上 下
81 / 159
幸福の轍を描く

78. 世界の変わるきっかけは -sideルドヴィカ

しおりを挟む

 幼い頃のことで記憶に残っているのは、恐ろしかった『おばあさま』という女性。
 その方の口から出る罵声。血走った目。

 一緒に閉じ込められたこともある。
 お食事を抜かれたことも。
 だけどそんな『おばあさま』は、お仕事でお忙しかったお父様が気付いて、すぐに追い払ってくれた。
 私達はそれでホッとしたのだけれど、お父様はとても痛そうなお顔をして、抱きしめてくださった。
 助け出された頃にはもう、私達の表情と感情は、全部抜け落ちてしまっていたから。

 あの時は実感がなかったけれど、今になって、お父様のお気持ちがよくわかるの。
 お友達ができてから、お兄様は時々、楽しそうに笑うようになった。だから、ああこれが笑顔なんだって、わかったのよ。
 私も、昔からずっと表情が変わらないままだと思っていたけれど、侍女達から「今日は楽しいことがありましたか?」って尋ねられることが増えたわ。
 なんでも、瞳がキラキラ楽しそうだから、ですって。

 実のところ、お兄様と私はあの時、感情をなくしていたわけではないと思うの。
 お兄様の遊び相手であり、従者としてつけられたステファノ=カルネ様、サミュエル=ジャッロ様、フィン=アルジェント様の三人もそう言っていたから、私の勘違いではないわ。
 彼らとの出会いは、お兄様にとって素晴らしい贈り物だった。
 お兄様も私も感情を殺そうとしていただけ。そうしなければ怖い『おばあさま』に叱られてしまうから。彼らはそれをすぐに見抜いてくれた。

 お兄様や私を愛してくださるお父様と、三人の『お兄様方』のおかげで、私達はちっともつらくなかったの。ステファノ様は同い年だけれど、お誕生日が私達より早いから『お兄様』なのよ。

 ただ、私達は黒い髪に、紫の瞳を持っていた。
 これは悪魔の化身のしるしなんですって。
 『おばあさま』はいつもそう言って、狂ったようにわめかれていた。

 お父様は私にも、明るい性格の侍女を何人もつけてくれたけれど、彼女達は私のことを怖がっていた。
 だからいつも、私のお世話をさせてごめんなさいねって申し訳なく思うのだけど、私は公爵令嬢だから、よっぽどではないと口に出して謝ってはいけないの。

 だけどある日、私にも素敵な出会いがあった。
 ひとつめは私の部屋で、一冊のご本を見つけたこと。
 侍女かメイドの誰かが、珍しく置き忘れたのか、落っことしたのだと思う。いつも私の世話をする者達が待機する場所にあったから、待機中に読んでいたのかもしれない。
 使用人の休憩室は別にあるから、私の部屋で読んだらいけないのよ。
 それを見つけた時、どうしようかと少し迷ったわ。私がこれを見つけたって言ったら、その持ち主が怒られてしまうから。
 でも私が拾わなくても、きっと別の者が拾うし、そうなれば結局その者は怒られてしまう。

 少し悩んで、そのご本を手に取った。―――みんな、どういうものを読んでいるのかしらって、興味があったの。
 人のご本を勝手に読むなんて、いいことではないのだけれど。

 五分後。

 熟読。

 十分後。

 ………………。

 ドアがノックされた。
 真っ青になった侍女がブルブル震えているわ。ああ、このご本?
 あら、あなたのご本だったの。そう。ともかくお入りなさいな。ええ、入ってちょうだい。この時間はいつも一人にしてもらっているの。
 ところでこのご本はどうしたの? ……そう、置き忘れたのに気付いて、慌てて取りに来たのね。それはきっと焦ったことでしょうね。
 あとで休憩室で読もうと持って来ていたのを、お掃除中にちょっとそこに置いて、うっかり……ということなのね。そうなの。
 そうね、本来ならいけないことよ。
 ええ、そうね。
 ところで、このご本のこと、詳しく教えてもらえるかしら?



