上 下
57 / 159
ヒロインの転落

56. メイドがヒロインの姉を拾って来た件について

しおりを挟む

 入学からわずか一ヶ月未満で停学処分。
 電光石火すぎる。
 せめて一ヶ月に一イベントならば厳重注意で済みそうなものを、日替わりで巻いてきたからな。

 ポップコーンは結局作っていない。コーラの作り方がわからないからだ。紅茶やコーヒーでポップコーンは個人的に好きではないのだ。
 コーヒーはこの辺りの国々に伝わって来て、まだそれほど長くない。『俺』は仕事中にコーヒーが欠かせないコーヒー党コーヒー信者だったが、『オルフェオ』がずっと紅茶派だったからか、現在コーヒーへの欲求はなくなっている。

「処分が甘いのではないか?」
「もう入学取消でよいのでは?」

 彼女の日頃の行いがアレ過ぎたせいで、学園ではこの意見が大多数だった。
 ただ、冷静に彼女のやったことをあげれば、一番最初に俺の名を呼び捨てて以降はたいしたことをやっていないのだ。協力的な皆さんがピンクイノシシを行く先々で妨害してくれたおかげで、俺らの周囲には接近できず、実害がなかった。その場にいた生徒が即興でチームワークを発揮し、ゲーム感覚で楽しんだり良い経験になった者もいるそうだし。

 一番まずいのは接近禁止令を積極的に破りにかかった点。それ以外は授業のサボリに職員さんの仕事の邪魔、うちのクラスの授業を止めかけたこと……あら結構なことやっているじゃないの。
 でもまあ停学一ヶ月はギリギリ妥当。悪質な破壊行為や暴力行為、犯罪行為も一切なかったからね。
 ローザ男爵もギッチギチに締め上げてくれるだろうから、お嬢さんが家出でもしない限りは、こちらが手を打つ必要もなかろう。

 なんて思ったら、帰宅後、エルメリンダが道端でサーモンピンクの髪のご令嬢を拾ってきていた。



   ■  ■  ■ 



 応接室に通させたそのご令嬢は、尋常でない姿をしていた。水色のワンピースは仕立てが良さそうだが、明らかに部屋着。おまけに何故か裸足で、化粧もせず、泣いた跡がある。
 そのせいで年齢がわかりづらいけれど、二十歳前後ぐらいだろうか。ローズピンクよりもブラウン系に近い色味の髪は、ちゃんとけば美しい艶を放ちそうなのに、今はくすんでみすぼらしく見える。
 彼女は立ち上がって俺に挨拶しようとした瞬間、ハッと目を見開いてポー……と頬を赤らめた。

 妙齢の女性のこういう反応にも慣れてきたな。俺の美容隊長はアレッシオとエルメリンダとメイド長、最近何故かラウルや仕立て屋さん一同も隊員に加わって盛り上がっている。
 彼らのおかげで、日々俺の仕上がりは上々だ。

「ご、ご無礼を……」

 彼女はすぐに己の不躾な態度と、貴人宅へお邪魔するのにあるまじき姿を恥じ、正式な礼を取った。
 緊張や動揺が所作に一切出ず、ぶれのない実に美しい礼に目をみはったのは俺だけではないはずだ。

「わたくしは、ローザ男爵の長女、ミラと申します」

 ああやっぱり。家族構成では八歳上の姉がいるとなっていたが、その姉か。

「オルフェオ=ロッソだ。事情がよくわからないのだが……」

 名乗った瞬間、ミラ嬢の顔面から血の気がザアッと引き、彼女は舌を噛みそうなほどガクガク震え始めた。

「……エルメ?」
「若様のメイドと伝えてませんでした。ミラ様、この御方はロッソ伯爵家の若様のオルフェオ様で、あたしは専属メイドなのです」

 エルメリンダさん? あなた、ミラさんが気絶しそうなんですけど?

