鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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生きとし生ける者の世界へ

15. お兄さんの真実

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 ウィギルをキラリとさせた悠真の所作については、何のことはない。伯爵令息ミシェルとして、半年間過ごした経験があったからだ。

 ミシェルにした当初、記憶を参考にしながら動こうとして、思い出すまでのタイムラグのせいで怪しい感じになってしまった。しかし身体が憶えているのではと途中から気付き、いちいち考えずに動いてみれば不自然さが大幅に減った。
 プラス、第一王子殿下の側近候補の一人であることに、ミシェルとは別の意味でプレッシャーを覚えた。当時はジュール王子の人柄をよく知らず、態度や行儀の悪さを改善しなければ不敬罪になるかもしれないとビビったのである。

 いわゆる陽キャが苦手でよく怯えていたミシェルは、せっかく話しかけられても俯いたり、目を逸らしつつボソボソ答えたり、姿勢も猫背で、到底マナーがちゃんとしているようには見えなかった。いくら家ではちゃんとしていようと、人前で出来ていなければ出来ないのと同じだ。
 これはいかんと悠真はカリタス伯に頼み、改めて教師をつけてもらった。マンツーマンでの授業はハッキリ言って高校時代の授業よりも憶えやすく、不敬罪怖いを胸に努力をした甲斐もあって、王子達さえ感心するほどのマナーを身につけることができた。
 その時に得た知識や経験は『魂』にもしっかりと刻まれ、『魂』に合うよう形作られた新たな肉体に、すべて反映されている。

 悠真には、この国における上位者としてのふるまいが板についている自覚などもちろんない。
 オスカーは生まれながらの高位貴族。悠真が自分と同じ身分のようにふるまえていても、それを不思議に思うことがなかった。
 そんなわけで、ウィギル達の間でにわかに生じたある物語について、彼らが釈明する機会はどんぶらこと流れ去って行ったのだった……。



   □  □  □



 米に似た穀物をダシのきいたスープで煮込み、スプーンで簡単に割れるほどトロトロの角切り肉や薬味を載せた料理は、喉を通りやすくとても味わい深かった。

「ふぅ……美味しかった。ごちそうさま」
「もし足りぬようなら、追加を用意させるが?」
「いえ、お腹いっぱいです。ありがとうございます」

 以前の食事量に比べ三分の一にすら届かない量であっても、充分にお腹がいっぱいになった。ちなみに悠真がようやく一皿を食べ終えるのと、オスカーが食べ終えるのはほぼ同時だった。
 久々の食事に大満足して少し冷静になったのか、ふと顔を上げれば、基本無表情か仏頂面のオスカーの目に、どことなく心配そうな光がある。
 ウィギルや侍女達、その他控えている使用人も、温かいまなざしで見守ってくれていた。

(ううぅぅぁあ、何をやっているんだ僕はぁ~……)

 ここに布団があったら、今すぐダイブしてじたばたじたばた泳ぎたい。目覚めて早々に大泣きしただけでは飽き足らず、お腹がすいたり食べ物が美味しいぐらいでボロボロ泣くなんて。

(いいかげん呆れられないか心底心配だよ……ああでも、この人って遠慮せずズバッて言うタイプだよな。リアムさんとのやりとりでもそうだったけど、他人の顔色を窺って自分を曲げるところなんて全然想像つかないし、呆れる前にハッキリ叱ってくれそうな気がする)

 要するに面倒見のいいお兄さんタイプなのだ。大袈裟に表情を変えるタイプではないので、黙っていれば怖そうに見えるかもしれない。でもこうして注がれるまなざしや言葉から感じるのは、大人の包容力、年上としての気遣いばかり。
 そして悠真は元の世界で、兄と姉から可愛がられる末っ子だった。―――面倒見がよく自分を構ってくれる年上、大好きなのである……。

