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蜘蛛の処刑台
114. 花の意味
しおりを挟む今朝から少々遠めに足を延ばしていたアレッシオは、夕方より早い時間帯に帰ってきた。
視察なら一緒に行こうかと思ったんだが、俺の裁可が必要な書類がそこそこあったもんで、残念ながらお留守番だった。結局、早く終わったんだけどね。
周囲からの生ぬるい視線へのスルースキルを日々磨きつつ、「乗馬服姿のアレッシオかっけぇ、足なげー……」と見惚れたあと、まずは見せたいものがあったので、庭の離れへと連れて行った。
エウジェニアの花壇だ。
「ほら、これ。まだ小さいが、たくさんあるだろう?」
「本当だ。これが蕾になるんですね」
「来月頃には咲くらしいぞ」
庭師のおっちゃんがにこにこ頷いてくれた。
園芸に詳しくない俺は、「花を植える」というと、つい種を地面に植えて育てるのを想像してしまうけれど、実際は庭にあるほとんどが苗から育てられていた。
館周りの大掃除と修繕がひと段落ついてから、改めてこの場に植え直され、すぐ寒い季節に入り、咲くのは今回が初めてになる。
赤茶色の煉瓦が丁寧に積み重ねられ、周囲の植木も徐々に育ち、荒野のようだった以前の更地と比べて、格段に清々しく明るくなった気がする。
「ここからこの辺りまでが赤だ。ここが茶色、こちらが緑、橙、あちらが紫、黄色、赤と黄色の二色、空色もあるぞ。同じ薔薇なのに、こんなに色の違う花が咲くとは面白いな」
「茶色もあるんですね」
「あまり出回っていない珍しい色だが、苗を確保できたそうだ」
「赤の隣?」
「隣だとも!」
「それはいいな」
当然じゃないかと力いっぱい答えてやれば、くすくす笑われてしまった。
ふん、笑うがいいさ。この先ずっと思い返しては和むがいい!
ちなみに俺は『花を植えてくれ』と言っただけで、何の花がいいとは指定しなかったけれど、庭師のおっちゃんは薔薇をチョイスしてくれた。それも六月頃に咲き、色のバリエーションが豊富な種類の薔薇だった。
この国でも薔薇の花は愛情の象徴とされている。『俺』のいた世界では、花弁の色ごとに花言葉が違うとか、贈る本数によって意味が変わるとかあったけれど、この世界にそういう複雑なのはない。
薔薇はシンプルに愛の証だ。何色でも、一本でも、百本でも。ただし、恋人に最初に贈る薔薇は一本、ていうのはある。
アレッシオが俺にくれた一輪の薔薇は、多分俺の実用主義な性格を前提に、ピンにもブローチにもできるデザインにしてくれたんだろうけど、今後使う機会はないと思う。うっかりでも何でも、かすり傷ひとつ付けたくない。だから眺めては溜め息をついて、そっと箱に仕舞い直すのがお決まりだった。
六月というのは、エウジェニアが初めてこの本邸に足を踏み入れた日の月だ。彼女の誕生日は誰も知らない。エテルニアの彼女の実家は潰れ、貴族籍から削除されていたため、嫁に行った令嬢の生年月日の記録は残っていなかった。ならばとこの国の貴族院に問い合わせてみれば、名前と年齢の登録はあれど、生年月日が不明だという。
男に比べて女性の記録は、王族でもない限り結構適当なんだ。今はもっとしっかり記録されるけれど、二十年ぐらい前はガバガバ。
でも庭師のおっちゃんは、庭の隅っこで父親と一緒に綺麗なお姫様をお迎えした日のことを憶えていた。それはちょうど、この種類の薔薇が咲いていた日だったんだそうだ。
その頃は、まだ彼女は穏やかに微笑んでいた。初めて訪れる土地への不安を、儚げな美貌に時々覗かせつつも、お祖父様やお祖母様に迎えられ、精一杯の笑顔を見せようとしていた。
彼女を憶えてすらいない、ろくに意識にものぼらなかった俺が、どうか幸福であれと望むのは、ただの自己欺瞞だろうか。
「ところで、ラウルはどこに出かけたんだ?」
アレッシオが戻るのと入れ違いにラウルが出かけ、ニコラは執務室に籠もるようだ。何か緊急の案件でも舞い込んだかと思えば、そうではないらしい。
「私の憶測といいますか……ラウル殿は裏取りに協力を、ニコラ殿は過去の記録をまとめてくれるそうです」
「憶測?」
「のちほどお話しします。その件でニコラ殿に二~三指示がありますので、私の部屋でお待ちいただけますか?」
「わかった。軽食でも運んでおくか? 腹が空いているだろう」
「時間を置いても食べられるものがあれば有り難いです」
「うん?」
「先にあなたを食べたい」
「! ……わ、わ、わかった。うむ」
不意打ちの耳元でそのセリフはやめていただきたい。腰が砕けて立てなくなるから……!
