だから故あって勇者のお仕事を代行するのさ

沙崎あやし

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【010】アンタはここで寝ていろや

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 西の王国の北方には、万年雪で化粧された峻険な山脈が横たわっている。常に暗雲が漂い、吹雪と鋭い山の峰が行く手を阻む。

 この山脈の深奥、北の谷には一体の魔竜が棲み着いている。冒険者組合の判定は侯爵級。多くの飛竜を従え、時折麓に降りてきては村々を焼く。厄介なのは王都に近いことだ。魔竜は村々を焼くだけには飽き足らず、王都までその脚を——いや翼を伸ばすことがあった。

 王国軍が砦を築いて大軍を駐留させる様になってからは、王都への被害は減った。だが逆に王国軍も釘付けになっているということでもある。来るべき魔王討伐の為には、ここの駐留軍を転進させることは必須条件だ。

 だから白銀の勇者とその仲間たちは、今、北の谷の魔竜の討伐に取りかかっていた。


 —— ※ —— ※ ——


 白銀の勇者であるバレンシアとその仲間たちは、冷風が吹き荒れる谷間を一列になって歩いていった。地面は積もった雪が凍り、ざくざくと音を立てる。

 入山してから三日目。寒さによって大分体力は削られていたが、幸い魔物と遭遇は殆どしていない。特に飛竜とは接触していない。どうやら麓で行われている王国軍の陽動作戦が上手くいっている様だ。

 この細い谷間を抜ければ、魔竜の住処である最深部へと到達出来る。

 バレンシアたちが王都を出発する日に、一つの布告が出された。




『赤竜の魔王を斃した者には、我が王女ディアナを与え王家の末席に連ねることを約する』




 それは国王の名によって発せられた「誓約」であった。

 神話において、主神との約束が民衆に対する統治権の正統性を担保するものであった。故に、特に王族の「誓約」は非常に重い意味を持つ。

 それはいかなる理由を持ってしても果たすべき約束であり——もしそれが破られることがあれば、その王族は民衆からの支持をたちまちに失う。実際に歴史上、誓約の不履行が発端となって滅亡した王国は存在するのだ。

「あれよね、国王様も随分と思い切ったことをするわ」
「思い切ったこと? なにがだよ。バレンシアが王女様と結婚するんだろ? いい話じゃないか」

 戦士のドウロが間の抜けた表情をしているので、神官のベティカは呆れた様にため息をつく。

「……馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、ここまで馬鹿だったとは」
「む。そんな馬鹿な男にひーはー言わされているのは、どこの誰でしたっけね? けけけ」

 ちょっと下卑た笑みを浮かべたドウロだったが、その鼻っ面に容赦無くベティカの錫杖が打ち込まれる。ベティカの表情は赤く、つんとそっぽを向いた。なお魔術師で幼顔のノルテは意味が分からずぼんやりとしていて、バレンシアは苦笑している。

「あのね。誓約では「魔王を斃した者に王女をやる」って言っているのよ」
「いててて……それが、何だっていうんだよ」
「分かんない? 魔王を斃せば、あんただって王女様と結婚出来るってこと」
「……あー」

 そこまで言われてようやくドウロは気がついた。なるほど、あの誓約だと魔王を斃すのは誰でも良いって訳だ。現状、白銀の勇者であるバレンシアが最有力候補ではあるが……。

「なんでそんな面倒なことにするんだ? 最初からバレンシアを指名すれば良いのに」
「あのね、仮にも平民が王族の末席に加わるのよ。機会は誰にでも公平に開かれていないと、依怙贔屓だって言われるわ。あくまで魔王討伐という功績の報酬ってことにしないと」
「ふーん? よくわからねえな?」
「だからアンタは馬鹿だっていうのよ!」

 ドウロはふむと考え込み、そしてバレンシアに向き直る。

「そういや、例の件——南の魔竜退治は結局バレンシアの手柄になっちまったんだよな」
「そうだね。侍従長には報告したんだけどね」

 バレンシアは肩を竦める。南の森の魔竜はバレンシア以外の、別の勇者によって討伐された。誰かは不明だが……。だが国王はそれを、バレンシアの手柄だということにして発表してしまった。

「まあどこかの誰かが退治したっていうよりは、白銀の勇者様が討伐したってことの方が民衆の受けは良いのか……」
「そういうもんかな?」
「そういうもんだよ。それだけ国王様にも民衆にも期待されているってことさ」

 ドウロはバレンシアの背中をバンバンと叩き、がははっと笑う。

 バレンシアは内心複雑だった。

(……こうやって嘘の上に嘘を塗り固めていく……私に、勇者である資格はあるのか? いや、そもそもそんな資格など……)

