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反撃の準備

16. ロッソ邸の子猫

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 攻略対象アレッシオ=ブルーノの色は、『茶色』だ。
 それだけを聞けば地味な印象なんだが、彼の髪のつやと陰影は見る角度によって深みが変わり、ぱっと見で視線を奪われるような主張の激しさはないものの、吸い込まれそうな魅力がある。
 瞳は髪よりも明るく、内側から滲み出る力強さに、俺は宝石ではなく大地を連想した。
 茶色というものに、これほど色彩の違いがあったのかと気付かされる、そんな色。

「実を言えば、何日かは不快な目に晒されると覚悟していたんだ。おまえのおかげで快適に過ごせそうだとわかってホッとしたよ」

 アレッシオの仕事は完璧だった。
 彼はわずか一年で王都邸を掌握し、俺はここの使用人から『我が儘坊ちゃん』のイメージを刈り取って回る必要がなくなっていた。

「お褒めに預かり光栄に存じます。ですが、若君への『誤解』を跡形もなく消し飛ばされたのは、ほかでもない若君ご自身です」
「私?」

 不正に手を染めた者がのさばっていたせいで規律がゆるみ、以前は俺への陰口がそこかしこで聞こえていたそうだ。本邸に出入りする者から正反対の噂を頻繁に耳にするようになっても、まだ半信半疑の者が多かったという。 
 アレッシオは「ロッソの使用人たるもの、若君を貶める発言を口にしてはならぬ」と徹底させ、誰も表には出さなくなったが、内心でくすぶる不信感までは消しきれなかった。
 けれど皆、俺を見てようやく気付いた。ここと領地を行き来する限られた職種の者を除き、今まで誰も実物の俺を目にする機会がなかったことに。

「これでもなお己を改められぬ者は、ロッソ家の使用人として不要です。たとえ悪評を浸透させたのが旦那様であろうと、一介の使用人ごときが若君を貶して許されることにはなりません」

 アレッシオは歪みを正したに過ぎず、それを理解できずに不満を抱え続ける愚か者など、居てもらわなくて結構というわけである。

「短期間で、ここまで矯正するのは大変だったろう。苦労をかけたな」
「いいえ。とても楽しませていただきました」

 水を得た魚って、こういう笑顔のことを言うのかな。うん、楽しかったのならいいよ。執事になる前はクズを排除できるだけの権限がなくて、フラストレーション溜まってたろうしね。
 ともあれ、俺がとても上品ないい子で、すぐ周りに当たり散らす暴君でもなかったから、彼らは本邸の使用人から伝わる噂のほうが真実だと悟ってくれたわけだ。

「ところで、については明後日の午前の予定になっております。もし旅のお疲れが残っているようでしたら……」
「明日たっぷり休めば問題ない。予定通りに」
「かしこまりました」

 今は三月に入ったばかり。入学式は四月一日。
 社交シーズンは四月の終わり頃から六月の終わり頃。フェランドがイレーネ達を連れて王都に来るのは、四月半ば頃と聞いている。それまでは俺の天下だ。

 しばらく休みたいからと一人きりにしてもらい、絨毯の上でころころヘソ天をしている子猫をすくい上げた。
 薄氷色の瞳をじ―――……と見つめる。

「…………」
「…………」
「…………」
「……み?」
「おやつの量を、減ら」
「待ちたまえ。話し合おうじゃないか」

 ピシィ! と肉球を突きつけてきた。
 ……おい。

「おまえな。やっぱりあの時の猫なんじゃないか……!」
「えへ?」

 えへ、じゃねえよ。
 黙っているのは何か理由があってのことかと思っていたのに、まさか、おやつでボロを出すとは……。

「にゃにゃ、誤解はやめたまえ。折を見て声をかけるつもりだったんだよ、ホントだよ?」
「ほお? 今までずっと他猫のフリをしていた理由は?」
「それはだね―――おまえ、順応しすぎ!」
「は?」

 子猫は怒涛の勢いで喋り始めた。
 なんと、俺の今の状態は、こいつにとっても計算外だったらしい。

 やはり『俺』の正体は前世ではなく、別世界の人間の記憶を移植したものだった。
 本来ならば俺の人格とは完全に分離された状態で、必要に応じて『攻略本』として活用する、それが『特典』だったというのだ。