初めての時、一番俺を苦しめたのは筋肉痛だった。
けれどそれも、治ったらもう一度して、また回復したらもう一度……というのを繰り返すうちに、身体が「これはよく使う筋肉なんだねオッケー!」と学んでくれたようだ。
若者の順応力と回復力ってすげぇな……なんて妙な感動をしてしまうのは『俺』の感覚か。
アレッシオが巧いというか、俺は昔より頑丈になったんだからおまえの好きなようにしていいんだぞと許可をしても、本当にダメージを残すようなやり方を絶対にしないからだとも思う。
優しい。好き。……これ定期的に来る症状だから大目に見て欲しいな、と、誰へともなく言い訳してしまう俺。
本当に、ふと気が付いたらあいつのことばかりを考えてしまって、我ながらやばい。仕事中毒脳が強制排除されたと思ったら、代わりに新婚脳が居座っていた。
それでも、庭でお姫様抱っこなんてされてたまるか! と根性でアレッシオの部屋に向かい、パンや飲み物を準備したあと、勝手に風呂をいただいた。念入りに身体を洗いまくって、俺が無事に浴室から出たのを確認してからメイド達がすすす……と退室。
これからするんですねと確信されている証拠が、彼女らに用意されたナイトガウンだ。俺のじゃなく、アレッシオのやつである。
「ふ……大昔、初めてアレッシオの執事部屋に泊まった時はシャツだったな……」
遠い目になりつつ、ぶかぶかの袖に腕を通しながら独りごちた。
今までこの国の貴族の寝間着は、男女ともにワンピースタイプが主流で、平民の男性は普段着のシャツとズボンを穿いて寝るものだった。あちらの世界で使っているようなガウンがなく、ラウルくんにこんなのできないかなと簡単なイラストを渡してみたところからの商品化はもはやセットだ。
手触りはもちろん、使い勝手がすごくいいと人気らしい。羽織り物じゃなく、これ自体をパジャマにしている人の割合のほうが多いかもしれない。
もし今アレッシオのシャツを着たらどうなるかな、と気になるけれど、貴族用の服は平民服と違いかなり高価だ。あのシャツを着て寝るのは、シワがつかないか布が伸びないか、そればかり気になって安眠できそうにない。
ナイトガウンをいつ頃作ってもらったのか、もう俺の記憶は定かじゃないんだが、私服を着て眠る習慣のあったアレッシオは爵位を得てからも以前の平民服を寝間着にしていて、これが売り出された時は大いに喜んだそうだ。
―――売り出す前にプレゼントしとけばよかった俺のバカバカ、と悔やんでも後の祭りだ。
ところで、パンツをどうしよう。
これはちゃんと俺のが用意されているんだが。
「…………」
穿かなかった。
そんなわけで。
体力も万全、いつでも召し上がれ状態に己をセットし、一人掛けのソファにぽすんと身体を縮めて座ったあたりで、アレッシオが戻ってきた。
彼は俺の姿を認めると、ふわりと微笑みかけてくれて、ただいまも何も言わずさっさと風呂へ直行した。
これは……骨まで綺麗に食べられるコースだな……。
緊張と不安と期待でドキドキしながらさらに小さくなり、ソファの上で膝を抱えた。もう何度もしているのに、こういう瞬間だけはどうしても慣れない。やがて彼が風呂から上がったのを耳で捉え、視線が定まらなくなるのもいつものことだ。
「あ……」
ふわりと石鹸の香りが鼻腔をかすめた。布越しに皮膚から感じる熱気。アレッシオの腕。いつものように抱き上げられて、ベッドまで運ばれるんだ……と思ったら。
その場で足首を持ち上げられ、ぐいと大きく開かされた。
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