178 / 230
番外・後日談
33. うたかたの夢…? -数百年後
しおりを挟む鐘の音が響き、エウフェミアは「ん~」と伸びをした。
彼女だけでなく、講義室には他の学生の姿もある。そこかしこで肩を回し、あるいはホッと溜め息をつく者も見受けられた。
「あ~、長かった」
「今回きつかったなあ」
解答用紙が回収され、解放感で賑やかに喋る者もいれば、さっさと帰っていく者もいる。
エウフェミアは隣席の学生と少しお喋りをしながら、迎えを待った。
「……あ! ロッソ様」
「ヴィオレット嬢、ロッソ様がいらっしゃいましたよ」
講義室の出入り口に、緋色の髪の青年―――アルノルドが姿を見せた。
エウフェミアは友人達とにこやかに挨拶を交わし、筆記用具の入ったバッグを持って彼のもとに急ぐ。
「そちらの試験はどうだった?」
「以前より難しくはなかった。おまえは?」
「難しいというより、長かったわ。書くことが多かったの」
彼はさりげなくエウフェミアのバッグを取り、空いた手で彼女の手を握った。
大昔からたびたび修繕され、時に建て直されながら、その姿は大きく変わらない教会のような学園の廊下を、二人手を繋いで歩く。
「さようなら、ロッソ様、ヴィオレット様」
「ご婚約おめでとうございます!」
「おめでとうございます」
「ありがとう」
エウフェミアはにこやかに答え、アルノルドはむすっとして軽く頷くだけ。顔だけを見れば面白くなさそうだが、しっかり繋いだ手に目をやれば一目瞭然だ。
ヴィオレット公爵令嬢エウフェミアと、ロッソ侯爵令息アルノルドの仲睦まじさは、知らぬ者がいないほど有名だ。この二人の婚約が成立したのはつい先週のこと。それが学生間に広まった時、皆の反応は「まだ結婚していなかったのか」だった。
幼馴染みとして育ち、常に一緒にいれば、近過ぎて兄妹の関係になることが多い。しかし二人が育んだのは最初から恋心だった。別にそうなるよう焚きつけてもいなかった周囲の大人は首を傾げつつ、特に障害もないので二人の婚約を許した。
アルノルドが一年先に卒業し、翌年エウフェミアが卒業すれば、二人は晴れて婚姻の儀を執り行う。準王族の姫君と、あのロッソ家の若君の婚姻となれば、大変なお祭り騒ぎになることは目に見えていた。
家族だけのつつましやかな結婚式にしたいんだけどな、というロッソ家一同の呟きが、人々の耳に届くことはない……。
大学部の学舎を出て正面玄関に向かい、そこで二人のボディガードと合流。複数名のスーツ姿に囲まれ、門を出てすぐ前に待機していた専用車に乗り込む。
後部座席に並んで座り、とりとめもなく出てくる話題は、先ほどの試験のことではない。手応えが悪くないことは、もうお互いにわかっている。
「西の蓄電所が一基、火災で停止したそうだ。誘雷装置が落雷の衝撃に耐え切れず壊れたらしい。おそらく今夜中にはニュースになる」
「もしかして、横領疑惑のあった領主の?」
「それだ。かねてから老朽化が言われていた設備を放置し、修繕や機器の交換費と報告していた予算をまるごと懐に入れていたらしい。蓄電所を設けることで既にかなりの恩恵があったろうに、さらに私服を肥やしたがる意味がわからん。せっかく貯め込んだ財はこれで全放出の上、実刑をくらうことになるだろうな」
―――雷をエネルギー利用できればいいのに、というのは、『オルフェオのメモ』と呼ばれるノートに書かれていた何気ない呟きだ。
誰かに向けてのものではなく、ただ漠然と思い付いたことを書いただけで、まさか何百年も先の世にまで残ることになろうとは、本人も思わなかったに違いない。
メモを受け継いだ者は当初、「とんでもない発想だが雷を何に利用するんだろう」と、深く受け止めてはいなかった。
ところがのちに雷の正体が電気であると判明し、その研究が進むにつれ、にわかにメモの呟きが現実味を帯びてきた。アルティスタ王家はロッソ家をリーダーとし、雷のエネルギー利用を国家事業として研究を開始させ、ようやく形になったのが百年ほど前。
現代では国内の落雷多発地帯、数か所に蓄電所が建設されている。二人が乗っている車は、当たり前に電気自動車だった。
『オルフェオのメモ』はロッソ領本邸の地下金庫へ厳重に保管され、博物館には写真が飾られている。
世界中の研究者から原本を読ませて欲しいと、毎年ロッソ家に問い合わせがあった。