 いきなり自分の中に他人の記憶が生えていたら、普通は戸惑うだろう。しかもこの世界が別の世界の乙女ゲームなる物語とそっくりで、自分が用意された悪役の人生を辿って断罪されたと知った時、さぞかし衝撃を受けるに違いなかった。フェランドが実父ではない裏設定も、「嘘だ、そんなことなどあるものか!」とかたくなに否定したに違いない。
 それでも、人生が実際に巻き戻った以上、もう一度生き直すしかない。絶望に呑まれそうになりながら、『攻略本』から得られる情報に戸惑い、苦悩し、破滅の人生から逃れようと足掻く……
 そうなるだろうと、子猫はしていた。

 ところが、予想外のことが起こった。本来の『オルフェオ』の精神こころが弱り過ぎて、ただの記憶に過ぎなかった『俺』に人格が侵食されてしまったのだ。
 「精神的にだいぶ儚くなっちゃってたから、自我の強い『俺』に負けて染め上げられた感じ」と以前思った、まさにその通りのことが俺の中で起こっていたらしい。

「完全に混ざり合っちゃって、もー分離なんてできないよ! ゲームの攻略知識に振り回されつつ、それでも頼らずにいられない葛藤とか、成功したり失敗したり不器用に足掻いてもがいて気付けば終焉がすぐそこにある絶望とか、そーゆーのが見たかったのに! おまえ僕との会話思い出した時点でもう馴染んじゃってるし、『陰険蜘蛛あのやろうを地獄へ道連れにするための目標設定』やら『達成のためのタイムスケジュール作成』やら、攻略に隙も躊躇ためらいもなさ過ぎだろ! 僕の出番が全然なかったじゃん! もっと無様に右往左往して僕を愉しませ―――ふみゃっ? こ、こら何をす……ふみゅう♡ や、やめるのにゃ♡ そ、そこは弱っ……ふみぃ~♡」
「そうかここがいか。ずっとケージの中で疲れたろう。長旅のストレスは動物にとってよくないと聞くしな」
「こ、この世界ではそんな、愛玩動物のストレスなんて、考える奴、は…………うみゅ……みゃん♡」

 心が読めるとわかっていても、子猫には話しかけたくなるのが飼い主というものだ。
 白い毛玉をなでなで、もみもみしながら、俺はたっぷり飼い主の義務に集中した。



 かつて子猫マッサージの動画を見漁って習得した黄金の指をフルに使い、いろいろと質問攻めにした。
 いわく、この世界はゲームではなく現実であり、パラレルワールドでもない。時間を巻き戻しただけの同じ世界で、一回目の記憶を保持させているのは俺だけとのことだった。

「とんでもない話だが、悪魔とはそんなことも出来てしまうのか」
「みゅ……できるとも。ただし同じ時間を二回戻すことはできないけどね」

 いわく、時間への干渉は乱発できず、一度使ったら再使用までにクール期間が空く。
 巻き戻すためには人間との契約が必要不可欠で、やり直しはきかず、『俺』を無かったことにはできない。
 また、猫はあちらの世界の記憶に干渉できるが行き来はできず、生きた人間を引っぱり込むことも、こちらから送り込むこともできない。
 悪魔とは何者か? →ノーコメント。
 ほかに悪魔はいるのか? →ノーコメント。
 かゆいところはないか? →おでこをもっとコチョコチョしろ。

「もぉヤダ。もぉ~ヤダ。何言っても秒で通じちゃうし動じないし、こんなのつまんないよう!」
「期待に添えず申し訳ないが、もう少し付き合ってくれ。この世界が現実なら、あの世界とはどういう関係がある?」
「知らないよ。世界は世界だよ。たまにあるのさ、どっかで書かれた物語そっくりの世界がポンと生まれたり、どっかの世界の出来事をそうと知らず物語にしてたりとかね。世界間の時間軸のズレだってよくあることだし、どっちが先とか深く考えるだけムダさ」
「ムダなのか。それを聞けてよかった、ありがとう。時間と頭を無駄に使わずに済んだよ」
「違う……こんなの違う。こんなの僕が期待した反応じゃない……」

 膝上でヘソ天で絶望する子猫は、目を細めて喉を小さく鳴らした。そうか、ここもいか。
 ちなみに、おまえがどんなにスリスリしても服や絨毯に毛がつかないし、壁や柱で爪とぎもしないから、使用人の皆はおおいに助かっていると思うぞ。
 俺の指と視界も幸せだし、お礼に何か具玩オモチャでも作ってやろうかな。

「でも、そうか。もう切り離すことはできないのか……」

 同性を恋愛対象とし、閉鎖的な田舎を追い出され、乙女ゲームが趣味で仕事だった『俺』。
 それがもう俺自身になってしまったというのなら、アレッシオに感じてしまったこれが、一時の気の迷いとは言えなくなってしまった。
 子猫はニヤァ……と嗤った。


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