鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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精霊と鏡の中

3. 孤独にヒマ潰し

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 しばらく闇の深さに怯える日々が続いたものの、一週間も経てば恐怖心はすっかり失せた。姿見から相変わらず聞こえてくるミシェルの幸せそうな笑い声と、眠りをなくしてひたすら長い時間を孤独に耐えねばならない自分との対比に、怖がっているのがバカらしくなってきたのだ。

 少しでも明るい気分になりたくて、より多くの灯りを欲し練習を重ねているうちに、最初は蝋燭ろうそくほどの炎をひとつしか出せなかったのが、やがて三個ぐらい出せるようになり、こぶし大にまで大きくすることも出来るようになった。
 さらに今までは手の上から動かせなかったのを、任意の場所へふよふよ移動させることも出来るようになった。ただしそこまでが悠真の素質の限界だったらしく、後はどれだけ練習しても工夫を重ねても、数や大きさは変えられなかった。
 ますます人魂っぽくなってしまったけれど、魔力を消耗する感覚はなく、ひと晩中灯していられるし、以前より段違いに明るくなったのでよしとする。

「おっと、使いきっちゃった。リセットリセット」

 びっしり鏡文字で埋め尽くされた紙を、まとめて机の引き出しに放り込む。それを一度押し込んでもう一度引き出せば、あら不思議。何も書かれていないまっさらな紙が、ちゃんと束にまとめられているではないか。
 窓や扉は開けられないのに、引き出しや戸棚は開けられるのだ。戸棚の中身をごちゃごちゃにかき回し、一度閉じてひらき直せば、完全に元通りになっている。これを悠真は『リセット』と名付けた。

 リセットはこれ以外にも、一日経過するごとに必ず訪れる『強制リセット』もある。足の踏み場すらないほど物を散らかしても、午前0時が訪れた瞬間、逆再生のように勝手に初期の位置へ戻ってしまうのだ。
 それから、『更新』と名付けた現象。ミシェルが自分の部屋で何か書き物をしたり物を移動させたら、リセット時にその状態がこちらの空間に反映される。使用人に頼んでいた便箋をミシェルが引き出しに仕舞った直後、悠真がこちら側の引き出しを開ければ、先ほどまでなかった便箋がそこにある……といった具合に。

「あ、この便箋、インク乗りよくて書きやすい♪」

 ペン先が引っかかりにくい高級紙はジュール王子宛てに使うものだろう。悠真も交流会と銘打った側近候補の選別会に何度か参加させられたが、毎度王子を中心に出来上がる小山のテンションに付いて行けず、早々に近付くのをやめたら、何故か向こうから寄ってきた。
 ベタベタ絡んでこない悠真は気楽で付き合いやすかったらしい。下々の都合など我関せずの俺様タイプではなく、周囲の事情にもきちんと配慮できる気遣いの人物だったため、鬱陶しいからと取り巻き志望の少年達を突き離すこともできず、笑顔の下でストレスをため込んでいたそうな。

 気配りが命のサラリーマンだった父親を思い出し、なんだか親しみが湧いて「殿下も大変なんですね…」と同情したら、すっかり仲良くなってしまった。
 ミシェルが苦手意識を抱いていた側近候補筆頭のジスラン・ルークス侯爵令息も、気難しそうな見た目に反し意外と親切な少年で、嫌味を言われたり嫌がらせをされたことなど一度もない。ジュール王子だけでなくジスランとも仲良くなれたおかげで、他の側近候補達ともだんだん打ち解けていったのだけれど、そんな風に悠真の築いた信頼関係を、ミシェルはちゃっかり自分のものにしているようだ

 頭を振って嫌な気分を追い払い、小難しい魔導入門書の反転文字を高級紙へ書き写しては、ひたすら初級魔法を試す。この世界の魔法は基本的に呪文を唱えたり、何らかの道具や媒体がなければ魔法を行使できなかったのだけれど―――

