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王の交代

92. その頃、もうひとりの執事は

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 公爵閣下はハッキリそうとは言わなかったけれど、閣下も陛下も、俺が領地で何をする気なのか注目なさっているんだろうと思う。
 観察自体は多分、ずっと前からされていたんだろうな。以前は監視という言い方をされていたけれど、そこまで悪意のこもったものじゃない。純粋に何が起こって、俺がそれをどうする気なのか、興味があるんじゃないかという気がしている。

 三月の後半、出発の日。雪どけ水の大半が川に逃れるか、芽吹く若葉に吸い上げられて各地のぬかるみも減った頃。

「すまないな、ジルベルト。しばらくおまえを一人にしてしまう」
「僕は一人ではありませんよ。それを仰るなら、兄様こそずっとお一人だったでしょう」

 そうだったな。こちらへ来た時は、エルメリンダと子猫と、護衛の従僕だけだった。
 ずっとおまえ達がいてくれたから、もうあの頃の記憶が遠くなっているよ。

 俺はジルベルトにハグをした。先日計った時、俺の身長は百七十六センチになっていた。骨格的にもうこれ以上は伸びないだろう……なんて以前も同じことを思ったな。
 設定では百七十三センチで止まるはずだった俺の身長。そして本来なら、まだこの時期には逆転されていなかったはずのジルベルトの目線が、ほんの少しだけ俺より高い。ハグをした時の頭の位置が、もう逆だ。
 よく食べてよく育てとは思っていたけどな。すくすく育ち過ぎだおまえは。

「健やかにな」
「っ……はい! 兄様こそっ!」

 返ってきた声が涙声だ。小さい頃はおまえのほうが泣き虫だったのに、最近では俺のほうが涙もろくなっているな。
 『兄様』という呼び方は、本当なら幼い呼び方だ。ある程度大きくなれば、『兄上』と呼び方を変えるものなんだが、多分ジルベルトはこの先もずっと、これを変えるつもりはないんだろう。

「アムレート。兄様を頼んだよ」
「ふみー」

 イレーネとシルヴィアもジルベルトと挨拶を交わし、使用人の皆と、公爵家から派遣された執事や門番からの敬礼に頷きを返しながら、皆それぞれ馬車に乗り込んだ。
 ロッソの家紋の馬車に、同じくロッソの家紋を掲げた騎士隊と、側近の馬車、使用人の荷馬車などが続く。
 十二歳のあの時からは考えられない大所帯だ。



 オルフェオ=ロッソ。王命によりロッソ伯爵代理となり、領地の安寧を命じられる。
 呼称は『若君』ではなく『閣下』に。
 ヴィオレット公爵より騎士隊を贈られ、ジェレミア隊と名付けられたその護衛隊とともに王都を発つ。
 この時、わずか十六歳。



   ■  ■  ■ 



 ロッソ伯爵領本邸にて、執事のセルジオ=ブルーノは、先触れの言葉に緊張をみなぎらせていた。
 いよいよか……。
 恐れからではない。武者震いに近いものだ。沸き起こったそれを誰にも悟られぬよう、彼はひっそりと深呼吸をした。

 ロッソ家の嫡子であるオルフェオが、己を縛り続けた不条理の鎖を粉々に砕くため、王都へ向かったのは四年前。そこからの逆転劇は、彼の息子が定期的に送ってくる手紙や、オルフェオの友であり臣下となったアランツォーネ商会の者からの話で、そこそこ詳しく知っているつもりだ。
 それらはまるで物語のようだった。ロッソ伯爵の子として、相応しからぬ日々を過ごしていたあの頃の幼子を思うと、商会の者と一緒に手を叩いていられる立場ではないのだが……。

(私も、あの方を悪童と信じていた頃があった)

 自分もまた彼を追い詰めていた一人だったのだと、あの頃のオルフェオを思い返すたびに悔恨する。あの少年がどれほどに孤独で苦痛に満ちた日々を過ごしていたのか、自分はまるで気付かなかったのだ。
 すぐに癇癪かんしゃくを起こす手の付けられないお坊ちゃまだと、本気でそう思い込んでいた自分を殴りたいほどだ。

