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反撃の準備

17. 悪魔も囁く相手は選んだほうがいい

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「そうそう、のが好きだったんだよな、おまえって」
「……なら、そちらがいいというだけで、実際に体験したことはなかったぞ。都会の乾いた人間関係のおかげで、心の重荷がだいぶ外れたが、かといって相手が簡単に見つかるのでもなかった」

 同じ会社の人間は論外だし、誰彼構わず遊んでいるタイプには近付きたくなかった。一夜限りのお相手探しなんて、病気や金銭トラブルに巻き込まれるのが怖い。
 だから二次元に没頭し満足できていた『俺』は、それなりに無害な生き方をしていたと思うんだよ。危険な香り漂う攻略対象のアレッシオにハマったのは、それが安全なゲームのキャラクターだったからだ。現実にいたら絶対に自分から寄っていくタイプではなかった。
 なのに実物がいきなり現われるなんて、こんなの避けようのない事故じゃないか。

「にゃはは! とんだ事故だったねぇ♪ 大金ばらまいてプロのお姉さんと遊びまくってたお坊ちゃんが、まさか自分よりガタイのいい男に組み敷かれてあんあん鳴かされたいヘンタイになっちゃうなんてさ♪」
「変態……」
「そ、ヘンタイ♪ もういっそのこと、異性だ同性だって悩むのなんてやめちゃいな。せっかくひとつ屋根の下で暮らせるんだ、あの兄さんに身体で迫って堕とすのはどうだい? にゃっひゃっひゃ♪」
「名案だ。そうしよう」
「はにゃ?」

 アレッシオはロッソ家の執事であって、俺の執事ではない。ブルーノ父が俺の窮状を正しく息子に伝え、俺のフォローを頼んでくれていたとしても、残念なことにブルーノ親子の主人は俺ではなくフェランドだ。
 この世界の家長は、『俺』の生まれ育った田舎なんぞ比較にならない絶大な権力を持っている。当主の一声で、肉親を文字通り監禁し鎖に繋げられるほど、家の中では当主が法律なのだ。
 前回のフェランドはシーズンが終わるごとに領地へ戻ったが、今回も同じ流れになるとは限らない。

「だとしたら、彼をこちらへ付ける好機は今だけかもしれない。ブルーノ親子が心情的には私の味方でいてくれても、主君に命じられてしまえば最終的には従うしかなくなる。ならば、アレッシオが奴を裏切って私に服従するよう、身体で堕とすのは妙案だ」
「あにゃ……あ~、まぁそうだけどよう。おまえ、自分のトシ憶えてる?」
「十二歳だ。アレッシオに子供趣味はない。だからこそ後ろめたく、敬愛する父親にだけは決して知られたくないと強く願うだろう。つまりバラされたくなければ言うことを聞けと脅す」
「黒ッ!? ―――えっ、もう手段思いついてるぅ!? ちょ、計画立てんの早ッ、てか黒ッ!?」
「シンプルでよくある手だと思うんだがな」
「迷いが一ミリもない……!? なんでさっきの今でもう吹っ切れちゃってんの!?」
「おまえのアドバイス通り、異性だ同性だと足掻くのは時間がもったいないからやめただけだ」

 それに、腹が立ったからな。彼に会った時、自分がどうなるか読めなくて何も訊けずにいたのに、これはまるで何かの悪意のようだ。
 アレッシオが執事になるなら、ブルーノ父よりずっと早く引退するであろう王都邸の執事の見習いになっておくのは順当な選択であり、単に俺がそこに思い至らなかっただけで、彼らには何の他意もないと重々わかっている。
 誰のせいでもなく、ただ俺が、俺自身の道化具合に心底腹が立ってきたってだけだ。
 しょせん残り五~六年だけ、アレッシオには子猫に噛まれたと思って我慢してもらおう。大型犬に噛まれるよりきっと傷は浅いぞ。

「違う、僕が求めてたのはコレジャナイ……!」

 子猫がコンナハズジャナカッタと騒いでいるが、外に漏れ聴こえてしまわないだろうか。
 あ、他人には猫語にしか聴こえないって? よかったよかった。

「ヨクナイだろ。猫に話しかける変な坊ちゃんと思われちまえっ」

 子猫がツンとそっぽを向いた直後、ドアがコンコンと鳴った。
 エルメリンダだ。夕食の準備が整ったらしい。

「若様、何か朗読でもなさってました? お声が少し聴こえましたけれど、邪魔してしまいましたでしょうか?」
「何も邪魔はしていないぞ。アムレートと喋っていただけだ」
「まあ、そうなのですね」

 メイドは微笑ましげに俺と子猫を見比べ、子猫はパカ、と口を開けた。



   ■  ■  ■ 



 子猫とコミュニケーションを取った翌日、予習してきた王都邸メンバーの名前と顔を一致させる作業に費やし、さらに翌日、朝も早い時間から王立学園に出向いた。

 この世界に宗教らしい宗教はないのに、天使や悪魔の概念はある。荘厳な教会のごとき学園の尖塔を見上げ、ステンドグラスの美しさにしばし見惚れた後、この世界はやはりあのゲームが元になっているのだなと改めて思った。
 ただし文化的な背景、時代考証がたまにおかしいと感じても、この世界の歴史や産業などをきっちり学んでみれば、ちゃんと理由があってそうなっているのがわかる。現実である以上、ゲーム上のお約束も強制力もなく、『俺』の世界とは異なる歴史を辿った別の世界なのだとストンときた。

