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分岐点

2. ロッソ家の獣

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 舞台となるアルティスタ王国は、基本的にファンタジー要素のない幾つもの国々が存在する大陸の中で、国土の南が海に面し、GDPがそこそこ上位に入る富裕国だ。
 国民の名前はイタリア名もどき。数多あまたある貴族家の中で、ロッソ伯爵家は歴史の長さ、財力ともに抜きんでていた。

 代々気が強く頑固な当主の多いロッソ家だったが、当代のフェランド=ロッソは珍しくも人当たりが良く、魅力的で社交的な人格者として有名だった。
 そんな彼の唯一の悩みが、後継者たる息子の出来。
 父親に似ず頭の悪さと性格の悪さで有名な嫡男、その名をオルフェオ=ロッソという。
 つまり俺な。



   ■  ■  ■ 



「おまえの新しい母親と弟だ。仲良くしてあげなさい」

 九歳の春。父フェランドが金髪碧眼の美しい女性を連れて来た。
 彼女の足もとには母親そっくりな金髪碧眼の、自分より小さな子供。
 女性の名はイレーネ、子供の名はジルベルトといった。

 イレーネは元子爵夫人だったらしい。数年前に夫が他界し、小さな息子を抱えて困窮していたという。客人から耳にしたに、俺は財産目当てでロッソ家に入り込んだ悪女に違いないと思い込んだ。
 まぁそんな話をわざわざ子供の耳を狙って吹き込むの魂胆なんぞろくなものじゃないが、カッカした子供の頭はまんまとそれに引っかかったわけだ。

「薄汚い女め、この家から出て行け! そんなアバズレ女の息子なんか近付けるな、汚らわしい!」

 異物を許容できない潔癖な子供は、母子おやこを徹底的に虐め抜いた。
 嘲笑い、罵倒し、物を投げつけ、寄生した貧民ごときが贅沢をするなと衣装を裂き、持ち物を無断で処分した。
 翌年に妹シルヴィアが生まれ、虐めはますます酷くなった。

 やがてイレーネは心労が祟って倒れ、二度と目覚めなかった。俺が十二歳の頃だ。
 ジルベルトは常に妹と離れず、俺へ恐怖と媚びの視線を向けるようになった。へりくだって俺を持ち上げる義弟おとうとに、俺は嘲笑を浴びせた。下賤な女の息子はやっぱり下賤なんだなと。
 ジルベルトは十六歳の春、成人したその日のうちにシルヴィアを連れて家を出た。父は目をかけていた優秀な義息子のほうがいなくなってしまい、裏切られたような残念そうな表情を浮かべ、そして俺に失望のまなざしと溜め息を贈った。
 好き嫌いを激しく表に出し、全く勤勉ではない実子に、父が全く期待を寄せていなかったのは誰の目にも明白で、その事実はますます俺を苛立たせた。

 それからさほど経たずに父も体調不良でダウンし、跡継ぎ息子に領主代理の役割が求められた。
 いきなり激務が降りかかり、うんざりした俺はほとんどの仕事を取り巻きに押し付け、以前のように―――いや、それまで以上に遊び歩き始めた。唯一俺に命令できる存在だった父が、療養のため遠くの別邸に引っ込み、解放感に酔いしれていたのだ。

 領地にはほとんど戻らず、王都で自由気ままな暮らしを満喫している俺のもとに、珍しくジルベルトが訪れた。
 何かと思えば、金の無心だった。

「はっ、落ちぶれたものだな。この臭いゴミを放り出せ。同じ場所で息を吸うのも不快だ」

 飲みかけの酒杯の中身を顔めがけてぶちまけ、頭から血を流したようになった義弟おとうとを使用人に命じて追い出させた。
 そして、二度とこの屋敷に足を踏み入れさせるなと命じた。ろくに事情も聞かぬまま。

 しばらくして、俺は騎士団に拘束された。
 どうやら知らぬ間に、ロッソ伯爵領は滅茶苦茶になっていたらしい。
 災害や、それに伴う飢饉が発生。にもかかわらず、俺の部下がろくな対処をしなかったために、随分と死者が出ていたそうだ。
 おまけに俺は取り巻きに言われるがまま、内容の吟味をせず署名を乱発していた。そのせいでいつの間にかオルフェオ=ロッソは、違法な薬物の原料となる植物の栽培とやらで懐を潤わせていることになっていた。

「この俺が!? ふざけるな!! 俺のせいじゃない!!」

 まぁ誰も信じやせんわな。本人の直筆サインが「どうぞ証拠ですよ」とばかりに残りまくっていたんだから。
 後ろ手に縛りあげられ、地面に膝を突かされている俺の前に、清楚な美しい娘が立った。

