上 下
15 / 159
反撃の準備

15. 闇がなくとも沼は沼

しおりを挟む

「若様、大丈夫ですか? 酔っちゃいました?」
「……多分。気にしなくていいぞ」
「ダメですよ。一旦止めてもらって休憩にしましょう」

 エルメリンダは御者席への窓をコンコンと叩き、二言、三言交わすと、ややして馬車が停止した。
 気遣いの声に頷きながら、俺は瞼を閉じて休むフリをした。

 領主邸を発ち、今は王都へ向かう馬車の中。長距離仕様の馬車とはいえ、自動車の乗り心地など望むべくもない。
 しばらく目を閉じてじっとしているだけで休息になったのか、ここ連日ショートしかけていた頭が少し冷えた。
 とことん非道な行いの痕跡ばかりを見つけ、違法薬物関連の犯罪も奴がバックかと思いかけたが、冷静になってみれば確証はない。
 先入観に囚われて、本物のネズミを逃しては悔やんでも悔やみきれなかった。容疑者の筆頭はあの男としても、別に犯人がいる可能性は忘れないでおこう。

 とりあえず最強フラグは折れない前提で、方針の変更も無用だ。
 順当にいけば前回と同様、ジルベルトが次期当主になる。
 あの災いに力を持たせたまま、ジルベルトの近くに置いて逝ってはならない。
 期限が来る前に、必ず始末をつけて逝こう。
 求心力を奪い、力を削ぎ、ロッソ家の王の座から引きずり下ろして、イレーネとその子供達へ決して苦難をもたらせないようにして。

 何度も休憩を挟みつつ、馬車が王都邸の門をくぐったのは、本邸を出て十日目の正午をだいぶ過ぎた頃だった。
 庭や建物の広さは本邸の半分にも満たないが、王都にこれだけの邸宅を構えられれば充分に富豪と呼ばれる。
 建物はもちろん、植木も草花も左右対称に整えられ、本邸とは赴きの違う完成された美しさがあった。

 今生では足を踏み入れるのは初めてになる。
 前回は学園入学後のほとんどをここで遊び暮らし、領民の窮状をまるで気にもとめなかった、呪わしくも懐かしい思い出がたっぷり詰まっている場所。
 
「アムちゃんは私がお運びしますね」
「ああ」

 アムレートはジルベルトの猫として迎え入れられたが、実質は俺の猫だ。そんなに構っていないのに、いつの間にか俺の傍にいて、寝る時も俺の部屋に来る。
 今回もアムレートが俺の足に纏わりついてみゃーみゃー鳴くので、ジルベルトが「アムレートは兄様と一緒に行きたいんですって!」と笑いながら猫用ケージを持って来させた。

 エルメリンダが大事そうにケージの取っ手を持ち、中から白い子猫が「みー」と鳴いた。

 ―――そう、子猫だ。去年も、一昨年も、アムレートはずっと子猫。
 手の平にちょこんと載るサイズの、よちよち歩きの子猫。
 誰もそれを不思議に思っていない。

「アムちゃん、もうちょっとしたら出してあげますから、我慢してね?」
「みゅ♪」
「……こいつ、自分の見た目が可愛いと理解しているよな」
「み~?」
「うふふ、そうですねえ。アムちゃん可愛いですもんね~?」
「みゃ♪」
「…………はぁ」

 この猫デコピンをしてやりたい。でも動物虐待の汚名を着せられたら困るから我慢だ、我慢。
 馬車から降りて顔を上げ、直後、呼吸が止まりそうになった。

「……っ!?」

 なっ、なんで!?
 なんでここにいるんだ!?

 大扉の前のシルエットに、呼吸だけじゃなく心臓も止まりそうになった。

 背が高く、ピシリと音が鳴りそうな、生真面目さの窺える立ち姿。
 恭しく頭を下げ、撫でつけたビターチョコレート色の髪が艶やかに光る。
 完璧に整った顔立ちの中で、とび色の瞳が生命の輝きを添えている。
 かつて暗い陰影で半分ほど覆われ、危うさと苦みが絶妙にファンの心をくすぐっていた夜の男は、最初から陽の光の下に堂々と立っていた。

「そうか―――そうなるのか」
「若様?」

 父親は死なず、俺への恨みはなく、仇を追い詰めるために花街や賭博場を渡り歩いた男はどこにもいない。
 ストーリーに必要な『闇』を与えられることなく、憂いなく生きて、まっとうな職業に就いているアレッシオ=ブルーノ。

 陰りのないおもてにふわりと笑みが浮かび、俺の心臓に突き刺さった。



   ■  ■  ■ 



 だいたいな、ズルいんだよ執事って。
 なに執事って?
 やばいじゃん。似合うじゃん。執事、大好物だよ悪かったな?
 なんでここで、推しの執事服なんて最終兵器が出て来るんだよ!?