   ■  ■  ■ 



 仲良しの侍女ができたわ。
 その侍女はとてもしっかりした子で、あのご本については、滅多にやらないうっかりを、本当にあの時だけやってしまったそうなの。
 部屋を出るのもその子が一番最後だったから、誰も気付かなかったのね。
 チェックをきちんとしていなかったことになるし、今後はもっともっと気を付けますってすごく反省していたわ。ほかの侍女からも聞いたのだけど、実際に努力家で何を教わっても真剣に取り組むいい子なんですって。年齢は私より少し年上ぐらいだった。
 お仕事に慣れていなかった頃、毎日くたくたになっていて、同室の使用人から秘密のご本を見せてもらって、一気にその魅力に引き込まれてしまったんですって。

 私とその子が仲良くなってから、他の侍女やメイド達も、だんだん私を怖がらなくなってきたわ。
 お父様とお兄様も

「お前が楽しいなら……」

 と、そっくりなお顔で言ってくれたの。
 秘密のご本のことは内緒なのだけれど、お父様とお兄様だものね。特にお父様は『おばあさま』の件があってから、お兄様や私に危険がないか、前よりしっかり見てくださるようになったし。
 私はだんだん、もうお外に出なくてもいいんじゃないかしらって思うようになったわ。
 ここでだけは、私やお兄様を、誰も前ほどには怖がらなくなったから。

 けれど、私達は公爵家の子だから、学園に通わなければならない。
 怖い、不吉だ、近寄るなっていう視線が、また私達に付きまとうようになった。
 お兄様と私はいつも一緒にいた。人形みたいで感情のない双子って言われて、私達は自分達以外に、一緒にいられる人がいない。
 同じクラスにいるのは、同い年のステファノ様だけ。彼は私達がそんなのじゃないって示してくれるけれど、彼は臣下の子だからそう言うしかないんだって思われてしまうの。ほかのお二人もそう。

 お兄様と私は何も気にしないようにして、ただ自分達が優秀な成績をおさめて、お父様にホッとしてもらえればいいと思ったの。
 そうして、初等部の三年生になった時、オルフェオ=ロッソ様に出会った。
 それは私達にとって最高の出会いになった。

 緋色の髪に、緋色の瞳。燃え盛る空みたいな色を備えながら、その方はとても静かで理知的で、穏やかな方だった。

 国王陛下主催のパーティーで、私達はロッソ伯爵が、ご自身のお子様のことを出来がよくなくて恥ずかしいってぼやくのを聞いたわ。
 でもあんまりにも違うものだから、ああこの人もそうなのか……ってわかったの。

『お互い苦労しますね……』

 とても、とても深い共感の言葉。
 その言葉が、その共感が、私達の中にストンときた。
 そうね。本当にそう。
 お兄様や私の忌み色さえ、「だから何?」って言いたげな、本当にどうでもよさそうなのがすごく伝わって、私達、とても嬉しかったのよ。



 素敵なお友達ができたわ。お名前はオルフェオ様。お兄様と私は『オルフェ』様っていう愛称で呼んでいいの。
 オルフェ様は不思議な御方だった。黙って少し俯いていれば幸薄い美少年にも見えるのだけれど、私達とお喋りする時はよく唇の端だけを少し上げて「ニッ」て嗤ったりするの。すごくクールで計算高くて、感情も表情も選んで表に出しているの。外から揺さぶられても全然崩れないのよ。
 それがとっても悪い感じでドキドキするの。侍女に訊いたら、素敵な悪役ヒールにときめくことはよくあるんですって。そうなのね。

 ああ、だけど……ごめんなさい。
 私、オルフェ様と目を合わせている時よりも、オルフェ様がお兄様やラウル様やニコラ様やジルベルト様と親密になさっているお姿を横で眺めるほうが、ずっとドキドキするの……。
 私にあのご本を教えてくれた侍女が、「お嬢様をこのような罪深い沼に……申し訳ございません」って謝っていた理由わけがよくわかったわ。

 なんといっても一番素敵なのは、あの執事と一緒にいるところね。だってオルフェ様、あの執事が傍にいる時だけいつも、お顔を作るのに苦労なさっているんだもの。
 オルフェ様の『敵』がいる時はそうはならないのでしょうけれど、私達は『お友達』だから大丈夫って思ってくれているみたい。
 しかもあの執事、私達がオルフェ様の味方だってわかった上で、オルフェ様を動揺させて私達に匂わせているわよね……素敵。
 「あのぐらいでなくば、オルフェの隣はつとまらんだろう」ってお兄様が仰ったのも素敵。

 お祭りの最終日。
 私達にバレていたのがショックでテーブルに突っ伏すオルフェ様。こんなお姿、初めて見るわ。なんてお可愛らしいの。
 面白そうに、愛おしげにそれを見つめる執事……いいえ、執事に見えないわね……これはなんと言えばいいのかしら……オルフェ様が太陽だとすれば、こちらは夜?
 夜明けと夕暮れの、ほんの短い間しか会えないなんてダメよ。切なくて胸がギュッとなってしまうわ……。やはりお衣装のテーマの『鳥』でいいのよ。同じ枝の上で寄り添う炎の鳥と闇の鳥……ええこれがいいわ。

 皆で朝食を楽しんだあとは、二人きりにさせてあげましょう。
 私はジルベルト様と薔薇を贈り合ったの。とっても嬉しいわ。胸が「ギュン!」てなるのはオルフェ様がどなたかと居る時だけれど、ジルベルト様にキュンとするのも本当よ? ほんの一~二年で背が高くなってしまって、もう私より目線が上なのだもの。もう男の子とは呼べないわね。
 それに……。

「なぜ僕は絵師を連れて来なかったんだろう。兄様のあのお姿は今日限りだったのに……!」

 ―――そうよね!! 私もあのお二人を目にした瞬間、心から思ったわ!! 絶対にこんな時でなければ着てくださらないわよね!!

