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王の交代

88. アレッシオの『闇』

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「私は長居せずにおいとまするよ。あとはきみ達で楽しんでくれたまえ」

 公爵は颯爽と帰ってゆき、《秘密基地》では俺の誕生日パーティーが始まった。
 正式なものじゃなく、いつもより豪勢な夕食会なんだけど、どうやらみんながサプライズパーティーをこっそり企画してくれていたようだ。
 食堂ではなく広間に運び込まれたテーブルへご馳走が並び、ヴィオレット兄妹や従者トリオはもちろん、クラスメイト達までがどんどんやって来た。
 堅苦しい雰囲気にしないようにと、全員が制服のままだ。以前よくやっていた勉強会と似たような砕けた雰囲気で、ちゃんと自分で選んだというプレゼントを持って来てくれた。

 ラウルおまえ仕分け地獄が来るとか言ってたくぜにーっ!
 え、これとは別にも届いてるって? そ、そうか。
 でもなんていうかみんな、ほんとノリがいいねっつーか、こういうことされると泣くじゃんかくそー!
 考えてみれば、ちゃんとした誕生日パーティーって記憶にある限り人生初だぞ俺!?
 誰だ俺の目にタマネギ攻撃をしやがった奴は~っ!

 もうダメ……おめめが真っ赤です。明日から学園行けない……。



 上等な仕立てだけれど執事用ではない服装のアレッシオが、当然の顔で俺の給仕を始めたことには誰も突っ込まなかった。何か突っ込みたそうな視線は感じたけれど、見なかったフリをしたよ。ルドヴィカの瞳がそれはもう輝いていたとだけ言っておく。ジルベルトが全然止めないんだもんな。
 もちろんイレーネ親子もいたから、皆はそちらにも夢中になった。女神で聖母なイレーネも、可愛い妖精なシルヴィアも大人気。

 山のような祝いの言葉とプレゼントに囲まれ、美味しい食事をたっぷり堪能して、キリのいい時間帯にルドヴィクがお開きの宣言をしてくれた。俺のパーティーだけどあいつが仕切ってくれて助かる。俺からは言い出せなかったもん。
 皆も存分に喋って食べて楽しんでくれたようで、満足そうに「ごきげんよう」「またね」と挨拶を交わし合いながら帰っていった。
 酒を飲んでもいないのに、俺の足元は始終フワフワしていた。……あまり大声では言えないけれど、アンドレアの死因が『泥酔で階段から転落』ってなってたから、俺は飲まないようにしようって決めているんだよな。

 幸福と寂しさを噛みしめながらパーティー会場を後にし、足がフワフワしたままアレッシオに付いていく。
 すぐ宴会騒ぎに突入したから訊きそびれちゃってたけど、アレッシオの部屋はどこなんだ。まさか執事部屋じゃないよな?

「こちらです」

 俺の隣だった。この館の中で、俺の部屋に次いで立派な部屋だ。
 多分、この館の設計者の意図としては、俺の部屋が当主の部屋で、その隣が夫人の部屋、なんだよね……。
 ああうん、今の部屋を出て行けと言われるなんて思っていなかったから、もしかしてとは思っていたよ。
 入ってみれば、俺の部屋よりもグッとシンプルで質素な、でも落ち着いたアレッシオらしい家具の揃えられた部屋になっていた。

 エルメリンダがさりげなく一礼して去って行った……できるメイドだ。今、この部屋には俺と彼の二人きりである。
 どうしよう。めちゃくちゃ緊張してきた……。

「どうぞ、おかけください」
「あ、ああ。うん」

 ソファを勧められたので遠慮なく腰を下ろす。お、座り心地がいいな。
 小さな丸テーブルに、一人掛けのソファが二脚。アレッシオは座らずに、近くのワゴンで飲み物を準備している。
 座り心地がいいのになんだか落ち着かず、キョロキョロと部屋を眺め回す俺。
 あ、新しい外套コートがかけてある。アレッシオにめっちゃ似合いそう。あのペンは少し前から販売開始した分離型のガラスペンだ。ペン先だけ交換できるやつで、あれの軸は何だろう。