「どうして……どうしてあんな、ひどいことが出来るんですか。あなたには、人の心が無いんですか……?」

 それを皮切りに、騎士のごとき五人の糾弾が続いた。
 義弟おとうとのジルベルトが。
 気弱さを捨てた子爵家の息子が。
 鬼才と名高い男爵家の息子が。
 未来を見据えた公爵家の息子が。
 未来を奪われた男の息子が。

 あの男ならやりかねない。いつかやるだろうと思った。そんな空気の中、有罪は速やかに確定し、幼い頃から悪童で知られたロッソ家の嫡男は、予定調和のごとく檻の中に放り込まれた。

 地下牢は暗く異臭がして、気の滅入る恐ろしい場所だった。
 どう見ても残飯でしかない食事が日に一回。初日にそれを憤りのまま看守に投げつけ、あっさり避けられた上に、翌日は食事抜きにされた。看守はニヤニヤ笑いながら、囚人がぶちまけた食べ物をつまみ、「そら犬、食えよ」と檻の中に放り込んだ。
 顔を真っ赤にして投げ返したが、看守はゲラゲラ嗤うだけだった。その男は知っていたのだ。最初だけ威勢の良い罪人が、いずれどう変わり果ててゆくのかを。

 どうせすぐに出られると高をくくっていた牢生活が、一ヶ月に及んだ頃だろうか。
 与えられた残飯もどきをガツガツ貪っている最中に、ジルベルトが訪れた。

「いいざまですね、義兄あにうえ。嬉しいですよ、高貴なあなたの這いつくばっているお姿が見られて」

 冷めきった声で、ジルベルトは語った。
 妹とともにロッソ家を出て、ようやく手に入れた穏やかな日々は、しかし恐ろしい義兄あにが領主代理になった直後にあっけなく壊れた。
 夏の名残が色濃く残る季節、嵐で勤め先の商家が深刻な被害を受け、職を失った。さらに食糧不足と増税が領全体の貧困に追い打ちをかけ、不義理を働く形になった義父ちちからは金銭的な援助を一切受けていなかったのもあり、蓄えはすぐ底をついた。

 そんな中、もとから身体の弱いシルヴィアが病にかかった。
 彼は妹の薬代を欲し、恐怖と憎しみの権化たる義兄あにに頭を下げる決意をしたが、ゴミ呼ばわりとともに追い返された。
 しかも俺のお友達とやらが俺と同類のクズで、面白半分で警官隊に金を握らせ、ジルベルトを拘束させた。一ヶ月ほどで解放してもらえたものの、慌てて帰宅した頃には、妹はもう共同墓地の片隅に、身元不明の亡骸と一緒くたに葬られていた。
 世話を頼んでいた者が、予定日を過ぎても戻らず連絡も寄越さないジルベルトを逃げたと勘違いし、他人をタダで養う余裕はないと見切りをつけたのだった。

 取り返しのつかない結末の数々が丁寧に紡がれ、永遠のようなその時間が―――実際はほんの十分に満たない面会だったようだが―――終わる頃には、俺は芯から冷え切っていた。

義父ちちうえもあなたの所業に随分心を痛めておられました。あなたがこちらにを移してから快癒したそうですが、不思議なこともあるものですね? ……そのうち頃合いを見て私を呼び戻してくださるおつもりだったようで、私は籍を抜かれておらず、このたび愚息の責任を取ると、私に爵位を譲っていただけることになりました」

 この国の貴族は、原則として養子には相続権がない。しかし、伯爵以下の身分であり、かつ再婚相手の連れ子であれば例外として認められる。さらに、長子に看過できないきずがあると見做された場合、弟が後継者に変更されることもあった。
 だからといって、俺は焦って父上に何かした憶えなんてない―――と否定したところで、信じてもらえやしないだろうな。
 父は子爵位も持っており、伯爵領の隅に引っ付いたささやかな領地だが、今後はそこで慎ましく過ごすそうだ。ずっとそこの別邸で療養していたのだから問題はない、自分のことは気にしなくていいと、安心させるように義息子の肩を軽く叩いて。

「私はあなたが敵対していた公爵家からの覚えもめでたくなり、諸々の手続きはつつがなく進みました。あなたがいなくとも、この愚弟がちゃんと領地を立て直しますので、どうかご安心を」
「…………」

 敵対していた、公爵家。
 って、何なんだ。知らないぞ、ほんとに……。

「あなたは一生、死ぬまで、ここにいるんです。せいぜい絶望して苦しみ抜いてください。可愛い義弟おとうとからの、最後のお願いです」

 ぞっとする薄笑いを残し、ジルベルトは帰っていった。


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