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幸福の轍を描く
63. 守護者達の密かな戦い (3) -side秘密基地の門番
しおりを挟む一部の人々から《秘密基地》と呼ばれ親しまれているその館に、先触れもなくロッソ邸の馬車が訪れた。
閉ざされた門前で停まったまま動かず、やがて業を煮やしたか、御者席に乗っていた男の一人が降りた。
横柄に門番に告げる。
「何をしている。門を開けよ」
「失礼ながら、どなた様でしょうか」
「ロッソ家の馬車だ。家紋が見えぬか。さっさと開けるがいい」
「まことに申し訳ございませんが、そのご要望に応えることはいたしかねます」
「何? ふざけるな! ロッソ伯爵その人がお乗りなのだぞ。お通しせよ」
「さようでございますか。しかしあいにく、自分は許可なき者は何人たりと通すことはまかりならぬと命じられております。よって、お通しすることはいたしかねます」
「な……」
側近の男は憤慨し、そして困惑した。こんな反応は予想外だったのだ。
ロッソ伯爵―――フェランドは今回、ロッソ邸の使用人を誰も連れてきていない。己に対する彼らの忠誠心が揺らいでいることに、ようやく気付いたからだ。
それも一人や二人に留まらない。排除しようと思えば、大人数の解雇となってしまう。
使用人を制御できなかった当主、使用人に敬愛されなかった当主、使用人を排除するしか能のない当主―――いずれもフェランドにとって受け入れ難い屈辱的な噂となるだろう。そのようなことは断じて許容できなかった。
ゆえに彼は、普段は領地で働いている従順な部下を呼び寄せていた。
彼らはフェランドに関する最近の噂を、あまり本気には捉えていなかった。
しかし、微塵も動揺しない門番の能面に怯み、少し迷って、彼は主人に相談した。
亜麻色の髪の紳士は、端整な面から不愉快そうな溜め息を吐き出して部下を怯えさせた後、渋々と馬車から降りた。
「私を通せないと言っていたようだが」
「はい、申し上げました」
「私が誰だかわかっているのか?」
「フェランド=ロッソ伯爵閣下と先ほど伺いました」
「わかっているのなら、門を開けるがいい」
「そのご要望にはお応えいたしかねます」
「……私は息子がくだらぬ遊びに興じてはいないか、親として案じ確認しに来ただけだ。通せぬと言うことは、あの子は後ろ暗いことでもやっているのか」
「この館を若君に譲渡されたのは、ヴィオレット公爵閣下でございます」
フェランドは面食らった。それに関しては初耳だったのだ。
耳に入った噂は部分的なものだったため、彼は息子が小遣いで借家を借りたと思い込んでいた。これ以上無駄遣いをさせてはならぬと、先日、息子の予算を見直したばかりである。使用用途についても、今までは確認不要としていたが、今後は必ず明細のわかる請求書を家に送らせるようにと定めた。
しかし……。
「ロッソ伯爵令息が未成年のうちは、大人である自分が責任を持って見守るべきと仰せになり、公爵閣下はわたくしどもへこのようにお命じになりました。例えお身内を名乗る人物であろうと、公爵閣下にご報告のないお相手を通すことはまかりならぬと」
「私は父親だぞ。後からいくらでも証明できよう。しのごの言わずに、ここを通すがいい」
「お引き取りを」
ひくりとフェランドのこめかみが引きつり、脇で聞いていた部下がとうとう激昂した。
「おのれ、門番ごときが何様のつもりだ!!」
「これは失礼いたしました。自分の名はジェレミア=アルジェントと申します」
「えっ……」
部下は絶句し、フェランドは目を見開いた。
「―――アルジェント伯爵、の」
「長子にございます」
「……財務大臣の息子とあろう者が、たかが門番とは。恥ずかしくはないのか」
「ロッソ伯爵からの貴重なご意見、父にお伝えしておきます。また、誉れある王宮の門番に任命された侯爵家の友人にも、意見を仰いでおきましょう」
「……!」
ロッソ伯爵は踵を返し、馬車へ戻っていった。
