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幸福の轍を描く
78. 世界の変わるきっかけは -sideルドヴィカ
しおりを挟む幼い頃のことで記憶に残っているのは、恐ろしかった『おばあさま』という女性。
その方の口から出る罵声。血走った目。
一緒に閉じ込められたこともある。
お食事を抜かれたことも。
だけどそんな『おばあさま』は、お仕事でお忙しかったお父様が気付いて、すぐに追い払ってくれた。
私達はそれでホッとしたのだけれど、お父様はとても痛そうなお顔をして、抱きしめてくださった。
助け出された頃にはもう、私達の表情と感情は、全部抜け落ちてしまっていたから。
あの時は実感がなかったけれど、今になって、お父様のお気持ちがよくわかるの。
お友達ができてから、お兄様は時々、楽しそうに笑うようになった。だから、ああこれが笑顔なんだって、わかったのよ。
私も、昔からずっと表情が変わらないままだと思っていたけれど、侍女達から「今日は楽しいことがありましたか?」って尋ねられることが増えたわ。
なんでも、瞳がキラキラ楽しそうだから、ですって。
実のところ、お兄様と私はあの時、感情をなくしていたわけではないと思うの。
お兄様の遊び相手であり、従者としてつけられたステファノ=カルネ様、サミュエル=ジャッロ様、フィン=アルジェント様の三人もそう言っていたから、私の勘違いではないわ。
彼らとの出会いは、お兄様にとって素晴らしい贈り物だった。
お兄様も私も感情を殺そうとしていただけ。そうしなければ怖い『おばあさま』に叱られてしまうから。彼らはそれをすぐに見抜いてくれた。
お兄様や私を愛してくださるお父様と、三人の『お兄様方』のおかげで、私達はちっともつらくなかったの。ステファノ様は同い年だけれど、お誕生日が私達より早いから『お兄様』なのよ。
ただ、私達は黒い髪に、紫の瞳を持っていた。
これは悪魔の化身のしるしなんですって。
『おばあさま』はいつもそう言って、狂ったように喚かれていた。
お父様は私にも、明るい性格の侍女を何人もつけてくれたけれど、彼女達は私のことを怖がっていた。
だからいつも、私のお世話をさせてごめんなさいねって申し訳なく思うのだけど、私は公爵令嬢だから、よっぽどではないと口に出して謝ってはいけないの。
だけどある日、私にも素敵な出会いがあった。
ひとつめは私の部屋で、一冊のご本を見つけたこと。
侍女かメイドの誰かが、珍しく置き忘れたのか、落っことしたのだと思う。いつも私の世話をする者達が待機する場所にあったから、待機中に読んでいたのかもしれない。
使用人の休憩室は別にあるから、私の部屋で読んだらいけないのよ。
それを見つけた時、どうしようかと少し迷ったわ。私がこれを見つけたって言ったら、その持ち主が怒られてしまうから。
でも私が拾わなくても、きっと別の者が拾うし、そうなれば結局その者は怒られてしまう。
少し悩んで、そのご本を手に取った。―――みんな、どういうものを読んでいるのかしらって、興味があったの。
人のご本を勝手に読むなんて、いいことではないのだけれど。
五分後。
熟読。
十分後。
………………。
ドアがノックされた。
真っ青になった侍女がブルブル震えているわ。ああ、このご本?
あら、あなたのご本だったの。そう。ともかくお入りなさいな。ええ、入ってちょうだい。この時間はいつも一人にしてもらっているの。
ところでこのご本はどうしたの? ……そう、置き忘れたのに気付いて、慌てて取りに来たのね。それはきっと焦ったことでしょうね。
あとで休憩室で読もうと持って来ていたのを、お掃除中にちょっとそこに置いて、うっかり……ということなのね。そうなの。
そうね、本来ならいけないことよ。
ええ、そうね。
ところで、このご本のこと、詳しく教えてもらえるかしら?
