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魔法使いとの出会い
5. 異変の足跡
しおりを挟むオスカーの館は王城の北、王都郊外の森の中にある。精霊の息遣いを感じやすく、愛し子や精霊憑き、魔導塔に属する者などが好んで居を構えており、リアムの館もそこにあった。
カリタス伯爵の王都邸はその反対、王城を挟んで南側の貴族街にある。もし一家が本邸にいれば、深い積雪に阻まれ、片道だけで数日は余分にかかっただろう。ミシェルが第一王子の側近候補になって数年は経つが、その間、彼らはほとんど領地の本邸には戻っていなかった。
あの弟を候補になど正気かと、当時オスカーは耳を疑ったものだが、ミシェルが数に入れられたのは単純に身分の高さと、毒にも薬にもならない無害さを評価されたからだと知り、妙に納得したのを思い出す。
争いの種になる可能性が低い。その一点だけでギラついた争いの場に放り込まれ、委縮して内向的な性格が加速していたと子飼いからの報告にはあり、さすがに弟を憐れに感じて両親に手紙を送ったが、兄として弟を応援してやれないのかと見当違いな返事が戻った。
「ひ、久しぶりだな、オスカー。少し前に先触れが着いたばかりだ、とても驚いたぞ?」
「そ、そうですよ。突然のことで、驚きましたよ。何事かあったのですか?」
「……お久しぶりです、父上、母上。お二人ともお変わりないようで」
実の息子相手に、怯えの隠し切れない引きつった笑顔。
最後に顔を合わせた時と、本当にまるで変わらない。
「もう何年も会っていないと思い立ち、久々に懐かしい家族の様子を見に参りました。家族ですから格式ばった挨拶など不要と思ったのですが、ご迷惑でしたか?」
「い、いや? そのようなことは、ないぞ?」
「え、ええ、そうですわね。ええ!」
相変わらず腹芸の出来ない夫婦だ。下位貴族であればまだしも、高位貴族でこれとは……。
厳しさを恐れられる一方、懐の広い慧眼の持ち主と慕われていた前カリタス伯は、領地経営に力を入れ、社交を最低限にとどめていた。最低限の顔出しでも敬意を払われる能力と実績があったからこそだが、この両親には気概も能力もなく、家の仕事も社交も中途半端。責任感という言葉をこの夫婦が口にすると、上滑りして架空の出来事にしか聞こえない。
(くれぐれも妙な投資話に引っかかってくれるなよ。それでカリタス家が傾くようなことになれば、いくらなんでもお爺様と領民が哀れだ)
オスカーを後継に指名できればよかった。だがこの国の貴族法では、貴族として瑕瑾のない実子を飛ばし、孫をいきなり指名することはできない。
臆病な自分の息子が、オスカーを後継にしないであろうことを祖父は見越し、自分がいなくなった後もつつがなく回るよう、忠実で有能な人材をできるだけ適所に配して逝った。そして当代のカリタス伯が、領政に興味を持たず彼らに丸投げしているからこそ、現時点まで問題は起こらなかった。
けれど頂点としての権力を失っているわけではない。加えて、前カリタス伯に恩義を感じている者達が目を光らせている間はいいが、代替わりが進んで彼らがいなくなれば、必ず己の欲を優先する者が出てくる。
『ここに留まらずともよい。腐れ果てるぐらいならば捨ててしまえ。後は頼んだ』
祖父は苛烈な謎かけめいた言葉をオスカーにだけ遺した。もう一人の孫については何もなかった。当時ミシェルは二歳、既に両親の『愛情』に囲まれていた。オスカーはせめて弟を立派な人物に育てられないかと苦心したが、結果はあの通り。
「我が弟のよい評判がこちらにも聞こえてきまして。近況を直接聞きたいと思っているのですが―――」
「嬉しいです、兄上!」
溌溂とした少年の声が、重苦しい空気を吹き飛ばした。
「兄上が僕のことを気にかけてくださったなんて、なんて誇らしいんでしょう! 僕も兄上にお話ししたいことが沢山あるのです! 晩餐の前に、久しぶりにテラスでお茶を飲みませんか? ね、父上、母上!」
「あ、ああ、そうだな」
「そうですわね。そういたしましょう」
「ふふ、楽しみだなあ!」
オスカーは愕然とし、目を瞠った。
これが―――紅潮した頬、心から楽しそうな笑顔を浮かべているこの少年が、あのミシェルだと?
