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反転

34. 子猫の変化と突然の難題

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「たいしたモンだにゃ」
「だろう? ニコラとラウルがいなければ、ここまでのものは出来なかったな。想像以上だ」

 ニコラから提出された大判の紙を広げ、俺はおおいに満足しながら膝上の子猫の額をこちょこちょした。おでこや耳の付け根をなでなでするのが、この子猫のお気に入りなのだ。

「ほんと、牢にお邪魔した時は、おまえがこんなヤツになるとは全然想像もしてなかったぞ……」

 子猫は「むにゅ…」と妙な声を発して、また紙に向き直った。



   ■  ■  ■ 



 公爵家の双子は、その後もたびたびロッソ邸を訪れるようになった。珍しい菓子の土産をくれることもあり、彼らはお茶とお喋りを楽しんで、だいたいは長居せずに帰ってゆく。
 何度か会って少しずつわかってきたが、あの双子は意外とチョロくはなく、むしろ若干の人間不信が入っていて、警戒心は非常に強い。従者トリオはそれをフォローするためにノリの軽い少年を演じているだけで、中身は抜け目のない保護者というより守護者ガーディアンだった。
 その上で彼らが兄妹の言動を止めないということは、公爵がこれをよしとしているのだろう。
 仲間に入れろオーラが日ごとに強まっていき、一応アレッシオやエルメリンダに相談した。

「従者のお三方も含め、あの方々の裏切りや漏洩の不安はないかと」
「あたしもそう思います」

 俺もそう思う。意見の三者一致を見たので、彼らにうちの事情を細かく説明して『仲間』に入れることにした。
 ニコラとラウルも既に俺の事情は承知しており、アレッシオが用意してくれた俺の執務室に出入りするメンバーとして、改めて小さな歓迎会をした。と言っても、いつもの放課後のお茶より砕けた雰囲気の、普通に『友達』が寄り集まってやるような歓迎会だ。
 兄妹はいたく喜び、無表情の中の目が雄弁に輝いていた。

 ところで、元攻略対象という基準のおかしい面子メンツは除き、十二歳で執務室を与えられる子などそうそういない。アレッシオはブルーノ父から、「若君には必要になるかもしれない」と言われて、用意だけしてくれていた。
 ただ残念ながら、ここを活用できるのは今だけ―――あの野郎がいない時だけだ。
 館の鍵はすべて執事が管理する。奴に命じられれば、アレッシオは俺の執務室の鍵だろうが机の鍵だろうが、言われるがまま開けねばならないんだ。

 当初はアレッシオもあいつがそこまでとは思っていなかった。本邸ではそういうことがなかったから、ブルーノ父も思い浮かばなかったのだろうが、今年からは状況が変わる。
 もうすぐ、ここに重要なものは置けなくなる。現在、ラウルに良さそうな貸し家を探してもらっている最中だ。

「ニコラ先輩、あれをもう読み終えてしまったのですか? しかも全部憶えたって……?」
「うん」

 従者トリオが目と口をパッカリ開けてニコラを凝視していたのには、悪いと思いつつ笑いそうになった。
 王立図書館の貸出不可コーナーにある、災害記録や関連資料―――難解で分厚いそれらを数日もかからず読破しただけでも狂気的なのに、彼はあっさり憶えてしまった。いわく、数冊の小説を読むほうがじっくり読み込むので時間がかかるそうだ。
 それだけではない。アランツォーネ商会が日頃、あちこちで収集している土地ごとの情報を記録した資料を、持ち出し可能な該当分だけ貸してもらえたのだが、ドドンと積み上がった小山がわずか二~三日で消化された。
 もはや怪奇現象じみている。

 他人から「すごい」と言われ慣れていないニコラは、年下の友人達から向けられる驚愕と畏怖と尊敬のまなざしに戸惑っていた。あの面子メンツならば、そのうち素直に受け入れられるようになりそうだが。

 ラウルはほんの少しだけ面白くなさそうだった。
 ロッソ領の調査に商会の人材力は欠かせない。重要な記録や報告書のたぐいは、フェランドの許可なくば閲覧できない場所に保管され、俺は自分の家のことを調べるのに自分の家をあてにできなかった。
 ただ、ニコラが純然たる己の能力を褒められているのに、自分は家の力が大半を占めているのが少しばかり悔しいのだろう。

 世慣れていないニコラとは得意分野が異なるだけだ。あいつ自身の才覚が認められなければ、いくら嫡男であっても、男爵は家の力をこれほど自由にさせはしない。そうわかっていても、面白くないのだ。
 よくある男の子の嫉妬である。

「ニコラと違って、おまえは出世払いだからな。むしろいつもタダ働きをさせて申し訳ない。おまえの投資額はいつか必ず倍になって回収できると約束しよう」
「いらないです。元本すら戻らない呪いをかけるのやめてください」