■ ■ ■
仲良しの侍女ができたわ。
その侍女はとてもしっかりした子で、あのご本については、滅多にやらないうっかりを、本当にあの時だけやってしまったそうなの。
部屋を出るのもその子が一番最後だったから、誰も気付かなかったのね。
チェックをきちんとしていなかったことになるし、今後はもっともっと気を付けますってすごく反省していたわ。ほかの侍女からも聞いたのだけど、実際に努力家で何を教わっても真剣に取り組むいい子なんですって。年齢は私より少し年上ぐらいだった。
お仕事に慣れていなかった頃、毎日くたくたになっていて、同室の使用人から秘密のご本を見せてもらって、一気にその魅力に引き込まれてしまったんですって。
私とその子が仲良くなってから、他の侍女やメイド達も、だんだん私を怖がらなくなってきたわ。
お父様とお兄様も
「お前が楽しいなら……」
と、そっくりなお顔で言ってくれたの。
秘密のご本のことは内緒なのだけれど、お父様とお兄様だものね。特にお父様は『おばあさま』の件があってから、お兄様や私に危険がないか、前よりしっかり見てくださるようになったし。
私はだんだん、もうお外に出なくてもいいんじゃないかしらって思うようになったわ。
ここでだけは、私やお兄様を、誰も前ほどには怖がらなくなったから。
けれど、私達は公爵家の子だから、学園に通わなければならない。
怖い、不吉だ、近寄るなっていう視線が、また私達に付きまとうようになった。
お兄様と私はいつも一緒にいた。人形みたいで感情のない双子って言われて、私達は自分達以外に、一緒にいられる人がいない。
同じクラスにいるのは、同い年のステファノ様だけ。彼は私達がそんなのじゃないって示してくれるけれど、彼は臣下の子だからそう言うしかないんだって思われてしまうの。ほかのお二人もそう。
お兄様と私は何も気にしないようにして、ただ自分達が優秀な成績をおさめて、お父様にホッとしてもらえればいいと思ったの。
そうして、初等部の三年生になった時、オルフェオ=ロッソ様に出会った。
それは私達にとって最高の出会いになった。
緋色の髪に、緋色の瞳。燃え盛る空みたいな色を備えながら、その方はとても静かで理知的で、穏やかな方だった。
国王陛下主催のパーティーで、私達はロッソ伯爵が、ご自身のお子様のことを出来がよくなくて恥ずかしいってぼやくのを聞いたわ。
でもあんまりにも違うものだから、ああこの人もそうなのか……ってわかったの。
『お互い苦労しますね……』
とても、とても深い共感の言葉。
その言葉が、その共感が、私達の中にストンときた。
そうね。本当にそう。
お兄様や私の忌み色さえ、「だから何?」って言いたげな、本当にどうでもよさそうなのがすごく伝わって、私達、とても嬉しかったのよ。
素敵なお友達ができたわ。お名前はオルフェオ様。お兄様と私は『オルフェ』様っていう愛称で呼んでいいの。
オルフェ様は不思議な御方だった。黙って少し俯いていれば幸薄い美少年にも見えるのだけれど、私達とお喋りする時はよく唇の端だけを少し上げて「ニッ」て嗤ったりするの。すごくクールで計算高くて、感情も表情も選んで表に出しているの。外から揺さぶられても全然崩れないのよ。
それがとっても悪い感じでドキドキするの。侍女に訊いたら、素敵な悪役にときめくことはよくあるんですって。そうなのね。
ああ、だけど……ごめんなさい。
私、オルフェ様と目を合わせている時よりも、オルフェ様がお兄様やラウル様やニコラ様やジルベルト様と親密になさっているお姿を横で眺めるほうが、ずっとドキドキするの……。
私にあのご本を教えてくれた侍女が、「お嬢様をこのような罪深い沼に……申し訳ございません」って謝っていた理由がよくわかったわ。
なんといっても一番素敵なのは、あの執事と一緒にいるところね。だってオルフェ様、あの執事が傍にいる時だけいつも、お顔を作るのに苦労なさっているんだもの。
オルフェ様の『敵』がいる時はそうはならないのでしょうけれど、私達は『お友達』だから大丈夫って思ってくれているみたい。
しかもあの執事、私達がオルフェ様の味方だってわかった上で、オルフェ様を動揺させて私達に匂わせているわよね……素敵。
「あのぐらいでなくば、オルフェの隣はつとまらんだろう」ってお兄様が仰ったのも素敵。
お祭りの最終日。
私達にバレていたのがショックでテーブルに突っ伏すオルフェ様。こんなお姿、初めて見るわ。なんてお可愛らしいの。
面白そうに、愛おしげにそれを見つめる執事……いいえ、執事に見えないわね……これはなんと言えばいいのかしら……オルフェ様が太陽だとすれば、こちらは夜?
夜明けと夕暮れの、ほんの短い間しか会えないなんてダメよ。切なくて胸がギュッとなってしまうわ……。やはりお衣装のテーマの『鳥』でいいのよ。同じ枝の上で寄り添う炎の鳥と闇の鳥……ええこれがいいわ。
皆で朝食を楽しんだあとは、二人きりにさせてあげましょう。
私はジルベルト様と薔薇を贈り合ったの。とっても嬉しいわ。胸が「ギュン!」てなるのはオルフェ様がどなたかと居る時だけれど、ジルベルト様にキュンとするのも本当よ? ほんの一~二年で背が高くなってしまって、もう私より目線が上なのだもの。もう男の子とは呼べないわね。
それに……。
「なぜ僕は絵師を連れて来なかったんだろう。兄様のあのお姿は今日限りだったのに……!」
―――そうよね!! 私もあのお二人を目にした瞬間、心から思ったわ!! 絶対にこんな時でなければ着てくださらないわよね!!
目に完全なる同意を込めて頷いたら、ジルベルト様は頭を掻いて苦笑した。そういう仕草とお顔、可愛らしいけれど少しドキッとするわね。
私達、ちゃんと特別な仲に見えるかしら? オルフェ様が私の婚約者候補って思い込んでいた方は多くて……あの御方に変な縁談を持ち込まれないよう、そう思わせていたのだけれど……そんな方々がびっくりしてこちらを見ている。
「僕、最近すごく背が伸びているんですよ」
「? ええ。そうね」
「勉強もして、兄様をお支えすることが僕の役割で、望みなんです」
「そうね」
「かっこよくなってみせますから、楽しみにしていてくださいね」
「…………」
すごく、かっこよくなりそうね。
大人になったジルベルト様に「ヴィカ様」って呼びかけられるのを想像して、なんだかドキリとした。
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読んでくださってありがとうございます。
いつも来てくださる方にはご心配おかけしました。m(_ _m)
本日はいつも通り3話投稿です。
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