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9. 印象アップ作戦

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 使用人だけでなく、新たな家族と仲良くしよう作戦も同時進行する。

 とはいえ、こんな小さな子供を相手にするのは初めてだ。『俺』も子供とは縁遠い環境だったから、記憶にぼんやり幕のかかった映画やホームドラマの断片的なシーンを探り、とにかく真似をしてみた。
 おはようとおやすみのハグは基本。些細なことでも頭を撫でて褒めてやり、しょんぼりしていたら気分が上向くまで抱っこをしてやる。膝に乗せて本を読んでやり、菓子を口に運んでやり、口を拭いてやり……限度がわからないな。やりすぎだろうか?

「なあブルーノ。私、鬱陶うっとうしがられていないかな?」
「そのようなことはございません。御心のままになさればよろしいと存じます」

 にっこりゴーサインが出た。
 過干渉な身内は嫌われやすいが、ジルベルトは母子おやこ二人で孤独だった時期が長く、逆に構い過ぎる程度で丁度だったらしい。ハグもすっかり慣れ、しばらくしたらジルベルトのほうから嬉しそうにちょこちょこ寄ってきて、俺の足に抱きつくようになった。うむ、可愛い。
 それから、仲良しアピールに外せないのが愛称である。

「私もおまえの母上みたいに、ジルと呼んでいいか?」
「……!」

 花が飛びそうな満面の笑顔でこくこくと頷いてくれた。
 貴族社会では、肉親同士でも愛称で呼び合う家庭は少ない。だからこそ、愛称呼びは特別感を強く印象付ける。フェランドが俺を『オルフェ』と呼ぶのも、世間様向けのいい父親アピールってわけだよ。

 にわか兄弟にもだんだん慣れて板についてきたある日、兄弟二人での昼寝に挑戦した。子猫のアムレートはメイドが俺の古着でクッションを作り、籠につめた即席ベッドに寝かせている。
 様子を見に来たイレーネが、胸を押さえてよろめいた。

「わたくしの天使達、なんて可愛いの……!」

 達って、俺もか。俺の中身、天使呼びの似合う年齢としじゃないんだが……。
 それはそうと、前のイレーネは身体を崩し、若くして亡くなってしまったのだ。その記憶が蘇って背筋が凍り、慌てて大丈夫かと声をかけたら、目を潤ませて感激された。……まあ、何ともないならそれでいい。
 彼女の命を削った元凶は、義息子からの連日の虐めである。今回はそれがないから、今のイレーネは健康そのものだ。

 イレーネやジルベルトと仲良くなるにつれ、邸内での俺の印象は劇的に改善されていった。
 誰かに用を頼む時も、「おい」「おまえ」「そこの」ではなく、必ず目を見て名前で呼びかけるようにした。単純だが、これだけでかなり効果があった。

 次に、領内における悪評の拡大抑制も早めに取り掛かっておく
 領民の評判はバカにできない。冤罪で捕えられた時、「あいつならやりかねない」ではなく、「まさかあの御方に限って」と疑ってくれる者をこまめに増やしておきたかった。
 ブルーノに予定を確認し、フェランドが不在かつ俺の家庭教師の来ない日に、エルメリンダと従僕一人、護衛一人を伴って領内最大の町へ出かけることにした。

 俺は九歳の子供。出かけられる場所はどうしても近場に限定される。家族揃っての心温まる晩ごはんタイムもクリアしなきゃならんから、こっそり遠出も無理だ。

 家族揃っての夕食はフェランドの一声で決まった。あれはマジ苦行だぞ。俺がフェランドにチクリとやられそうになるたび、さりげなく話題を変えてくれるイレーネには感謝だ。
 最近ではジルベルトまでが空気を読み、奴がいる時だけはいつもの天真爛漫さが鳴りを潜めている。前回のあの子は、お気に入りの義息子であり続けるために、いつも必死で媚びを売ってたのにな。