 ―――なんでもくそもない。家族全員で同じ家に仕えるのなんて、ごく当たり前の世界だ。庭師の子は庭師になり、猟師の子は猟師になり、執事の子が執事になったってだけだ。
 設定通りの年齢なら、現在アレッシオは二十二歳。そんな若さでなれるものなのか? ……って、チートだったね。ごめん愚問だった。

 つくづく『俺』になっていてよかったと思う。以前の俺だったら、すぐには持ち直せなかったろう。そもそも『俺』のせいでピンチに陥っているのは言わない約束だ。
 自分の間抜けっぷりに嗤いと怒りがこみあげてくる。生きて動いているアレッシオの笑顔を目にしただけで、こうもあっさり堕ちるなんて、俺のチョロさは一度死んだだけでは治らなかったらしい。

 こんな状況で、求めても得られないものを、また無駄に欲する日が来るのか。
 ……いいや。絶対に、前と同じものにはならない。あんな救いのない不毛な日々は二度とごめんだ。

「セルジオ=ブルーノの息子、アレッシオと申します。若君に快くお過ごしいただけますよう、また父セルジオの名に恥じぬよう、誠心誠意お仕えいたします」

 俺はブルーノの息子の話を誰にも聞いたことがないので、少し驚いたフリをした。大袈裟にビックリすると嘘くさくなるので、サラッと驚くのがコツだな。
 大勢の使用人に出迎えられ、これから学園卒業まで暮らす自室へと案内された。
 一人掛けのソファに落ち着くと、アレッシオが紅茶を淹れてくれた。俺の好みはブルーノ父から手紙で共有されていたそうだ。

 俺の好きなブレンドの紅茶を、アレッシオが執事服で淹れてくれる世界線に震えが来そうなんだが、どうすればいい?
 子猫がケージから出てころりんと転がり、「うみゅ」と俺の足元にじゃれつこうとしている。呑気でいいな。……でもおかげで正気に戻ったよ、ありがとう。

「ブルーノも教えてくれたらいいのに。何故おまえのことを内緒にしていたのだろう」
「単純に、若君をびっくりさせようと思ったのではないでしょうか。ああ見えて父はちょっとしたユーモアが好きですので」
「まんまとびっくりさせられたよ」

 でもユーモアを理解して一緒に楽しめる相手って思ってもらえたのは嬉しいぞ、イケオジめ。
 家名だと紛らわしいので、息子のアレッシオは名前で呼ぶことにした。
 随分若いなと驚いたフリで年齢を訊き出したら、やはり現在二十二歳、誕生日は十月とのことだった。どちらも設定通りだ。

「その若さで執事になるとは素晴らしい。何年になるんだ?」
「お恥ずかしながら、まだ一年ほどにございます」

 一年とは、本当になったばかりなんだな。そうは見えないぐらい板に付いているのがさすがだ。
 俺の悪役令息時代、アレッシオはロッソ家に仕えていなかった。俺の記憶にある王都邸の執事は爺さんだったが、そいつは引退したのか。
 するとアレッシオは、エルメリンダ以外の全員を退室させた。

「旦那様へと代替わりが成された際、高齢にさしかかった家人のほとんどが引退してゆく中、一部の使用人は後任への引継ぎを拒み、居座っておりました。その者達が着服を行っており、前任の執事はそれを察しながら、親族であったために見ぬふりをしていたのです」
「……大ごとじゃないか?」
「大ごとです。不問に付すのと引き替えに、すみやかに引継ぎを行わせ、既に全員退職いたしました」
「父上はそのことを?」
「ご存知です。着服については箝口令を敷き、関係者以外には伝わっておりません」

 まずは内々で捜査を行い、処分を決めるのが貴族のやり方だ。全員おとなしく辞めたのなら、投獄できるだけの証拠も揃っていたんだろうな。
 名ばかり領主の俺に仕えていたあの執事、先祖代々ロッソ家に仕えてきた家柄なのは憶えているけれど、最も俺の近くにいたはずなのに、会話ひとつ思い出せない。