古い時代の面影を残した街並みの中、ロッソ家の紋章の描かれた黒い車が速度を落として進むのに、人々が笑顔で手を振っている。
学園からロッソ王都邸の距離はさほど離れてはおらず、車だとあっという間だ。
左右に警備員の立つ門を通過し、大扉に続く階段前につけて停車すると、先にアルノルドが降りてエウフェミアに手を差し伸べる。
再び手を繋いで階段を上がり、出迎えた老執事と言葉を交わした。
「お帰りなさいませ」
「父上と母上は?」
「お夕食にはお戻りになるので、お嬢様もぜひご一緒にとのことでした」
「嬉しいわ。楽しみ」
「そうだな。お二人とも多忙だったから、揃って食事をするのは久しぶりか」
ほくほく微笑むエウフェミアに頷き、アルノルドは吹き抜けになった玄関ホールに入って、二階へ続く階段前で足を止めた。
これは彼の日課のようなものだ。幼い頃からずっと続いている。エウフェミアに出会ってからは、彼女も真似をするようになった。
二人手を繋いで、壁に飾られた大きな肖像画を見上げる。近くよりも、少し離れたほうがよく見えるのだ。
―――ロッソ侯爵オルフェオの肖像画。
アルノルドは幼い頃からずっと、この人物にそっくりだと言われ続けてきた。
この絵の青年と年齢が近くなり、自分でもますますそっくりになったと感じ、まだまだ及ばないとも感じている。
王国史上、無類の天才。生命力に満ち溢れ、誰よりも強く美しい青年。基本的に当主の肖像画は無表情で描かれ、ゆえに苛烈な印象が増してしまうのだが、この人物の遺した数々の名言が、見た目とは裏腹に愛すべき好青年であった事実を伝えている。
数百年の歴史の中、事故や火災で失われた貴重なものがいくつもあれど、「家財より人材を守れ」を家訓として徹底しており、使用人すべての避難を最優先させてきた。その家訓はもちろん、このオルフェオが遺したものであり、不幸な犠牲者が一人も出なかったことは語り草になっている。
「私、この絵が好きだわ」
「俺もだ」
示し合わせるでもなく、二人ともなんとなく笑みを浮かべていた。
外見だけでオルフェオの再来ではないかと言われ続け、そのたびに違うと否定してきたアルノルドだったが、それについて妙な屈託を覚えたことはなかった。似ていることが素直に嬉しいと感じ、プレッシャーになったこともない。
オルフェオのプライベートの逸話が、ついクスリと笑ってしまうものばかりだからだろうか。なんとなく、ただ偉大な人物というより、すごいけれど少々困ったところもある愛すべき家族という感覚が強いのだ。
絵の中のオルフェオは椅子に座り、肘置きに腕を置いている。
その彼の右手横には、執事の衣装に似た貴族服の青年が姿勢よく立っていた。
一代貴族のブルーノ準男爵、アレッシオ。オルフェオの側近にして非公式の執事、そして生涯のパートナー。
このアレッシオという人物もまた相当な傑物だったようで、大貴族の当主の肖像画に、同性でありながら伴侶として描かれた史上初の存在でもある。しかも当時どこからも非難の声が出なかったというのがさらにすごい。
「そういえば、映画化させて欲しいって言ってきた制作会社があるんでしょう? 小父様はどうなさるおつもりなの?」
「あれはなぁ……よほど慎重に選んでもミスキャストと言われそうで、役者が可哀想だろう。オルフェオ役もそうだが、アレッシオ役もそのへんの二流役者にはつとまらんぞ。最終的に父上がお決めになることだが、完璧に条件を満たす演者でなければ許可はできんだろうな」
「そうね……演技力をクリアできても、お顔とスタイルもとなると……」
話題性もあり美味しい題材ではあるが、舞台化や映画化をするにはリスクが高過ぎると業界では敬遠されているそうだ。歴史好きのファンも多く、適当な配役をすると恐ろしいことになりそうなので、多少覚悟があるだけではOKを出せない。
それと、描き方が難しい存在はもうひとつある。
オルフェオの愛猫アムレートだ。
オルフェオは愛猫家としても知られているが、奇妙なことに、彼の飼い猫は常に『アムレート』という名の白猫、それも子猫なのである。
絵が一枚も残っておらず、誰かの日記や文字の記録にしか存在を示す証拠がないものの、いたことは間違いがない。
けれどその子猫が成長した後の記述がどこにもなく、別れの日にオルフェオが意気消沈していたようなエピソードなどもなかった。
それにもし先代猫がいなくなり、よく似た子猫を新たに迎え入れたとしても、オルフェオの性格ならば別の名前をつけてやりそうなものである。
