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番外・後日談
31. うたかたの夢 (1) -sideエウジェニア
しおりを挟むひと刺し、ひと刺し、大切に色を刺す。
刺繍は昔から得意だった。作業をしている間は嫌なことを何もかも忘れられるから、何も考えずに没頭していたら、それなりに上手になったの。
でも今は心の有りようが全然違う。
お腹の子は、男の子かしら。女の子かしら。どちらでもいいように、生地は無地の白にして、糸も何種類かの色を使う。
産着を縫うのは初めてだったけれど、うまくできたと思うわ。あとはこの刺繍だけ。
何か恐ろしい運命が訪れたとしても、それを覆せるように、わたくしの国では運命の輪と呼ばれる意匠を子供の衣類に用いることが多い。正しい位置では良い意味だけれど、逆位置にすると呪いになってしまうから、手巾のように上下の曖昧なものには使われない。
だから、服の裾に縫うの。
元気に生まれますように。健康に暮らせますように。
嫌なことがあっても、乗り越えられますように。
人々を愛し、愛され、大切な人に巡り会えますように。
そうして仕上がった産着を、わたくし付きのメイドに渡す。
かなり年嵩ではあるけれど、ほわほわとした安心できる雰囲気のメイドなの。お義母様達はわたくしが心安らかに過ごせるよう、まるで可愛らしい祖母のようなこの人を付けてくれた。
……この子の父親はもう、いなくなってしまったけれど。
きっとあの人はあなたのことも愛してくれた。それをこの子にも、いつか教えてあげたいと願う。
エテルニアで暮らしていた頃、わたくしは実の弟によって、おぞましい噂の絶えない王族に売り払われるところだった。
わたくしに応え、救いの手を差しのべてくださったお義父様とお義母様には感謝しきれない。
それでも、生まれて初めて国を出て、この地に足を踏み入れた時は不安でいっぱいだった。
特に、お二人がわたくしを妻にとお考えのご長男。まずは会ってみて、どうしても合わないようであれば無理にとは言わないと仰ってくださったけれど。
どんな方なのだろう。
そしてわたくしは、あの人に会った。
お義父様の髪も鮮やかな赤だったけれど、あの人の髪はもっと鮮明で、命の輝きを映したかのような緋色に目を奪われた。
その場にはあの人の弟さんもいた。とても気さくに話しかけ、思いやりの言葉も、貴婦人への誉め言葉も、弟さんは淀みなくすらすらとかけてくださった。
翻ってあの人は、寡黙を通り越して不愛想。全然目が合わないし、必要最低限のことしか口にされない。突然出て来た婚約者候補に、嫌な気分になってしまったのかしらと不安になった。
……でも正直、わたくし自身も喋ることは得意ではない。
だから本音を言えば、弟さんのほうが苦手だった。だって話しかけられれば、笑顔で答えねばならないのだもの。
あのお二人の息子さんだから、あの人の弟さんだから、嫌われないようにふるまわなければ。常にそうやって気を張らなければならないのが苦痛だった。そっとしておいて欲しかった。
「ああ、もしかして……あの弟さん、わたくしの弟に似ているのだわ」
弟は明るく社交的で、口が巧く、周りに人の絶えない、いつだってキラキラ輝いている少年だった。昔からあの弟と比較されては貶され、どうしてわたくしはこんなに暗い性格なのかしらと、ずっと劣等感を抱いてきた。
亡き両親からも「娘など無能で役に立たん」とハッキリ言われていたし、わたくし以外には素敵な笑顔で接する弟が、人目のないところではわたくしのことをあからさまに見下していた。だからどんなに素敵な笑顔を向けてくれても、内心では田舎娘と嘲笑しているのではないかと、そんな疑心が胸に湧いて信じきれなかった。
おかしな娘よね。わたくしのことを一切構わず、何か口をひらいたとしても「ああ」「うむ」ぐらいしか仰らない殿方のほうが、どことなく安心するなんて。
この国の決まりやマナーを勉強して、新しい場所での生活に慣れようと頑張っていたある日。
メイドと一緒にお庭を散歩し、部屋に戻ったら、机の上に見覚えのない刺繍箱があった。
とても上質な木彫りの刺繍箱。立体感のある一輪の薔薇の細工にだけ、彩色を施されている。
あの人の髪のような、美しい緋色の薔薇。
箱の上にはメッセージカードが置かれていた。