(それにしても、アレッシオをどうするか)

 それまでスラスラ回っていた商会の者の舌が、自分の息子の話題になった途端にゴニョゴニョ要領を得なくなることから、父はなんとなくピンときていた。

 ―――息子よ。おまえ、なんということを……。

 若君のお人柄を見極めた上で構わないから、できれば誠心誠意お仕えして欲しいと伝えてはいた。
 ところが定期連絡の手紙に、あの息子らしくなく、オルフェオへの傾倒が少しずつ見え隠れするようになり。
 そしてとうとう半年ほど前、爵位を得るなどと言ってきた。それも『いつか』や『これから目指す』というレベルではなく、もう買いましたという事後報告だ。

「我が息子ながら……」

 セルジオはそれ以上、口にするのをやめた。自分の息子が貴族になろうというのだ、普通なら仰天するか歓喜するかのどちらかになるものだが、彼の中にあるのは諦めに似た、限りなく呆れに近い感情だけだった。

(申し訳ございません若君、我が愚息が。―――いや、これからは『閣下』とお呼びせねば)

 伯爵代理閣下、よい響きだ。王都あちらでは事実上、『代理』の肩書きなど無いも同じと見做されているようだし、いずれ遠からずその余分なものも消えるだろう。
 ……と、現実逃避をしている場合ではない。実の息子ではあっても、ブルーノ準男爵はれっきとした貴族だ。態度も口調も変える必要なしと本人の手紙にはあったので、遠慮なくそうさせてはもらうつもりでいるが、彼の部屋をどうするか。
 これがまた悩みどころだった。オルフェオの側近は全員ロッソの本邸に部屋を準備するように言われている。その側近達と同格の部屋にすべきか。
 だが、オルフェオとの関係性を考えると……。

(『執事兼側近』か。どう扱うべきなのだ)

 伯爵家において、ひとつの館に執事は二人も置かないし、連れ歩いたりもしない。息子の正式な職業は『側近』だ。だから『執事』の部分はオルフェオの個人的な望みなのだろう。
 その上、父親の背を見て育った息子は、幼い頃からずっと執事を目指してきた。父親としては嬉しいのでやめろとは言えないし、何よりあの息子の性格からして、断じてオルフェオの世話を他人任せにはすまい。それが敬愛する父親相手でもだ。

 オルフェオの使う部屋は、以前の子供部屋ではない。
 フェランド=ロッソの住んでいた、代々の当主が住む部屋だ。
 家具その他を残らず運び出し、内装をすべて変えるようにと以前より指示があり、既にまったく別の部屋に生まれ変わっている。
 オルフェオがもはや『当主の子』ではなく、当主その人として戻るという意思表示だ。

 もちろんフェランドの持ち物を廃棄処分にしたわけではない。むしろあの男の持ち物、特に書類などが部屋にあった場合は中身を吟味した上で別室に保管してある。万一フェランドがのこのこ舞い戻ったとしても、彼が泊まるのは客室だ。
 執務室もいずれオルフェオのものになる。出入りしていた部下達は代替わりの気配に戦々恐々とし、中には書類を一部持ち出して逃亡を図ろうとした者もいた。

 フェランドがいた頃はそれなりに忠実な面を見せていたが、こっそり美味い汁を吸っていた者もいたようだ。主人が戻らなくなった途端にどんどん手綱が外れ、ボロを出し始めた。
 かつて自分達がフェランドとともにやっていたであろうことを、今度は自らが受ける番になっている。

「やはり、隣か」

 当主の部屋にオルフェオが住み。
 奥方の部屋には、引き続きイレーネが住む。
 あの愚息の部屋は、そのイレーネとは反対側の隣の部屋にしよう。そちらは正式な跡継ぎ息子が住むべき部屋だった。とうとうオルフェオが使うことはなかったが……。

(部屋が近くなければもあるだろうからな)

 セルジオ=ブルーノはいずれ迎える新たな主君のために、てきぱきと指示を出し始めた。


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