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反転

40. 反転する

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「飛び級入学……」
「はい。若君のご入学は初等部の三学年からです」
「何故報告を怠った?」

 フェランドの静かな詰問に執事は動じず、不思議そうに首を傾げた。

「本邸には入学のご報告をお送りしております。からは、確かに旦那様にお渡ししたと連絡がありましたが」
「…………」

 確かにフェランドは受け取っていた。それに目を通さなかっただけだ。

「……重要な報告は口頭でもすべきだろう。そうでなければ、一学年からの入学と捉えて当然だ。執事たるもの、若いからとミスが許されるわけではない」
「失礼いたしました」

 神妙に目礼し、けれど反省の言葉はない。そもそも最初の時点で謝罪を口にせず、平然と返す態度が気に障る。
 この執事はどうも、能力不足だな―――若過ぎて経験が浅いからか、未熟さが目につく。
 本邸の執事も、そこそこ長くなってきたと思ったのに、どうにも仕事が雑なようだ。今後も仕事ぶりが適当であれば、考えねばならない。
 執事が淹れたばかりの茶を、フェランドは口をつけることなくイライラと下げさせた。



   ■  ■  ■ 



 ロッソ家で冷戦が始まった。
 今まで夕食時だけは食堂に集まる決まりだったが、各自が自室で食べるようにと変更された。
 フェランドは明らかに妻へのふるまいが冷淡になった。にもかかわらず、イレーネは今まで通りにこやかに接し、全く動じない。

「イレーネもさすがだな」

 余裕すら漂わせる妻の笑顔に、夫はますます苛立ちを募らせている。
 加えて、「是非奥方と話したい」と明記された招待状が増えた。彼女の装いが評判になり、それが《アウローラ》のドレスやアクセサリーであると耳にして、ご婦人方が興味津々になった。
 女性だけではない。それを立ち上げたのが『手の付けられない悪童』とさんざん貶されていた長男であり、さらにその長男が商会の息子とともに男性向けブランド《セグレート》を手掛けていることも広まった。流行の先頭を行くのが好きな男達は既に《セグレート》のとりこになっており、その使い勝手の良さを熱く語り、噂の長男の話を聞きたがった。

 しかしロッソ伯爵は息子の株が上がる話題には全く乗らない。その話になりかけたら話題をするりと変えてしまい、自分が会話のリードを取ろうとするので、招待主も話しかけた人々も消化不良になってしまう。
 そんなことが続き、次第に彼に近付く者は減ってゆき、夫人や令嬢がロッソ夫人だけを茶会に招待する方向へ切り替えた。
 フェランド=ロッソはとうとう、『付き合いを考え直したほうがいい人物』と認定されてしまったのだ。

「見事に過去の行いが裏返っちゃいましたねえ」

 エルメリンダがお茶を淹れてくれた。彼女のお茶もなかなか美味しい。

「あれだけ舐めた真似をすれば、イレーネの怒りを買うことぐらい想像できたろうにな」
「おこちゃまなんですかね。ご自分が嫌われるようなことしといて、いざ『あなたなんて嫌いよ』って態度で示されたら腹立てるなんて」

 あれからパーティーに挑むイレーネの装いは、すべて《アウローラ》の一式となった。義息子が継母に貢いでいる噂を立てられても困るので、俺がプレゼントしたのは最初の一回きり。あとはすべてイレーネ自身が気に入って購入してくれている。
 新しいもの好きの皆さんのおかげでもう人気が出ているそうで、フェランドが今から挽回しようにも、《アウローラ》を超えるものという条件がついてしまった。下手な仕立て屋を選ぼうものならセンスが疑われてしまう。

「こちらにいらっしゃる間、ずっと奥様にご病気のフリをさせるおつもりだったんでしょうか?」
「折を見て出席させるつもりだったろうな。そもそもあいつはイレーネを見せびらかしたくもあるんだ。それには周りの期待が高まった頃にやるのが効果的だ」
「若様の継母虐めと、いじらしい奥様を印象づけてから、バーンと披露したかったんですかね?」
「その通り」
「あたし嫁に行くとしたら、ゲヒゲヒおやじもゴメンですけど、そんな面倒くさい坊ちゃんおやじの嫁になるのもイヤです」
「おまえにそのような縁談を持ち込むクズがいたら、あらゆるコネを使って優先的に潰してもらうから安心しろ」
「若様のコネがとっても心強いです」