「あれ? 成功しちゃったよ、無詠唱……」

 魔法ときたら無詠唱だろうと、ミシェルだった頃に試してことごとく不発だったのに、ここではサックリ成功してしまった。この空間が特殊だからか、それとも悠真の存在自体が特殊だからなのか。
 水滴を中空に浮かべたり、氷の結晶を作ってみたり、それらを火球の中にくぐらせたり。普通の初級魔法は詠唱や道具に応じた型通りの魔法しか発動できないものだったのに、格段に使い勝手が良くなっている。

「火の中に放り込んでも蒸発しないんだな。どうなってるんだろ。やっぱり魔法で作った水は普通の水と違うのかな?」

 それ以前に、熱も冷気もないこの空間が異質だからかもしれない。
 火魔法と水魔法以外は適性がゼロなのか、何を試しても完全に無反応。それでも魔法が使えれば御の字だ。
 楽しくなって、あれもこれも試しまくった。ゴルフボール大の水球を作って空中でぶつけ合ったり、ミスト状にして漂わせたり、魚の形にして泳がせたり、氷の小舟に小さな火の鳥を乗せてみたりもした。寝食を忘れるどころか、寝食をなくした身体になってしまったのを忘れるため、遊び感覚で没頭できる魔法の訓練は最高でしかなかった。

 ところがついに、それにも限界がきてしまった。二ヶ月を過ぎる頃には初級レベルの上限に達し、そこからはどれほど練習しても頭打ちになってしまったのだ。
 おまけに、あんなに難解だった鏡文字も、今では労せずスラスラ読めるようになり、書斎にある書物もすべて暗記する勢いで読み尽くしてしまった。同じ物語は二十回も読めば完全に頭に入ってしまうし、学問書は数が少なく、それぞれ五十回以上は読み返した。
 しかも悠真がミシェルから離れて以降、この部屋の書物はほとんど更新されていない。すっかり要領の良さを学んでしまったミシェルは、部屋にこもるのが少なくなったのはいいけれど、その代わり頻繁に外出するようになった。

「後継ぎ教育、早く始まればいいのに。領地運営とかどうなってるんだろ。予定訊いておけばよかった」

 新しい環境に馴染むのが先で、あまり意識していなかったけれど、ミシェルは今年十六歳。長男は格上の身分になって別の家を立てており、カリタス家を継ぐのはミシェルしかいない。もうそろそろ家の仕事を学び始めてもいい頃だが、何か変わったことをしている様子はなかった。

 この世界には子供向けの学校がなく、下位貴族の子弟は一人の教師が全教科を教え、上位貴族では教科ごとに専門の教師を雇う。カリタス家は後者であり、ミシェルは随分恵まれた環境を与えられていたにもかかわらず、自分みたいな凡庸な子は勉強なんかしたって無駄だと、何かにつけて授業を休むばかりだった。
 急に前向きになった生徒を、教師達は懐疑的になりつつ歓迎してくれた。悠真も以前の世界では平均レベルの学力しかなかったとはいえ、基礎学力や勉強法に関しては応用のきく部分があり、この国の歴史や産業といった知識の不足している分野へ力を入れて取り組んだ。
 そのために準備した資料や専門書などの教材の大半が、書斎に置き去られたまま、ほぼ手つかずになっている。

「僕が気にかけなきゃいけない義理なんて、もうないけどさ……」

 ミシェルの中に入っていた時、物覚えが急に悪くなったとは感じなかった。だからミシェルが自己卑下するほど、彼の記憶力自体は悪くはない。
 たとえ目を瞠るほどの秀才でなくとも、コツさえ掴めば、それなりに出来るようになる。ミシェルは単に、そのコツを掴むのが苦手な、いわゆる要領のよくないタイプだっただけなのだろう。ずっと中から悠真の行動を見ていたのなら、今後は以前ほど苦戦することはないに違いない。

