鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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生きとし生ける者の世界へ

19. 魔法使いの宝物

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「あの! 僕、自分で歩けますって! オスカー!」
「よろけて転びそうになったのはどこの誰だ? 却下する」
「うう~っ」

 恨みがましく睨みつけるも、ふん、と鼻で嗤われてしまった。
 これについては「大丈夫です平気ですから」と言い張り、三歩目で床と仲良くなりかけた悠真の分が悪い。それ以降はいくら大丈夫ですと主張しても、当然ながら一切聞き入れてもらえず、朝からずっとオスカーに抱っこで運ばれている。

 悠真としては強がりではなく、本気で大丈夫な自信があったのだ。皮膚の麻痺感は完全になくなり、頭はスッキリと冴え、体調はむしろ絶好調なぐらいだ。何故あそこでつんのめってしまったのか、皆目わからない。ドジっ子属性などないはずなのに。
 父親が小さな子を運ぶ時の片腕抱っこだから、お姫様抱っこよりまだマシだ。とはいえ、バランスを取るために両腕をオスカーの肩に回さねばならず、それがどうにも彼の頭部を胸に抱え込む体勢になってしまって……朝から悠真の心臓は大忙しだった。

(聞こえてたらどうしよう、耳近いし。だとしたらちょー恥ずかしい。どっかに埋まりたいよ。ダンボール箱あったらもぐりこみたいよ。隙間に入りたいよ)

 気を散らすための脳内ツッコミも、出し過ぎてそろそろレパートリーが尽きてきた。おまけに、目を逸らそうとしてもチラチラ見えてしまう横顔が、また色っぽくてドキドキする始末なのだ。本当にどうしよう。
 これで、まだ、二回目だというのに。

 誰だ『せいぜい三回ぽっち』なんて高を括ってたアホは―――悠真は一昨日の自分アホを張り飛ばしたくなった。
 というか、昨夜のあれを果たして『二回目』と称していいのか疑問しかない。一回目の時からそうだったが、一回とは何ぞ? 二回目とは? 回数の概念が崩壊してはいないか?
 事前に聞いた説明のニュアンスでは、もっと淡白で機械的にサクッと済ませるようにしか聞こえなかったのに。蓋を開ければ全身くまなく触られて、舐められて、一番深いところを何度も―――

(バカ、思い出すな!! っちゃうだろ!!)

 危なかった。とんでもない大恥記録を新たに塗り替えるところだった。ホッとすると同時に、これだけで兆しかけた己に落ち込む。
 本当にどうすればいいのだろう……まだ三回目が残っているというのに。
 三晩続ける必要があるのだから、今夜は絶対に外せないし延期もできない。自分がどうなってしまうのか怖くてたまらないのに、どうにかなりそうなあれをもう一度味わいたい自分もいる。それが一番、恥ずかしくて居たたまれなかった。

 自分はひょっとして男が好きだったんだろうか? そんな疑惑が生じて過去の記憶を遡ってみるも、小さな悠真の初恋は女性の保育士さんだった。
 次は小学校時代のクラスメート、やはり相手は女の子。どちらも告白には至らず、子供らしくみんなと遊んでいるうちに恋心が自然消滅していた。
 中学、高校ともに、ちょっといいなと思う相手は決まって女子。ただしいずれも告白したいほどの『好き』にはならず、高校三年になっても彼女ゼロ歴を更新していた。

(……そういや僕、『水谷って潔癖症?』って言われてたっけな)

 たとえば彼女ができたとして、順当に行けばキス、そして……という流れになる。
 他人がしている分には特段どうとも思わないのに、自分が相手にするのを想像してみたら「ムリ」と強く思ったのだ。

 女の子がムリなのではなく、口と口をくっつけたり、相手の身体を舐める行為が、想像するのも嫌なほど生理的にムリだったのである。家族には悠真以外でそんな人はおらず、心に傷が残る家庭環境でもなかった。だからそれは悠真の生まれつきの気質、感覚の個人差としか言えないものだった。
 掃除や整理整頓は苦にならない。かといって病的な綺麗好きでもない。他人の触れたドアノブを執拗に消毒したくなることもないし、友達と同じ鍋をつつくのだって平気だ。
 ただ、性的な接触で『口』を使うのがどうしてもダメだ。想像するだけでえずきそうになる。自慰は定期的にしていたけれど、それを使って相手にどうこうしたい欲求は生じなかった。付随する行為を思うと、どうしても萎えてしまうのだ。

 男子あるあるの猥談に乗れず、自然と避けるようになって、それらしい容姿も相まっていつしか「生真面目な委員長っぽい」と言われ始めた。別に委員長でも成績優秀でもなかったのに。

(……オスカーには、どうなんだろ?)