 励ましたのに叱られてしまった。何故だ。

 まあ、そんなこんなで、ラウルの協力のもと、ニコラは見事に描き上げてくれた。羽根ペンでは時間がかかりそうなので、最近商会が売り出し中のペンを贈っておいたのだが、作業がとてつもなく早くなったと歓喜していた。
 クリームイエローと緑の色ガラスに金彩でブランド名が刻まれた《セグレート》のガラスペンには、ヴィオレット兄妹も興味津々。さっそく大物の顧客確保の気配がしている。売り上げに貢献できれば何よりだ。



   ■  ■  ■ 



 大量の紙の束が、机に積み上がっている。商会から提供された高級紙だ。一辺が俺の片腕ほどもある大きさで、用途が限定されるため一般販売はされていない。
 ニコラの手による、王国全土を描いた地図だ。
 その地図には無数の矢印が書き込まれている。
 矢印の近くには数字があり、地図のはしの空欄に、箇条書きで数字の内容が書かれていた。日付やおおよその時間、それから参考にした資料。

 大嵐として記録に残っている分だけだが、これは風向きだ。何年何月何日のいつ頃、どこでどの方角から猛烈な風が吹いていたのか、それを示したのがこの矢印。
 まちまちの方角に伸びた矢印もあるが、全体で見れば、常に一部地域に集中しているのがわかる。

 それは反時計周りの巨大なうずだった。とてつもない大渦おおうずは、アルティスタ王国の西の海からのっしりと上がり、北東へ移動しながら徐々に小さくなって、やがて姿を消す。
 通り道だ。
 随分な厚みになった紙束の中、ほとんどは道筋が変わらない。ところが三十五年前、ロッソ伯爵領に甚大な被害をもたらしたとされる大嵐だけ、大渦おおうずの最初に現われる場所が全く違っていた。

 ロッソ領のずっと南にある、王族の直轄地の港。嵐は滅多になく、港町が栄えている。その大渦おおうずがあの港から上がり、ほぼ真北へ進んで、うずが小さくなる前にロッソ領を直撃したのがわかる。そこに着いた後は、何かにぶつかるように弧を描いて北東に向かった。

 俺としてはほぼ予想通りのものが、確かな証拠としてそこにある。
 この世界には、こういうものがかつてなかった。俺の懸念に説得力を与える何よりの材料。アレッシオはもちろん、仲間達は全員、食い入るようにこれを見ていた。
 まずは上々の成果―――なんだが。

『これは、大発見ですよ。ロッソだけに留まる話ではない』
『公爵閣下にもご報告すべきではありませんか?』

 従者トリオが深刻な顔で進言してきたのが、ちょっと気になるんだよな……。
 カルネ子爵家は外交官一族、ジャッロ子爵家は法務官を多く輩出、アルジェント伯爵は財務大臣……息子達が本格的に仕事をするのは卒業後からとはいえ、彼ら全員が言ってきたということは、軽く無視していいものではない。
 このうちの一枚だけを彼らに預けたんだけれど、公爵への報告はどう転ぶのか……。

「なあ……オマエさ」
「ん?」

 子猫が何やら、言いにくそうにしながら見上げてきた。背中を撫でてやりつつ、先を目線で促しても、まだむにゅむにゅ言っている。
 こいつがこんな風に言いよどむって珍しいな。

「……ん~……みゅ~……。あのさ、おまえ、あの兄さんと、成人の日ににゃんにゃんするって約束してたろ?」
「あ、あー、ああ、うん。したな?」
「それ、延ばせない?」
「……は? 延ばすって」

 延期しろと? 何を唐突に。
 子猫は答えず、図面に顔を戻した。でも細い尻尾が揺れた後、背を撫でる俺の手にぴったりと貼りついている。

「……数日の延期なら、許容してくれると言っていたが……いつまでだ?」
「おまえが牢に入れられた日」
「―――」

 子猫が再び見上げてきた。いつもは真ん丸の黒い瞳が、細くなっている。
 闇が縦に裂き、どこかへ繋がる隙間がひらいているようにも見えた。その隙間から、何かがこちらを覗き込んでくるような。

「いや……しかし……日付が明確にいつだったか、憶えていないぞ? 春だったというだけで……」
「四月一日だ」

 そんなキリのいい日だったんだな。
 それでその日か、それ以降に? なんだってまた、いきなりそんなことを言い出したんだ。
 おまえ毎回毎回、俺がアレッシオに揶揄からかわれてはドギマギしているのを見物しながら、「みゅふ♪」とか言ってやがるくせに。

 急に何か、予兆でも見えたのか?
 それとも、そんなものではなく……何か、おまえ自身の、気が変わった?

 でもそんなのいきなり、どうすんだよ。そりゃあ、俺が勝手に五年計画を立てたんだけどさ。その日に延期したら、アレッシオとの契約期間が過ぎるじゃないか。
 その時、彼はもう俺に縛られなくなっているのに。
 ……もしやフェランドは、五年で倒せない? もしくは、その日が来るまで始末しないほうがいいのか?
 ……それを、気が変わって、教えてくれる気になった……?

 猫は答えない。ただじっと、深い闇の隙間がこちらを見上げている。
 …………。

「説得の言葉、一緒に考えてくれ」
「ムリ」

 即答かよ。
 俺は頭を抱えた。
 こんなことを言い出したら、アレッシオの奴、怒るかな……?


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