上 下
6 / 159
分岐点

6. 怪物の生まれた理由

しおりを挟む

 発熱によるさむと全身をさいなむ痛みに圧し流され、俺は何度もあの牢獄の中に戻った。
 冷たい石の上で膝を抱えながら己を責め続け、かつて苦しめた継母ははと弟妹に謝り続け、空腹と苦痛に耐え続けた。
 何の咎もなかった人々を孤独と絶望に追いやった俺は、この地下牢こそが相応しい棲み処なのだと、すべてを受け入れ、泣きながら意識が浮上しては沈む。
 ああ、俺はまだ、あそこから出られていなかったんだな。
 当然か……。

 それでも、俺がいるのは地下牢ではなかった。
 寝心地のいい寝台の上で、身体は徐々に回復していった。
 そして前回と決定的に違う点が、ともすれば引きずり戻そうと狙って来る過去の闇から、ずっと守ってくれていた。

 ロッソ邸に仕える人々の、俺を心から案じてくれているまなざし。
 目覚めれば必ず誰かがいて、喉が渇いていれば水を飲ませてくれる。
 癇癪持ちのドラ息子に命じられたからではなく、当たり前に心配し、当たり前に弱った子供の世話を焼いてくれていた。
 かつて自分で壊し、捨ててしまったものが、壊れずにそこにあった。

 熱も下がってきた二日目、天使が二人、見舞いに訪れた。

「おにいしゃま……」

 チビなほうの天使が、目と鼻を真っ赤にしてべそをかいていた。
 苦笑しながら大きいほうの天使が教えてくれるには、まず、「明日になったらゆっくり話そう」という約束が反故ほごにされ、自分がちゃんと挨拶できなかったから嫌われたんじゃないかとグスグスし始めたらしい。
 仕方なく「お兄様はお熱になったの」と本当のことを教えたら、今度は「にいしゃましんじゃうの!?」と大泣きし始めたそうだ。
 イレーネの元夫は、風邪をこじらせて他界。父親の死因を憶えていた賢い天使は、泣きまくって体力が尽きて寝落ちし、起きて今ここ、だそうな。

「おにいしゃま。あのね。これ、おはな……」

 一生懸命、舌足らずに伝えながら、可愛い花束を両手で掲げている。イレーネが庭師に言い、ジルベルトが持てる大きさの花束にしてもらったようだ。
 寝台が大きいのと、天使が小さいのとで、いかにも「うんしょ」と頑張っている様が実にいじらしい。 
 声をかけようとしたが喉がひりついて声にならず、無理に話しかけるのはあきらめ、代わりに手を伸ばしてみた。

「えへへ」

 ぎりぎり届いた手で花束を受け取ると、ジルベルトは嬉しそうに笑い、イレーネのドレスの陰に隠れた。
 そして顔だけひょこっと出してこちらを見ている。先日と違うのは、恥ずかしそうなのは同じでも、ちゃんと笑顔なところだ。

 ……俺は子供に詳しいわけではないが、七歳だった頃の俺と比較しても、この子の身体は小さく、言動も幼く見える。
 イレーネの元夫が亡くなったのは二年ほど前。夫を失った下級貴族の未亡人、それも子持ちとなれば、さぞかし生活は困窮していたに違いない。

 彼女には訊けないが、元夫が亡くなる前から既に生活が苦しく、教師はもちろん使用人を雇う余裕すらなかったとしたら、この子はろくに喋る相手もおらず、それが原因で上手に話せなくなったのではないか。
 フワフワな見た目以上に賢いから、本人も自覚があり、喋れないのが恥ずかしくて余計に引っ込み思案になったのかもしれない。イレーネが励ましたのか、俺に対しては勇気を振り絞ってくれたようだが。

「さ、ジル。わかったでしょう? お兄様はちゃんとお元気になってくださるわ。お休みになるのを邪魔してはいけないから、そろそろ失礼いたしましょうね」
「ぁい。……ぉにいしゃま。はやく、おげんきになってね」

 聞き分けの良い彼はちんまりとした手を振り、母親にちょこちょこ寄り添って寝室を出て行った。

 …………なんなのだろう、あの天使は。
 前の俺、あれを罵倒したり暴力振るったりしていたのか。
 有罪だな。投獄でいい。
 コイツを貴族牢ではなく重犯罪者用の牢へぶちこめと判決を下した裁判官、いい仕事をした。

 しばらく花束を眺めてから、部屋の隅に控えていたメイドに視線をやった。
 メイドはにこりと笑い、俺の手から花束をすくい取ると、ワイングラスほどの花瓶を持ってきて、寝台近くのテーブルに飾ってくれた。
 ささやかだが、これだけでもぐっと部屋が明るい雰囲気になった。



   ■  ■  ■ 



 さらに二日後の朝、怠さは完全に消え去っていた。
 節々にこびりついていた熱も引き、頭の芯から冴え渡っている。
 カーテンの隙間から漏れる光の淡さからして、メイドが様子を見に来るまでまだ間がありそうだ。
 俺は寝台から降りて、姿見の前に立った。この数日でやつれた九歳の子供が見つめ返してきた。