 目に完全なる同意を込めて頷いたら、ジルベルト様は頭を掻いて苦笑した。そういう仕草とお顔、可愛らしいけれど少しドキッとするわね。
 私達、ちゃんと特別な仲に見えるかしら? オルフェ様が私の婚約者候補って思い込んでいた方は多くて……あの御方に変な縁談を持ち込まれないよう、そう思わせていたのだけれど……そんな方々がびっくりしてこちらを見ている。

「僕、最近すごく背が伸びているんですよ」
「? ええ。そうね」
「勉強もして、兄様をお支えすることが僕の役割で、望みなんです」
「そうね」
「かっこよくなってみせますから、楽しみにしていてくださいね」
「…………」

 すごく、かっこよくなりそうね。
 大人になったジルベルト様に「ヴィカ様」って呼びかけられるのを想像して、なんだかドキリとした。



--------------------------------

読んでくださってありがとうございます。
いつも来てくださる方にはご心配おかけしました。m(_ _m)
本日はいつも通り3話投稿です。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

僕はただの平民なのに、やたら敵視されています

カシナシ
BL
僕はド田舎出身の定食屋の息子。貴族の学園に特待生枠で通っている。ちょっと光属性の魔法が使えるだけの平凡で善良な平民だ。 平民の肩身は狭いけれど、だんだん周りにも馴染んできた所。 真面目に勉強をしているだけなのに、何故か公爵令嬢に目をつけられてしまったようでーー?

【完結】狼獣人が俺を離してくれません。

福の島
BL
異世界転移ってほんとにあるんだなぁとしみじみ。 俺が異世界に来てから早2年、高校一年だった俺はもう3年に近い歳になってるし、ここに来てから魔法も使えるし、背も伸びた。 今はBランク冒険者としてがむしゃらに働いてたんだけど、 貯金が人生何周か全力で遊んで暮らせるレベルになったから東の獣の国に行くことにした。 …どうしよう…助けた元奴隷狼獣人が俺に懐いちまった… 訳あり執着狼獣人✖️異世界転移冒険者 NLカプ含む脇カプもあります。 人に近い獣人と獣に近い獣人が共存する世界です。 このお話の獣人は人に近い方の獣人です。 全体的にフワッとしています。

双子は不吉と消された僕が、真の血統魔法の使い手でした‼

HIROTOYUKI
BL
 辺境の地で自然に囲まれて母と二人、裕福ではないが幸せに暮らしていたルフェル。森の中で倒れていた冒険者を助けたことで、魔法を使えることが判明して、王都にある魔法学園に無理矢理入学させられることに!貴族ばかりの生徒の中、平民ながら高い魔力を持つルフェルはいじめを受けながらも、卒業できれば母に楽をさせてあげられると信じて、辛い環境に耐え自分を磨いていた。そのような中、あまりにも理不尽な行いに魔力を暴走させたルフェルは、上級貴族の当主のみが使うことのできると言われる血統魔法を発現させ……。  カテゴリをBLに戻しました。まだ、その気配もありませんが……これから少しづつ匂わすべく頑張ります!

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 ハッピーエンド保証! 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります) 11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。 ※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。 自衛お願いします。

魔王討伐後に勇者の子を身篭ったので、逃げたけど結局勇者に捕まった。

柴傘
BL
勇者パーティーに属していた魔術師が勇者との子を身篭ったので逃走を図り失敗に終わるお話。 頭よわよわハッピーエンド、執着溺愛勇者×気弱臆病魔術師。 誰もが妊娠できる世界、勇者パーティーは皆仲良し。 さくっと読める短編です。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

巻き込まれ異世界転移者(俺)は、村人Aなので探さないで下さい。

はちのす
BL
異世界転移に巻き込まれた憐れな俺。 騎士団や勇者に見つからないよう、村人Aとしてスローライフを謳歌してやるんだからな!! *********** 異世界からの転移者を血眼になって探す人達と、ヒラリヒラリと躱す村人A(俺)の日常。 イケメン(複数)×平凡? 全年齢対象、すごく健全

処理中です...