鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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魔法使いとの出会い

6. 精霊の悪戯

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 就寝前の挨拶を交わし、ミシェルの部屋を出た。

「ホットワインが飲みたい。後ほど私の部屋に運ぶようにと、フロースに伝えてくれ」
「かしこまりました」

 オスカー付きの召使いがうやうやしく頭を下げ、客間から退室するのを確認し、どっかりとソファに腰を落とす。
 オスカーは王都邸で生まれた。けれどここに彼の部屋はもうない。

 カリタス夫妻のあの様子からして、彼らも異変を感じ取っているのは疑いようがなかった。だがあの二人を問い詰めても、時間だけが無為に消費されて終わるだろう。
 湯あみを済ませると、ちょうどいい頃合いでフロースがワインを運んできた。ほかの使用人を下がらせ、二人きりになる。
 律義にカップの準備をし、温められたワインをそそぐ執事。香辛料と柑橘系の香りがふわりと漂い、その時だけは穏やかな気分に浸りながら、懐かしいほのかな甘みをゆっくりと味わった。

「……私が今日、ここへ来たのは」
「はい」
「第一王子殿下より要請があったからだ。ミシェルの様子がおかしいと」

 要請ではなく相談であり、あくまでも相手はリアムだったが、そこまで言う必要はない。
 この日を予期していたのか、老執事は頷いた。

「坊ちゃまは以前、お倒れになりました。無事お目覚めになってのち、驚くほどに変わられました。とても良いほうへ」
「そのように聞いている」
「その後、もう一度変わられたのです。お元気になった坊ちゃまのままで、いつの間にか何かがお変わりになっておりました。漠然としていたそれが確信に変わったのは、坊ちゃまのお茶です」
「茶か。練習したと言っていたな」
「はい。光栄にもわたくしのお茶が美味しいと、淹れ方を教えて欲しいと言ってくださりまして」
「おまえが教えたのか」

 フロースは相好を崩して首肯した。孫を愛しむ祖父のような表情だった。

「坊ちゃまはとても呑み込みがお早く、すぐにコツを憶えられました。そして旦那様や奥様にもふるまわれ、おそらくは殿下方にも……」
「殿下にも? 味は?」
「美味しいとお喜びいただけたそうです。わたくしも教師としてお味見をさせていただいたところ、お教えした基本を忠実に守られ、お色も香りも素晴らしかったと記憶しております。―――ですが、その味が変わったのです」

 いつもと変わりないと思っていた。けれどカリタス夫妻が茶を含んだ途端に顔をしかめた。ミシェルは自分も同じ茶を飲みながら、気付いていない様子だったという。

「手順が変わっていたのか?」
「お間違えになることがありました。茶葉のむらし時間も異なり、手つきも若干ようなご様子で、お教えする前よりも……お子様が初めて挑戦し、失敗してしまうような、そんな危うさがありました。何より、ご自分で味の変化にお気付きでないのです」

 最後のひとことが重要だった。
 急激な味覚の変化。あるいは異常。調味料を取り違えても気付かず、以前食べた料理の記憶でその味を認識してしまう。
 それは『精霊の悪戯いたずら』や『置き土産』と呼ばれる現象だった。一時的に精霊と深く接触した者が、まれにそのような状態になると確認されており、一年と経たずに元に戻る。困るが凶悪ではない、ただの悪戯いたずら程度の被害だ。
 つまりミシェルの変化には、いずれかの精霊が関わっている可能性が高くなった。
 フロースはカリタス夫妻に、魔導塔でミシェルを診てもらうべきだと進言したが聞き入れられなかった。ほんのちょっとした失敗なのに大袈裟だと退けられたらしい。

「全力で目を逸らしたか。つくづく変わらんな」

 フロースは目を伏せ、否定しなかった。

「殿下や他の友人達は茶を飲んだと思うか」
「わたくしにはなんとも……以前旦那様が『貴族としてあまりよい行動ではないから、よそでお茶を淹れてはいけないよ』とたしなめられ、坊ちゃまも納得しておられました。わたくしの知る範囲では、坊ちゃまがお変わりになって以降、どなたも飲まれてはおりません」
「ただしこの家以外では、怪しいか」

 やはり否定はない。友人のために「今日だけ特別に淹れてあげる」と父の言いつけをこっそり破ったとしたら……顔をしかめるほどの味にさえなっていなければ、何事もなく終わる。体調が悪いせいで味覚がおかしくなっているのでは、と心配する者もいるだろう。
 専門の家系や年寄りでもなければ、『精霊の悪戯いたずら』自体があまり浸透していない知識だ。ジュール王子はおそらく知らない。側近候補の中で、魔法系の家はカリタス家だけ。
 だから隠せると。気のせいで押し通せると、そう思ったのか。

