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2章 王子とペット
2.ペットの条件
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陽の落ちた暗い森の中、街道沿いにある野営地でラシャはマントを敷き寝ていた。
ラシャの白い相貌に長く濃いまつ毛の影が落ちている。印象的な金色の目はその瞼の下に隠れたままだ。そのまつ毛がピクリと震えた。
ラシャがぼんやりと目を開くと、血と泥で薄汚れた姿の男と目が合った。緑の両目を丸くして寝たままこちらを見ている男に、そういえば奴隷を助けたんだっけ、と思い出した。
「ん……起きたか?」
「……ッ…」
奴隷の男は慌てて起きあがろうとするが、焦るわりには緩慢な動きで、胸を押さえて苦しそうにした。
警戒する男とは違い、ラシャはのんびりと目をこする。
「ゆーっくり、深く、息を吐くんだ。まだ体の奥が冷たいだろう? キミは心臓も肺も全てが一度氷漬けになって仮死した。ゆっくり呼吸を繰り返すことで、体の芯に残る冷気を消すんだ」
その言葉に従い、男は呼吸を深くした。ただ、その顔はまだ警戒に染まったままだし、身構えた体勢はいつでも逃げられるように準備している。
怯える獣のようだなと、ラシャは少し微笑んだ。
「お腹が空いているようなら、これを。ゆっくり噛んで小さくしてから呑み込めよ」
ラシャは、餌付けだなと思いつつも荷物から取り出した干し肉を男の前に差し出した。
逡巡したのち、少し離れたところから腕を伸ばしてひったくられる。
それほど美味しいものでもないし、硬くて食べにくいものだが、男は頑丈な顎でムシャムシャとかじっている。よほどお腹が空いたのか、いつでも何でも食べられるように鍛えているのか。
その様子を見ながら、火の小さくなっていた焚き火に薪をくべた。
この野営地には獣避けの護符を貼っているため、魔獣もそれほど近づいてはこない。とはいえ、寒い夜に火がないと凍える気温だ。
銅製のコップに注いだ水を焚き火で温め、干し肉を食べ終えた男に差し出す。
「……ゥッ……」
お礼か何か言おうとした男だったが、その声は言葉にならず、掠れて聞き取れない。
「声が出ないのか? 『隷属の首輪』が喉を締め付けていたせいだろうか」
自分の喉を触った男は、そこでようやく『隷属の首輪』が外れている事に気づいたようだ。驚きで目を丸くしてラシャをみるので、頷いてやる。
「首輪は外れた。そのために一度キミを氷漬けにする必要があったんだ。ただ、首輪が外れても喋れないというのは想定外なんだけど」
逆に男は思い当たることがあるのか、顔をしかめて首を振った。
男が舌を出す。赤い舌の真ん中に、刺青でも入れたかのような黒っぽい模様が入っている。
「その模様は……なるほど、それも呪印か。魔法封じの呪印で声を封じられたんだな」
ラシャはしばらくその模様を眺めたが、考えるのを諦めて首を振った。
ラシャの知識には偏りがある。呪いに詳しい訳ではなく、魔導具の仕組みに詳しいだけだ。『隷属の首輪』も正攻法で呪いを解いたのではなく、一度殺して首輪の反応を誤魔化しただけの裏技だ。
自分用に温まったコップのお湯へ乾燥した花をいくつか落としてかき混ぜる。
「首輪はある程度仕組みが分かっていたからどうにかなったが、それについては調べてみないとわからないな」
花の浮いたお茶を飲むラシャに釣られて、男も手元のお湯を少しずつ飲む。
先程までの警戒を露わにした様子から変わり、今は地面に腰をおろして少し落ち着いた様子だった。まだラシャから距離を取り視線を外すことはないが、敵ではないと認識したようだ。
