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蜘蛛の処刑台
113. 子猫と他愛のない考察
しおりを挟む「さぁぁ~てアムちゃん、いきますよぉ~?」
「み~っ」
「えええい、てやっ」
「みゃんっ♪ みゃみゃっ♪」
エルメリンダが右手と左手に羽根飾りの玩具を構え、シュバッシュバッと繰り出している。
さすがだな、とうとう二刀流を会得するとは。
うっきうきで飛びつく子猫。楽しそうである。ミラも「お仕事中にいいのかしら…?」と思っていそうな顔で、しかし子猫がぴょんぴょん飛びつく姿を目で追わずにいられないようだ。
いいんだよ? それ仕事だから。俺がそう決めた。
五月初旬。メイドと毛玉の戯れに耳を澄ませながら、俺が何をしているかと言えば、自室で調査書に目を通している。
本来であれば社交シーズンであり、余裕のある領主は王都に出かけて社交に精を出すんだが、俺は領地に引っ込んだままだ。
だからといって多忙というわけでもない。感覚的に週休四日ぐらいで、のんびりとした日々が今も続いている。もともと社交シーズンは領主業が暇になりやすい時期だし、ロッソ領も激烈に多忙だった時期は冬が来る前に終わった。皆が越冬できるように強引にでも終わらせたというかね。
家や土地を失った人々にも、各地の復旧作業なんかの仕事が与えられ、難民化した者がいない。作物の被害は大きかったけれど、備蓄の分と、他領からどんどん運び込まれる分とで、民の食べる分は確保できている。
だから俺は、この機会にお祖父様やアンドレアを再調査してみた。
まず、アンドレアが下戸であったという事実。これは本当に、あの小領主以外に知る人物が存在しなかった。
アレッシオは俺と酒を飲み交わしてみたいな、って言ってくれたけど……巻き戻り前の俺を思い出すとさ、やっぱりどのみち無理だったんじゃないかという気がしている。
俺、大きな声では言いたくないんだけど、酒に強いタイプじゃなかったんだよね……。
ぶっちゃけ、苦手なのを隠して、飲めるフリをするタイプでした。
グラスに酒をそそいでさ、香りを楽しむフリでちびちび舐めて格好つけるっていうのを、あの頃はよくやっていたんだよね……かっこ悪~。
ただ、「飲めない」って正直に言うほうが格好悪いと、あの頃は本気で思っていたんだ。
だからアンドレアが、恥ずかしくて人に言えなかった気持ちがよく理解できるんだよ。
間違ったマッチョイズムというか、酒に弱い男は恥ずかしいっていう風潮が実際にあるんだ。
体質的にどうしても受け付けない者もいるんだっていうのを、軟弱物の負け惜しみとか言う奴もいるし。俺はそいつらの言葉を真に受けてしまって、多分アンドレアも無視できなかったんだろうな。
ただ、酒精のかなり弱い、ほぼジュースかっていうやつなら飲めなくもなかった俺と違って、アンドレアは舐めるのも無理だったっぽいんだよ。
それなのに、人前で絶対に飲酒をしなかったにもかかわらず、どうして『酔っぱらって転落』を不思議に思ってくれる者があんまりいないほど、アンドレアの放蕩の噂が広まっていたのか……どこから広まったのかを調べようと思ったんだが、これが難航した。
つい最近の噂じゃなく、もう二十年ぐらい前の噂だからな。年齢的に亡くなっている人もいるし、行方のわからない人もいるしで、出どころまで遡るのはやっぱり不可能そうです、ていうのが手元の調査書の結論だった。
お祖父様達の馬車の事故の件も調べてみた。現場になった場所は、事故直後に溝の埋め立てや道の拡張工事がされていて、もう調べようがなかった。
けれど馬の件を調べるとあやしいにおいしかしない。お祖父様とお祖母様の乗った馬車の馬が一頭、急に暴れ出したのは、胃の内容物を吐きそうになって喉を詰まらせたからだそうだ。病で胃が弱っていたらしいとその時に判明し、『不幸な事故』と結論が出てしばらくして、厩番が辞めている。さらにその後、こいつも事故で亡くなっていた。川に転落したんだそうだ。