 再び頬を林檎のように染め、目線があちこち定まらなくなった悠真を助けるように、ウィギルが「食後のキトルスでございます」とジュースを出してくれた。
 脚の短いずんぐりとしたゴブレットグラスに、キトルスというオレンジに似た果物を絞ったフレッシュジュース。ジュースは子供の飲み物ではなく、食後のデザートと同じ感覚だ。
 とても美味しいけれど、惜しむらくはあまり冷えていない。こちらでは飲み物に氷を入れたりはせず、冬はなおさら冷やす意味がわからないのだろう。それでもさっぱりとした甘味が喉を通ると、のぼせそうな頭が心なしか冷めて落ち着いてくれた。

「あの、このテラス、素晴らしいですね。こちらに来て、こんなに大きなガラスは初めて見ました」

 勇気を出して話しかけてみれば、オスカーは無視することなく「ああ、これか」と応えてくれた。

「季節がコレでは、期待外れだろうが」
「そんなことありません! 嬉しいし楽しいです! ずっと、ず~っとこれが見たかったんですから!」
「……、…………そうか?」
「はいっ!」

 一年は花のせつ、火のせつめぐみせつ、氷のせつに分かれ、それぞれ第一つきから第三つきまである。今の暦は氷のせつの第二つき後半。あちらの世界に当てはめれば、一がつの後半ぐらいだ。もったり覆い被さる白い重石が土や草をすべて隠してしまっているので、花の観賞が好きな客人には喜ばれないかもしれない。
 けれど悠真は、雪だって負けずに美しいと思っている。重そうに垂れ下がった枝葉、下へ下へと鋭く伸びる氷柱つららだって悪くない。元の世界にはいなかった種類の小鳥が、朝陽の中で積雪などものともせず、軽やかな歌を歌っている。停止していない生きた世界、遠くにしか見られなかった景色が、窓越しとはいえこんなに近くにあるなんて。

(やばい、感激しすぎてまた泣きそう。この場所もニクイんだよなー、穴場のレストランみたいですっごく雰囲気あるし)

 中庭へ少し突き出た広々とした空間は、以前雑誌で目にした芸術家のアトリエに似ている。柱はどっしりとした石造り、床はコンクリートに似た石材。ふんだんにガラスが使われているのに、どういう仕組みなのか外の冷気は全く伝わってこない。
 驚嘆すべきはこのガラスだ。柱と柱の間、床から天井まですべて一枚の板ガラスというのは、カリタスの王都邸にはなかった。王城にもなかったはず。

「これは私が開発した特殊なガラスだ」
「えっ、そうなんですか?」
「素材と工程の異なる層にすることで、斧を叩きつけようが攻撃魔法をぶつけようが、容易くは割れない強度と耐性を得た」
「そ、……れって、つまりこの世界版の強化ガラス……!?」
「おまえの世界には既にあったようだな」
「あ、はい。専門家じゃないので詳しくは説明できないんですけど。でもいろんな種類のガラスがありました」

 ただ、魔法耐性は確実にゼロだったろう。透明度がこれほど高く衝撃にも強いとなれば、水族館のアクリルガラスが思い起こされるけれど、あれは熱に弱かったはず。
 攻撃魔法は火の属性が多い。もちろん冷気や大岩をぶつける攻撃もある。それらすべてをクリアしたとなれば、画期的な大発明を成し遂げた人物として世界中に名が轟いてもいいぐらいなのに、本人は名声などチラとも興味がなさそうだった。

「発表するつもりはないんですか?」
「ないな。どこぞに提供する予定もない。将来的にはわからんが、どうせ数年もすれば同じようなものを思いつく連中が出てくる」
「数年ぽっちで済むかなあ……」

 まだ普通サイズの脆い板ガラスを作る技術しかない世界で、これほどの代物を作るとなれば、何十年でもきかないのではないか。

(向き不向きは別として、商売に興味がないんだろうな。利権なんて面倒が増えるだけでむしろお断りって思ってそう。そういうところは高位貴族らしいけど)