部下の男は泡を食い、冷や汗を流しつつも主人のあとを追った。彼は自分が「門番ごとき」と言い放った相手より、立場が低かったのだ。
■ ■ ■
ロッソ家の馬車が遠ざかり、独りごちた。
「最大の警戒対象が、お父上とはな……」
俺はアルジェント伯爵家の長子だが、当主としての適性は高くないと自ら判断し、弟のフィンに家督を譲ると以前から決めている。このことは両親や弟とも既に話し合い、全員の了承も得ていた。
本日の出来事は一言一句漏らさず報告することになる―――父上ではなくヴィオレット公爵閣下、ひいては国王陛下へ。
本来ならば、王宮の門番に内定していたのは俺だった。それが急遽、こちらに変更となったのだ。
ロッソ伯爵令息が側近とともに描き上げたあの図面を、国王陛下と重臣の方々がしばらく無言で見おろしていた光景をよく憶えている。
その図面のうちの一枚、ロッソ伯爵領に巨大な矢印の渦が直撃した図面は書き写され、原図は額に入れられて陛下の私室に飾られたと聞いた。
それ以外はしかるべき機関に預けられ、現在も研究が続けられているという。
オルフェオ=ロッソを守り、よからぬ企みで接近する者を遠ざけること。
彼の監視者であり守護者の一人に、俺は任命されたのだった。
王宮勤めのほうが世間的には華々しい職業なのだろう。しかし俺は自分の仕事に質を求めるタイプだった。ゆえに、この密命を帯びた今の仕事を大いに気に入っている。
フェランド=ロッソに関しては、たったいま本人を目にして、『幼稚だが嫌な部分で賢い』という評を下した。
暴漢を雇って息子を襲撃させるような、わかりやすい、足のつきそうな手段は使わない。今この段階でオルフェオ=ロッソが儚くなれば、事故であろうが毒であろうが病であろうが、死因が何であろうと必ず自分が第一容疑者に挙げられるとわかっている。
彼はたかが子供に何もできはしないと驕り、その能力をろくに見ようともしなかったがために、後腐れなく始末する機会を失したのだ。
ここに来たのは若君の犯罪の証拠でも捏造して、後継者として不適格という方面から攻撃するつもりだったか? 気持ちの悪い男だ。
いずれにせよ、頭を使う仕事は自分の専門ではない。
それは公爵や父達に任せ、自分は自分に与えられた任務をまっとうするとしよう。
「ん……?」
ロッソ家の馬車が消えた反対方向から、煉瓦色の髪のメイドが現われた。
彼女は布巾をかけた籠をさげている。
「こんにちは、門番さん。いつもお仕事ごくろうさまです」
「エルメさん、こんにちは。本日はおつかいですか?」
「そうなんですよう。お買い物がてら、ちょっと嫌なお客さんがそっち行ってません? ていう一応の確認なんですが」
「ははぁ、あの御方ですかねえ。入れてませんので大丈夫ですよとお伝えください」
「さすが門番さん、頼もしいです!」
ぴょんと飛んで褒めてくれる小柄なメイドに、にっこにこで「お任せください」と胸を叩いた。
春の芽吹きを連想させる萌黄色の瞳が爽やかで素敵だ。
そばかすもキュートでいい。
お腹の中がちょっぴり黒そうなのはご愛嬌だ。
「ついでにミラさんにも注意してねってお喋りしていきたいです。ニコラ様はいますかね?」
「ええ、いらっしゃいますよ。ご卒業に必要な単位を取り終えたとかで、もうほぼ授業がないそうです」
「わあ、さすがですね」
俺は門を開け、にっこにこでメイドを迎え入れた。
「この籠の中身、人気の挟みパンなんですよ。こないだ門番さんが好物って言ってた具のやつも買ってきましたので、あとで休憩時間に食べてくださいね」
「それはありがとうございます!」
通過するメイドの背を気分よく笑顔で見送る。
俺はこの職場を大いに気に入っていた。
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※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
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