 代り映えのない書斎の中身に溜め息をこぼしながら、さらに月日が過ぎ、とうとう恐れていた事態が起きた。
 ―――完全に飽きてしまったのだ。
 どんなに楽しもうと工夫をしても、気分を切り替えようとしても、どうにもならない。
 大きな姿見から毎日、一方的に聞こえてくる笑い声から意識を逸らし、今日は何か変化はないかと窓やドアノブに手をかけて、何ら変化のないことに失望する。
 ここから出るための魔法を編み出せないか、何百回もの試行錯誤を繰り返し、その結果、都合よくパパっと創作魔法が完成してくれる世界ではないと悟った。

「いつまで……? いつまでこれが続くんだよ?」

 全力で壁に叩きつけた机や椅子が無音で弾かれ、あまりの手応えのなさに無力感だけが積み重なり、馬鹿にされているようにすら感じてしまう。
 自力で何かを壊せることは、それだけで爽快感をもたらすのだなと初めて知った。
 それでも、外の世界にある何もかもを壊したいかと尋ねられれば、まだ「否」と答えられる。
 けれどもし、この先もずっとここから出られないとなれば―――自分が永遠に変質せずにいられるかどうか、自信は持てなかった。

「……泣きたい」

 せめて涙を出せれば、気は晴れたろうか。



   □  □  □



 悠真がこの不思議な空間に閉じ込められてからおよそ半年、この世界に来てからは一年になろうというその日、ミシェルは十六歳の誕生日を迎えた。
 パーティーで浮き立つ人々の声は悠真のもとにも届く。以前はいちいち神経を尖らせ、耳を塞いでいたが、今はもうテレビをつけっぱなしにしている気分で聞き流していた。
 夕刻になり、ミシェルがウキウキと弾む足取りで部屋に戻った。悠真は何をする気力もなくベッドに仰向けになりながら、ボンヤリ耳を傾けていた。
 メイドとお喋りをしながらリボンを解き、箱を開けている音。もらったプレゼントを開封しているようだ。

『わっ、素敵な鏡!』

 ―――鏡。
 悠真はふと意識を掴まれ、姿見に視線を向けた。
 前の世界と遜色のない、鮮明に姿を映す鏡。

(そういえばこの部屋、ほかに鏡ってないな)

 のろのろと起き上がった。毛足の長い絨毯に足をつけ、もう少しよく見ようと近付いて行く。
 ミシェルが嬉しそうにそれを手に持っていた。手鏡ではなく、壁にかけるタイプのようだ。
 ミシェルが動いて、鏡の角度も一緒に変わり、鏡面がこちら側に顔を覗かせる。

 そこに奈落があった。

 あるべき対象を映す輝きはなく、照り消しの染料でのっぺりと塗りつぶしたような黒。
 夜だから?
 いや、違う。だって燭台の灯りすら―――

「っ!?」

 ぐんっ! と引っ張られた。

「うわあああっ!?」

 異質な黒点に抵抗する間もなく突っ込み、暗黒の中に浮かぶ奇妙な無数の『枠』の中を、目にも止まらぬ速さで吸い込まれてゆく。
 さながら宇宙空間に渡された透明な通路内を、無重力状態で強制移動させられているような。
 ミシェルが動き、鏡の角度がまた変わった。それと同時に、悠真の引っ張り込まれた『通路』の位置もズレてゆく。『枠』が徐々に斜めにズレて重なり、すり潰されそうな恐怖にヒヤリとした瞬間、再び世界が一変した。
 唐突に『通路』が消滅し、悠真はどこかへポンと放り出されていた。

「……えっ?」

 肉体があるようでないからか、平衡感覚の狂いはない。ただ何が起こったのか理解できず、呆然と周囲を見回し、何度か瞬きをして、さらに目をこらす。
 知らない家具。知らない絨毯。知らない間取り。
 知らない部屋だ。

「…………」

 さらにたっぷりと五分後。
 誰にも聞こえないのをいいことに、奇声をあげて歓び狂う悠真がいた。


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