 正直でいいメイドだ。嫁ぎ先が遠すぎて辞められても困るから、できれば婿をもらってくれ。

「ところで若様、寝てらっしゃいませんね」
「夜更かしはしていないぞ」
「食欲も落ちてますよね」
「多少な」

 多少じゃないことぐらい、このメイドにはバレているだろうが。

「お熱はありませんね。ここずっとお忙しいでしょう? 明日はお仕事せずに横になっててください」
「ん……そうする」
「いい子になさってたら、きっといいことあります」

 小さな子へ言い聞かせるようなセリフに、つい噴き出した。

「わかったよ。いい子にしている」

 俺の体調が悪くなれば、疑惑の視線が全部フェランドに向かうのは面白いけどな。
 俺なんかより、心配なのはアレッシオだよ。

『この者は未熟だ。経験を積ませる』

 フェランドがわけわからんことを言い出して、なんでもかんでも言いつけるもんで、彼は今、ものすごく忙しくなっている。
 この国では執事が複数の業務を兼任している一部の下位貴族を除き、外出先まで連れ歩いたりはしない。ところがあの野郎は毎日毎日どっかに出かけて、そのたびに必ずアレッシオを連れ回す。

 仕事じゃねえぞ。観劇に社交クラブにと、優雅に遊び歩いているだけってネタはあがってんだ。
 格式の高いパーティーにまで連れて行き、ただし会場には入れない。執事は招待客ではないのだから。
 終わるまで、馬車でひたすら待機させられるそうだ。

 あの野郎は俺にぶつけられなくなった鬱憤を、アレッシオで晴らし始めたフシがある。
 ことあるごとに若さと未熟さをあげつらい、先日は何もミスっていないのに強引な理屈でミスったことにして、

従僕ではあるまいし。いつまで新人気分でいるつもりだ』

 と、溜め息をつきながら言ってくれちゃったそうだ。
 たかが呼ばわりされた従僕の皆さんは、顔がピキピキっとメロンになったそうです。いくらご主人様には絶対服従でも、バカにされたらムカつくわな。

『わたくしどもも、旦那様のなさりようには困り果てております』

 執事がオーバーワーク過ぎて、その分のフォローがメイド長に回ってくる。
 メイド長はなにも、ムカついたからフェランドの言動を俺にリークしているわけではない。フェランドがいなけりゃ、この家のトップは俺。使用人トップの執事が当主のお守り以外何もさせてもらえず、下の者みんなが困っているという至極まっとうな報連相ほうれんそうだ。
 王都邸の皆がフェランドの上に見ていた幻想は、もはや粉砕されて散った。

「わたくしも、こちらでの女主人のふるまいを教わりたかったのだけれど、それもできないのよね」

 イレーネも困り果てていた。
 領地と王都ではやり方が異なる。それに昨年までは毎年、フェランドがここでパーティーや茶会を開いていたのに、フェランドが何もせず指示もくれないのだ。

「皆それを見越して準備していたのに、どうしようと相談されているの。社交をやめたいのなら、なくてもいいのでしょうけれど……」
「今さらそれはないでしょうね。お祖父様の代までは距離を置いていたのに、縮めたのはフェランド―――父上です。茶会についてはどのように言っていましたか?」
「『きみに任せる』よ。そのためには執事を本来の業務に戻して欲しいとお願いしたのだけれど、話をすり替えられてらちが明かないの」
「……わかりました。茶会に関しては女性限定で、シーズン後半に行えばいいでしょう。回数が少ないぶん招待客を厳選する必要がありますので、今からどちらのご婦人をお招きするか慎重にまとめておいてください」
「パーティーはどうするの?」
「なくても構いません。我が家の必須行事ではなく、父上の気分で行われていたものですから」
「そうだったの?」
「ええ。それは考慮に入れず、今はご自身の教養に磨きをかけ、招待された夜会をこなすことに注力してください」
「わかったわ」

 俺としては参加できないパーティーが消えたところで無問題だ。そんな面倒そうなものはずっと無くていい。
 それよりも、アレッシオの業務をどうにかしてやらねば。


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