 バレンシアが勇者を志したのは、まだ五歳程度の幼子の頃だった。

 彼は北方王国の出身だった。当時「桜炎の魔王」が猛威を振るっていた時代だ。田畑は焼かれ、民衆は常に飢えていた。バレンシアも例外ではない。ただの商人の息子で、しかも両親共に魔物に殺された。王都の貧民街に身を潜め、わずかな残飯を漁って生き長らえていた。

 そこに現れたのが「黒曜の勇者」だった。

 バレンシアは、彼が戦うところを見たことが無い。でも強烈に覚えている。なぜならば、数ある勇者の中で彼だけが貧民街に足を運び、飢えた民衆に食糧を配っていたからだ。

 それが人気取りだと揶揄されようとも、彼は貧民街に足を運び続けた。あの黒い剣と黒い円盾、そしてちょっと悲しそうな表情。——バレンシアはきっと生涯忘れない。

 そしてその時に、バレンシアの生き方は決まったのだ。

(……資格などなくても良い。私は王族となり、この国を変えてみせる……)

 勇者としての地位や名誉も、そして王女への敬慕さえも、その為の踏み台にしか過ぎない。ただ飢えることのない国を造りたい。それがバレンシアの望みだった。


 —— ※ —— ※ ——


 山脈の深奥、北の谷は高さ千メートルにも及ぶ鋭い谷である。雪が降り積もり、固まって出来た氷が幾重にも重なり、途中何層もの空洞を作り上げている。それはまるで氷の塔の様でもあった。

 その主である魔竜は、その最上階に陣取っていた。全長は十メートルを越える。その巨大な体躯を、玉座の様な氷の台の上で丸めている。

 そこから遠く離れた氷柱の陰から、セレドはその様子を見つめていた。

「……どう?」
「どうやら眠っている様だ」

 セレドは氷柱の陰に戻る。そこには窪地があって、シエラとビスケーが居た。窪地に入るとふんわりと温かく、セレドはほっと一息つく。ビスケーの魔法だ。

「白銀の勇者はまだ着いていないみたいね。誤算だったわ」

 シエラが肩を竦める。セレドたち三人の目的は、白銀の勇者たちを陰から支援することである。だから白銀の勇者たちとは別のルートから北の谷の深奥を目指した。一種の陽動である。

 途中飛竜とも何回か交戦した。その分、白銀の勇者たちの負担は軽減されているはずだ。予定では白銀の勇者が魔竜を討伐した後に、ここに到着するはずだったが……。

「まあいいさ。そのうち来るだろう。それまで休ませてくれ」
「相変わらずジジ臭いわね。若さが足りないわ」
「ご存じかとは思いますが、オレもう四十過ぎなんですよ……」
「そんなの気合いでなんとかしなさい。年齢を言い訳にするなんて男らしくないわ」

 そんな無茶な。セレドは口角を下げた。ああ、彼女は若い。だからまだ老いというものが理解出来ないのだ。

「こうね、歳を取るってのは悲しいものなんだ」
「なによいきなり」
「若い頃はさ、極限まで力を振り絞っても、そこからふんぬと気合いを入れるとまだ力が出たのよ」
「まあ、普通そんなもんじゃないの?」
「それがさ、歳を取ると出なくなるのよ。どんなに気合いを入れても、生まれたての子鹿の様にぷるぷる震えて力で出なくなる。それが老いってもんなのよ」
「へー。それで全力戦闘が三分間ってワケ?」
「そうそう。今年は三分、来年は二分五十秒かな……どんどん短くなっていく。そういうお年頃なのよ」
「じゃあ鍛えるしかないかな」
「……はい?」
「年々衰えていくっていうんなら、鍛えるしか無いでしょ。まずはマラソン十キロから始めた方がいいかな……?」

 酷く真面目な表情で考え始めたシエラに、セレドは絶望した。救いを求めてビスケーの方を見るが、彼は第三者面で生暖かく見つめていた。

「少しは何か言ってくれ、ビスケー」
「そうは言ってもなあ、リーダー。老けるにはまだ早いと思うぞ。私だって八十ぐらいまでは、鍛錬すれば筋肉ついたしな」
「ほれ、みなさい。セレドは鍛錬が足りないの」
「ええー……」

 セレドは孤立無援だった。一人寂しく干し肉を囓る。

「……うむ?」

 セレドは何かを察知して、さっと二人に手で合図を送る。シエラとビスケーは咄嗟に身を屈める。セレドは窪地から顔をだして周囲を伺う。

 すると、谷の入口から複数の人影がやってくるのが見えた。四人。全員フードを纏っている。

「……白銀の勇者様?」
「いや、違うな」

 気配が違う。セレドは目を細めた。何か、いやな予感がした。


 —— ※ —— ※ ——


 フードを被った四人の男たちはゆっくりと魔竜の前へと歩み出た。気配に気がついたのか、魔竜が目覚めて首を持ち上げる。

「なんだ、南の魔竜とそう変わらんな。侯爵級って言ってもこの程度か」

 一人がフードを剥いだ。中から現れたのは銀髪の青年であった。赤黒い胸当て、そして背には二振りの長刀を背負っている。銀髪の青年は舌舐めずりをしながら、背負った長刀を器用に抜刀する。