 を午前中に終え、ちょうど昼時なので食堂に向かった。春休み期間で閑散としている建物に、学生の姿はあまり見かけない。
 が、食堂自体は開いている。家が遠方、かつ別邸を用意できない経済力の子は寮に入るしかなく、そのうち何割かは往復分の旅費の捻出が難しい、あるいは日数がかかる等の事情で、長期休み中も寮に留まっていた。

 食堂に着くと、俺はエルメリンダと従僕に隅で待機してもらった。
 本来自分の家の使用人を連れ歩いてはいけないのだが、今回は入学前なので特別に許可をもらっている。

「ロッソ様! ロッソ様ではありませんか!?」

 が、記憶より高めの声をかけてきた。
 いると思ったんだよ。食堂はタダだもんな。

「やあ。もしや、リーノ家の?」
「そうです、私です、リーノ子爵家のマルコです! 嬉しい、私を憶えていてくださったのですね!」

 よぉく憶えているとも、ひとつ年上のマルコ=リーノ。分家の三男坊で、旅費が捻出できず寮に留まっている派。前回の俺に、いろいろ『楽しいこと』を教えてくれたよな。
 一緒にいる奴らにも、かつての取り巻きの面影があった。マルコの喜色に満ちた声はよく響き、俺が何者なのかすぐに察したのだろう、そっくりな気持ち悪い笑みを一斉に向けてきた。

「今年の四月から入学なさるのでしたよね? 本日は何故こちらへ?」
「入学手続きに関する用事があって、先ほど終えたばかりだ。せっかくだから食堂を利用してみようと思ってな」
「なんと、そうだったのですね! さあ、こちらの席へどうぞ! お食事は我々が取りに参りますので、どうぞお座りください!」

 うーん、ごりっごりにゴマすってくんなぁ。

 王立学園は、いい教師を雇えない貧乏貴族にも教養を与え、さまざまな交流を経て将来の道へ繋げさせる、貴族全体の底上げを目的として創立された。
 年頃の少女達には、より条件のいい未来の旦那をゲットし得る狩場でもあり、家督を継げない次男坊以降にも、何らかの道が拓けやすい。
 ただし悪い面が出ると、自力で何かをやる気概も才覚もない奴が、コネで楽をすべく上位者に群がってくる。こいつらみたいにな。

「お待たせいたしました!」
「ん? おまえ達とメニューが違うのだな?」
「ええ、身分によって料理が異なるのです」

 得意げに教えてくれてありがとうよ、知っていたけどな。
 明らかにランクの違う料理トレイを、周りの少年達が羨ましそうに睨んでくる。子爵や男爵用のメニューも、標準的な平民の食事に比べたらずっと豪華なんだが、こいつらには知ったこっちゃないだろう。

 おべっかに微笑みながら、しばらく好きに喋らせてやると、ガキどもは次第に調子に乗り、品性の欠片もない下半身の話題一色になっていった。
 うんざりしているのをおくびにも出さず、頃合いを見てほんの少しだけぼやいてみた。

「最近は疲れることが多くて滅入っている。何か気が晴れて楽しめることでもあればいいのだが…」

 マルコ達は顔を見合わせ、気持ちの悪いニヤケ顔をさらに気持ち悪く歪めた。

「これは私が高等部の先輩に教えてもらったのですが、ロッソ様にも特別にお教えします。きっと夢中になりますよ」

 ……ほんと、口も頭も軽い奴だな。
 悪役令息時代、こんなのを側近の一人にしてたのかと思うと涙出そうになるわ。

 ヒソヒソ語られた、いま彼らが夢中になっているもの―――それは誰でも買えるありふれたハーブを、ある花の蜜と一緒に正しい割合で混ぜ合わせれば、素人でも作れてしまう魔法の薬。
 頭の芯がぼやけて恍惚感を覚え、熱したチーズのように理性がとけ、下半身だけの生き物と化す。
 つまり、媚薬の一種である。

 依存性はなく、わずか一~二時間ほどで自然に抜ける。健康被害もない。
 違法ではないから、取り締まりの対象にもならない。

 そう、これを聞きたかったんだよ。後で入手方法を問い詰められるのは必至だからな。
 前回は入学直後に作り方を教わった。その時点ではそっち方面が熟していなかった俺は、ギリギリの成績で二年に上がった頃、玄人のお姉さん相手に使うようになったんだ。
 単純な猿だった俺は、すぐに夢中になった。
 最後のひと口を食べ終え、フォークを置いた。食堂のお仕着せを着た従僕が、素早くトレイを下げていった。

「良い味だった。それでは……」
「ロッソ様、この後のご予定はいかがですか?」
「学園にいらっしゃるのは初めてでしょう? 僕らがご案内しますよ」

 いらんわ。おまえらに付き合ってやったら、うちのメイドと従僕のメシが遅れまくるだろうが。

「ほかにもやることがあるのでな。おまえ達もせっかくの休みだろうし、ゆっくり予習にでも励むといい」

 マルコ達は『予習』の部分にピクリと引きつり、めげずに作り笑いを貼り付けた。

「では是非、またお声をかけてくださいませ!」

 俺は彼らの目を見ずに「考えておく」と答え、立ち上がって背を向けざまにヒラリと片手を振った。これは二重で「NO」の意味だ。
 こいつらに理解できる頭がなくとも、こっそり様子を観察しているギャラリーに通じていればいいんだ。寮に残っているのはこいつらだけじゃない。食堂のスタッフもいるからな。
 食堂を出れば、エルメリンダが「お疲れ様でございました」と声をかけてくれた。

「まったく、疲れたよ。無視するのもどうかと相手をしたが、失敗だった。今後彼らと交流を持つことはないだろう」


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