 自分は、この人の口にキスができるだろうか? ためしに想像してみた。

「…………うそ」
「何がだ?」
「い、いえ。なんでも……」
「?」

 余裕だった。嫌悪感など紙一枚分も湧かない。
 どころか、オスカーが嫌そうに顔をそむけるのを想像してしまい、ズキリと胸が痛んだ。

(嘘だろ……)

 ドキドキは完全に消え失せ、果てしない絶望感が押し寄せてきた。
 これは、つまり……。

「ユウマ?」
「……なんでもないです」

 オスカーのせいだ。心の中で恨み言をぶつけた。悠真が寒くないように、薄い毛布で包んで抱き上げてくれているのも。ヘコんでいたらすぐに察してくれるのも。この優しさが、温かさが今は憎ったらしい。
 だってきっと、今夜限りなのに。
 オスカーは大人で、悠真より経験値が豊富だ。今は研究者としての好奇心と、物慣れない少年との行為に興が乗っているだけで、三晩もすればきっと満足する。
 あんな、おかしくなりそうな快楽を教え込まれて、その先自分はどうすればいいのだろう。負のループに陥った悠真は、鬱々と沈み込んだ。



   □  □  □



 悠真の落ち込みはその場所に到着した瞬間、すこーんと頭から抜けた。

「ふ、わ、ぁ、ぁ、ぁ~~っ!」

 本。本。本。本。
 あっちを見ても本。こっちを見ても本。
 本の世界である。

 昨日約束して今日になった、噂の図書棟だ。
 事務的な本棚の並ぶ図書館のような場所と思いきや、とんでもない。
 夜会を開けそうな広々とした空間に、床から天井まで壁一面の棚。天井は高く、二階いや三階建てほどの高さの吹き抜けになっている。通路が中間にあるので一見すれば二階建てだが、とにかく天井が高い。アーチ型だから余計にそう感じるのか。
 窓はステンドグラス。色のついたガラスは一部だけで、目にうるささがない。昼間なら灯火がなくとも書を読むのに支障はなさそうだ。

 広間の中央に巨大な円柱があり、円柱の下部は暖炉になっている。その暖炉の前に絨毯が敷かれ、ローテーブルと数人掛けのソファが置かれている。
 この館の暖炉では、高価な熱の魔石が使われていた。火事の危険がない上に、腕のいい魔法使いは自力で魔石を調達できるので、コストがほとんどかからない。しかもその魔石がまた、熱を発する時に赤く発光していい感じなのだ。

(これ、あれに似てる。彩色とか間取りは違うけど、あれだ)

 有名な某アニメ。野獣に変えられた男と、本好きのヒロインの物語。野獣からヒロインへの贈り物が、壁一面本棚になっている部屋だった。
 大喜びのヒロインに、当時の悠真は「よかったね」とホッコリするだけだった。

 ―――今、悠真はヒロインの感動にこれ以上ないほどの共感を覚えている。

 そりゃあこんなのを見たら踊りたくなるだろう。
 「わーい」じゃなく「わっふぅーっ!!」と叫んでクルクル踊り狂いたくなる。
 テンションメーターが振り切って天井をぶち抜いていた。こんなに素晴らしい世界がこの世にあるなんて。

「この館そのものがレムレスの遺産であり、ここにある書物もほとんどがそうだ。レムレスの最も貴重な財産と言える。祖父と私の書を足しても、この中のごく一部に過ぎん。……気に入ったか?」
「………………」
「ユウマ?」
「ぼく ここに すみたい」
「おい。正気に戻れ」
「だって!! 一生のうちに読める本は限られているんですよ!? ここで寝泊まりすれば移動時間も全部読書に回せるじゃないですか!!」
「おまえな」

 届かない本棚へ幼児のようにめいっぱい手を伸ばす悠真を抱え直し、オスカーはさっさと目的の棚へ歩き出す。ペトラとモニカが専用のワゴンを押して後に続いた。
 オスカーはその上にドサドサと本を置いて行く。目についた書を適当に抜き出しているようで、タイトルはすべて悠真が欲しているもの―――召喚士や精霊の愛し子、レムレスの歴史、それらの関連書物ばかりだった。

(……僕、そんなに単純?)

 ふと正気に戻り、悠真は赤面した……。


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