鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

文字の大きさ
上 下
6 / 98
魔法使いとの出会い

6. 精霊の悪戯

しおりを挟む

 就寝前の挨拶を交わし、ミシェルの部屋を出た。

「ホットワインが飲みたい。後ほど私の部屋に運ぶようにと、フロースに伝えてくれ」
「かしこまりました」

 オスカー付きの召使いがうやうやしく頭を下げ、客間から退室するのを確認し、どっかりとソファに腰を落とす。
 オスカーは王都邸で生まれた。けれどここに彼の部屋はもうない。

 カリタス夫妻のあの様子からして、彼らも異変を感じ取っているのは疑いようがなかった。だがあの二人を問い詰めても、時間だけが無為に消費されて終わるだろう。
 湯あみを済ませると、ちょうどいい頃合いでフロースがワインを運んできた。ほかの使用人を下がらせ、二人きりになる。
 律義にカップの準備をし、温められたワインをそそぐ執事。香辛料と柑橘系の香りがふわりと漂い、その時だけは穏やかな気分に浸りながら、懐かしいほのかな甘みをゆっくりと味わった。

「……私が今日、ここへ来たのは」
「はい」
「第一王子殿下より要請があったからだ。ミシェルの様子がおかしいと」

 要請ではなく相談であり、あくまでも相手はリアムだったが、そこまで言う必要はない。
 この日を予期していたのか、老執事は頷いた。

「坊ちゃまは以前、お倒れになりました。無事お目覚めになってのち、驚くほどに変わられました。とても良いほうへ」
「そのように聞いている」
「その後、もう一度変わられたのです。お元気になった坊ちゃまのままで、いつの間にか何かがお変わりになっておりました。漠然としていたそれが確信に変わったのは、坊ちゃまのお茶です」
「茶か。練習したと言っていたな」
「はい。光栄にもわたくしのお茶が美味しいと、淹れ方を教えて欲しいと言ってくださりまして」
「おまえが教えたのか」

 フロースは相好を崩して首肯した。孫を愛しむ祖父のような表情だった。

「坊ちゃまはとても呑み込みがお早く、すぐにコツを憶えられました。そして旦那様や奥様にもふるまわれ、おそらくは殿下方にも……」
「殿下にも? 味は?」
「美味しいとお喜びいただけたそうです。わたくしも教師としてお味見をさせていただいたところ、お教えした基本を忠実に守られ、お色も香りも素晴らしかったと記憶しております。―――ですが、その味が変わったのです」

 いつもと変わりないと思っていた。けれどカリタス夫妻が茶を含んだ途端に顔をしかめた。ミシェルは自分も同じ茶を飲みながら、気付いていない様子だったという。

「手順が変わっていたのか?」
「お間違えになることがありました。茶葉のむらし時間も異なり、手つきも若干ようなご様子で、お教えする前よりも……お子様が初めて挑戦し、失敗してしまうような、そんな危うさがありました。何より、ご自分で味の変化にお気付きでないのです」

 最後のひとことが重要だった。
 急激な味覚の変化。あるいは異常。調味料を取り違えても気付かず、以前食べた料理の記憶でその味を認識してしまう。
 それは『精霊の悪戯いたずら』や『置き土産』と呼ばれる現象だった。一時的に精霊と深く接触した者が、まれにそのような状態になると確認されており、一年と経たずに元に戻る。困るが凶悪ではない、ただの悪戯いたずら程度の被害だ。
 つまりミシェルの変化には、いずれかの精霊が関わっている可能性が高くなった。
 フロースはカリタス夫妻に、魔導塔でミシェルを診てもらうべきだと進言したが聞き入れられなかった。ほんのちょっとした失敗なのに大袈裟だと退けられたらしい。

「全力で目を逸らしたか。つくづく変わらんな」

 フロースは目を伏せ、否定しなかった。

「殿下や他の友人達は茶を飲んだと思うか」
「わたくしにはなんとも……以前旦那様が『貴族としてあまりよい行動ではないから、よそでお茶を淹れてはいけないよ』とたしなめられ、坊ちゃまも納得しておられました。わたくしの知る範囲では、坊ちゃまがお変わりになって以降、どなたも飲まれてはおりません」
「ただしこの家以外では、怪しいか」

 やはり否定はない。友人のために「今日だけ特別に淹れてあげる」と父の言いつけをこっそり破ったとしたら……顔をしかめるほどの味にさえなっていなければ、何事もなく終わる。体調が悪いせいで味覚がおかしくなっているのでは、と心配する者もいるだろう。
 専門の家系や年寄りでもなければ、『精霊の悪戯いたずら』自体があまり浸透していない知識だ。ジュール王子はおそらく知らない。側近候補の中で、魔法系の家はカリタス家だけ。
 だから隠せると。気のせいで押し通せると、そう思ったのか。

「ご苦労だった、フロース」

 空になったカップを置いてねぎらえば、フロースは優雅に胸に手を置き、頭を下げた。



   □  □  □



 朝食を摂って早々に王都邸を出た。朗らかな笑顔のミシェルと、「逃げ切った」と言いたげな笑顔の両親に見送られ、馬車に揺られながら報告内容を頭の中で組み立てる。報告の相手は魔導塔筆頭、リアム・ヴェリタスだ。

