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ロッソを継ぐ者
93. アンドレアという人物の素顔
しおりを挟むロッソ伯爵領は遠い。地図上で見ればそれほど遠くないように見えても、蛇行している道があり、馬車という乗り物自体がそんなにスピードを出せないために、どうしても日数がかかる。動かしているのが馬なのだから、人間はもちろん馬の休憩だって必要だ。
曲がりくねっているのは大抵、大昔からそのままの旧道だ。攻め込まれにくいよう、細く蛇行した不便な道が望ましいとされていた時代の名残。アルティスタという国に統一され、時代が変わっても、地方に行くほど道は改善されていない場所が多い。
ロッソ伯爵領と王都は隣接しているわけではなく、間には他の貴族の領地がふたつ入っている。王都と接した場所は当然ながら栄え、そこまでは道の状態も民の暮らしぶりも良いが、そこを越えるともう完全に領主の能力と経済力の差があからさまに出る。
「王都から遠ざかるほど寂れていくな」
「ここの領主はどうも、よい領主ではありませんね。こうも格差があるとなれば、これほどの土地を治める能力があるとは言い難いでしょう」
アレッシオが遠回しな言い方をするのに対し、ラウルが「ここの領主はダメです」と一刀両断した。
王都を発った直後はイレーネやシルヴィアと一緒に乗っていたが、途中から俺は側近用の馬車に移った。アレッシオ・ニコラ・ラウルと話しながら道を消化していると、前回とはまるで見え方が変わっているのに気付く。
十二歳の時も通った道なのに、あの時は周囲に意識が向かなかった。あの頃より視野が広くなったのか、余裕ができたからか。
「閣下に敵対する者ではないと認識しておりますが」
「そうですね。とりあえず敵対者ではないので、害はないのが良いところですね。王都の方向ばかり見て、端をあんまり見ていないからこの状態なんです。流行り物が好きな領主なのでうちにも協力的ですよ、ただ仲良くしたいほど興味は持てませんけど。僕としてはこの領地より、ロッソ手前の小領主が気になります」
アレッシオは王都については裏も表も詳しいが、王都から出ればラウルに軍配が上がる。自然と説明役はラウルの担当になった。
ロッソ領の手前には下位貴族の領地があった。領主はかつてお祖父様に仕えていたという老人で、偏屈で無口という話だが、商会の人間には比較的当初から協力的だったらしい。
「ダメ元で商会の拠点を置きたいと頼んだら、快諾されて担当者が面食らったっていう話もあるんですよね。多くを語らない人らしくて、理由はわからないんです」
その領地は道が不便なので、領内の生産物を他領へ売るのにも難義し、全体的に豊かではない。だから道を改善したいと思っても、その資金がない。商会の申し出は渡りに船だった。
「でも決め手になったのは、アランツォーネがあなたの臣下だと名乗ったことだったんです。ロッソ領におけるあなたの評判が改善される前の話ですよ」
彼はお祖父様の臣下であり、俺が元主君の孫だからという理由なのかと、当初ラウル達は思っていたそうだ。けれど後になって、やはりその小領主が初めから俺に対して協力的だったことが窺え、引っかかるようになったそうだ。
「前回は素通りしてしまったから、その者に会ったことはないんだ。確かに気になるな」
「今回、そちらの領主館に滞在する予定ですが構いませんか?」
「ん、もちろんだ」
寂れた道から一転、その小領主の領地に入ってからは快適になった。商会の手が入り、領主館とロッソ領までの主要道路が整備されたからだ。
ラウルの家は骨の髄まで商売人を公言しているが、貴族だ。他家の貴族に、自分の領地へ手を入れられたくない貴族のほうが普通は多い。
なるほどこれは気になるなと思いながら、ロッソ領を目前として、あえてその日はそこの領主館へ泊まることにした。
そして俺達は予想だにしなかったものを目にすることになった。
領主館の周りに、ずらりと人だかりがあった。館の前には領主夫妻らしき人物と、使用人一同が並んでいる。
なんとなく近所の人も集まって手伝いに来てくれたような雰囲気も感じるが、とにかくありったけの人を集めて歓迎の準備をした、という感じだったのだ。
俺はここに着く前、側近の馬車から当主の馬車に乗り換えていて、そこから降りて領主の前に立ったんだが……いきなり泣き崩れられた。
そして白髪の領主は、シワシワだが働き者な感じのする両手で俺の片手を取り、跪いて泣きながら額に押し当てた。これは臣下が主君への忠誠を示す、古い作法のひとつだった。
「生き写しで、いらっしゃる……」
「お祖父様にか?」
「……いいえ……」
老人はしゃくりあげながら、小さな声を絞り出した。
「アンドレア様の、御代を、心待ちに……しておりました……」
俺はなんとも言えない気持ちになり、「そうか」と答えるしかなかった。
■ ■ ■
俺達は大所帯なのに、使用人まで全員がちゃんと泊まれるように手配してくれていた。
小さな領主館で、心づくしの素朴な晩餐を楽しんだ後、イレーネが「あとは殿方のお話がございますでしょう」と気を利かせてくれた。
イレーネと領主夫人が、お腹いっぱいで船を漕いでいるシルヴィアを微笑みながら連れて行き、食堂には俺と側近達、護衛騎士のジェレミアと副隊長のみがその場に残る。
領主は自分の醜態を詫び、これまでずっと口にしなかったことを俺達に話してくれた。
アンドレアが亡くなり、お祖父様やお祖母様まで亡くなって、いくらなんでもおかしいと思う者はいたらしい。けれど声をあげることができなかったのだ。
新たな当主となったフェランドは、王都でたくさんの味方を作っていた。そのどれもが高位貴族の友人達だった。
それに地方の田舎者ごときがどんなに騒いだところで、王都までは届かない。届く前にどこかで潰されてしまう。
フェランドが何かをしたという証拠はなく、すべてが偶然の不運として片付けられてしまえば、それがすべてなのだ。
何よりこの小領主は『御代』という言葉を使った。これは通常、王に対して使われる言葉だ。
アルティスタという国が出来る前までは、それぞれの土地を治める人物が実際に王だったのだ。何百年経った今でも、地方に行くほどその感覚が残っている。生涯ただの一度も生まれ育った土地から出ることのない人々にとって、領主の決めた法律がすべてであり、領主より上のものは存在しない。
「それでも声を上げようとした者は、姿を消しました」
なんとなくそうだろうなと思っても、改めて聞けば不愉快な話だ。
フェランドが王になってしまい、その王には大きな力を持つ友人が多いとなれば、地方の小物ごときいくらでも葬り去られてしまうだろう。そして本性を知らない、奴に幻想を抱いている幸せな連中だけが残った。
あるいは、口をつぐんだ者が生き残った。この領主のように。多分、ほかにもそういう者はどこかにいるんだろう。
彼は俺に対し、フェランドの息子ということで慎重になっていたそうだ。けれど、俺がフェランドへ明確な反逆をし始めたことで、奴とは違うことがハッキリわかったのだという。
どちらかといえば、お祖父様や―――長男のアンドレアに似ているのではないか。伝え聞く気質や容貌からも、その可能性が頭から離れなかったという。
「私の容姿は、お祖父様によく似ていると言われるんだが」
「大旦那様にも似ておられます。されどわたくしの記憶では、あなた様はアンドレア様に生き写しと言ってよいほどに似ておられます。あの御方は大旦那様よりもやや線が細く、お顔立ちも整っておられました。とても活動的で、馬はお好きでいらしたのに、乗馬がお苦手で……」
あ、俺だ。
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