この子猫も歴史家やファンの間で見解が分かれていて、舞台や映画での設定が難しいのだ。
「……案外、本当に同じ子猫ちゃんだったりしてね」
「有り得るな」
「今も一緒にいるかしら?」
「いるんじゃないか? 猫は居心地のいい場所を見つけるのが上手いと言うし」
荒唐無稽な話でも、オルフェオならば「あるのでは」と思ってしまう。
どちらからともなく二人は小さく笑い合い、その様子を使用人達は微笑ましく見守っていた。
3,052
お気に入りに追加
9,065
あなたにおすすめの小説
冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました
taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件
『穢らわしい娼婦の子供』
『ロクに魔法も使えない出来損ない』
『皇帝になれない無能皇子』
皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。
だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。
毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき……
『なんだあの威力の魔法は…?』
『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』
『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』
『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

側近候補を外されて覚醒したら旦那ができた話をしよう。
とうや
BL
【6/10最終話です】
「お前を側近候補から外す。良くない噂がたっているし、正直鬱陶しいんだ」
王太子殿下のために10年捧げてきた生活だった。側近候補から外され、公爵家を除籍された。死のうと思った時に思い出したのは、ふわっとした前世の記憶。
あれ?俺ってあいつに尽くして尽くして、自分のための努力ってした事あったっけ?!
自分のために努力して、自分のために生きていく。そう決めたら友達がいっぱいできた。親友もできた。すぐ旦那になったけど。
***********************
ATTENTION
***********************
※オリジンシリーズ、魔王シリーズとは世界線が違います。単発の短い話です。『新居に旦那の幼馴染〜』と多分同じ世界線です。
※朝6時くらいに更新です。

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。
だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。
十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。
ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。
元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。
そして更に二年、とうとうその日が来た……

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……
karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!


大聖女の姉と大聖者の兄の元に生まれた良くも悪くも普通の姫君、二人の絞りカスだと影で嘲笑されていたが実は一番神に祝福された存在だと発覚する。
下菊みこと
ファンタジー
絞りカスと言われて傷付き続けた姫君、それでも姉と兄が好きらしい。
ティモールとマルタは父王に詰め寄られる。結界と祝福が弱まっていると。しかしそれは当然だった。本当に神から愛されているのは、大聖女のマルタでも大聖者のティモールでもなく、平凡な妹リリィなのだから。
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる