鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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生きとし生ける者の世界へ

20. もぐもぐと動機の裏側

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 悠真の人参を山と積み上げたワゴンを、ペトラとモニカが二人がかりでローテーブルの脇に運んだ。オスカーはソファに腰を下ろし、悠真を毛布ごと膝の上へ横向きに抱え直した。

「あの?」

 このソファ、一人掛けじゃありませんよね……?
 訴えの視線を黙殺し、オスカーは手に持っていた人参一冊を悠真の膝にぽすりと乗せた。まずはこれをかじれと言いたいらしい。

(え、ええと。この体勢はなにか、な?)

 薄毛布の上から、ゆるく腕をかけて背中と腰を支えられている。
 落ち着かない。それに、オスカーの目の前で、本人に関係する本を読むのはちょっと……パラリ。
 躊躇ちゅうちょとは何のことだろうか。あっという間に悠真は文字の天国に没頭し、自分がどこにいるのかも忘れた。



   □  □  □



 この館の書は、カリタスの王都邸で目にしたものとは密度が段違いだった。
 カリタス邸にあったのは入門編ばかり。最低限の基礎知識は身に付けられるけれど、それだけ。もちろん基礎は疎かにしてはならない大切なものだ。ただ、そこから先へ踏み込むために必要なものがあそこにはなく、著者の身分や誤解による記述の間違いがあっても、それを指摘できる人も書物もなかった。

 まず、ミシェルと悠真が認識している『精霊』について。
 ―――この世界には精霊信仰がある。精霊にはきものや悪しきものがあり、万物を司る世界の化身をき精霊と呼び、人の心が悪しき精霊に転じたものなどを悪魔と呼ぶ。精霊と交信できる人物は一国につき二~三人、たいてい国のお抱えになる。
 これだけだ。この世界の人々であれば、平民の子供ですら知っている一般常識。みなこれを知っている前提で話す。

 ここからは、オスカーが守った祖父の書物の知識だ。
 まず、人々は何故魔法なるものを使えるのか。それは大なり小なり、精霊の恩恵を受けているからだ。魔導語による詠唱、あるいは魔道具をもって、己の資質に応じた精霊と契約を交わし、その力の一端を借り受ける。これはたとえばスイッチを押したら点灯するような『仕組みシステム』であって、『精霊それ自体との交信』には該当しない。
 そして『精霊と交信できる人物が国のお抱えになる』という『常識』についてだが。

(一部貴族によって広められた危険思想……!?)

 そもそも『精霊と交信できる者』の条件は何か。『精霊憑き』はただの憑依であり、大多数は加護もなければ本人の意思を聞いてすらもらえないので、これには該当しない。
 該当するのは『精霊の愛し子』になる。―――愛し子はどこのお抱えにもならない。一国家や一個人が愛し子の支配を望んではならない。他国でもそれは同じだという。

 魔導伯とは魔導塔の要請を受けて国が用意する、いわば王国内における貴族と同等の権利であり、魔導伯は一国の君主に敬意を払いはしても、臣下になるわけではない。しかもそれはトップシークレットでも何でもなく、王国法にも明記されているし、数々の一般書籍にも堂々と書かれている公然の事実だというのだ。
 ところが『一部貴族』の広めた間違いが広範囲に浸透してしまい、国王の命令で訂正文が出されたものの、民の半数はそちらを真実と思い込んでしまった。下級貴族の中にも、訂正文の存在すら知らない者が少なからずいて、その人物の著書が教材に利用され……。

(その教材を次男に使わせて、オスカーのお祖父さんの本を処分しようとしたのがカリタス伯……ってわけかよ)

 ぞくりと肌が粟立った。ああ、久しぶりに鳥肌が立っている。まったく気分のいいものではない。
 あの、ちょっと気弱そうな笑顔のおじさんが、父親の本をちゃんと読んでいるかいないかで、笑顔の裏面がガラリと変わってくる。
 思えば悠真が入っていた時に、先生達があんなに褒めてくれたのは、基礎の基礎すらまともに修めなかったぐらいミシェルの学業態度が最低だったせいだ。

『だって僕、何もできないもの』
『こんな僕がお勉強なんかしたって、何の意味もないよ』
『いくら頑張ったところで、兄様に比べたらどうせ僕なんて』

 口を開ければそればかりだった出来ない子が、一念発起して最低ラインをクリアし、さらに標準レベルにまで到達した。快挙だ、というわけである。確かに短期間で目覚ましい成長ぶりだったろう。

 先生達が使えたのは初歩的な魔法ばかりだった。だからミシェルに初級魔法の知識しかなくとも、これで充分なのだろうと悠真は思っていた。
 でもそうではなかった。あの家の子であれば、ほんの十五~六歳であろうとも、教師より詳しくなっていなければならなかった。それが魔法系と呼ばれる家の『普通』であり、だから先生達も、授業で魔法関連の解説だけは適当に切り上げるか、ほぼ省いていた。―――釈迦に説法でしかないから。

