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反転

39. 吐いた糸が首を絞める

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 この数日イレーネの寝室には、領地の社交で彼女が好んで着ていたドレスが広げられていた。
 顔色が悪く、沈んでいる。気分がすぐれないようだ。当日の顔色次第では欠席させる旨を先方に伝えるよう、彼は執事に命じておいた。

 ところが、ギリギリになってもイレーネが何も言ってこない。
 きっとどう言い出せばいいかわからず困っているのだろう。自分の準備を済ませ、イレーネはゆっくり休ませるよう執事に命じたのだが―――

「奥様でしたら、欠席のご連絡は不要とのことです」
「なに?」
「顔色次第では欠席とのことでしたが、ここ毎日、とてもご機嫌なご様子でした。夜会が楽しみだと仰せでしたので、先方には特段、連絡は入れておりません」
「……イレーネは努力家だ。空元気で無理をしているのではないか? そのような言葉を真に受けるとは―――」

 続けようとした口が固まった。イレーネが現われたのだ。

「―――」

 この男が人前で呆然とした表情を浮かべるなど、今まであったろうか。

 夜の中に青空が降臨した。
 紺碧から空色、薄い青と徐々に色が変わる生地を、純白と淡黄色を織り交ぜたレースの雲がふわりと包んでいる。
 その雲がひらめくたびにキラキラ光るのは、縫い付けられた小粒の宝石。
 金の髪には髪色に似た金細工の花がとけこむように咲き誇り、朝露となって散らばる宝石がしたたってきらめいていた。

 それ自体が絵画めいた、物語を想起させるドレスとヘアスタイルは、今までになかった斬新なものだ。
 背に翼がないか探しそうになるほど、清らかで、美しい。

「イレーネ。そのドレスは……?」
「ふふ。秘密ですわ」

 優雅に、美しく微笑む妻に、フェランドは気の利いたひとことすら忘れ、魅入っていた。

「参りましょう、旦那様」
「あ……あ。すまない。実に美しくて見惚れてしまったよ」
「ふふ」

 悠然とした表情を取り繕い、彼はいつものように模範的な紳士としてエスコートを始めた。彼女の装いがどこから来たのか、気にはなったが……。

 国王夫妻が主催する最初の夜会で、イレーネは注目の的になった。どちらからのお褒めの言葉にも動じることなく微笑み、マナー通りにもかかわらず堅苦しさを一切感じさせない喜びを返すイレーネは、もう何年も社交界に馴染んでいたかのように堂々としている。
 しかも他の貴婦人から嫉妬の視線がない。聖画に描かれる天使そのものの澄んだ美貌に、心洗われる美しい装いが合わさり、同性からも憧れの視線を集めていた。

 国王夫妻は先にヴィオレット公爵に声をかけており、その流れで公爵もロッソ伯爵夫妻に声をかけてきた。
 彼らは明らかに、伯爵その人よりも夫人のほうに強い興味を示した。

「ドレスも髪も、なんと素晴らしいのでしょう……あまりにお美しくて、先ほどから声をかけたくてたまりませんでしたのよ」
「お言葉、嬉しゅう存じます。これはわたくしの義息子むすこ、オルフェオからのプレゼントですの」

 頬を染めながらあっさりと明かすイレーネに、フェランドは固まった。
 ―――なんだと?

「わたくしが継母ははとなってちょうど三年目のお祝いとして。それから、オルフェオがよい成績で入学できたお祝いも兼ねてと。本当でしたらこちらこそが祝ってあげなければいけないのですけれど、今までやってこれたのはわたくしや義弟おとうと、妹が家族になってくれたからだと―――いつも感謝していると、そう言ってくれたのです」
「まあぁ……それは嬉しいですわね! なんて素敵なご子息ですこと……!」

 瞳を潤ませるイレーネに、つられて涙ぐむ王妃。彼女には今年五歳になる息子がいる。将来自分も息子から言われてみたいと想像したようだ。
 フェランドは動揺を押し殺し、なんとか苦笑を作って口をひらいた。

「しかしながら、あの子は……どうにも、不出来で……」
「ははは! 謙遜はやめたまえ、ロッソ伯爵!」

 苦し紛れの否定を、朗らかに遮ったのは公爵だ。

「そのようなことばかり言って、すっかり騙されてしまったぞ? まだ十二歳というのに、私の子供達と同じ学年に入学するとは素晴らしいではないか!」
「は―――?」
「あのアランツォーネ商会の神童がご子息をビジネスパートナーと慕い、ご子息を追って入学したのもすっかり有名だぞ。新たなブランドを立ち上げるなどさまざまな事業に取り組んでいるそうだが、私の子供達も随分親しくなれたようで、話がはずむし良い刺激になると喜んでいるのだよ。私も一度挨拶したことがあるのだが、あの落ち着きといい打って響くような知性といい、実に将来が楽しみなご子息だった!」

 国王夫妻とヴィオレット公爵、この夜会で最も身分の高い者が集まる場所は注目の的だ。別に声を張り上げずとも、隅々までよく届く。
 学園に通う我が子から、『本当のロッソ伯爵令息』について聞いている貴族達は、驚きつつも納得顔で頷いていた。

「ええ、本当に。自慢の義息子むすこですわ」

 心からの笑みを浮かべる妻に、一瞬、フェランドの瞳がギラリと光った。これまでずっと従順だった妻が、裏切りを発したのだ。
 むき出しになった形相の変化を、国王夫妻とヴィオレット公爵は見逃さなかった。
 それ以外にもちらほらと、目と耳の鋭い者達がぎょっとしている。
 ―――噂と異なるのは、どうやらオルフェオ=ロッソだけではない。



   ■  ■  ■ 



 なぁんてことがあったんだってさ。
 いやぁハッハッハ、笑いが止まらないね!

