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ヒロインの転落

57. 再出発に贈るエール

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 ミラ嬢が蒼白を通り越して真っ白になっている。まさかエルメリンダに全暴露されるとは思ってもみなかったのだろう。
 すまない……これがきっかけで人間不信にならないでくれ。俺のメイドがちょっぴり特殊なだけなんだ。

 しかしヒロイン、想像以上に酷いな。この国の貴族の俺でさえ、ローザ一家がエテルニアで陥っていた状況に想像がつくというのに。
 素朴な田舎の農業国と言えば聞こえはいいが、風通しの悪い閉鎖的なコミュニティが形成されやすい場所でもある。アルティスタ以外の国とほとんど交流がなく、新しいものや変化に対応する能力が養われにくいのだ。
 襲われたら女性のきずとされてしまうのはこの国も変わらないんだが、風通しがよく救いのチャンスがあるのは間違いなくアルティスタのほうだろう。

 エテルニアの社交界で、牧歌的な田舎の王侯貴族を想像したら多分大間違い。根強い迷信もこの国より多く、「疵物きずものに触ったら感染うつる」みたいな陰口を本気で口にする奴が多数生息している国だ。
 可能性にかけての移住は正しい選択だった。
 そのはずだったのに。

「ミラ嬢」
「は、はい!」
「鞍なしの馬に飛び乗って走らせることができるとは素晴らしい。私には無理だ」
「……は?」

 励まし方、下手か。
 俺、こういうのは苦手なんだよ。

「若様、乗馬はお苦手ですもんねぇ……」

 気の利くエルメリンダがすぐに乗ってくれた―――のはいいが、同情のまなざしが真に迫りすぎだ。

「そのことですが、具体的にどの程度の腕前なのでしょう? 今後はお誘いが増えると予想されますので、把握しておきたいのですが」
「うむ、そうだな。お馬様に乗せていただくレベルだ。本邸で乗馬の訓練をする時は、全ての馬が私を温かく見守ってくれていたぞ」
「……承知しました。お断りの文面を今から練り、ニコラ様やラウル様にも共有しておきましょう」
「任せた」

 アレッシオまでエルメリンダと同じ目をしている。なんで俺が「馬に乗れなくても大丈夫ですよ若様!」って慰められているんだろう。
 乗ることはできるんだよ? 乗ることは。
 ほらみろミラ嬢が呆気に取られているではないか。
 いかんな、話題を変えねば。

「ところで、履物はどうした?」
「あ……それが、丈の短い室内履きを履いていたのですけれど、片方を落としてしまい……『もういいわ』と、もう片方も投げ捨ててしまって……」
「ほう」
「は、はしたないことを……」

 いやいや、うん、自棄やけになったらそういうこともあるよね。わかるよ。
 落とした場所はバラバラっぽいし、もう誰かに拾われて売っ払われてるかな。

 本邸で俺も、教師の方針で裸足の乗馬訓練をしたことがある。乗ってからブーツを脱がしてもらって、降りる直前にまた履かせてもらうんだけど、馬のお腹に直接触れるのってけっこう気持ち良かったんだよ。
 その訓練を取り入れてから、バカみたいに拍車をガンガンかける生徒が減ったんだって。形状に規制がなくて、中にはコレ凶器だろって言いたくなるのもあってさ……あんなもんでこの柔らかい腹をぶっ叩けるか、ってなるみたい。俺もなったわ。

 多分ミラ嬢も気持ち良かったんだろうな。はしたないから言えないだけで。
 しかし公園からここまではまた馬に乗って来たとして、メイドと訳あり令嬢の二人組、よそ様にはどう見えていたんだ……。

「馬はミラ嬢個人のものか? それとも家の?」
「……父の、愛馬にございます」
「では、手紙を馬と一緒に男爵邸まで届けさせよう。―――私には公爵閣下から譲り受け、仕事用に使っている別邸がある。貴族街のすぐ近くにあり、ここからも遠くはない。そこでメイドとして働く気はないか?」
「!」

 瞳の奥に少し力が戻った。

「よろしいのでしょうか? わたくしは……」
「妙な娘の身内であり、言いにくい事情を持っている女だな。そんな話なら我が家にもあるぞ。アレッシオ、我が家の厄災について説明してやれ」

 アレッシオが頷き、目を白黒させるミラ嬢に簡潔に説明してくれた。
 彼女にとってとんだ災難続きの日々で、今も許容量が限界のはずだが、それでも聞き漏らすまいとしている姿は好感が持てる。
 ミラ嬢の元婚約者の親は、ろくでもない息子にしっかりした嫁をあてがいたかったのではないだろうか。よそ様の娘に不良物件を押し付ける前に、責任持ってリフォームしとけや。

「―――このような事情があり、若君の仕事場に置ける者は限られています。念のために確認しておきますが、あなた方は末のお嬢様とはご意見が異なる、ということでよろしいですね?」
「はい。父は『表に流れている噂が真実とは限らぬ』と懐疑的で、母も兄も同様の見解でした。わたくし自身、曲解された噂の発生する瞬間を目撃した経験が幾度となくございます。ゆえに、真実は不明であると、常に念頭に置いてまいりました」

