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ロッソを継ぐ者

102. 空を来る -side……

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 老人は以前、ここからは遠い西の港で船乗りをしていた。
 南の海に細かく散らした島国があり、それなりに賑わっている港だったが、年齢とともに足腰が動かなくなり、引退して数年が経つ。
 息子夫婦の家で世話になりながら内職をする日々だったが、ある日、偉い人に呼ばれて、仕事をもらえることになった。

 遠い東にある港での、見張りの仕事だ。
 そこには同じような経緯で漁村から呼ばれた老人が二人いた。お互いよくわからないままにご立派な制服をもらって、朝昼晩と交代で見張りをする。
 勤務中に酒を飲んではいけない。それを破ったら給金は出ない。
 制服は港の巡回をする下っ端の兵士様に似ていた。酔って暴れて海に飛び込む阿呆がいるから、そういうのの見張りをやれということなのだろう。

 血気盛んな若造どもが、喧嘩で誰かを放り込むかもしれない。自分達は見張りなのだから、それを見つけたら報告するだけでいい。多少ガタついた身体でもできる、気楽な仕事だ。

「逆に俺らみてぇなのが向いてるんだろ。体力ある奴ぁ船に乗っちまうからな」
「だな。若いモンは見張りなんざボーっとやってられっかって奴も多いしなぁ」
「バカにすんなって酒かっくらって、クビにされてわめくんだろうよ。俺らはトシ食ってるから気楽でいい」

 交代で眠っているが、みんな起きている時間もある。たまたま同じ仕事をする奴が話の通じる奴らでよかった、と老人達は笑った。
 港を見張れ。特に海の向こうに何かがありそうであれば必ず報告しろ。
 その命令に、少し奇妙だなと思いはしても、「重要な仕事をこんな老いぼれにやらせはせんだろ」と思った。

 たまに休憩時間に酒を飲む。給金をちゃんともらいたいから、へべれけにはならないよう、互いを見張り合って気を付けている。
 この辺りの船乗りが遊びに来ることもあった。たまに以前からの顔見知りもいる。西の港まで行き来する船の船長だ。
 変わった話をみんな聞きたがる。あちらでは普通の話が、どれもこちらでは珍しい話だ。同じ国でも、滅多に行けない遠い場所は異国とそう変わらない。
 現役の船乗りが眩しく、己の若い頃が懐かしくもあるが、彼らはこの生活をそれなりに気に入っていた。

 そんな生活が何年か経ったある日、老人は久々に故郷の夢を見ながら覚醒した。
 頭が重い……。
 翌日に響くほど酒は飲まなかった。
 全身がずしり、と重怠く感じる。

 今年は去年より暑くはなかった。けれど真夏の熱がずるずると後を引いている感覚は、去年より長い気がする。
 そのせいだろうか。夜明けの空気を吸った。深く。

「…………」

 頭が重い。
 纏わりつく。
 重い……。

 起き上がった。昨夜は着替えが面倒で制服のまま眠った。足に靴をめ、寝台から床に下りた。
 見張り小屋のすぐ外は海だ。ぎしぎしと木板の床を踏みながら露台へ向かう。陽は昇り始めて間もなく、もう少ししたら暑くなってくるだろう。
 そこに先客がいた。同僚の二人だ。じっと無言で海を眺めている。老人は彼らの隣に立ち、やはり無言で海を見下ろした。
 波を。
 何もおかしいところはない。
 顔を上げた。遥か遠く、空と海の境界線に目をこらした。
 遠く遠く、海の向こうを。



   ■  ■  ■ 



 港の総監督、という地位を与えられ、青年は心の中で歓声をあげていた。
 ところが、同時に与えられた密命にドッと冷や水を飲まされた心地になる。
 運が良いと思った。だが実際は、まずい時に任命されてしまったかもしれない。

『この者達がもし―――……』

 遠くの港や漁村で船に乗っていた老人達が、ここで見張りを務めている。青年にも彼らにも詳細は伝えられていないが、ただ『その時』が来れば総監督たる自分に直接報告を上げるよう指示が出されているという。
 それから、いくつかの船の船長が同様の報告をしてきた場合も、同じく彼がそれをせねばならない。

『―――海から、何か脅威があると報告してきた場合……』

 荒くれどもの喧嘩程度ではなく、脅威だ。

(もしかして、どこかと戦端が開かれるのか?)

