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幸福の轍を描く
74. 未来への宣言
しおりを挟む無料で配られる薔薇のワゴンに、茶色の薔薇はない。茶色の生花は枯れて見えると好まれず、この国では生産に力を入れていないため、確保できる数が少ないと聞く。
己の髪と瞳のどちらも茶色であった者は、造花をアクセサリー仕立てにして贈る。前回のアレッシオがヒロインのために用意したのは、コサージュだった。
これは、つまり、…………そういうこと、だよな。
俺の対だと万人に主張するであろう、その衣装も。
今日この日に、この『贈り物』も。
どうしてこんなものを彼が準備できたのか、何ひとつわからない。
けれど、これは―――これをくれると、いうことは。
つまり、アレッシオは、俺を―――……
「ふ……」
「な、なんだ!?」
「いえ。お可愛らしいな、と」
「かっ!?」
―――はうあぁあッッ!?
こ、こやつ、こやつ俺を、堕としにかかってやがる!?
いやもう堕ちてますが!! なんか沼の底に、さらなる深淵が見えた気がするんですが!!
「私が何故、それをあなたに贈ったのか。人前では冷静なお顔を崩されないあなたが、その意味を掴むべく必死で悩んでくださっている。私が今、どれほど嬉しいのかわかりますか」
「あ、う……」
「ですがあなたは、ご自分を肯定するお気持ちがあまりに希薄過ぎる。深く考え過ぎた挙句に、あさっての方向へ誤解をされてもたまりませんので、はっきりお伝えしておきましょう」
アレッシオの顔から笑みが消えた。
「私のこの衣装も、その薔薇も、そのままの意味です。……あなたと生涯をともにする立場も権利も、この私がいただく。何者にも邪魔はさせません」
「……!!」
気を失うかと思った。
ここまで、本気で真正面から、誤解しようのない言葉をぶつけられるとは思わなかった。大人らしくもっと濁して、曖昧にどうとでもとれる表現で、俺の子供っぽさを揶揄うような答えが来ると思っていたのに。
ならやっぱり、そうなのか。俺の恥ずかしい勘違いでも何でもなく、アレッシオは、俺を……俺のことを……?
心臓が鳴り過ぎて、耳が痛くなりそうだ。
うれしい……。
どうしよう。こんなことってあるのか。こんなことがあっていいのか。
嬉しい。嬉しい。
―――でも。
そんな。どうしよう。だって、俺は―――俺はあと、三年ぐらいしか残っていないのに。
前にアレッシオに叱られたことを、あの後ずっと考えたんだ。俺の命を消費した末の平穏を、皆が喜べると思っているのかって。そのたびに「俺にそんなご大層な価値はない」「おこがましい」って、何度も打ち消しそうになった。
だけど途中で、その思考そのものが、俺にかけられていた罠のひとつなんじゃないかって思うようになったんだ。
俺は『やり直し』を望んだはずなのに、俺自身はあの頃から何ひとつ変わらず、滅びるべきクズだと思い続けていた。
この、執拗なほどの俺自身への否定感は、いったいどこから来るのか……。
『ふう……何故あんな、不出来な子が生まれてしまったのか……』
この言葉だ。ほんの幼い頃から何度も、何度も、何度も、失望のまなざしや溜め息と一緒に、俺の胸を鈍い刃物となって斬りつけてきたセリフ。
これが何年も心の奥底に食らい込んで、奴を元凶だと認識した今でさえ、これを『真実』だと信じている部分がある。
だから俺は、俺の感情はさておき、シンプルに事実だけを選り分けてみることにした。
皆は、俺を犠牲にすることを望まない。たとえ俺自身がそれを犠牲と思っていなくとも。
そして俺が俺自身を無価値と思い続けることは、あのフェランドを肯定し続けることと同じだった。
―――俺は、あの男が俺に飲ませ続けてきた毒を、自分の中から吐き出さねばならない。
すぐに己を肯定することは難しくとも、皆を心配させたくない、悲しませたくないのなら、俺は少なくとも、アレッシオに言われたことを心に留めておかねばならないと思った。
でもこれは、俺がどう考え、どう結論を出したところでどうにもならないものだ。
いずれ、『その時』は来てしまう。
