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ヒロインの転落
50. 秘密とはそっとしておくものである
しおりを挟む人が転落すると、どこからともなくその手の人間が嗅ぎつけてくる。
親切なマルコ=リーノくんが、噂の男爵令嬢にちょっかいをかけ始めた。
懐かしのマルコくんは昨年、停学処分後に学園に復帰していた。家でとことん絞られたのか、幽鬼みたいにげっそりしていたな。
廊下でバッタリ会ったら、目をまん丸にして口をぱっかり開けていた。問題児仲間の俺に寄生しようと目論んでいたのに、なんと俺が自分より上の学年に入った超優等生、しかも学園カースト最上位のグループにいるとなれば、そりゃビックリなんてものじゃない。
『父上も母上も大嘘つきだ! 話が全然違うじゃないか!』
なんて、地団駄を踏んでいるところが目撃されたとか。
せめて停学中に勉強していたらよかったものを、実家でダラダラ遊び暮らし、完全に授業についていけなくなって留年。彼はもう一度初等部の二年生をやることになった。
普通ならそこで中退するんだけれど、卒業できなきゃ戻ってくんなって親から命令されているらしい。リーノ家は贅沢がやめられなくて借金を重ねる典型だった。小遣いばかりせびるバカ息子を養う余裕は無ぇってのが本音だと思う。
で、憂さ晴らしに最近評判のよくない女子の顔を見てやったら、結構な美少女だった。入学してわずかなのに高位貴族から睨まれ、どうせ良縁なんぞ望めやしないから俺がもらってやろうじゃないか……と、そんな感じなのだそうだ。
似た者同士みたいだから、そのまま付き合っちゃえばいいんじゃない?
でもさすがに、マルコくんが作っていたのが『媚薬』だと密かに知れ渡っていたのもあり、ローザ嬢に忠告をしてあげる令嬢がいたようだ。表に出ていないだけで、実はどこかの令嬢が被害者になっていた可能性もあるしね……。
ローザ嬢もヘラヘラしたナンパ野郎は苦手で、嫌いなマナーの授業を言い訳に逃げまくっている。迷惑行為を繰り返したら嫌われるんだよって学べるかな?
と思いきや、またまた面白いことをやってくれた。
■ ■ ■
何やら初等部の初々しいお嬢さんが、本を抱えて廊下をウロウロしている。
偶然通りかかった上学年のご令嬢グループは、親切に声をかけてあげた。
「あらそこのお方、何かお探しなのかしら?」
するとお嬢さんはびっくりして、抱えていた本を取り落としてしまった。
「急に後ろから声をかけてしまって申し訳なかったことね、ほほほ」
「お詫びに拾ってさしあげますわ、ふふふ」
「えっ、いえそんなっ」
「ご遠慮なさらないで、くすくす」
しきりに遠慮するお嬢さんの前に、ほかのご令嬢方がサッと入ってにこやかに壁になりつつ、最初に声をかけたご令嬢が床に落ちた本を拾ってあげた。
さらに埃まで払ってあげると、その拍子にパラパラとページがめくれ……
「あぁっ……!」
「…………」
ご令嬢は本をパタリと閉じ、「お返しいたしますわ…」と慈悲深い笑みを浮かべ、優しく手渡してあげた。
感激したお嬢さんは、真っ赤になってお礼も忘れ、兎さんのように駆けて行った。
■ ■ ■
―――親切なご令嬢が目にしたもの。それはBとBが濃厚に絡み合う挿絵だった。
あっという間に全女生徒に伝わり、嫌悪感もあらわに眉を顰める令嬢もいれば、おっちょこちょいなお嬢さんに生温かい沈黙を貫くご令嬢など、反応はさまざまだ。
遅れて男子生徒にも伝わり、彼らは露骨に顔を引きつらせ、噂のお嬢さんを徹底的に避け始めた。
別に彼女は、B同士がLなお話は好きでもなんでもない。むしろ苦手だ。
苦手なのにどうして大事そうに抱えていたかというと、十中八九、ルドヴィカを攻略するためだな。
ルドヴィクのルートに入るには、まず妹のルドヴィカと親しくなり、兄を紹介してもらわなければならない。
ルドヴィカは……密かな愛好家だった。
ある日ヒロインは廊下で黒髪の美少女とぶつかり、尻餅をつかせてしまった。「ごめんなさい!」と謝りつつ、彼女の落としたノートや本を拾ってあげたらそこには……。
「誰にも言わないで」と懇願する美少女に、ヒロインはつい、自分もこういうの嫌いじゃないから大丈夫、みたいなことを言ってしまう。
すると超絶美少女の瞳がきらりんと光り、あの静かな声音で怒涛の語りを開始……。
ヒロインはドン引きしつつ、我慢して相槌を打つのであった。
まず大前提として、これを実現させるには、ルドヴィカが一人で歩いている時を狙わなければならない。
でも公爵令嬢の彼女が単独行動なんて、たとえ学園内であろうとまずない。公爵令嬢の夫になりたくてバカをやるダニが出るからだ。
令嬢が襲われたら、襲った野郎の嫁になる以外、疵物扱いされないでいられる方法がほぼ無いんだよ。クズな話だけど、ほかの嫁ぎ先なんて望めなくなるからね。