 ポットの中身をカップにそそぎ、俺の前に出しながらアレッシオはクスリと笑った。ふわりとたちのぼる湯気、ジンジャーの香り。俺の好きな蜂蜜ジンジャーかな。

「やはり、私のプレゼントのほうがかすんでしまいましたね」
「! そんなわけがあるか」

 九月にはもう貴族になっていたとはいえ、俺が知ったのは今日だ。とんでもないサプライズだぞ。
 家を守ってくれる執事も頼りになるし格好いいと思っていたけれど、これからは外出時にも堂々と一緒に行ける。何より、一緒に居てもアレッシオが咎められない立場になったのは、一番そこが気がかりだった俺には心底嬉しいんだ。
 しかも自惚れじゃなければ、こいつが爵位を得ようと決意したのは、俺のため……だよな。
 俺の、そういう不安を払拭するために。

「その、おまえの場合、貴族年金はもらえるのか?」
「それが、私のように金銭で得たケースでは出ないそうです」

 そうだったのか。じゃあ、爵位と貴族生活で必要そうな衣類その他を揃えたことで、本当にアレッシオのやつ、今までの貯金がほぼゼロに近い状態なんじゃないか?
 執事兼側近ていうことで給金を多めに提示したつもりだったけど、倍額でも少なかった気がしてきた。数年でひと財産築いた人材なんだから、もう少し……

「充分ですからね」

 読まれた!?
 おかしい、ここに子猫はいないはずなのに……!? いや、居たって俺以外には猫語にしか聞こえないんだけども!

「そ、そういえばおまえ、この数日間どうしていたんだ?」

 アレッシオももう一脚のソファに座り、カップに口をつけた。今までの完璧執事アレッシオなら、絶対に断りもなく座らなかったし、先に飲んだりはしなかった。
 今は『貴族の』アレッシオだから、ていうことかな。少しだけ気安さが増した感じがして、まだ飲んでもいないのに胸がほわっとする。
 俺も続けば、カップの中身はやはり、身体の温まるジンジャーと仄かに甘い蜂蜜の味だった。

「そうですね。まず第一に、内緒にしていたのはあの男を油断させるためと、あなたをビックリさせたかったための両方です」
「心底驚かされたよ。知らなければ演技の必要もなかったからか」
「ええ。そして、ロッソ邸を出てから今日までお傍を離れましたのは、私のとても個人的な……区切りをつけたいと思ったからです」
「区切り?」
「これからは平民ではなく、貴族としての心構えとふるまいを求められるようになります。私は執事という職業を天職と思っておりますし、昔も今も不満など一切ありませんが、常にあなたを見送らねばならないことだけが引っかかっていました。これまでお傍にいられなかった場所にまで付いて行けるようになりたいと、そのためだけに貴族になることを望み、叶えました」
「そ、そうか……」

 うぐぁ……生姜がきつかったかな。思い切りホカホカしてきたんだが。

「あくまでも私自身の、個人的な気持ちの問題なのですが。生まれ変わるような時間を、必要としたのかもしれません」
「うん……?」
「幼い頃に育った場所を見に行っていました」
「―――」

 飲み込んだ後でよかった。喉がおかしな音を立てるところだった。
 アレッシオの、幼い頃……。


 ゲームの裏設定。
 その設定が表に出なかった理由は、『暗過ぎる』からだ。

 アレッシオ=ブルーノの父親は若い頃、美しい女性と付き合っていた。付き合い始めは誰だって相手に良いところだけを見せようとする。ところがだんだん、相手の女性の不誠実で自分本位な部分が目につくようになってきた。
 アレッシオの父親は、彼女と喧嘩別れに近い形でさよならとなった。ところが何年か経ち、その女性が子供を虐げているという噂を耳にすることになる。
 年齢的に、間違いなく彼の子供だった。

 アレッシオの母親は美貌を鼻にかけるタイプの女性で、裕福な男に乗り換える気でいた。ところがお腹に別れた男の子供がいると判明して失敗、うまくいかなかった苛立ちをすべて産まれた息子にぶつけるようになる。
 産まなければよかった、おまえのせいだと、古ぼけた貸し家の中でその子は日常的に暴力や罵倒に晒されて育った。


「私の存在に気付いた父が、迎えに来てくれました。何度も謝られましたが、あの頃、私にとっては父こそが英雄だったのです」

 ……知っている。
 具体的な名前や場所は知らないけれど、そういうことがあったんだと。
 こうして初めて語ってくれる前から、既に知っている自分が、なんだかすごくずるく思えた。


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