巻き戻り令息の脱・悪役計画

日村透

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蜘蛛の処刑台

121. 檻を築く -sideルドヴィク&ジルベルト

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『こんにちは、あなた。息子が領地で大変な思いをしているというのに、あなたはここで何をしていらっしゃるのかしら?』

 美しい女神が微笑んで問う。その瞳は青く煌々と輝いていた。
 友人に招待されたパーティー。女は招待客に含まれていないはずなのに、何故彼女がここにいるのだろう。
 見れば周りを固めている騎士には公爵家の紋章があった。これで押し通ったのか。
 忌々しくも無視をして、別のテーブルへ行こうと立ち上がり―――

 パン!

 ―――一瞬、何があったのか呑み込めなかった。

『言葉の理解できない方には、こうご挨拶すべきでしたわね。失礼いたしましたわ』

 ふ、とそれはもう美しく微笑むと、女神はきびすを返し、騎士を引き連れて鮮やかに退場した。
 ……周りから微かに、嘲笑が聞こえた。
 こらえきれない、噴き出し嗤い。
 ジンジンと響く頬に触れる指が、震えていた。

 離縁。それが何度となく頭をよぎっていた。
 従順さの足りない生意気な女を追い出してやろうと。
 だが、それをしても無意味だった。あの場にいただけでも、もし彼女が離縁されたら口説こうと狙っている男の気配は数え切れなかった。

(あれが自由の身になるのを待っている筆頭は、もしや公爵か)

 護衛騎士を手配したのは息子のルドヴィクだと知らないフェランドは、公爵が独身であり、親子全員がオルフェオと親しいとあれば、世間にはばかる理由がないと考えた。

(忌々しい……何もかも、あれが余計なことをしなければ)

 お喋り好きのくちばしが、「あなたの奥方はご長男とあやしげな関係になっているのでは?」と遠回しに下衆ゲスの勘繰りを入れてきたことがある。それを利用しようかと思いかけたこともあるが、当の長男が男とくっついたせいで、その連中はコソコソと消えた。
 しかも、通常は金で爵位を買った男など蔑みの対象になるものなのに、アレッシオ=ブルーノは爵位を求めた動機とその手段から、逆に称賛を浴びる結果となっていた。
 特に上流階級の女達の間で、唯一の主君への愛情とやらでそこまでやってのけたブルーノ準男爵は非常に人気がある。
 そして男達の間でも、そんな男に忠誠を誓われているオルフェオという人物への興味と評価が上がっていた。

 忌々しい。

 イライラと酒杯を傾けながら、フェランドは、しばらく前から自分の部下の姿を見ないことにうっすらと気付いていた。
 それもたった一人ではなく、全員だ。
 見ないからといって、どうということもない。自分から呼びつけるなどプライドが許さない。
 広大な館の中で、ごくわずかな使用人しかおらず、その顔ぶれが最近はやっと変わらなくなっていることも、ほとんど意識をしていなかった。
 彼らがびくびくおどおどとフェランドの世話をしながら、裏では行動を逐一監視し、その情報を売っていることも、彼にはもうすべてがどうでもよかった。

 ひたすら、考え続ける。
 あの生意気な長男を野放しにしたのは間違いだった。すべてあれのせいだ。道化として無様に破滅すればよかったものを。あれを破滅させるにはどうすればいいか。輝かしい日々を取り戻すには。
 そればかりを、繰り返し。

 突然、ドアが開いた。
 許しも得ずに、何事だ。
 苛立ちを隠さずにそちらをねめつけ、フェランドは目をみはった。

 イレーネ?
 いや、違う。男だ。
 彼女とそっくりの黄金の髪に、澄んで輝く空色の双眸がフェランドを見据えている。
 顔立ちにやや幼さが残るものの、天上から舞い降りた断罪の天使が、人の形を取ればこうなるであろうと思わせる青年だ。

「何者だ」

 答えず、ズカズカと大股で近付いてくる。
 予備動作もなく青年の拳が炸裂し、フェランドは椅子の上から吹っ飛びそうになった。



   ■  ■  ■ 



「離してください!! あと五~六発は入れてやらないと気が済まない!!」
「落ち着け。この男の口が壊れたら尋問官が困るだろう」
「喋らせたってどうせろくなこと言いやしませんよこの男は!!」
「兄弟揃って血の気が多いな……オルフェがびっくりするぞ?」
「兄様ならこんな僕でも可愛いと言ってくれます!!」
「―――……言いそうだな」

 黒髪の美丈夫が、背後から金髪の青年を羽交い絞めにしている。
 飛びかけた意識でぼんやり眺めているフェランドに騎士がサッと近付き、落ちそうになっていた身体を椅子へ元通りに座らせると、切れた口へ大雑把な応急処置をした。
 頑丈で重みのある椅子だから倒れなかったが、そうでなければ椅子ごと吹っ飛んでいただろう。

 混乱からまだ抜け出せない目の前で、騎士達は勝手に二人へ椅子を運んだ。そう、この二人だけでなく、室内には何名もの騎士の姿がある。
 公爵家の紋章だ。

(何の用だ……)