 高位貴族の子息の性格が、精霊によって変えられたかもしれない。それはなあなあで済ませられる問題ではなかった。事を荒立てたくない主人の意向に反してでも、フロースが魔導伯たるオスカーにその可能性を示唆したのは、裏切り行為でも何でもない。隠蔽いんぺい自体が後々カリタス家にとって甚大な不利益をもたらすと理解しており、何よりフロースは前カリタス伯の遺言―――命令を忠実に守った。

 〝主人あれとオスカーの意見が対立した場合は、オスカーの命令を優先せよ〟

 サイン入りの命令書はフロースの身を守るものとして、常時服の下の隠しに仕舞われている。

 北の森の館に戻れば、執事のウィギルから招待状が届いている旨を伝えられた。
 外套を預けて自室に戻れば、机の上に銀の皿が置かれている。見覚えはあってもあまり交流はない、高位貴族の封蝋。
 封を開けて中身をあらためれば、よくあるパーティーの招待状だった。

「王家以外から招待状とは珍しいな」

 身分だけは高い、断れば角が立つ相手だ。魔導塔の人間を敵視し、頻繁に横槍を入れてくる上に、こちらの足をすくおうといつでも目をこらし、耳を澄ませている。
 はっきり言って、どうでもいい。不愉快な虫と同じだ。角が立とうとオスカーには何の痛痒もない。ブンブンうるさい羽虫どもが血を吸いに来たら叩き潰すだけ。好んで近付き、不快感を我慢することに何のメリットがある。
 ただ、これまでは招待状など一度も送ってこなかった。偶然タイミングが一致したのか、そうでないのか。
 胸もとをくつろげ、仮眠を取るために寝室へ入った。

「これから忙しくなりそうだというのに、面倒だが参加せねばなるまい……」

『ああぁ、その招待、受けちゃダメなんだよ……危ないのに……どうやって伝えたらいいんだろう……』

「っ ―――誰だ!?」

『へっ?』

 視線が合った。


「……?」


 相手の姿をみとめ、滅多になくオスカーは狼狽した。
 そこにあるのは姿見だった。
 自分自身が、間抜け面をさらして見つめ返してくる。

 その背後に、少年が立っていた。

「っ! ……いない?」

 慌てて背後を見た。―――誰もいない。気配すらない。
 もう一度、姿見を注視した。……いる。

 年の頃や体形はミシェルと変わらないぐらいか。くせのないサラリとした髪は、この国ではほとんど見かけない漆黒。瞳は黒曜石のような黒。
 小柄でほっそりとし、鍛えているようには見えない。顔立ちや肌の色も、どことなく異国の雰囲気がある。
 その少年もまた、きょとんとしてオスカーを見ていた。
 姿見の中から。
 そう、先ほどの『声』も、間違いなくそこから聞こえてきた……。


「何者だ?」

『なに、って…………え、もしかしてお兄さん、僕がえてる?』


 いっぱいに丸くひらいた目で、しげしげとこちらを見つめてくる少年からは、微塵の邪気も感じない。
 どこか怯えたような、それでいて声音には期待の響きがある。
 くぐもった奇妙な声。不自然に遮られている音を、膜越しに聴いている感覚。
 その少年の服装は、何故か寝間着だ。色合いもデザインも、どこかで目にした記憶がある。
 そう、弟の部屋で。弟の寝間着に、よく似てはいないか。
 オスカーの目が険しくなった。


「もしやおまえは、」

『すみませんつかぬことを伺いますが、いま僕は何をしているでしょうかっ!?』

「…………両手を振っている」

『っっうわああああん、やっぱりえてるんだああああ!! やったー!! ばんざーい!!」

「………………」

『うれしいよー、とうとうこの日がー、えぇ~ん……って泣けないじゃんかクソーっ!』


 険しくなったのだが、すぐに脱力した。
 ……なんなのだろう、こいつは?


しおりを挟む
感想 61

あなたにおすすめの小説

聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!

伊桜らな
ファンタジー
家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。 いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。 衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!! パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。  *表紙画は月兎なつめ様に描いて頂きました。*  ー(*)のマークはRシーンがあります。ー  少しだけ展開を変えました。申し訳ありません。  ホットランキング 1位(2021.10.17)  ファンタジーランキング1位(2021.10.17)  小説ランキング 1位(2021.10.17)  ありがとうございます。読んでくださる皆様に感謝です。

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました

taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件 『穢らわしい娼婦の子供』 『ロクに魔法も使えない出来損ない』 『皇帝になれない無能皇子』 皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。 だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。 毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき…… 『なんだあの威力の魔法は…?』 『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』 『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』 『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』 そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

新しい聖女が見付かったそうなので、天啓に従います!

月白ヤトヒコ
ファンタジー
空腹で眠くて怠い中、王室からの呼び出しを受ける聖女アルム。 そして告げられたのは、新しい聖女の出現。そして、暇を出すから還俗せよとの解雇通告。 新しい聖女は公爵令嬢。そんなお嬢様に、聖女が務まるのかと思った瞬間、アルムは眩い閃光に包まれ―――― 自身が使い潰された挙げ句、処刑される未来を視た。 天啓です! と、アルムは―――― 表紙と挿し絵はキャラメーカーで作成。

【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する

エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】  最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。  戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。  目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。  ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!  彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!! ※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中

処理中です...