 こういうこともあろうかと、家族仲が良好な証拠プレゼントを準備しておいた。もちろん、日頃からの感謝を伝えたかった気持ちも本当だ。
 だってすごいじゃんイレーネ。あれの奥さんを何年もやってくれてるんだよ? 感謝どころじゃねえわ。元夫が亡くなった直後、フェランドを逃したら変態ヒヒジジイの慰み者にされるしかなかったらしくて―――美女が困窮していたらゲヘゲヘおじさんが湧くのは世界共通だ―――比べるまでもなく天国だと笑っていたのは何とも言えないが。

 で、『俺』はイラストを描くのが得意だった。試しに「イレーネにこんなのを着せてみたい」を紙にぶつけたら、興が乗り過ぎて大量に出来てしまった。
 いけないいけないと己の頭をセルフコツンしつつ、一番彼女の清楚な雰囲気を引き立てそうな一枚を選び、それに合わせたアクセサリーのイメージ画も仕上げて、ラウルに預けたんだけど……何故かそこに積んでいたはずの紙が全て忽然こつぜんと消えており、女性向け新ブランドの企画が始動していた。

『命名をお願いします』
『…………《アウローラ光のように澄む》?』

 いや、ガポガポ儲かっているようでしたら何よりです。

 飾りに使われているキラキラは宝石ではない。ロッソ産の宝石類に俺はノータッチだ。
 ならば何かというと、色ガラスである。空色や淡黄色の小さな色ガラスを、光が反射しやすい宝石カットにしてレースに縫い付けている。
 それから髪飾りは、これまで髪色と同じ色は避けるのが主流だった。ぼやけて目立たなくなるというのが理由だ。そこをあえて、イレーネの髪と区別のつきにくい金細工の花―――継母へ贈るのにあやしい意味にならないやつ―――にして、つやつやの雫を模した淡い色ガラスを散らした。
 もちろん耳飾りと首飾りも、デザインを統一した花の金細工と色ガラスである。

 この世界でガラスは安物じゃない。作る技術があちらの世界ほどに進んでいなくて、手間も材料費も段違いにかかる。ヒロインが職人相手に失敗したのは、こちらのモノの価値を甘く見たからだ。
 いつの間にか俺が立ち上げたことになっている《アウローラ》のドレスは、商会お抱えの優れた職人達の手によって無事出来上がった。
 それを《秘密基地》に届けてもらい、イレーネ達を連れて行って見せた。

『若様、ご自分のお召し物のセンスは壊滅的なのに、こんな才能があったんですね……!?』

 エルメリンダよ、同感だ。なんで俺自身の服だと壊滅的な有様にしかならんのだろう。不思議である。

『母様きれい! 綺麗です!』
『かあたま、きれー! おひめしゃまー!』
『そう? うふふ』

 子供達からぴょんぴょん飛び上がって褒められ、イレーネは少女のように嬉しそうだった。乳母やメイド達も素敵素敵と大興奮。
 何よりラウルが『売れる』と確信している。―――このドレスなら勝てる。

『さすがだな、オルフェは。とても気品がある上に斬新だ』
『すてき……』
『皆様もそう思われますか!? 兄様はすごいですよね!』

 くっ、いい子め、兄ちゃんもっと頑張っちゃうぞ!
 失礼なことに友人達は皆、俺の天使自慢を身内の欲目半分と疑っていたそうだ。
 本当に三人とも天使でびっくりしたらしい。そうだろうとも。

 友人達に俺の家族を、家族には俺の友人達を紹介した。微妙に照れ臭いけれど、大事な社交の予行演習だ。デビューはまだでも双子は公爵家、それに関係の近い家の子もここに揃っており、これで彼らの親と『子供同士が友人』という接点ができた。
 地方にはない暗黙のルールや近付くべきではない家など、皆でイレーネにアドバイスをした。特に俺が悪役令息時代に仲良くしていた奴らはアウトなんだが、漏れなく双子や従者トリオのブラックリストに入っていた。公爵家がさすがなのか、こいつらがさすがなのか……。

 『お兄様のお友達』に紹介してもらい、なんだか難しそうなお話にも交ぜてもらえたのが嬉しかったのか、ジルベルトもシルヴィアも終始ご機嫌マックス。
 イレーネは真剣に耳を傾け、帰る頃には晴れ晴れとした顔つきになっていた。
 「頑張ってドレスを宣伝するわ!」と―――おいラウル!? おまえだけ何を吹き込みやがった!?

 そしてフェランドの前ではギリギリまで、さも王都から持ち込んだドレスしかなくて悩んでいるフリをしてもらい、夜会当日の朝、アクセサリーその他一式を王都邸に届けさせたのだ。


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