巻き戻り令息の脱・悪役計画

日村透

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幸福の轍を描く

75. 薔薇と悪魔

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 色とりどりの薔薇の前で、無邪気にはしゃぐ声が聞こえる。はしたないですよと注意する声さえ楽しそうに弾んでいた。

 ……シンプルに。俺はどうしたいのか。
 俺はアレッシオの笑顔を奪いたくない。
 これを選択することで、ひょっとしたらいつか、守ろうとしたそれを俺自身がまた奪ってしまうことになるかもしれない。
 問題の先送りだ。
 でもここで俺が逃げたら、未来だなんだと語る以前に、現在のアレッシオを酷く傷付けてしまう結果になる。

 俺はワゴンに歩み寄った。またお喋りの声がシンと消えた。俺は誰の顔も見ないようにした。誰かの視線や反応が視界に入ったら、くじけて動けなくなりそうだったから。
 見なくてもわかる。この周辺の人々の目が、意識が、すべて俺に集中している。俺が何をしようとしているのか、一挙手一投足に注目している。何を命じずとも少し離れた場所で待ってくれている、対の衣装の男にも気付いているだろう。

 同じ花でもこれほど色の種類があるんだな。
 俺は最も自分に近いと感じる色をすぐに見つけた。他の花弁から浮き上がって見える、まざりけのない緋色。おまえを俺の色に染めてくれるわと言わんばかりの。

「これを」
「はっ……」

 指で示した一輪をスタッフが抜き取り、手早く茎を適度な長さに切った。とげはない。装着するための金具は要るかと尋ねられ、首を横に振った。女性の多様な衣装ならともかく、には不要だとわかっている。
 沈黙が痛くて耳鳴りがしそうだ。スタッフの顔すらまともに見られず、それを受け取ると一呼吸おいて、先ほどから俺を待ってくれている男の元へ行った。
 周囲の息を呑む気配から意識を逸らし、変に足を止めず、ほんの数歩の距離を縮める。
 視線だけは相変わらず斜めに逃げたまま、無言で薔薇を差し出した。

 ―――ああ、やってしまった。
 いくつもの目が集中する中で、堂々と。
 もう後戻りはできない。

 茎を持つ俺の右手が、両手で包み込まれた。
 どきりとして、反射的に顔を上げてしまった。
 そこに笑みはなかった。でも無表情でもない。怒ってもいないし不機嫌でもない、何とも形容する言葉の見つからない表情があった。
 切ない、というのが近いだろうか?
 彼はやんわりと薔薇をすくい取り、どこかおごそかな空気さえ漂わせながら、その花弁に口づけを……


 どさり。


「きゃっ!?」
「えっ?」

 物体の落ちる音と女性の悲鳴―――うおっ? なんかご婦人が倒れてるぞ!?
 一瞬俺が倒れそうになってたわ、危ない危ない。じゃなくて、その人大丈夫?

 即座に男女両方のスタッフが駆け寄った。
 お恥ずかしいですわ、少々お衣装をきつくしてしまったみたいですの―――とお連れ様の女性がしきりに詫びている。
 ウエストを細く見せようとして締め過ぎる女性っているよね。この国に拷問具みたいなコルセットはないけど、よその国にはあるみたいだし。窒息しても骨を歪めても細く見せたいって執念がすごいよね……早く介抱してあげて。
 スタッフさんとお連れさん達が倒れた女性を運んでいくのを見送ると、小さくクスリと笑うのが聞こえた。

 アレッシオだ。苦笑している。うん、今ので緊張感やらおごそかな空気やらがパーンとどっかへ飛んでっちゃったな。
 助かったようなそうでないような、複雑な気持ちだ。
 彼は薔薇を大切そうに持ち直し、上着の左の襟にある穴へ丁寧に刺した。
 そして俺に向き直り、今度は仮面越しでも喜びが百パーセント伝わる笑顔になった。取り澄ました執事の笑みではなく、大切にいとしむ相手への、甘い甘い微笑み―――……


 どさっ。


「きゃっ!?」
「……」

 なんか、今度はあっちのご令嬢が倒れたぞ。その娘大丈夫?
 お手間をかけて申し訳ないことね、少々朝から貧血気味で、楽しみだから絶対に来たいとこの子ったら無理をして―――と母親らしきご婦人がスタッフに詫びている。
 貧血か。女性は多いって聞くしな。大変そうだな。早く介抱してあげて。