だってこんなに小さいじゃないか? 何をやっているんだあの男は」

 ……なんかなあ。笑えてきたわ。
 あんな男に認められたくて、あんなにも発狂していたなんて、とんだ人生の無駄遣いだった。

 実母が亡くなってわずか一年、喪が明けてすぐ、フェランドは新しい母親を連れて来た。顔を合わせたその場で、いきなり「おまえの母だ」と言われた。それまで一度もそんな話題が出たことはなく、心の準備ができていなかった九歳の子供は、感情を抑制するすべを持たず爆発した。
 暴力的な怒りを、イレーネに、ジルベルトに、のちに生まれたシルヴィアにぶつけ続けた。衝動は弱まることを知らず、周囲にも拡大し、小さな怪物は怪物のまま成長してしまった。
 ロッソ家の息子としての義務を果たさず、散財し、家も領地も滅茶苦茶にして。

 おかしいではないか?
 そんなことになるまで何故、あの怪物はイレーネ達を虐げ続けることができた?
 あんなにも好き放題に暴れ続けられたんだ?

 簡単だ。フェランドが止めなかったからだ。

 あの男はロッソ家の王だ。あの男は俺を止めることができた。あの男にしかできなかった。
 なのに、癇癪を起こす俺を目にして、あの男はどうしていた?

『ふう……何故あんな、不出来な子が生まれてしまったのか……』

 深々と失望の溜め息をつき、やれやれと首を振り、周囲にそうぼやくだけ。
 己が放置した結果、なるべくして愚かになった『息子』を愚かと呼んで幻滅し、だからどう矯正を試みるでもない。

 ―――幼いおまえには母親が必要? おまえが美しい妻を欲しただけだろうが!

 奴はいつだって、自分のためだけに行動している。
 そして俺にとって奴は父親でも、奴にとってはそうではなかった。

 頑張っても頑張っても、何故か努力嫌いと呼ばれた。
 疲れて休んだら、どこからか「また怠けて…」と聞こえよがしに囁かれた。

 時々、どうしようもない衝動が抑えきれずに噴き出ることがあった。そんな時、周りは「血は争えない…」と囁いた。
 心の病で隔離され、とうとう亡くなるまで一歩も離れの寝室から出なかった母親のことだと理解し、「一緒にするな!」とますます荒れた。
 ちゃんと説明されてもいないのに、俺は彼女が隔離されているのを知っていた。訪れる客が声をひそめたフリで、俺の耳の近くでさえずっていくからだ。
 フェランドはそいつらに何も言わず、何もしなかった。むしろ愛想の足りない息子に失望のまなざしを向け、溜め息とともに言った。

『招待客にきちんと挨拶ができないのか? いくら我が家が格上であろうと、傲慢にならず身分に相応しい礼を尽くしなさいといつも言っているだろう。もういいから休憩室へ行っていなさい』

 いつも? そんなこと、父上から教えていただいたことなんてあったっけ? 僕の頭が悪くて憶えていないだけ?
 フェランドは言葉を返せない我が子の答えなどはなから待つ気もなく、メイドに出来の悪い子を連れ出すよう命じた後は、もう目もくれなかった。

 そう。いつもそうだった。尋ねておいて、答えは聞かない。
 俺は常にとてつもない不安と恐怖を感じていた。物を投げてわめけば、ほんの少しだけ楽になった。
 イレーネとジルベルトを迎えた日、どこかでブチリと音がした。

「なんてことだ。私は相手を間違えていた。憎むべきはあの母子おやこじゃなかった。―――あの男、最初から私を潰しにかかってたな……!」

 しかしこうなると、母エウジェニアの心の病とやらも怪しくなってくる。夫が不貞を働いた妻を幽閉、なんておどろおどろしい話は、残念ながら貴族あるあるだ。彼女を隔離していた離れの建物は、縁起が悪いと何ヶ月も前に解体されている。つまり証拠はもうどこにもない。

 上等だ。貴様がそのつもりなら、こっちだって遠慮はしない。
 健気けなげにお父様を慕う何も知らないお子様を、長年に渡ってサンドバッグにしてくれやがって。

 そしてヒロインよ、おまえにうちの天使おとうとはやらん。攻略対象五人とも、おまえの付け入る隙なんぞ潰してくれる。

 乙女ゲーム《天使と愛の輪舞ロンドを》のテーマは、愛と救済。溢れんばかりの愛と幸福に包まれて育ったヒロインが、闇を抱えて飢えた男達へそれを分け与えるというもの。
 その最終形態が逆ハーレムってどんなブラックジョークだよ。腹をすかせた男どもに甘い蜜を舐めさせてやり、全員自分のとりこにしながら、「あなたには人の心が無いんですか」なんてよくぞ言ってくれた。

 人のこと言えんのか!? てめえの周りを見てみろよ! 五人目なんて(別の意味で)性別の壁を乗り越えたのに、愛人の一人扱いだぞあんまりだろ!

 だいたいおまえ、無関係だろうが!

 ほかの攻略対象が俺を憎み嫌うのはわかるさ。でもおまえに責められるいわれはねえ。
 プレイヤーはヒロインの視点でゲームを進める。だからどのルートでも登場する悪役令息は『金太郎あめ悪役』とあだ名がつくほどお馴染みだったが、金太郎あめ悪役の側からすれば、ハッキリ言ってヒロインなんぞ眼中になかった。マジで顔も名前も認識していない赤の他人だったんだ。
 俺は『攻略対象にとっての悪』であり、『ヒロインの前に立ちはだかる敵』ではなかったんだよ。

 出来の良いゲームだったのに、ヒロインにいまいち共感できなかったのは、何かとしゃしゃり出てきてはお綺麗なポジションを確保するところが、ラストまで変わらず鼻についたからだった。

「みゃうー」
「! ……おまえ」

 ベッドの上に、ちょこんと白い毛玉が座っている。
 いつの間に、どこから入って来たんだろう。神出鬼没だな。

「おまえ、あの猫、だよな?」
「み~」
「取り立てにでも来たのか? 慌てるな、その時になればくれてやるから。おまえはちゃんと約束を守ってくれたものな」

 叶わないはずの『もう一度』をおまえは与えてくれた。だから俺はこの二回目をまっとうし、きっと最期におまえの欲するものをあげよう。
 子猫はもう一度「みー」と鳴いた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔王様として召喚されたのに、快楽漬けにされています><

krm
BL
ある日突然魔界に召喚された真男は、魔族達に魔王様と崇められる。 魔王様として生きるのも悪くないかも、なんて思っていたら、魔族の精液から魔力を接種する必要があって――!? 魔族達から襲われ続けますが、お尻を許す相手は1人だけです。(その相手は4話あたりで出てきます) 全体的にギャグテイストのハッピーエンドです。 ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿しています。

婚約破棄されたから能力隠すのやめまーすw

ミクリ21
BL
婚約破棄されたエドワードは、実は秘密をもっていた。それを知らない転生ヒロインは見事に王太子をゲットした。しかし、のちにこれが王太子とヒロインのざまぁに繋がる。 軽く説明 ★シンシア…乙女ゲームに転生したヒロイン。自分が主人公だと思っている。 ★エドワード…転生者だけど乙女ゲームの世界だとは知らない。本当の主人公です。

生まれる世界を間違えた俺は女神様に異世界召喚されました

雪乃カナ
ファンタジー
世界が退屈でしかなかった1人の少年〝稗月倖真〟──彼は生まれつきチート級の身体能力と力を持っていた。だが同時に生まれた現代世界ではその力を持て余す退屈な日々を送っていた。  そんなある日いつものように孤児院の自室で起床し「退屈だな」と、呟いたその瞬間、突如現れた〝光の渦〟に吸い込まれてしまう!  気づくと辺りは白く光る見た事の無い部屋に!?  するとそこに女神アルテナが現れて「取り敢えず異世界で魔王を倒してきてもらえませんか♪」と頼まれる。  だが、異世界に着くと前途多難なことばかり、思わず「おい、アルテナ、聞いてないぞ!」と、叫びたくなるような事態も発覚したり──  でも、何はともあれ、女神様に異世界召喚されることになり、生まれた世界では持て余したチート級の力を使い、異世界へと魔王を倒しに行く主人公の、異世界ファンタジー物語!! この作品は加筆修正を加えたリメイク版になります。

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する

SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので) ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

親友と幼馴染の彼を同時に失い婚約破棄しました〜親友は彼の子供を妊娠して産みたいと主張するが中絶して廃人になりました

window
恋愛
公爵令嬢のオリビア・ド・シャレットは婚約破棄の覚悟を決めた。 理由は婚約者のノア・テオドール・ヴィクトー伯爵令息の浮気である。 なんとノアの浮気相手はオリビアの親友のマチルダ伯爵令嬢だった。 それにマチルダはノアの子供を妊娠して産みたいと言っているのです。

新しい聖女が見付かったそうなので、天啓に従います!

月白ヤトヒコ
ファンタジー
空腹で眠くて怠い中、王室からの呼び出しを受ける聖女アルム。 そして告げられたのは、新しい聖女の出現。そして、暇を出すから還俗せよとの解雇通告。 新しい聖女は公爵令嬢。そんなお嬢様に、聖女が務まるのかと思った瞬間、アルムは眩い閃光に包まれ―――― 自身が使い潰された挙げ句、処刑される未来を視た。 天啓です! と、アルムは―――― 表紙と挿し絵はキャラメーカーで作成。

追放された悪役令嬢は残念領主を導きます

くわっと
恋愛
婚約者闘争に敗北した悪役令嬢パトリシア。 彼女に与えられた未来は死か残念領主との婚約か。 選び難きを選び、屈辱と後悔にまみれつつの生を選択。 だが、その残念領主が噂以上の残念な男でーー 虐げられた悪役令嬢が、自身の知謀知略で泥臭く敵対者を叩きのめす。 ざまぁの嵐が舞い踊る、痛快恋愛物語。 20.07.26始動

処理中です...