「また何か、下らないことでぐるぐるしていませんか?」
「……下らなくない」
「あなたは余計なことまで心配して、思考の迷路に嵌まり込むきらいがあるのですよ。存外世の中はシンプルなものですし、あなたの目の前の男も単純です」
「おまえのどこが単純なんだ」
「単純ですし、バカな男ですよ。だからあなたも、少しは単純になればよろしい」
俺、めっちゃ単純なのに。これ以上単純なアホになってどうすんだよ。
俺が勝手におまえにハマっただけだと思っていた。まさかおまえがこの薔薇をくれるなんて、想像すらしたこともなかった。
だから、どうしたらいいんだって、悩んでいるのに。
「ほら、ぐるぐるしそうになっていますね。悪いクセですよ」
「うっ。だから、これはな……」
「すぐに変えるのも難しいでしょうから、練習でもしてみましょうか。単純な思考の練習です。私が今、どうしたいのか当ててごらんなさい」
「おまえのしたいこと? ……すまん、わからん」
「単純だと言ったでしょう? ここは馬車。私とあなたの二人きり。さ、答えは?」
「―――」
ここは馬車。俺とアレッシオの二人きり。
……。
……いやいや、まさか。まさか。
えーと、えーと、えーと、…………キ……
「まあ、今はムリなのですがね。衣装を崩してもいけませんし」
―――もっとハイレベルだった!?
首から上がボンと爆発しそうになり、学園に到着するまで、俺の頭は完全に停止していた。
■ ■ ■
アレッシオの高度な揶揄いに強制停止させられたおかげで、あれ以降は余計なことを考えずに済んだと言うべきなのか……。
とにかく、かろうじて、学園前に着いた頃には赤みが引いていた、と思う。
俺、肌の色が白いせいで赤くなるとわかりやすいみたいなんだよな。だから人前では気を付けなきゃならないっていうのに、馬車を降りる時、先に降りたアレッシオが手を差し伸べてくれて、せっかく再装着した擬態がもうペロンと剥がれてしまった。
ぐぁ……かっこいい……。
支えてもらったほうが却って転びそうになっているのはなんでだ。意地で転ばなかったさ!
「先に待ち合わせ場所に行っておいて」とイレーネは言ったので、お先に入場を済ませておくことにする。
入場前のチェックももう慣れたものだったんだが、視線がめちゃくちゃ痛い。
そりゃ、昨日まではいなかった悪魔がなんでいるんだって思うよな。それも俺と二人だけで。
しかも背ぇ高いし鳥肌もののいい男だし、誰がどう見てもお揃いの衣装で、俺が明らかにコイツの色だよなっていう薔薇をつけているとなれば、そりゃあ俺達の顔を交互に三度見ぐらいしたくもなるだろうさ。
でもこれ、うちの執事なんです。執事なんです。ほんとに執事なんですよ。嘘じゃないです。執事なんですってば。使用人招待枠で登録してますよ!
アレッシオが仮面の付け外しをした時、チェックの担当者と教師が一瞬硬直した。先生、お願いですから「こいつほんとに執事? 大丈夫なの?」っていう目でおそるおそる俺を見ないでください。なんか俺も違う気がしてきちゃうから。
長々と足止めを食らわないように、さっさと入場した。
開始時間まであと少し、音楽はまだ流れていない。朝陽は青みが薄れて、清浄な白に変わっている。
アレッシオが俺と歩く時はいつも一歩下がった位置で歩くのに、今日はそ、と横に来て、俺の背へ腕を添えた。
パートナーのエスコートの姿勢だ。
この衣装にした時点でわかってはいたけれど、やはりアレッシオは隠す気がないんだ。
たまたま目撃した人がギョッとするのが視界に入って、つい目を逸らしてしまった。
でも、この腕を外させたいとは思わなかった。
変に人の反応を見てしまうと、俺の悪いクセ『脳内ぐるぐる』が再来しそうなので、なんとなく視線を斜めに落としたまま、なんとなく無言で進む。
静かだった。俺達が通りかかると、誰かのお喋りが急に止まる。それがどうしてなのかは考えないようにした。
「……」
前方に、ワゴンが見えてきた。
ぱらぱらと人が集まっている。たくさんの薔薇に。
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