42 / 207
反転
41. 心の栄養補給
しおりを挟む遅くに帰って来たアレッシオは滞った仕事の山を優先順位の高いものだけ処理し、わずかな睡眠をとってから朝早くに起きている。会えなくて寂しいとか、甘えたことをほざける状況じゃない。
彼を助けてやらねば―――と思っていたら、すぐに俺自身の余裕もなくなってしまった。
「私に書類を?」
「はい。閣下に承認をお願いしたところ、若君に処理をさせるようにと仰せでしたので、サインをいただけないでしょうか」
「待て。私はそのような権限を一切与えられていないぞ。口頭でも書面でも、何もだ。サインはできない」
「えっ? ですが閣下が」
「無理なものは無理なんだ。私がそれにサインをしたら、その書類は台無しになってしまう」
「……ですが、しかし、部分的な権限ぐらいはお持ちなのでは?」
疑わしそうな目で食い下がるフェランドの部下に、俺は舌打ちしそうになった。
「私の年齢を知らないのか。十二歳だぞ」
「あっ。……いや、その……」
主君の子の歳を忘れてんじゃねえよ。
ラウルの家みたいに、あの歳の子に権限与えまくる親が変わっているんだからな。
「今からこちらの者を使って父上を探す。すまんが、直接本人からもらってくれ」
ロッソ邸の従僕だけでは手が足りず、商会の人員も借り、あちこち移動をしているフェランドを捜索させた。見つかるまで部下も動けないだろうが、俺だって連絡待ちの間はずっと待機だ。
ようやく発見し、不満げな顔の部下を送り出すのだが、さも俺が手間をかけさせたかのように勘違いするのはやめてほしい。
こういうことが、連日続いた。フェランドが今まで俺に何もさせなかったことなど知っているだろうに、毎度真に受けて部下が俺の元にやってくる。
「あの人もこの人も、考える頭がないのでしょうか?」
このセリフがなんとジルベルトの口から出た。
毒づきたくなる気持ちがわかるだけに注意したいのに注意できない…!
俺のところに来るフェランドの部下は、フェランドの指示通りのことしかやらないイエスマンばかりだった。
子供が深夜まで何時間も付き合っているのに、感謝の一言もないのがほとんど。こいつらもいつか一掃してやらねぇとな……。
「ちょっと、若様、顔色悪すぎですよ!」
「若様、お休みなさったほうがいいのでは」
「毎回休んでいては出席日数に響く。こんなことで成績を下げるわけにもいかない」
「おつらくなったら言ってくださいね」
「寄りかかってくださってもいいですから」
「ああ、ありがとう……」
疲れを押して登校すれば、友人達にもいたく心配されてしまった。
昔よりずっと強くなったジルベルトがフェランドのところに怒鳴り込もうとするし(止めた)シルヴィアにさえ「にいたまだいじょぶ?」と紅葉のおててで顔をピタピタされたぐらいだから(超癒やされた)、自分でも相当酷いと思う。
「信じられない。やっていることが子供っぽくありませんか?」
「ちょっと憧れてたこともある自分が恥ずかしいな」
「父上によれば、嘘を本気で言っている者は見抜くのが難しいそうだ。自分に絶対的な自信があって、周りの者には嘘に聴こえないと。私も、あんな風になりたいと思っていた昔の自分が恥ずかしい」
ウソ発見器でバレないタイプの人間ってことだな。どんな嘘をついても、心拍数や呼吸が平常通りで乱れない奴。
ただし今はその平常心が揺らいだのか、化けの皮がどんどん剥がれてしまっているんだが。
もはやフェランドがどのような行動を取ろうとも、すべてが裏側に引っくり返った今、再び元に戻ることはない。
「オルフェ、今日ぐらいは医務室で寝かせてもらえ。オルフェの成績なら、一日休んだぐらいで誰も何も言わない。先生方には私から伝えておく」
ちなみに先日の試験結果は……
一位、ルドヴィク=ヴィオレット。
二位、俺。
三位、ルドヴィカ=ヴィオレット。
四位、ラウル=アランツォーネ。
だった。
ラウルが主席になっちゃったらどうしようと心配したが、蓋を開ければこうなった。
俺としては十位以内に入れたら御の字と思っていたのだが、ヴィオレット兄妹にサンドイッチされ、一位になるより目立つ結果になってしまった。
「医務室に参りましょう、若様。僕が付き添いをします」
「私もついていてやりたいのだが」
「お気持ちはありがたいのですが、公爵令息たるルドヴィク様に付き切りで面倒を見させたとなると、僕やラウルくんが咎められます。ラウルくんは入学したてで勝手のわからない場所もあるだろうから、僕が行くよ」
「そうですね。ニコラ先輩、お願いします」
「うん」
ニコラに医務室まで案内され、保険医への説明も彼がしてくれた。俺はしばらくベッドで寝かせてもらえることになった。
「大丈夫ですよ、若様。―――すぐに、何もかも解決しますから」
そうだろうか?