「い、妹が、重ね重ね、ご無礼を……どのように、お詫び申し上げれば……」

 彼女の恐怖がよく伝わってくる。アレッシオと視線をちらりと交わせば、彼の目にも同情が浮かんでいた。

「エルメ……先に教えておいて差しあげなさい」
「すみません、アレッシオ様。うっかりしてました」

 絶対嘘だ。執事と俺の心がひとつになった。
 逃がさず連れて来るために黙ってたろ、おまえ。

「説明しろ、エルメ」
「はい。あたしがおつかいから戻ろうとしたところ、ご婦人を乗せた馬が向こうからぽくぽく歩いて来まして……」

 その姿は異様だった。長い髪はボサボサ。身につけているのはどう見ても部屋着のドレス。女性の乗馬は横乗りが一般的なのに、ドレス姿でまたがっている。
 馬は鞍を装着しておらず、しかも裸足。そして彼女は声を殺して泣き続けている。

 道行く人々が距離を取る奇妙な女に、エルメリンダはそっとハンカチを差し出して近くの公園に誘った。
 馬に噴水前の池で水を飲ませ、何かにびっくりした拍子に逃げ出さないよう、おつかいで頼まれていた荷物の中から補強用のロープを取り出し、ベンチに繋いだ。

 二人並んで座り、最近人気の挟みパン―――パンにおかずを挟むやつ―――を渡して、一緒に食べながら話を聞いた。
 通りすがりのメイド服の小柄な少女に、たまたま会った同性の他人に対する気の緩みと、胸の内から吐き出してしまいたい欲求とで、具体的な名前などはぼかしつつ女性はポツポツと語り始めた。



 彼女は十二歳の頃、エテルニア王国の王宮侍女となり、やがて王女付きの侍女に抜擢された。
 十五歳で上位の家の息子と縁談がまとまる。三年もすれば王女が成人するので、それを見守ってから結婚をしたいという希望を相手の家は汲んでくれた。
 十八歳になって侍女をやめ、結婚準備のために家へ戻ろうとした。その途中で従者が一瞬姿を消し、彼女は男に襲われた。
 その男はずっと彼女にそうしており、婚約者がいるからと断られたのを逆恨みしていた。
 妻になれと迫られるも、暴れに暴れてなんとか身体は守り切り、全力で逃げて助けを求めた。

 しかしそれは彼女の醜聞となり、「逃げられたというのは嘘で、本当はけがされたのではないか」という噂があちこちで流れ、婚約者は結婚を拒否。令嬢側の有責として婚約破棄となる。
 呆然とする彼女に追い打ちをかけるように、とんでもない裏が発覚した。
 王女が激怒し、大切な元侍女に狼藉ろうぜきを働いた男を捕えて尋問させたところ、なんとそいつは婚約者の男と手を組んでいたのだ。
 婚約者には愛人がおり、その娘と結婚するために、ミラ嬢を襲わせたのだった。

 元婚約者は廃嫡され、愛人と、狼藉ろうぜき者と、金を握らされて主人の娘を売った使用人は、王女の命令によりまとめて牢に放り込まれた。悪人は成敗されたわけだが、ミラ嬢のきずが元通りになることはなかった。
 エテルニアの貴族女性の結婚適齢期は十七~八歳まで。年増と呼ばれ、きず持ちと呼ばれる彼女に新たな縁談はもう望めない。かといって、再び王宮侍女になるのも、同僚からの憐れみの視線がきっと精神こころに突き刺さる。

 だがアルティスタ王国貴族ならば、結婚適齢期が二十歳ぐらいまでと長く、ぎりぎりチャンスがある。
 エテルニアより貴族の数が多く、小国よりも広い視野を持った男性が……娘の良さを見て判断してくれる相手が見つかるかもしれないとローザ男爵は考え、いちの望みをかけ、一家はアルティスタの土を踏んだ。

 それを台無しにしたのがアンジェラだった。

 幼い彼女にだけ、ミラ嬢がどんな目に遭ったのかは知らされていなかった。だが知っていようがいまいが、王国民として貴族としてやってはいけないことを、アンジェラがわきまえていれば済む話だった。

 家族がどんなに心配して注意して叱っても、口先だけ反省した素振りで真剣に聞こうとしない。
 とうとう停学処分になるに至り、兄の縁談までが全て消滅。ミラ嬢はこの国でも未来を望めなくなった。
 ここまで来ればアンジェラは反省するだろうか?