「私はまだ成人していないから、気の向くまま風の向くまま目のついた店に突撃、ということはできない。何時頃にどの店に立ち寄るか、事前にブルーノや警備長に伝えておかねばならないんだ。エルメは町に詳しいのだろう? おすすめはあるか?」
「そうですねえ。まず、書籍屋は外せないと思います。町に唯一の書籍屋さんがあって、時事情報誌なんかも置いてますし、色んな方が利用するんですよ」

 電話もネットもない世界、民衆にとって情報の最先端というわけか。

「ジルに面白そうな本を買ってプレゼントするのもいいか」
「いいと思います! 坊ちゃまきっと喜びますよ!」
「その店だけでは弱いから、ほかにも寄りたいな」
「でしたら、あたしのおすすめのパン屋さんに寄ってみませんか? サクサクした食感が人気の焼き菓子も置いてあって、んですよ。若様は滅多にお外に出られませんし、この機会にほんのちょっとだけ手前で降りて、しつつお店までのんびり歩くのはいかがでしょう?」
「……」

 エルメリンダが有能すぎる件。
 ひょっとしてこいつ、執事の素質があるんじゃないのか?
 女って執事になれるのかな? 後でブルーノに訊いてみよう。

 そんなわけで行き先はスムーズに決まり、外出当日を迎えた。

 前回の俺は「田舎くさいしみったれたつまらない町」と酷評していたけれど、なかなかどうして、活気のある良い雰囲気の町ではないか。道行く人々の顔は明るく、清潔で汚れも少ない。
 くだんの書籍屋は想像より広く、エルメリンダの言った通り客層もさまざまだった。お洒落な老紳士や貧乏学者風の青年、教養のありそうなご婦人、町娘の仲良しグループ……。

 俺が店内を一歩進むごとに、もともと静かな店内がさらに静まり返った。皆が息を殺しているのを感じる。
 店主はカウンターの奥に座ったまま、俺にちらりと視線をよこした後、我関せずとばかりに読書を再開。
 ただし、無関心ではない。俺の外見に加え、使用人・護衛・馬車付きとなれば、領主の息子なのは一目瞭然。聞き耳は立てているだろう。

「エルメ。ジルが楽しめそうな内容で、おすすめのものはあるか?」

 エルメリンダはロッソ家が援助をしている孤児院の出身だった。彼女はそこで読み書きを教わり、寄付された小説にはまって、読書が趣味になったらしい。

「若様がお読みになるのは難しい専門書ばかりですものね。……これとか、これなどもおすすめですよ。人気の冒険作家なのです。ただあいにく、どれもジルベルト坊ちゃまのご年齢では、お読みになるのが難しい単語や言い回しが多いんですけれど……」
「私が読んでやるから、それは気にしなくていい」
「それでしたら、これなどいかがです? ページも少なめですし、坊ちゃまをお膝に乗せて読んでさしあげるのに丁度いい大きさではないでしょうか?」
「ふむ。挿絵も多いし、確かに面白そうだ」

 要は噂と実物の違いをさりげなく広めるパフォーマンスってやつだ。
 今も品よく本を選んでいるフリで、しっかり耳がこっちに向いているお客さん達がそこかしこにいる。

 おすすめ本はすべて購入を決め、エルメリンダが支払いを済ませて、従僕が本を持った。
 後日家に請求させる形だと、明細がフェランドの目に触れてしまうから、それは避けたい。俺のそんな希望を汲んでくれたブルーノは、俺用の予算から少額を包んでエルメリンダに預けてくれていた。

 店を出て待機させていた馬車に乗り込み、ゆるやかに走り出したのを確認してから、エルメリンダに声をかけた。
 護衛は御者席、従僕は馬車の後部に立って乗っている。
 車輪の音のおかげで、内部の会話はほとんど聴こえない。

「……やはり、領全体で噂が流れているか?」
「そうですね。前々からある噂と、新しい噂が混ざって、いろいろ流れてるみたいです」

 前々からの噂は、「領主様のご子息様はたいそう我が儘で、領主様も使用人も手を焼いているそうな」というやつだ。確かに、戻る前の俺はその通りだったから否定はしない。
 だが、新しい噂は……。


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