 彼の本質は研究者だった。考えてみれば魔法使いは秘密主義者が多く、自分の研究成果を自分の手元だけで活用し、積極的に外に出そうとしない者が歴史的にも多い。好奇心や知識欲が強く、成功すれば満足してそれ以外の要素を求めない。
 名声が何よりも大好きな貴族社会とは相容れず、だから優れた魔法使いほど社交界に姿を見せない。おそらくリアム・ヴェリタスもそうだ。二人を陥れようとした逆恨み軍団は、彼らのそういうところが気に入らなかった。

「カリタスの家を出てすぐに大学院で魔導工学を学び、学位を取得した。昔から何かを作るのに興味があってな……こういう話はつまらなくないか?」
「いえ、すっごく興味があります。といっても、魔導工学っていう分野があること自体、知ったのはたった今なんですけど。あはは……」
「ふ。たった今か」
「あう……すみません」
「謝るには及ばん。目にする機会がなかったのだろう」

 カリタス邸に関連書物はなかった。例の魔法の大家にすらなかった。後者は坊主憎けりゃ袈裟までの心理で、それを毛嫌いしていた可能性が大きい。
 頷くと、オスカーは鼻を鳴らした。

「あの夫妻は学問に興味がない。学んだ知識で何かをつくりあげ、領の発展に活かすという発想すらないのだ。身分に応じた教養があればそれでいいだろうと、やんわり真綿を挟んだ口調で幾度邪魔されたか」
「え。あの人達が、そんな……?」
「貴族はただ、呑気に遊び暮らしていればいいと本気で信じている連中は少なくない。父と母もその手合いだ。領地経営は代官に丸投げし、一切把握していない。それでも破綻していないのは、祖父が要所を徹底的に優秀な人材で固めて逝ったからでしかない。……すまん、どうしても愚痴になる。この話はやめておく」

 不愉快さの滲み出る口調に、悠真は身をすくめそうになりながら、知らず地雷を踏み抜いてしまったのを悟った。
 優しい父上と母上でよかったと思っていたのに。でも確かに、あのカリタス夫妻が仕事をしている姿なんて見たことがなかった。ミシェルが領の仕事を何も教わっていなかったのは、年齢的にまだ早いからではなく、そもそも彼らが仕事自体をしていなかったからなのか?

(なんかショック…………ああでもそうだよ、『オスカー・レムレスは才能におごり、さっさと家を捨てた親不孝の冷血漢』っていう噂自体、とんでもない言いがかりじゃないか。なのにあの人達は一度だって否定しなかった。『あの子はまあしょうがないよ』みたいに苦笑するばっかりで、むしろ肯定してる感じだった。なんであんな優しくない子になっちゃったんだろう、みたいな…………嘘だろ。そーゆー人達だったの?)

 ずっとそんな調子だったのなら、相当にストレスが溜まっていたのではないか。オスカーが家を出奔したくなっても無理はなかった。
 しかし先ほどはサラリと流してしまったけれど、家を出てすぐということは、オスカーは当時ほんの十五歳前後。その年齢で大学院に入った上に、学位も取れてしまうなんて尋常ではない。
 富裕層の子弟は家庭教師から必須教養を学び、学者や研究員を志す一握りだけが大学院を目指す。年齢に規定はないとはいえ、通常は入学時点で十八から二十歳ぐらい、学位取得には四~五年ぐらいかかるとミシェルの家庭教師は言っていた。その後は官吏になろうがお抱え研究員になろうが、仕事はよりどりみどりだと。

(―――僕、この人のこと、なんにも知らなかった)

 たまたま召喚士の才能に恵まれて、たまたま愛し子に生まれたから何の苦労もなく魔導伯になれた。みんなが言うように、それの人だと思っていた。

「どうした? 気分でも悪くなったか?」
「いえ……僕、魔導伯とか、魔導塔のこと、全然詳しく知らないんだなって思って……」

 すなわち、ミシェルも知らないということだ。
 さんざん『立派な兄』を持ち出し、自分を卑下していた割に、兄のどこがどう立派なのか説明できるほど兄について詳しくない、なんて。

 カリタス夫妻といいミシェルといい、あの一家、なんだかおかしい……?


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