 悠真が鏡で移動していた時に、これらと同等の書に出会えなかったのは、魔法系とされる貴族の家自体が稀少レアであり、一冊の書の価値が前の世界と比較にならないぐらい高いのが理由だ。下位貴族ではたった一冊の書を繰り返し読み込み、授業の大半は口頭のみという家も多く、口伝や暗黙の了解、知っていて当たり前の常識などの本を買うぐらいなら、専門性の高い本を買ったほうがいい。
 あの『魔法の大家』にすらなかったのは、レムレスや魔導塔への逆恨みと、そしてさらに根底にある理由……。

(あのおっさん達は魔法使いであることより、貴族である自分達を選んだんだ)

 価値観が魔法使いではなく、王侯貴族寄りなのだ。魔導塔を拒絶し、王家からの評価を欲しがった。それも、人々から称賛を集められる表立った評価を。でも叶えてくれなかったから恨みを募らせるなんて、いかにも発想が貴族ではないか。
 魔法の専門知識以外で、何を評価してもらうつもりだったのだろう。一番高い評価を得られるであろう部分を、自ら否定しているのだから世話はない。

(他国がそうであるように、我が国も王こそが最上位であるべきだ……そういう過激な『危険思想』の持ち主が一定数いて、魔法使いの反乱で逆転させられた立場の再逆転を虎視眈々と狙ってるってことかな。嫌だな、こういう陰険なの……)

 カリタス父は結果的に、その連中に利する行動を取っている。
 お仲間であろうがなかろうが、カリタス父の行動原理は……

「劣等感かな」
「劣等感?」
「うん。二人を陥れようとした貴族と、カリタス伯と、ミシェルの共通点。嫉妬と、劣等感じゃないかな」
「ふむ」

 前カリタス伯がどんな人物であったのかは訊くまでもない。祖父を語る時、オスカーの言葉には親愛の情が滲んでいた。そうでなければオスカーの性格なら、『お祖父様』という呼び方はしないと思うのだ。
 オスカーが敬愛し、好ましく思うような祖父。
 ミシェルのセリフが、そのままカリタス伯の声になる。

『だって私、何もできないもの』
『こんな私がお勉強なんかしたって、何の意味もないよ』
『いくら頑張ったところで、父上に比べたらどうせ私なんて』

 ミシェルのコンプレックスは、そのままカリタス伯のコンプレックスに重なるのではないか。
 いや、逆か。カリタス伯の鬱屈が、そのまま息子達にそそがれてしまったのだとしたら。
 長男は強い意思と祖父の導きによって拒絶し、次男はまるごと呑み込んで、父親と同じものになった。
 カリタス伯は優れた父にそっくりな長男を疎み、自分にそっくりな次男を可愛がった。自分の雛型相手なら、劣等感を刺激される心配もないから。

「どんなに複雑に絡み合っているようでも、人の行動はつまるところ快・不快で決定されるって、前の世界で見たことがある。快を求めて不快を避けるのは人の本能なんだって。だからミシェルもカリタス伯も、劣等感の不快な気分を味わい続けたくなくて、それを徹底的に避ける行動を取っているだけなのかも。想像でしかないけど」
「的中していると思うぞ? 私はよくお祖父様に似ていると言われるし、私から見てミシェルは父の悪い部分をそっくり受け継いでいる。あれが幼い頃に幾度となく矯正を試みたが、そのたびに父が邪魔に入ってな。思えば父は私にお祖父様を投影し、お祖父様や私に対する劣等感を、いくら私でも家長である自分には逆らえないという優越感にすり替えていたのかもしれん」
「目に浮かぶよ……」

 ぱたり。最後のページを閉じた。
 唇にいい香りの何かがフニ、と押し付けられ、ぱくり。
 もぐもぐもぐ……。

「………………ごくん。……ええと、これは……」
「朝食の席でおまえが話していた果物の練り込みパンを、ウィギルが厨房に伝えて作らせた。なかなか良い出来だと思うが、味はどうだ?」
「とっても美味しいです。……って」

 ローテーブルの上に、スティック状のパンを積んだかご。明らかに中身が半分ほど減っている。

「まさか!?」
「口に運んでやれば無言で食べるから面白かったぞ」
「うわああああん!?」

 道理で、途中から何やら美味しい気がしていたのだ。ぼんやりもぐもぐしていた記憶がうっすらとある。

「自分がこんなバカでアホだとは思いませんでした!」
「リアムではあるまいし。それだけ読破しておいてバカやアホはなかろう」

 オスカーの視線の先には、完食した人参が数冊。どれも素晴らしい厚みである。彼の膝の上でもぐもぐさせてもらいながら、こんなに読んだのか。やっぱ自分アホだと悠真は確信した。

「読み終えそうな頃合いで補充してやれば、勝手に続きを読み始めるので見ていて愉快だった」
「そこで声をかけてくださいよ!?」
「ほら、暖炉であぶったばかりだからまだ温かいぞ。冷める前に食べてしまえ」
「いえあの、自分で…………もぐ」

 ひと口サイズにちぎったパンを問答無用でぽいと放り込まれれば、もぐもぐする以外にない。
 真っ赤な顔でふてくされる悠真の前で、オスカーの肩は震えていた。


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