背筋を伸ばし、兄と顔を合わせても俯くことなく、明瞭な声で話しかけてきた。
髪の長さは前と同じ。けれど前髪を分けて、顔がはっきり見えるようにしている。
変わったと聞いていたが、この変わり様はなんだ。
動揺を押し殺し、従僕に荷物を運ばせ、全員でテラスに向かう。
このように全員揃ってテーブルを囲むのは十年ぶりだった。それぞれの席につきながら、オスカーはさりげなく使用人の様子を観察した。
緊張感を残しつつ、皆どこか誇らしげに見える。カリタス夫妻も、表情に余裕が戻っていた。
昔感じた不自然な硬さが薄れており、間違いなくその中心には変貌したミシェルがいた。
だが、ミシェルの発した次の言葉で一気に凍りつく。
「兄上、僕ね、たくさん練習してお茶を淹れられるようになったのですよ」
「おまえが茶を?」
「はい! 兄上にも淹れてさしあげますね」
「み、ミシェル、それは……」
カリタス夫妻が青ざめ、小声で何かを言いかけた。それをやんわり遮るように、執事のフロースが「坊ちゃま」と声を挟む。
「申し訳ございません、坊ちゃま。兄上様へのお優しいお気持ちを察せられず、既にフロースが張り切って皆様のお茶を準備してしまいました」
「あ、そうなの? ならしょうがないね……フロースのお茶を捨てさせたくはないし、また今度にするよ。申し訳ありません兄上、次の機会にはきっとご馳走しますね」
「ああ……」
楽しみにしておこう、とは言わなかった。
祖父の代から仕えている執事が、主人の言葉を遮った。
それを咎めもせず、ホッとしている当主夫妻。
高位貴族の子弟が自ら茶を淹れるなど滅多にないことだが、全くないわけではない。どこにそれほど狼狽える要素があった?
テラスでは最近のミシェルがどれほど努力をしているか、それをどれほどの人々が認めてくれるようになったのか、ほぼミシェルの自慢話ばかりだった。すっかり明るく朗らかになった弟の声が思いの外よく通り、オスカーがいる時はつねに漂っていたピリピリとした空気がない。晩餐の席でも話は弾み、苦手な長男が同席しているというのに、カリタス夫妻もリラックスしているようだった。
ミシェルが以前の己を反省し、変わるために一念発起したという内容は決して突飛なものではなく、これまでの成長を兄に自慢できると楽しみにしていたのも本音だと思われる。
(……どういうことだ?)
はしゃぐ弟に冷静な顔で相槌を打ってやりながら、オスカーの胸中では困惑が深まっていった。
(これは間違いなく、ミシェルだ。別の者がすり替わったのでも、何かが憑いたのでもない。ミシェル本人だ)
ならば王子達の全員に不安を抱かせた、無視できなかった違和感とやらは何だ?
「……おまえの成長ぶりを目にできるとは、兄として誇らしい。今どのような勉強をしているのか、見せてもらっても構わないか?」
オスカーは弟に目を合わせ、意識的に口角を上げた。「笑顔笑顔しい笑顔じゃなくていいからね。きみの場合は何かを企んでいそうな感じになってしまうから、ほんの少しだよ。あと、優しい言葉も同時にかけるようにね」―――人心掌握に長けたリアムの薫陶である。
「ええ、もちろんです!」
ミシェルは喜び、オスカーを自室に案内した。
昔と比べ、年齢に応じた落ち着きのある部屋になっている。勉強用の机の上に、ミシェルが解いた問題、予習復習に使っている書物、教師から褒められた課題などが並べられた。自画自賛するだけあって、素晴らしい努力の跡が窺える。
だが、オスカーはそれらに目を通しながら、不可解な据わりの悪さを感じていた。
筆跡は確かにミシェルのもの。だがミシェルは、このような文章を書いたろうか。
ただ書くだけではなく、上手くまとめている箇所が多い。一覧表や相関図など、見やすさとわかりやすさにオスカーでさえ感心させられる。
「兄上? どうかなさいました?」
「いや……」
頭を振り、ふと、壁にかけられた鏡に視線が止まった。
「これは前からあったものか?」
「いえ、これはお誕生日の贈り物なのです。迷ったけど、ここに飾ろうかなって」
「そうか。凝った装飾の美しい鏡だ。……パーティーを欠席してすまない。仕事が立て込んでいてな」
「そんな! 兄上に気に留めていただけただけで、僕は充分ですから!」
半年ほど前にあったミシェルの誕生パーティー。その招待状はオスカーにも届いていた。それまでは一度も送られなかったのに。
自分の成長を見てもらいたいのかとふと思い、出席しようか迷ったものの、そんな時に限って本当に仕事が入った。だからプレゼントだけ自分で選んで送らせることにした。減りが早くなったであろう文具と、最近興味を持ち始めたらしい魔術の指南書を何冊か。リアムには「弟くんに嫌味と思われなきゃいいけれどね」と笑われたが。
(……そういえば。送ったペンも紙も、あまり活用している様子がないな)
ここにある書き物は、随分前に書かれたものが多い。紙の端の小さな日付は、ほとんどが半年よりもっと前。目立たない隅に記された日付と、通し番号。紙がバラバラになってもすぐに順番がわかるように。
最近と思われるものは、オスカーが送った紙だ。割合としてはごくわずか。色も質感も他の用紙とは異なり、パッと見で区別がつく。それには日付も通し番号もない。たまに表が含まれるけれど、何故これを表にしたのか、首を傾げる箇所がいくつか。まるで、どうして枠線を引くのか、その意図を理解していないかのような……。
(…………)
違う。ミシェルではない。
なのに、ここにいるのはミシェルだ。自分が弟の気配を見誤るわけがない。
何がどうなっている?
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