公爵家ほどだったら、加害者は人知れず殺されて事件は揉み消されるんだが、頭の回らないサルもいる。
けれどゲームでは、時々ルドヴィカが一人になることがあった。
図書室や庭園前など、季節や曜日によって場所は違う。そこで何をやるかといえば、艶本の受け渡しだ。
学園には有志で作られた、BのLを愛でる秘密組織があった。ルドヴィカは同好の士である侍女からその話を聞き、愛言葉も教わって、目立たぬ場所で目立たないように艶本を購入していたのである。
教科書とノートの間にはさみ、教室に戻ろうとしたら、ある日ピンク髪の後輩と衝突してしまう、という流れ。
だから彼女は、一人きりのルドヴィカとエンカウントできそうな場所をウロついていたわけだ。ルドヴィカが持っていない可能性を考え、念のため自分で購入しておいたのは珍しく用心深かったけれど、いろんな意味で残念だったね。
裏側の話をすれば、ゲーム画面には出なかっただけで、ルドヴィカの後方には必ずメイドが複数名ついていた。これは彼女も承知していることで、だから兄も従者トリオも心配しつつ『単独行動』を許していたんだ。
そんなにまでしてルドヴィカが『一人』を装っていたのは、主に相手のため。秘密のやりとりをしようというのに、人をゾロゾロ引き連れていたらどうか。
ローザ嬢の行動により警戒度が引き上げられ、現在は警備体制が変わっている。ルドヴィカはもちろん、俺らの誰であっても、廊下で出会い頭にぶつかるなんて芸当はもう不可能になっているんだよ。
たいたい、ヴィオレット兄妹を待ち伏せしたり、サロンに突撃かまそうとしておきながら、「初めまして仲良くしてください」なんて無理がある。
それにだな……。
「今回はどういう意図があったんでしょうね」
「さあな……本当に趣味なのではないか?」
「でもウロウロしていたそうですし、何らかの思惑はあったのでは? 若様はどう思われます?」
「妙な動きをしているのだけは確実だから、用心しろ」
ラウルが俺の机に頬杖を突き、ルドヴィクが俺の頭を撫でた瞬間、ルドヴィカの瞳がキラキラキラ……と輝いた。
無言無表情だけれど、わかる。
彼女の脳内では、今まさに俺とこの二人のどちらかで、めくるめく掛け算が飛び交っている。
ルドヴィカの今の推し、俺。
萌えがすぐ身近にあるおかげか、近頃は艶本にあまり手を出していないようだ。自分の兄貴でも想像できるって強いな。
ラウルが相手だと俺、攻める側か? 無理だぞ。俺は逆側だし、こいつが小っさいのは今だけだ。
俺の身長はもう百七十センチに届こうとしている。成長期が早く来て早く終わるタイプで、あと三センチほど伸びたら止まる予定だ。現時点で同い年の奴らと比較すれば背が高い。
でもこの後、どんどん周りに抜かれてしまい、従者トリオを含めてメインキャラ内では俺が一番チビになる。なんたって貶されるべき悪役だからね。唯一上だった身長まで全然勝てなくなって、そりゃあ荒れたもんさ。
ちなみに高身長トップはアレッシオとニコラ。有り得ない仮定の話だけど、俺がこのまますくすく成長しすぎて、十八歳の時点で目線が変わらなくなっていたら、アレッシオはどうするかな?
……普通に組み伏せるか。いくらヒョロヒョロ伸びようが、気にせず押し倒してくれる安心感しかない。
鐘楼から時刻を告げる鐘の音が響き、お喋りもおバカな妄想も一旦中断。皆それぞれの席に戻る。
全員が座ったタイミングで教師が入ってきた。彼の奥方は無事元気な男の子を生み、母子ともに健康だそうで、どことなく顔がほくほくしている。喜ばしいことだ。
チョークが黒板へカツカツ文字を走らせる音、教科書をめくる音やペンの音……
「?」
「……?」
にわかにザワついて、何だろうと顔を上げた。
廊下でコソコソと揺れる、ピンク色。
…………。
目の錯覚かな。
瞼を閉じてもう一度開ける。ローズピンクは消えずにそこにあった。
「え」
「嘘だろ」
「あれって、例の……」
「何をやっていらっしゃるの……?」
教師がするどい声を張り上げた。
「授業中でしょう! 戻りなさい!」
「で、でも……」
「『でも』ではありません! きみは初等部の生徒でしょう! ここは高等部ですよ!?」
「こ、高等部の学舎に、入ってはいけない決まりは、ないですよね?」
いやいやいやおいおいおい……休み時間は終わったんだから初等部の学舎に戻れっつってんだよ。
ほかの職員もどんどん集まってきて、ちょっとした騒ぎになった。
アンジェラ=ローザ。
自由時間終了間際、高等部学舎前で職員に呼び止められるも振り切って逃走、高等部一年の教室前にて確保。
授業の無断欠席、職員の業務妨害、高等部学舎での授業妨害未遂等、極めて学業態度に問題あり。
反省を促すべく一ヶ月の停学に処す。
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