 ローザ男爵は、アンジェラが何やら書き物をしているらしいとメイドから聞き、嫌な予感を覚えて娘のいない隙にそのノートを見た。それは全く隠す気もなく、鍵のない机の引き出しに、勉強用ノートと一緒に普通に仕舞われていた。
 とんでもない妄想がそこには書かれていた。世間にバレたら、一家全員が処刑台行きになるのは確実な、恐ろしく危険な妄想が。
 家族全員の前で本気の説教をする父親に、やはりアンジェラは反発するばかりで、反省の色は薄い。

『愛して、愛されたいって思うのの、何がいけないの……! 私、人を傷つけるような悪いこと、なんにもしてないのに……!』

 ミラ嬢はキレた。
 どんなに愛され、大切にされているのか、アンジェラはちっとも理解しようとせず、不満を訴えるばかり。
 カッとなって、生まれて初めて妹を怒鳴った。
 するとアンジェラが最大の禁句を口走った。

『私がどんなに大変な思いしてるか、なんにも知らないくせに! お姉様は恋に興味がないから、好きな人達に会えない私がどんなにつらいのかわからないんだわ!』

 初めて妹を叩いた。
 涙が止まらず、もうダメだと思った。
 爆発する感情に突き動かされ、親の制止を聞かず、馬に飛び乗り門の外へ駆け出した。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

僕はただの平民なのに、やたら敵視されています

カシナシ
BL
僕はド田舎出身の定食屋の息子。貴族の学園に特待生枠で通っている。ちょっと光属性の魔法が使えるだけの平凡で善良な平民だ。 平民の肩身は狭いけれど、だんだん周りにも馴染んできた所。 真面目に勉強をしているだけなのに、何故か公爵令嬢に目をつけられてしまったようでーー?

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 ハッピーエンド保証! 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります) 11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。 ※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。 自衛お願いします。

魔王討伐後に勇者の子を身篭ったので、逃げたけど結局勇者に捕まった。

柴傘
BL
勇者パーティーに属していた魔術師が勇者との子を身篭ったので逃走を図り失敗に終わるお話。 頭よわよわハッピーエンド、執着溺愛勇者×気弱臆病魔術師。 誰もが妊娠できる世界、勇者パーティーは皆仲良し。 さくっと読める短編です。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

狂わせたのは君なのに

白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。 完結保証 番外編あり

巻き込まれ異世界転移者(俺)は、村人Aなので探さないで下さい。

はちのす
BL
異世界転移に巻き込まれた憐れな俺。 騎士団や勇者に見つからないよう、村人Aとしてスローライフを謳歌してやるんだからな!! *********** 異世界からの転移者を血眼になって探す人達と、ヒラリヒラリと躱す村人A(俺)の日常。 イケメン(複数)×平凡? 全年齢対象、すごく健全

裏切られた腹いせで自殺しようとしたのに隣国の王子に溺愛されてるの、なぁぜなぁぜ?

柴傘
BL
「俺の新しい婚約者は、フランシスだ」 輝かしい美貌を振りまきながら堂々と宣言する彼は、僕の恋人。その隣には、彼とはまた違う美しさを持つ青年が立っていた。 あぁやっぱり、僕は捨てられたんだ。分かってはいたけど、やっぱり心はずきりと痛む。 今でもやっぱり君が好き。だから、僕の所為で一生苦しんでね。 挨拶周りのとき、僕は彼の目の前で毒を飲み血を吐いた。薄れ行く意識の中で、彼の怯えた顔がはっきりと見える。 ざまぁみろ、君が僕を殺したんだ。ふふ、だぁいすきだよ。 「アレックス…!」 最後に聞こえてきた声は、見知らぬ誰かのものだった。 スパダリ溺愛攻め×死にたがり不憫受け 最初だけ暗めだけど中盤からただのラブコメ、シリアス要素ほぼ皆無。 誰でも妊娠できる世界、頭よわよわハピエン万歳。

処理中です...