そこにはとてもシンプルに、『外つ国からの姫君へ アンドレア』の文字が。
心が浮き立って、はしたなくぴょんぴょん飛んでしまいそうだったわ。
嬉しさのあまり胸が弾むのなんて、生まれて初めてだった。
殿方からの贈り物は、今まですべて弟が管理していて、一度もわたくしの手元に届いたことがないの。弟は贈り物をチェックして、一番財力のある者へ姉を売ろうとしていたから。
わたくしはさっそく手巾に薔薇を刺した。迷ったけれど、花弁の色はわたくしの瞳に近い色にして、その日のうちに仕上げた。今までで最速で最高の出来栄えになったと思う。
そして翌日、『素敵な贈り物のお礼に エウジェニア』と書いたメッセージカードを添え、メイドに託した。
その日から、ささやかな贈り物とメッセージのやりとりがこっそりと続けられた。
だんだんわかってきたのは、あの人は本当に寡黙なだけで、わたくしと同じように人と話すのがあまり得意ではないということ。
カードの字はとても丁寧で綺麗。努力家で、お義父様とよくぶつかっていらっしゃるけれど、よくよく聞いてみれば息が合ってらして、お互いに認め合っているからこそできるやりとりなのだとわかった。
お義母様も、「あらあら、仕方のないこと」と呆れた風で、気を張っていらっしゃる様子がまったくなかったもの。
ご家族揃ってのお茶会の席では、相変わらずあの人とは視線が合わないけれど、今はもう気にならない。
話しかけてくださる弟さんとの会話も、少しずつ慣れてきた。
「問題がなければ、アンドレアとの婚約をこのまま進めるが」
お義父様に尋ねられ、わたくしは迷わず頷いた。作り笑顔ではなく、ごく自然に笑みが浮かんだ。
「はい。どうぞ、お願いいたします」
―――消灯後、密かにアンドレア様がわたくしのお部屋を訪ねてきた。
驚くわたくしに、アンドレア様は夜遅くの訪問を詫び、真剣な面持ちで問いかけてきた。
「本当におまえは私でいいのか、エウジェニア」
二人きりでお会いするのが初めてなのはもちろん、視線がしっかり合ったのも初めてかもしれない。
誠実で、まっすぐで、わたくしを思いやってくださる瞳。お仕事の時は「なんて強くて綺麗なのだろう」って見惚れるぐらいなのに、今夜は何かを恐れているように見えた。
本当は嫌なのだと言われるのが怖いのかしら。この方が、こんなお顔を見せてくださるなんて。
わたくしの胸はずっと高鳴りっぱなしだった。
「はい。わたくしを、あなた様の妻にしてくださいませ」
……状況も答え方も、いけなかったと思うのよ。
わたくし達は、そのまま……。
翌朝、アンドレア様はメイドにしっかり口止めをして、わたくしが恥をかかないようにと隠蔽してくださった。
とっても恥ずかしかったけれど……ばれてしまっても、わたくしはよかったのに。
実際、皆に知られてしまったほうがよかったのだと、その頃はわかるはずもなかった。
■ ■ ■
光と花に満ち溢れた庭を、愛しい人と腕を組んで歩く。
時おり過去の情景が浮かんでは消えた。その中には、わたくし達が初めて出会った頃の出来事もある。
愛しい人の隣にいた青年の顔だけは、何故かインクをつけた布でぐしゃぐしゃに塗りたくったように、何も見えなかった。
あれはどなたなのだろう。
きっと、記憶に留めるほどの方ではなかったのね。そのうち存在していたことすら忘れるかもしれない。
それを特に悲しいとも寂しいとも感じないのだから、やはりその方とはさほど関わりがなかったのだろう。
お義父様とお義母様がテーブルの前で待っている。
枯れることのない花々に囲まれ、今日も皆で楽しくお茶会をする。
わたくし達の結婚式をどのようにしようかしらって、おっとりしたお義母様がとても張り切っていらして、お義父様がタジタジになっているのが可笑しいの。
陽射しの下、ふわふわと足元から光の欠片が散る。
欠片は少しずつわたくし達を包み、穏やかで満ち足りた幸福感が微睡みとなって訪れる。
昔は苦手だった笑顔が、いつの間にか自然に浮かべられるようになったのよ。
わたくしが今どんなに幸せなのか、この気持ちをあなた達へ伝えられたらいいのに。
どうやって伝えようかしら?
それを考えるだけでも、胸がとっても温かくなるのよ。
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