回らなくなった家のフォローで急激に忙しくなったのもあるけれど、アレッシオの不在が一番響いている。
会えないのがこんなにきついと思わなくて、自分でもびっくりしていた。
少ない休息の時間をさらに削らせたくなくて、こっちから会いにも行けない。
激務でヘロヘロになったアレッシオが、よろめいて荷崩れに巻き込まれたりしないか、めまいを起こして馬車の前に飛び出したりしないか、そんな嫌な想像ばかりふくらむ。
毎日毎夜、ベッドで横になっても、頭の芯が冴えたまま、時間だけが過ぎた。
■ ■ ■
その日、ようやく休めたのは、たぶん夜明け前。睡魔に攫われそうになるたびに肩透かしを食らう怠さと、解消されない疲労感が限界に達し、文字通り落ちる感覚とともにふつりと意識が途絶えた。
ふと覚醒した時には、もう闇が去っている。
ただ、薄暗くはあった。まだ陽が昇り始めた頃なのだろうか。
「おはようございます」
窓の傍らに執事が立っていた。厚手のカーテンが紐でくくられ、紗のカーテンが陽射しをやわらかく遮っている。
ぼんやり薄い逆光の中、どこか輪郭のはっきりしない執事が近付いてくる。
俺はベッドにいた。目覚めた気がしたのは勘違いだったみたいだ。
眠りの淵から浮き上がる瞬間、時々そういうことがある。
これもきっとそうだ。俺の願望のかたまり。
起きたらいない。上げて落とすやつ。
「アレ……シオ……」
「はい。お待たせして申し訳ございません」
待つ? ああ、ずっと待っていたな。こちらから会いに行ったら、おまえが死んでしまいそうで怖かったんだ。
檻の向こうから俺を見おろしてきた質素な身なりの男が、おまえだとわからなかったあの頃の自分が怖い。
「本日の予定はすべてキャンセルいたしました。水以外でご所望のものはございますか?」
水以外で? おまえだけど。
なんて言ったらセクハラで訴えられそうだから言わないよ。
冗談はさておき、おやすみのキスが欲しいな。毎晩、額とこめかみにくれたやつ。もう何日もあれがなくて、つらいんだ……なんて言ったら、これはこれで変な中毒患者みたいだ。
俺は恋愛脳じゃなかったはずなのに、どうしておまえにはこんなにウザくなってんのか、自分でもわからない。
「若君?」
アレッシオが頬をぬぐってくれた。布がひんやり気持ちよくて、瞼を閉じた。
ああ、幸せだな。このまま覚めたくないな。
そうか、これは現実じゃないんだから、我慢しなくていいのか。
「……キス……ほしい……」
「っ!」
声がうまく出ない。自分がなんとも情けなくてしょうもなくて、涙が出そうだ。
布がピタリと止まり、低くうなる音。
すぐに消えたけれど、何の音だろう。
ギシリ、と寝台が沈み、頬に手が添えられた。大きな手だ。どうしてか今日はゾワゾワする。吐息が唇の近くをかすめそうになって、離れた。
何故か深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐いている。目を閉じているから、何をしているのかよくわからない。
それから、待ちに待ったキスが額に降りた。
こめかみに、鼻の上に。頬にまで。
なんて大サービスだ。幸せの供給過多で、また沈んでいきそうになる。
「ん……、……すき……」
「…………」
このままずっと眠っていられたら、いいな……。
6,982
お気に入りに追加
8,321
あなたにおすすめの小説
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~
空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」
氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。
「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」
ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。
成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
卒業パーティーで魅了されている連中がいたから、助けてやった。えっ、どうやって?帝国真拳奥義を使ってな
しげむろ ゆうき
恋愛
卒業パーティーに呼ばれた俺はピンク頭に魅了された連中に気づく
しかも、魅了された連中は令嬢に向かって婚約破棄をするだの色々と暴言を吐いたのだ
おそらく本意ではないのだろうと思った俺はそいつらを助けることにしたのだ
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
私のお父様とパパ様
棗
ファンタジー
非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。
婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。
大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。
※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる