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ヒロインの転落

48. 前に進む者と後退する者

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 ひととおり予習復習を済ませると、アレッシオが食事を運んできた。
 一人用の丸テーブルに料理の皿を並べ終え、俺がフォークでサラダをつつき始めたタイミングで、「お食事中に申し訳ございません」と報告を始めた。

「緊急の話ではないのですが、先ほど警官隊から注意喚起がありました。王都郊外にて大捕り物があり、違法薬物の密売組織が一網打尽にされたそうです。その中に、放校処分になった例の元学生がおりました」
「……まさか、あの薬の?」
「ええ、その人物です。処分後に家から勘当され、組織に入ったようですね。犯人が一年前まで学生だったため、学園生のいる家にはすべて連絡をしているそうです」

 学園の設備でオリジナルのあやしい薬を作り、悪役令息の腰巾着だったマルコ=リーノに先輩と呼ばれていた元生徒。
 そいつが放校処分になった後、『魔法の薬』が学生間でどの程度広まっているかの追加調査が行われた。幸いにも興味本位で薬を作り始めたばかりだったようで、拡大前に防げた形だった。

 その元生徒が作った薬を、組織が扱っていた。
 最初は依存性もなく違法でもない、でも効果は確かな薬として安価に販売し、客が慣れてきた頃に『本物』を売り始める……という手口で、危機感が薄く好奇心の強い若者を狙いドロ沼に落としていったようだ。

「学園に在籍していた頃も、小遣い稼ぎのつもりで自作の薬を組織に卸していたようです。家の経済力に不安はなく、遊び感覚だったとか」

 その元生徒の実家の領地は、ヴィオレット公爵領にも王都にも接していた。家から追い出され、付き合いのあった組織に拾ってもらい、言われるがままに薬を作った。
 それが王都の若者に広まりつつあるのが判明し、国が捜査に乗り出した……という展開だったようだ。

「これまで違法ではありませんでしたが、指定医師の許可なく調合した場合は罪になるよう法が改正されるそうです」
「そうなのか……」

 食事を終えてアレッシオが退室した後、嫌がる子猫の肉球を揉みながら考え込んだ。
 入れ替わりで入室したエルメリンダに不審がられるといけないので子猫を解放し、続きは風呂で考えることにする。

 適温の湯に浸かりながら天井を見上げた。
 前回、その元生徒を告発した者はいたのだろうか。

「いなかったとしたら」

 そいつはバレずに悠々と卒業し、勘当もされなかった。そして本業ではなく遊び感覚の副業で組織に薬を卸し続けた。そのぶん販売数が抑えられ、顧客は水面下でゆるやかに増え、国から目をつけられることにもならなかった。
 そしてその男はマルコ=リーノの『先輩』。
 マルコ=リーノは俺の『腹心』だった。

 悪役令息は危険な『本物』に手を出したことがない。遊んでいたプロのお姉さん方が「それだけは手を出すな」と忠告してくれて、悪役令息はいつも優しくしてくれる彼女らの言には素直に耳を傾けた。
 その代わり、マルコに教わった『魔法の薬』はよく作って使っていた。
 もしそれを第三者が目撃した場合、それがどんな薬なのか区別などつかない。

 あの薬から繋がったのだ。
 冤罪の一つが、意図せずに回避されていた。



   ■  ■  ■ 



「おはようございます、若様」
「おはようございます」

 ニコラとラウルが商会の馬車に乗って迎えに来た。彼らはここでロッソ家の馬車に乗り換えてもらい、改めて一緒に登校する。
 面倒をかけるが、男爵より伯爵家の馬車のほうが注目されるし、俺がこの二人を重視していると周囲に示す意味にもなる。登校時間の混雑を避ける意味でも、まとめて同じ馬車に乗るのがいい。
 こちらからニコラとラウルを迎えに行くのが一番なのではとも思ったが、毎朝俺が側近の送迎をする形になるので、身分的にダメだと却下された。

 爽やかな朝、いつもながら荘厳な学園前に着くと、何故かいつもより手前で馬車が止まった。どうしたのだろうと思っていたら、護衛が扉を開けて報告した。

「前方で待ち伏せをしているご令嬢がおり、教員が注意しているところです。すぐに退かせますので、少々お待ちください」
「…………」
「…………」
「…………」

 三人して「あー…」な顔になっちゃったね。

 馬車は少ししてまた動き出した。カーテンを閉めたので、外から俺達の姿は見えない。
 俺達は悠々と高等部の学舎に到着した。学園の規則ではないけれど、初等部の生徒は許可なく高等部の学舎へ入ってきてはいけない暗黙のルールがある。
 昔、『俺』の通っていた学校もそうだったな。中高一貫で、禁止されていなくても中学生が高校生ばかりの校舎に行くのって、ちゃんとした用があってもなんか落ち着かなかったっけ。

 ニコラと別れてラウルと教室に向かった。いつも少し早めに出ているので数はまばらだが、クラスメイト達は笑顔で挨拶してくれる。
 昨年までは緊張感が漂っていたけれど、俺との接し方に慣れてきたようだ。ちゃんと身分差も考慮しつつ、それでいて肩の力が抜けた会話は心地が良い。
 このクラスの下位身分の子って、他クラスの生徒を突き離して成績がいいんだよね。よっぽどのことがなければ卒業までみんな同じクラスでいられそうだ。
 遅れて教室に入ってきたヴィオレット兄妹とカルネ殿だが……なんだか、ルドヴィク不機嫌そう?

「それがさっき、例の女生徒に待ち伏せされてねえ……」

 カルネ殿の説明に、俺とラウルは目を見合わせた。
 ヴィオレット兄妹が進む廊下の先に、ローズピンクの頭が見えたらしい。何人かの生徒が壁になって揉めているのが聞こえたけれど、別の生徒がその間にヴィオレット兄妹を迂回ルートに誘導してくれたそうだ。

「我々もこんなことがあったんですよ」

 ラウルが馬車での一件を教えたら、あちらも唖然とした顔になった。
 だってこういうのって、時間置いてほとぼりが冷めてから動き出すと思うじゃん?
 なのに昨日の今日だし、さっきの今だし。

「あのお嬢さんの目的、やはりラウルくんじゃなくロッソ様だね」
「私とヴィカに話しかけるためにあそこで待ち構えていたのは間違いないそうだ。ラウルに私達とくれば、次は二コラに接触しようとするかもしれん。一応そちらにも注意してもらうよう、サミュエルとフィンに伝言させている」

 その伝言は功を奏し、ニコラは変な女子の待ち伏せを避けられた。

「助かりました」
「いえいえ」

 ランチの席で、ニコラはジャッロ殿とアルジェント殿に頭を下げた。
 場所はもちろんサロンだ。ここは変な男爵令嬢が単独で突撃しようとしても、門前払いにしてくれる。

「行動力だけはすさまじいな。称賛には値せんが」

 ルドヴィクが言い、全員がしみじみ頷いた。

「僕がよく通るルートを調べていたのだと思います。移動教室の時に、普段あまり通らない階段を使って上から様子を見ていたら、その女生徒らしき子がキョロキョロしながら現われました」
「執念を感じますね……いったい何がしたいのでしょう」
「ラウルくんの話からすると、ロッソくんに妙な悪意を持っているようだけど。父親の説教が効いていないのかな」
「デマのほうが真実だと頑なに信じ込み、自分以外はみな騙されていると思い込んでいるとか?」
「けれど、そこまでむちゃくちゃな思い込みができるものかな?」

 珍しくルドヴィカが「いいかしら…?」と手を挙げた。

「お父様から、怖いお話を聞いたことがあるの。お母様がお若い頃、差出人の記載のないお手紙が何通も何通も何通も毎日届いて。しかもそれが全部、さもその方とお母様がお付き合いなさっているかのような、熱っぽい文面だったのですって。お母様が別荘に行かれると、その方と逢瀬を楽しまれたことになっていて。お茶会に招かれると、お茶のお相手がその方になっていて。お母様がどこで何をなさっているのか、把握したお手紙がとっても怖くて、お祖父様にご相談なさったんですって」
「…………」
「その方と本当に恋仲と疑われるのが、一番怖かったそうなのだけど。お手紙の異様な数と内容で、お祖父様が険しいお顔でしてくださったから、次の日から何もなくなって、お母様はとってもホッとなさったそうなの。お父様は、世の中そういうおかしな者もいるから気を付けるんだよ、って仰ったわ。とっても怖かった……」
「…………」

 つい、全員が無言で聞き入っていた。
 美しい少女の姿をした人形が、無表情で静かに、染み入るような声音と口調で恐怖体験を語っている……そんなホラーにしか見えない。
 語られなかったお祖父様の行方ゆくえも気になるんですが。

「オルフェ。決して、絶対に、一人になるなよ」
「必ず僕らの誰かと一緒に行動してくださいね」
「もし万が一、その令嬢から声をかけられることがあったとしても、若様はお答えにならないでください。話す必要がある時は、僕らが話しますから」
「あなたから声をかけてもいけませんよ。いいように受け取って、妄想がひどくなりかねません」
「入学して間もないのに、俺達の行動パターンを調べていたぐらいですから、妄執はかなりのものです。常識や理屈の通じない相手は厄介ですよ」
「学園側にも改めて注意をお願いしておきましょう」

 ローザ嬢……とうとうストーカー認定……。
 いいと思います。


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