気の刃が消えている。

「この建物自体に保温と防音の魔法陣が仕込まれていた。存外使い勝手がいいので、いじらずそのままにしてある」
「すごいですね。これ、千年前につくったってことですよね」
「そうなるな」

 籠の中にはパンと水筒が二人分あった。長椅子だけはオスカーが持ち込んだようで、悠真をそこに座らせ、膝の上に布巾を広げさせる。
 オスカーはトングを使って手際よくパンの表面を熱し、食べ頃になったのをその布巾にぽいぽい載せていった。水筒の中身は林檎に似たマールムの果実酒。パンも果実酒も最高のものではあるが、到底、高位貴族の食事風景ではない。まるでピクニックだ。
 楽しそうにパンを頬張り、水筒から直接飲んでは幸せそうに溜め息をつく悠真を、オスカーは静かに見つめていた。

 やがて食事を終えて満足し、くふくふご機嫌になった悠真は、妙に沈黙が長引いているのに気付いた。

「オスカー?」

 隣を窺えば、彼は目を伏せていて、どうしたのだろうと首を傾げる。

「ユウマ。おまえは……どこから聞いていた?」
「どこから、って」
「リアムの館で。いつから居た?」

 心臓が、どくりと打つ。

「……私は、決しておまえを見捨てない。おまえが何を想い、何をいとい、どのような存在になろうとも」
「なに、を」

 オスカーが立ち上がり、悠真の前に膝をついた。そして膝の上でぎゅっと握られている拳に、己の手を重ねる。
 逃がさず切り込もうとする目が、揺れる黒い瞳を見据えた。

「私は後でおまえに責められる覚悟をしていた。だがおまえは何も訊かず、何も変わらなかった。あちらで命を落としてからび寄せられたのだと思い込んだままで、てっきりその時はいなかったのかと、胸を撫でおろした」
「お、オスカー……」
「だが、違うだろう。おまえは最初から居て、すべて知った」

 耳を塞ぎたい。でも。両手はオスカーにグッと握られて動かせない。


「ミシェルは、おまえを―――……」


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