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分岐点
11. 怪我の功名?
しおりを挟む二月に入って間もない頃。十二月生まれの俺は十歳、四月生まれのジルベルトは八歳になっていた。
その頃、俺は困り果てていた。ジルベルトが急に言うことを聞かなくなったのだ。
「イヤイヤ期が遅れてきたのかしら?」
イレーネは冗談めかしていたが、ジルベルトは言動が幼く見えるだけで、見た目以上に賢い子だ。何かしら理由があるはずで、多分放置はよくない。
そう思っていた矢先、ジルベルトが庭の池に落ちた。
池は小川を引いて造った人工池で、手すりがなく、段差もない。冬は表面に氷が張り、雪が積もれば氷と地面の境目が曖昧になる。
この季節は危ないから近付いては駄目だと注意していたのに、呼び止めてもジルベルトは聞かなかった。そしてつるりとすべって転んだ瞬間、目の前がピシリと音を立て、自分がどこにいるのかようやく悟った。
「ジル! 慌てず、ゆっくり、こっちへ来い……!」
ジルベルトは震えながら起き上がり、半泣きの顔で俺を見て、這うようにじりじりと戻り始めた。
背後で大人達の怒号が聞こえる。もうすぐ大人達が駆けつけてくれる。
だが、無情にも氷はバシャンと割れ、悲鳴があがった。
俺は氷塊の浮かぶ水の中に飛び込んだ。無我夢中で抱きかかえ、水を飲みそうになったが、まずいと思う余裕もない。
「暴れるな、ジル! ここなら私の足は着くんだ!」
「―――えっ?」
俺にしがみつき、沈んでいかないのを理解したのか、パニックがひいた。
庭師が縄で作った輪を投げ、それを掴んで脇の下にくぐらせ、改めてジルベルトを抱え直すと、すぐに大人達が全力で引っ張り上げてくれた。水に浸かってから数分もなかったろう。
大人達は子供二人を急いで建物の中に運び込み、濡れそぼった服を剥いで毛布をかぶせ、メイド長がぬるま湯を持ってきてくれた。
ぬるい白湯を飲んでじわじわ温まり、ほー……と息を漏らすと、ジルベルトが突然大泣きし始めた。
「危ないと言った場所には、もう近付くなよ?」
「ぐす……あいぃ……」
実際、際どいところだった。あの池、落ちたら本気で危ないんだよ。水底の傾斜が曲者で、転んだら深みへ沈む。中途半端な厚みの氷は登れないから割って進むしかないが、水の中では力が出しにくく割りづらいし、もがいている間に体力も体温も奪われる。
『俺』が見た水難事故のニュースが頭の中に流れ、俺の人生、今度は自宅の庭で終わるのかと本気で覚悟しかけた。
ぼろぼろ泣いているジルベルトを抱きしめ、背中をぽんぽん叩いてやった。
「まあ、おまえが無事でよかったよ」
「うああぁぁあん……」
これ以上の説教は不要だろう。全身から反省の気持ちがだだ漏れているし、この様子なら危険な真似は二度とするまい。
―――と、そこで終わればよかったのに、そうはいかなかったのだ。
俺はフェランドに叱責された。ジルベルトを『厳しい口調で怒鳴りつける』声が執務室まで届いており、フェランドの中では、俺が気に入らない義弟を池に追い立てたことになっていた。
ふざけんなよ、何そのこじつけ。
弁明しようが、目撃者が庇ってくれようが、王の見解が撤回されることはなかった。
「はぁ……おまえにはほとほと呆れた」
うぐっ……!?
胃の底から嘔吐感がせりあがり、咄嗟にぐっと息を呑み込んだ。
―――これは、俺のトラウマだ。
『俺』が大部分を占めているのに、震えと冷や汗が止まらないなんて。
反論すれば苦痛の時間が長引くだけだと学んでいるので、ねちねち精神的に追い詰めてくる暴力にひたすら耐え、終わった頃にはめまいと耳鳴りが酷くなっていた。
退室し、廊下の途中で我慢できずに吐いた。
やばい。まだ十歳なのに、俺の胃、大丈夫だろうか。
「すまん……汚し……」
「お気になさいますな、すぐに片付けさせます。……ジルベルト坊ちゃまのおために、ご立派でございましたよ」
やわらかな声で支えてくれたのは、全使用人から「おっかない」と恐れられているメイド長だった。
夜になってジルベルトが俺の部屋を訪ねてきた。
人払いをして二人きりになると、屈託の原因をたどたどしく打ち明けてくれた。
それは、先月生まれたばかりの妹、シルヴィアだった。
とうとう生まれ落ちた、俺達の妹。過去も未来も何も知らずに眠っている、まだ目の開かない赤ん坊。
かつての後悔に胸を引き絞られていた俺の横で、ジルベルトは別の恐怖に襲われていた。
―――この家の子で、自分だけがお義父様の血を引いていない。
自分はこの家にとって、いらない子なのではないか。一度そんな不安が芽生えたら、どんどん怖くてたまらなくなったそうだ。
実際、血の繋がらない子を排除したがる家は多い。
何せ俺がやったしな。もうやらないけどな。
つうか、フェランドの俺に対するアレを見てりゃ、この義父信用ならねぇわって不安になるのも無理ねーっての。実の息子の俺に対してアレなんだからよ。
それにフェランドは結局、イレーネと結婚式を挙げなかった。
この国の貴族社会は、跡継ぎ息子が既にいる場合、その子に配慮して後妻との式を省略することがある。決まりじゃないからもちろん挙げてもいいんだが、式の間中ずっとジロジロヒソヒソやられることを想像したら、イレーネの場合はやんなくてよかったんじゃと思う。
ただそれを、ジルベルトは自分が歓迎されていないせいだと思い込んだみたいだ。
今回の俺は全然邪魔していないし、みんなこの子を可愛がっているのに、そんなことを思い込ませた奴は誰―――って、いたよ。いたいけなお子様にそういうことを吹き込みそうなゲスが、厨房に。
あいつら料理の腕だけはちゃんとあるし、手もみゴマすりでフェランドには気に入られているから、すぐに処分すんのは難しいんだよな。
「なあジル。それを言うなら、私だけイレーネと血が繋がっていない。おまえの母親の血が流れていない私は、おまえ達の兄になってはいけないのか?」
「え!?」
ジルベルトが目を丸くした。
家父長制度の強いこの国では、フェランドを軸に考えるのが正しいんだが、あえてイレーネを軸にすれば俺だけ仲間外れだよな。継母が権力を握って、前妻の子を虐げるケースだってざらにあるんだし。
「そっ……そんなっ……おっ、おにいさまは、おにいさまだもんっ」
「だろう? それでいいのさ。私はおまえの兄で、私達はシルヴィアの兄だ。小難しく考える必要はない。あの子の目が開くようになったら、とびきりの笑顔で歓迎してやれ。ようこそ妹よ、ってな」
「う……うえええぇえぇん!」
「お、おいおい、こらこら……」
顔を拭いてやっていたら、泣き疲れたのかコトリと眠ってしまった。
子供って感情の起伏が激しいな……この子が特別泣き虫なのかもしれんが。
しかし、うーん。
これが将来俺に「せいぜい絶望して苦しみ抜いてください」なんて言ってのけるか?
無理だろ。全く結びつかん。
あのジルベルトとこのジルベルト、ますます同名の別人としか思えなくなってきたな。
ぐしゃぐしゃの顔を湿らせた布で丁寧に拭いてやり、その夜はそのまま一緒に寝た。
その日から本邸の使用人は、厨房の奴らを除き、全員俺の味方になったらしい。
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