 ようやく頭が回り始め、口の痛みと鉄の味に顔をしかめるフェランドの前で、黒髪の青年は悠然と、金髪の青年は鼻息も荒くドカリと座る。
 無礼なくせに、やけに気品のある二人の姿に苛立ちが募った。

(―――ルドヴィク=ヴィオレットか)

 最近、本格的に父親の仕事を手伝い始めた、と噂で聞いた。だから何だというのだ。しょせん手伝うしか脳のない小僧だ。
 もう一人は……この髪、この瞳、この容姿……。

(あの女の、息子? ……こんな姿だったか? 義父であるこの私に、このような……)

 すっかり義兄に影響を受けて、同じような無礼者に育っていたらしい。顔を見せて早々に義父へ乱暴を働くとは。しかし咎めようにも、口の痛みが邪魔をする。
 ルドヴィク=ヴィオレットは側近の男から、何やら分厚い冊子を受け取っていた。

「まず言っておくが、別に喋らなくともいいぞ、フェランド=ロッソ。おまえは我々の話を、ただ聞くだけで良い。尋問をしに来たわけではないからな」
「……?」

 糸で綴じ、のりで丁寧に固めた冊子の内容を、ルドヴィクは淡々と読み始めた。
 それは先日ロッソ領から届けられた、フェランドという男に関する過去の『シナリオ』―――それを公爵やジルベルト、一部の関係者とともに書き写し、一部修正を加えたものだった。
 修正点は、オルフェオの実父に関する部分。これはそのまま表沙汰にすると、面倒な輩が湧いてくると想像がついた。

 フェランドの味方をしたい輩は、血縁上の甥であるオルフェオが後継者を名乗ることに難癖をつけるだろう。
 ヴィオレット公爵家にすり寄りたい者は、正当な後継者の立場を奪ったとされるフェランドの罪を問い、その子供であるジルベルトやシルヴィアの排除を唱えかねない。

 この期に及んで、落ちぶれたフェランドの味方をしたい輩がいるのか。
 ―――いるのだ。この冊子の中に書かれている。フェランドの
 ゆえにその部分は、ただ単にフェランドが美しいエウジェニアにふられ、その逆恨みで兄から奪い、彼女の子であるオルフェオにも歪んだ憎しみを抱いた……という流れに変えた。

 ルドヴィクが読み進めると、フェランドの瞳に動揺が走った。まさか、何故、と顔に書かれている。己の行いが暴かれた者の顔だ。エウジェニアのくだりでは屈辱と怒りに顔を真っ赤にしていた。
 だが読み終える頃には開き直ったか、口の痛みに耐える様子を見せつつも平然としていた。
 自分が罰されることは決してない。そう確信しているのだ。絶対に自分だけは安全な場所にいると。

 しょせんそれらはつくりごとに過ぎない。下民のたわごとをいくら寄せ集めようと、そんなものが何になる。
 証拠はあるのか? そう言いたげだ。

(こうも崩れ落ちた男を前にして、憐れみの一片すら湧かんというのも珍しいかもしれん)

 そうルドヴィクは思った。

「私のクラスメイトだった者で、国内外を問わず、物語に詳しい友人がいる。今も時おり会って話すのだが、彼に教えてもらった話の中に、巨大な蜘蛛の化け物の話があった」
「…………?」
「術師がその化け蜘蛛を倒すと、そこにいたのはごく小さな蜘蛛だった……という落ちだ。今のおまえは、その小蜘蛛のようだな。巨大な頃は怪物として恐れられていても、まやかしが解ければ何もできない、取るに足りない存在でしかない。自分が小さくなっていることにすら、まだ気付けぬ程度の」
「……ッ!!」

 一瞬ぎらりと殺気をほとばしらせ、それでもまだ、優雅な紳士としての態度を崩そうとしない。ルドヴィクを見下し、自分が優位に立っているかのような視線で足を組み直す。
 ジルベルトは、この男の口を封じておいてよかったと思った。態度だけでもいちいちかんに障るのに、紳士ぶった弁舌などを聞かされた日にはこの場にいられなかったかもしれない―――うっかりってしまいそうで。

「誤解しないで欲しいのだが、本日我々はおまえを捕縛しに来たのでも、尋問しに来たのでもない。守りに来たのだ」
「?」

 フェランドの瞳にわずかに動揺が走った。「何を言っている?」と問いたげだ。
 ルドヴィクもジルベルトも、それを親切に説明してやる気などなかった。

 フェランドはルドヴィクの持っているその紙になど、何の効力もないと思っている。だから自分を罰することはできないと確信している。
 ―――だが残念ながら、フェランド=ロッソは罪に問われるのだ。今は単に手続き上の日数がかかっているだけで、逮捕状が必ず出る。

(きさまが無価値と見くびっているこれは、今回、証拠として採用される流れになるのだよ。生憎だったな)

 山ほどの人間による証言のかたまりとして。
 そのためにルドヴィクとジルベルトが、あらかじめここに来た。

 その日が来るまで、この男が逃亡できないように。
 この男の『友人』の誰かが、この男を消してしまわないように。
 今やこの王都邸は公爵家の騎士と、王都警官隊によって囲まれていた。


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