「……参りましょうか」
「ん」

 あの女性達の魂を刈り取った奴が目の前に立っている気がするし、早くこの場をトンズラするに限る。
 頷くと、彼はまた俺の横に来て、壊れ物を扱うみたいに腕を背に回してきた。
 うあぁ……やばい、衣装越しなのに相手のたくましさが何となくわかっちゃうこの体勢、ときめきなんて生易しいもんじゃなく心臓が過重労働だ。しかも薔薇がすごく似合ってて居たたまれないよ……顔がめちゃくちゃ熱い……。

 あ、あの女性倒れそうだ。早くあっち行こう。
 すみませんね、すぐに連れて行きますんで。お騒がせしました。



   ■  ■  ■ 



 開き直りの境地には程遠かったけれど、アレッシオのエスコートが上手いせいか、俺は転ぶことなく待ち合わせの場所まで到達できた。
 一度つまづいて転びそうになったけどね。すかさず腰を支えてくれたから転倒は免れたよ。その代わりに気絶しそうになったよ。もはや風前の灯と化したポーカーフェイスを再召喚して、ここまで乗り切ったさ。

 今日は俺達より早く待ち合わせのテーブルに着いている面々がいた。
 ヴィオレット兄妹の一行だ。

「おめでとう」

 おはようもその格好は何事だもなく、開口一番、ルドヴィクの口から出たのがそれ。
 それから次々と、「とっても似合うわ」「やあ、とうとうだね」「おめでとう」と笑顔で声をかけられる。それはもう普通に。そして何故アレッシオが平然とお礼を言っているのだろうか。

 あの……ひょっとして、皆さんにも、バレバレ、でした……?
 俺、今日一日だけで、何度気が遠くなりかけているんだろう?

 さほど間を置かず、ラウルが現われ。
 ニコラとミラが現われ。
 イレーネ、ジルベルト、シルヴィア、乳母が集まり。

「すごいですね、このお二人。目立ち具合が半端ありませんよ。注目され過ぎて仕事の話はちょっとしにくいな」
「いやラウルくん、ここで仕事の話はやめよう、さすがに」
「うわ~……若様はともかく、アレッシオさんもすごいな……」

 皆はアレッシオの衣装がめちゃくちゃ似合っていて、いつもと雰囲気が全然違うのを驚いているけれど、お揃いの事実自体には驚いていない。
 シルヴィアは俺とアレッシオの顔を見比べ、俺の金細工の薔薇とアレッシオの緋色の薔薇を見比べた。

「シシィ。これはね、しー、なんだよ」
「ん、ジル兄さま。しー、なのね」

 完全理解された!?
 俺はがっくりとテーブルに突っ伏した。

「オルフェ兄さま、どうしたの!?」
「……なんでもない、シシィ。兄様は少し、どこに穴を掘って埋まろうかなと悩んでいるだけさ……」

 ―――おいこら、誰だ噴き出しやがった奴。複数聞こえたぞ! アレッシオ、おまえもだ!

 最後に到着したのはエルメリンダだった。

「おまえ……」
「えへ♪」

 いや、えへ、じゃなくてね。

「……アルジェント殿?」
「はい、若君」
「あー、ごめんロッソくん、当日まで内緒と言われてて……」

 アルジェントとアルジェントが両方答えた。
 エルメリンダと一緒に現われたのは、《秘密基地》の門番―――ジェレミア=アルジェント殿だ。
 あの館の譲渡と一緒に、彼を手配してくれたのは公爵閣下だった。フェランドが絶対に突破できない門番として派遣されたのもあるだろうけれど、俺の監視の意味も強いんだろうなと思っていた。
 それが、うちのメイドとお揃い衣装で登場ときた。
 すまなそうに自白したのはアレッシオだ。

「私が彼を若君の使用人枠で申請しました。公爵閣下からの要請で、内密にとの指示もありましたので……」

 それは俺がおまえに手続き全部任せたんだし、この門番さんは信用できる人だからいいけど。知らない間に、これ以外でも何かいろいろやっていそうだよな、おまえ……。
 それにしても、『公爵からの』要請か。

 エルメリンダが監視の青年をこっちへ取り込むために距離を縮めたのか。
 監視兼門番が、俺の動向を掴みやすくするために専属メイドに近付いたのか。
 ……メイドの衣装の背中には、可愛い蝙蝠コウモリの羽根がピロリンとついている。
 お互いの理解はどうやらバッチリのようだ。幸せになれ。


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