 ずっと平和だったのに、実はどこかの国と険悪になっているのだろうか。大昔は海賊との海戦もあったというし、他国ではなく反乱軍かもしれない。
 実はそういう、きな臭い気配があるのだろうか。なんてことだ……。
 しかし名誉な地位を簡単に捨てられはしない。親兄弟・親戚・友人の全員に、もう自慢してしまった。放り出して逃げたら、どこにも行き場がない。

 戦々恐々としつつ、およそ四年が経ち、青年の気分も少しゆるんできた。あの後も他国の情勢などに敏感になっていたが、どうも自分の勘違いだったのではと思えてきた。やはりどこの国ともやり合いそうな気配がない。
 ならばあの密命は何なのだろう。

 慣れというゆるみのおかげで、彼の中から敵前逃亡の文字も薄れた。
 そんなある日、ずっとおとなしかった老人達が騒ぎ始めた。

「全船に出航を取り消させてくだせぇ」

 別に声を張り上げているわけではない。だが全員が険しい、鬼気迫る顔で同じことを言う。ずっと何も言ってこなかったのに、いったい何なんだ。
 彼の仮住まいもまた海のすぐ近くにあり、老人達の要望はすぐに届いた。

「空がどうしたというのだ。別に何も変わらんように見えるが?」
「向こうのが変わっとる。色の違う雲と雨の壁がこっちへ来やがるんだ」
「え……いや、そうは見えんが」
「これからもっとハッキリしてくるんだ。波も少し立ってやがる」
「先に風が来る。来てから慌てるんじゃあ遅い」

 やはり、青年にはよくわからない……だが、お次は船長達が騒ぎ始めたと報告が飛び込んできた。

「急に出航を取りやめた者達がおります。彼らが言うには、船を沖に向かわせない命令を出せと……」
「…………」

 船名を聞き、冷や汗がたらりと伝った。
 西の海の奴らだ。この老人達と同じ。そして、例の『密命』で密かに指定されていた者達だった。
 彼らは青年に与えられた命令を知らない。知らなくとも口を揃えて同じことを言ってきている。

「―――おまえらは、どのぐらいで、それが来ると思う?」
「その時々で違いまさぁ」
「ならば……早馬で、まずは上の判断を……」

 指示を仰いだほうがいいのではないか。そのような命令はされていないが、これがもし無関係だったら。先に確認したほうがいいのでは……。

「あっしらもこっちに来て、馬が飛ばしてんのを初めて見ましたがね。ヤツは空を通って来やがるんです。あっちのがもっと速いですよ」
「今すぐにでも、積み荷を全部船から引き揚げちまったほうがいい」

 ……間違っていたら。勘違いだったらどうする。これに従っていいのか。
 クビだけで済むのか。こんな決断をして。

「……港を閉じろ」
「はっ」

 青年は声を絞り出した。部下に老人達の対応を任せた後、足早にその場所へ向かう。
 違っていたらとんでもないことになるなと、未だに胸をよぎってしまうが。

(違っていなかったら)



 煙が高く立ちのぼった。まだ風はなく、それは天高く細く伸びる。雨風がない、もしくは弱い時にはこれを使えと言われていた。

 狼煙のろしだ。
 遠目にもくっきりと視認できるであろうあかい煙。これがどのように作られているのか彼は知らない。この国が百年だか二百年だか昔、他国と戦をしていた時に使われて以来、ずっと眠っていた建物。
 これが修繕されているのを目の当たりにして、どこかが攻め込んで来るのかと恐れたのだ……。

 間を置かず、向こうの空にも緋色の柱が伸びた。
 さらに向こうの空にも。次々と。


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