 この国に来て「あれはデマだ」と聞き、一家は「そうなのか」とすんなり受け入れた。
 まさか末娘だけ、頭の中が修正できていないとは思いもよらなかった。

「ちなみに、妹君は若君の古い中傷を信じ込まれているのではと推測しておりますが、いつどのようにしてその話が耳に入ったのかはわかりますか?」
「お恥ずかしながら、エテルニアではお招きしたお客様が、『アルティスタの悪童』の噂を引き合いに出して兄を持ち上げることが多々あったのです。父も父のご友人方も、他国の話に詳しい方々ばかりでしたので……」
「なるほど、得心がいきました」
「こちらに着いて早々、実際は真逆の御方であると父から話があったのですが、あの子は憧れの学園に通えることになったと浮かれており、きちんと聞いていなかったのではないかと思います」
「人の話を聞かない令嬢と、随分有名になられましたからね」

 ミラ嬢は恥じ入った。アンジェラ本人は恥も世間体もそっちのけで突っ走り反省すらしなかったのに、身内が謝罪しながら縮こまるって理不尽だよな。

「それで、どうする? 私のメイドとして仕えるか、それとも帰って今まで通りの日々を送りたいか?」
「……恐れながら、お仕えすることをお許しいただきとう存じます」

 さほど逡巡しゅんじゅんせずミラ嬢は答えた。泣いて消耗した名残はあるけれど、目には意思がハッキリと宿っている。
 貴婦人は横乗りが一般的なのに、またがる乗り方を覚え、自分を襲ったクズ男にも流されなかった。いざという時に身ひとつでも王女を守れるようになろうと、努力を重ねた侍女の姿勢が垣間見える。
 こういう女性は、未来を掴む手助けをしたくなるな。

「エルメ、メイド長に言ってミラ嬢―――ミラの格好を整えてやれ。ブランクもあるだろうから、しばしここで慣れさせた後、あちらに移ってもらう」
「かしこまりました」
「旦那様が数日後にはご到着の予定ですが、いかがなさいますか?」
「どんな男か、見るだけは見ておいてもらおう。挨拶はさせんでいい」

 アレッシオは首肯しつつ、「天使自慢はほどほどに願います」と釘を刺すのも忘れなかった。
 ミラは「天使?」と首を傾げている。そのうち会えるから楽しみにしていたまえ。



 ミラが書いた手紙を従僕に持たせ、馬とともにローザ男爵邸へ届けさせた。
 結局娘に追い付けなかった男爵は、頭が冷えたら帰って来てくれるかもしれないと門前でずっと待ち続け、もし夕刻になっても姿が見えなければ捜索願を出す予定だったそうだ。
 戻って来た愛馬と娘の手紙に、がっくり崩れ落ちて涙ぐんでいたらしい。いいパパだと思う。
 
 メイドと訳あり令嬢の二人組がちょっとだけ変な噂になりかけたけれど、いいタイミングでどこぞの歌劇団の宣伝隊が街中を派手に練り歩き、話題は全部そっちが掻っさらってくれた。
 髪を結い上げ、メイド服を着たミラは、ブランクがあったとは信じられないほどの仕事ぶりを見せた。己の不幸に腐らず、知識とスキルが鈍らないよう、日々努力を怠らなかったのだろう。
 小国といえど、さすが王女の侍女を何年も勤めただけはある。ド厳しいメイド長が、ミラには称賛の言葉を惜しまなかった。

 もちろん子猫にも紹介してあげた。

「……」
「あっ……待て、違うんだミラ。その玩具オモチャの色に深い意味はない。他意はないんだ」

 エルメリンダにネズミの玩具オモチャを作らせた時に、たまたまローズピンクの端切れが余っていたらしくてさ。偶然なんだ。ほんとだよ。
 猫よ、おまえもミラの前でそいつの首をくわえるのはやめておこうか。

 数日後、イレーネ達が王都にやって来た。

「どうだった?」
「……天使のごとき美しさ、という賛美はよく耳にいたしますが、天使とお呼びして誇張の一切ない方々にお目にかかったのは初めてでございます……」
「そうだろうとも」

 まったくそうは見えなかったが、挨拶をする時は内心見惚れてボーっとしていたらしい。そうだろうとも。

 その後、ミラには《秘密基地》に移りメイド長になってもらい、同時に追加で数名のメイドを雇い入れた。
 アランツォーネを通じて紹介してもらったのは、みな即戦力となる経験者、なおかつ働く意欲はあるのに勤め先に恵まれない事情持ち―――つまり簡単には辞めない、裏切らない人々ばかりである。
 一般的な貴族の館とは用途が異なり、メイド以外はほぼ警備員なので、執事は雇っていない。ミラが実質、使用人のトップだ。

 新しい館での仕事に慣れた頃、改めて男爵に報告したそうだ。俺にも男爵から感謝の手紙が届いた。俺がミラを雇ったことで、一家は首が繋がった形になる。
 ミラの前主人もずっと彼女のことを心配してくれていたようで、《秘密基地》に差出人のない祝福の手紙と、エテルニア産の花が届けられた。筆跡と花の種類で誰からの贈り物なのか明白で、ミラは泣いて喜んでいた。
 あちらの国で苦労した分、報われて欲しいと願う。


 さて。
 裕福な家に生まれ、良き家族に囲まれて育ちながら、自分の中にしか存在しない欲望を『恋』と呼び変えて突っ走り、優しい人々に後ろ足で泥をかけ続けたお嬢さん。
 きみには、きみが最も忌み嫌うであろう『現実』を突き付けてやろうじゃあないか。


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