 他の男たちもフードを脱いで戦闘態勢へと入った。魔術師と斥候は後方に下がり、槍を構えた戦士は魔竜へと突進する。

『ギャオウウウ!』

 魔竜が吼えた。赤い燐光と共に、凍てついたブレスが突進してくる戦士に吹き付けられる。瞬く間に氷柱が床から生える。

 しかし戦士は素早く横に飛び退いていた。ぶるんと振り回された槍の穂先が、魔竜の足に命中する。槍の穂先は青い光——闘気によって強化されていた。命中したところの鱗が弾け飛ぶ。

『廻る、廻る、炎蛇の牙、駆ける流星、ギバンジンの行く末を我は問う——』

 後退した魔術師が呪文を唱える。それに気がついた魔竜が翼を広げ、飛び立とうとする。だがその翼を、斥候の投げたナイフが貫く。

 ナイフは翼の一部分を小さく貫いただけだった。ダメージはほぼ無い。だが飛び立つのは一瞬遅れた。

『——廻る、廻れ、円環の炎よ、奔れ——炎光!』

 呪文は完成した。杖の先端から、高濃度に圧縮された炎が光線の様に撃ち出される。それは魔竜の胴体に命中した。

 どん。

 照り返しの熱気が、四人の男たちの髪を撫でる。魔竜の腹部はまるでクレーターの様に焼け爛れている。だが浅い。命中する寸前に、魔竜が魔力を集中させて防護したのだ。

「魔法は防げても、これは防げまい!」

 銀髪の青年は跳躍した。両手に握られた長刀が輝く。青い闘気の光と、そして魔力の赤い光。それが渾然一体となって刀身を覆っている。

 ——闘気と魔力の同時使用。それは、勇者の力であった。

「死ねッ!」

 長刀が振り下ろされた。それは魔力の防護を容易く斬り裂いた。魔竜が末期の咆哮を上げる。銀髪の青年が地に降り立つのと、魔竜の首が真っ二つになって落ちるのは、ほぼ同時だった。

「ふん、こんなもんか」

 銀髪の青年は長刀を鞘に収める。その元に仲間たちが集まってくる。

「やったな、ビダソア!」
「ああ。本当にコイツ侯爵級なのか? せいぜい伯爵級だろ。最近の冒険者組合の判定は甘いな」
「そりゃアンタが強すぎるだけだぜ。アンタ基準でやられたら、他の連中が可哀想だぜ」
「一応、これでも勇者様だからな」

 そう言って、ビダソアと呼ばれた銀髪の青年は高らかに笑った。周りの仲間もそれに追従する。

「ビダソア——それが君の名前ってことでいいのかな?」

 その笑いがピタリと止まる。澄んだ若者の声がした。ビダソアは口角を上げ、ゆっくりと声のした方向へと視線を向ける。

 入口には、四人の人影があった。中央に立つ一人は白銀の鎧を身に纏っている。

 白銀の勇者——バレンシアだった。




「よお、白銀の勇者様。アンタの勇名は聞いているぜ——幼い王女様にお熱の、ロリコン勇者さまよ」

 ビダソアの仲間たちが挑発する様に嗤う。むっとしたベティカが口を開こうとするが、それをバレンシアが手で制した。

「君は「勇者」だね。南の森の魔竜も君が斃した。それで間違い無いかな?」
「ああ、そうだよ。アンタが手柄を横取りしちまったけどな」
「それは申し訳無い。国王陛下にはきちんと君に報酬が出るように掛け合……」
「いいんだよ別に。予定通りだからな」

 ビダソアがニヤリと嗤った。それをバレンシアは冷静な視線で見つめている。

「予定通り、とは?」
「アンタが手柄を立てる。そうするとアンタを信用して国王は誓約を出す。違うか?」
「『赤竜の魔王を斃した者には、我が王女ディアナを与え王家の末席に連ねることを約する』」
「つまり魔王を斃したヤツが、次期国王ってワケだ」

 ビダソアの背負った長刀がかちゃりと鳴る。気がつけば、仲間たちがじわりと間合いを詰めてきている。この緊張感……バレンシアは思わず剣の柄に手を伸ばしていた。

 ビダソアは告げた。






「——魔王はオレが斃す。アンタはここで寝ていろや」
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