実は病の兆候があったのを隠していたんじゃないのか? もしくは、馬の餌に何かを混ぜたか。
これも、もう調べようがないんだよな……。
最後に、エウジェニアも調べてみた。
当時、彼女の世話係はみんな高齢のメイドだった。高齢だからみな、もうお亡くなりだ。
身内の人々に聞き取り調査をしてみたけれど、やっぱりみんな「奥様は気が触れていらした」しか聞いていないそうだ。知っているのに隠しているという素振りもなかったという。
ただ、少し気になる証言が一件だけあった。何故彼女がおかしくなったのがわかったか、だ。
最初は穏やかでお優しい奥様だったのに、急に支離滅裂なことを言い出し、否定すると怒り出した。
その『支離滅裂なこと』の内容は不明だ。とにかくおかしなことを言うので、それは違うと訂正したら、「そんなはずはない、嘘つき!」などと喚き出した……そんな感じだそうだ。
奥様がおかしくなられて、旦那様はお可哀想だと、以前はみな思っていたそうだ。これはあやしいよな。あやしいけど、やっぱり詳細がわからないんだよな……。
嵐の日、エウジェニアの花はやはりカバーごと全部吹っ飛ばされていたので、もう一度同じ場所に新しく植えてもらった。それが今はすくすく育って、今は緑の葉が茂っている。庭師のおっちゃんが花壇も丁寧に整えてくれた。綺麗に咲くといいな。
「みゃ♪ うみゃっ♪」
「ふふふ~、そうはいきませんよ~?」
「みゅっ!? みゃみゃっ」
捕まると思った羽根がシュバッと逃げ、子猫はハッスルしている。
どれもこれも手詰まりで、調査書もすべて『再調査は不可能』で終わっていた。
頭を休めるために、俺もミラと一緒にほのぼのと観戦することにした。
乙女ゲーム《天使と愛の輪舞を》に出て来る不思議要素は、ヒロインの能力、すなわち『天使の祝福』だけだ。
ゲームの中で天使の奇跡はたくさん出ていても、『悪魔』を匂わせるものはなかった。
裏設定の中にもないし、ボツ案にすらない。子猫は完全に、あのゲームとは一切の関わりがなく、ゲームの影響を受けていないその他大勢の『キャラ』の一人、いや一匹と言える。
もし仮に、この子猫がゲームキャラとして登場するなら、どういうキャラになったんだろう?
なんとなく俺の主観になっちゃうけど、敵のラスボスってことはなさそうなんだよなぁ。
どちらかといえばお助けキャラだよ。裏路地に行けば会えて、不思議な商売をしていそうな子猫。呪いの子猫の手とか売っていそうだ。
もしくは、何かを対価に願いを叶えてくれる不思議猫。
ゲームストーリーでイベントをクリアし、アイテムを手に入れて、そのアイテムを持って裏路地に会いに行けば、それを消費して願いを叶えてくれる奴。
でも要注意なのは、アイテムがないのに願いを叶えてもらおうとすると、自分の命が対価になっちゃうよ……とかね。
アイテムがあればピコンと別の選択肢が出て、なければ出ない。願いは適うけど、そのままBADエンド。
でも俺の場合、BADエンドなんだろうか? アイテムなんて入手不可能な状況だったし、選択肢なんて出やしなかったけどさ。子猫が来てくれなきゃ、俺はあの冷たい牢の中で終わってそれきりだったんだ。
今の俺が、この光景がすべて、なにひとつ存在しなかったんだから。
それに……
「閣下。先ほどアレッシオ様がお戻りになりました」
「わかった、すぐに行く」
どきんと胸が鳴った。
……それに。アレッシオっていう、恋人も、できなかったし。
軽く顔を振って熱を散らし、俺はいそいそと出迎えに行った。
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