「おまえから見て、前任の執事はどういう奴だった?」
「率直に申し上げて、爵位が次代に移った時点で引退すべき人物でした。事なかれ主義の上に、旦那様には不満を募らせておりましたので」
「不満」
「厳格で常にどっしり構えておられた大旦那様と比べ、旦那様は見劣りし、主君として頼りないと感じていたそうです。理想とする主人は大旦那様であり、その忠誠心は己の理想と一致しない若君へ移行するものではなかった。―――それで取った行動が犯罪行為の黙認ですから、言い訳にすらなりません。共犯者に成り下がった愚者のたわごとです」

 うお、一刀両断。前回より十倍ぐらい丁寧で上品になっていても、切れ味鋭いところはやっぱりアレッシオだな。

「世間向けに円満退職の体裁を取ってはおりますが、推薦状は与えておりませんので、年齢的にも彼らが次の働き口を探すのは困難を極めるでしょう。ですが、何年も『特別な給金』を受け取っていたのですから、この先慎ましく生きてゆく分ぐらいは、余裕で貯まっているのではないでしょうか」

 それ、派手に使い込んでやがったってことでファイナルアンサー? 一文無しで頼るあてがなければ路頭に迷うコースだね!
 紅茶の芳香を味わいながら、父親より色味の濃いまなざしを見上げた。
 ―――きっと前回のアレッシオも、王都邸の執事見習いとして働きながら、一部使用人の不正に気付いたのだろう。
 ところが俺が本邸で暴れていたせいで、心身ともに疲弊している父親に頼れず、一介の従僕に過ぎなかったアレッシオは、踏み込んだ行動が取れなかった。

 そうこうしているうちに、彼の父親は亡くなってしまった。彼は父の突然死に納得できずフェランドに噛みついたかもしれないし、前任の執事が自分を告発しようとした若造を追い出したかもしれない。
 何もかもめちゃくちゃにした俺が、アレッシオはさぞ憎かったろう。憎しみで動く奴に理屈なんて通用しない。仮に俺が無実だったとしても、あいつにはきっと関係がなかった。

 カップを置いて、深く息をついた。
 幸いにしてこの世界に物語の強制力めいたものは存在せず、俺が行動を変えただけで、ブルーノ父は今も元気に生きている。
 この親子が退場しなかったから、不正は見逃されず、信用の置けない執事が俺のもとで仕え続けることにはならなかった。
 ……こんなにも、変わるものなのか。

「アレッシオ。おまえの父から、私の事情は聞いているか?」
「はい。本邸での出来事は、ほぼ存じております」
「わかった、ありがとう。おまえがいてくれて助かるよ―――心から」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

侯爵令息は婚約者の王太子を弟に奪われました。

克全
BL
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

僕はただの平民なのに、やたら敵視されています

カシナシ
BL
僕はド田舎出身の定食屋の息子。貴族の学園に特待生枠で通っている。ちょっと光属性の魔法が使えるだけの平凡で善良な平民だ。 平民の肩身は狭いけれど、だんだん周りにも馴染んできた所。 真面目に勉強をしているだけなのに、何故か公爵令嬢に目をつけられてしまったようでーー?

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 ハッピーエンド保証! 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります) 11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。 ※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。 自衛お願いします。

魔王討伐後に勇者の子を身篭ったので、逃げたけど結局勇者に捕まった。

柴傘
BL
勇者パーティーに属していた魔術師が勇者との子を身篭ったので逃走を図り失敗に終わるお話。 頭よわよわハッピーエンド、執着溺愛勇者×気弱臆病魔術師。 誰もが妊娠できる世界、勇者パーティーは皆仲良し。 さくっと読める短編です。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

婚約者の恋

うりぼう
BL
親が決めた婚約者に突然婚約を破棄したいと言われた。 そんな時、俺は「前世」の記憶を取り戻した! 婚約破棄? どうぞどうぞ それよりも魔法と剣の世界を楽しみたい! ……のになんで王子はしつこく追いかけてくるんですかね? そんな主人公のお話。 ※異世界転生 ※エセファンタジー ※なんちゃって王室 ※なんちゃって魔法 ※婚約破棄 ※婚約解消を解消 ※みんなちょろい ※普通に日本食出てきます ※とんでも展開 ※細かいツッコミはなしでお願いします ※勇者の料理番とほんの少しだけリンクしてます

処理中です...