「ご苦労だった、フロース」

 空になったカップを置いてねぎらえば、フロースは優雅に胸に手を置き、頭を下げた。



   □  □  □



 朝食を摂って早々に王都邸を出た。朗らかな笑顔のミシェルと、「逃げ切った」と言いたげな笑顔の両親に見送られ、馬車に揺られながら報告内容を頭の中で組み立てる。報告の相手は魔導塔筆頭、リアム・ヴェリタスだ。

 高位貴族の子息の性格が、精霊によって変えられたかもしれない。それはなあなあで済ませられる問題ではなかった。事を荒立てたくない主人の意向に反してでも、フロースが魔導伯たるオスカーにその可能性を示唆したのは、裏切り行為でも何でもない。隠蔽いんぺい自体が後々カリタス家にとって甚大な不利益をもたらすと理解しており、何よりフロースは前カリタス伯の遺言―――命令を忠実に守った。

 〝主人あれとオスカーの意見が対立した場合は、オスカーの命令を優先せよ〟

 サイン入りの命令書はフロースの身を守るものとして、常時服の下の隠しに仕舞われている。

 北の森の館に戻れば、執事のウィギルから招待状が届いている旨を伝えられた。
 外套を預けて自室に戻れば、机の上に銀の皿が置かれている。見覚えはあってもあまり交流はない、高位貴族の封蝋。
 封を開けて中身をあらためれば、よくあるパーティーの招待状だった。

「王家以外から招待状とは珍しいな」

 身分だけは高い、断れば角が立つ相手だ。魔導塔の人間を敵視し、頻繁に横槍を入れてくる上に、こちらの足をすくおうといつでも目をこらし、耳を澄ませている。
 はっきり言って、どうでもいい。不愉快な虫と同じだ。角が立とうとオスカーには何の痛痒もない。ブンブンうるさい羽虫どもが血を吸いに来たら叩き潰すだけ。好んで近付き、不快感を我慢することに何のメリットがある。
 ただ、これまでは招待状など一度も送ってこなかった。偶然タイミングが一致したのか、そうでないのか。
 胸もとをくつろげ、仮眠を取るために寝室へ入った。

「これから忙しくなりそうだというのに、面倒だが参加せねばなるまい……」

『ああぁ、その招待、受けちゃダメなんだよ……危ないのに……どうやって伝えたらいいんだろう……』

「っ ―――誰だ!?」

『へっ?』

 視線が合った。


「……?」


 相手の姿をみとめ、滅多になくオスカーは狼狽した。
 そこにあるのは姿見だった。
 自分自身が、間抜け面をさらして見つめ返してくる。

 その背後に、少年が立っていた。

「っ! ……いない?」

 慌てて背後を見た。―――誰もいない。気配すらない。
 もう一度、姿見を注視した。……いる。

 年の頃や体形はミシェルと変わらないぐらいか。くせのないサラリとした髪は、この国ではほとんど見かけない漆黒。瞳は黒曜石のような黒。
 小柄でほっそりとし、鍛えているようには見えない。顔立ちや肌の色も、どことなく異国の雰囲気がある。
 その少年もまた、きょとんとしてオスカーを見ていた。
 姿見の中から。
 そう、先ほどの『声』も、間違いなくそこから聞こえてきた……。


「何者だ?」

『なに、って…………え、もしかしてお兄さん、僕がえてる?』


 いっぱいに丸くひらいた目で、しげしげとこちらを見つめてくる少年からは、微塵の邪気も感じない。
 どこか怯えたような、それでいて声音には期待の響きがある。
 くぐもった奇妙な声。不自然に遮られている音を、膜越しに聴いている感覚。
 その少年の服装は、何故か寝間着だ。色合いもデザインも、どこかで目にした記憶がある。
 そう、弟の部屋で。弟の寝間着に、よく似てはいないか。
 オスカーの目が険しくなった。


「もしやおまえは、」

『すみませんつかぬことを伺いますが、いま僕は何をしているでしょうかっ!?』

「…………両手を振っている」

『っっうわああああん、やっぱりえてるんだああああ!! やったー!! ばんざーい!!」

「………………」

『うれしいよー、とうとうこの日がー、えぇ~ん……って泣けないじゃんかクソーっ!』


 険しくなったのだが、すぐに脱力した。
 ……なんなのだろう、こいつは?


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