「とりあえず『隷属の首輪』は外れた。俺は奴隷が主人を殺して逃げようが知りはしない」
その言葉に、男はラシャに刺すような視線を向ける。
その表情には、さすが死を覚悟して奴隷商人を殺しただけあると思わせる強い感情がこもっている。奴隷商人を全く主人だと思っていないし、なんなら主人と呼ぶことに不満しかないようだ。
何か訳がありそうだとは思ったが、ラシャはそのまま続けた。
「呪印は厄介だがそのままにしておくのも手だ。喋れなくても獣を狩るなりして暮らしていくだけの力があるように見えるし」
おそらく、魔獣を殺し、護衛を殺し、奴隷商人を殺したのは、生き残ったこの男だ。それだけの力があれば、森で獣を狩り、必要最小限に街へ出るだけでも生きていけるだろう。
ただ、ラシャはこの男をかなり気に入っていた。その緑の目、今は薄汚いが整っている事が見て取れる顔、生きることをギリギリのところで掴み取る強運に興味を惹かれる。
「ただ……キミ次第だけど」
だから、一つの道を提示する事にした。
「呪印を消してあげようか。キミが俺のペットになるなら」
男はラシャを疑わしげに見た。
「消すあてはある。それに、ちょうど綺麗な毛並みのペットを探していたんだ。もちろん大事に可愛がるし、奴隷のような扱いもしないし、奴隷商人に引き渡したりもしない」
そしてまた一つ、大事な条件。
「ペットは可愛がるし尊重したいけど、一つ条件がある。俺と毎日キスをする事になる。……それが無理ならこの話は無かったことにするけど」
男は考えるように顎に手を当てた。
声の出ない男が1人で生きていく苦労と、得体の知れない男にペットとして飼われる苦労、どちらの方がマシな生き方か。
プライドの高い男なら前者だろう。
ただ、この男はそうではないようだ。
「…………」
ラシャを指差して頷く動作は、ラシャの提案を飲むと言っていた。
ただ、ふてぶてしく笑みを浮かべた男の顔を見ると、プライドがないというのも違和感がある。どうやら、ペットという条件を飲んだとしても、その後、ラシャをどうにでもできるという自信があるのだろう。
それだけの修羅場をくぐってきたのかも知れない。
男の身長はラシャより少し大きく、細身ながらも引き締まった筋肉と長い手足の柔軟さは十分に鍛えられていることが分かる。それを見て取ったラシャは20歳を過ぎているのかと思っていた。
だが、その態度や表情はどこか無鉄砲さも感じる。もう少し年下なのかも知れない。
「よかった。それじゃキミはペット。俺はご主人様だ」
ラシャは男が何を考えていたとしても、どうでもよかった。ペットが逃げ出す算段をしていようが、他の何を考えてようが。ただこの男をしばらくそばに置きたいほど、興味を惹かれていた。
「まだ暗くなったばかりだ。明日ここを出発して、俺の家に招待しよう。もし朝になってやっぱり嫌になったなら、勝手にどこかへ逃げてくれてもいいから」
ラシャは最後まで逃げ道を残す。ペットにも自分で納得してついてきて欲しかった。
「俺はラシャ、キミの名前は……言えないか。文字は読める? 一文字ずつ書くから指を差して」
男は『レオン』という名だと判明した。
ラシャの白い相貌に長く濃いまつ毛の影が落ちている。印象的な金色の目はその瞼の下に隠れたままだ。そのまつ毛がピクリと震えた。
ラシャがぼんやりと目を開くと、血と泥で薄汚れた姿の男と目が合った。緑の両目を丸くして寝たままこちらを見ている男に、そういえば奴隷を助けたんだっけ、と思い出した。
「ん……起きたか?」
「……ッ…」
奴隷の男は慌てて起きあがろうとするが、焦るわりには緩慢な動きで、胸を押さえて苦しそうにした。
警戒する男とは違い、ラシャはのんびりと目をこする。
「ゆーっくり、深く、息を吐くんだ。まだ体の奥が冷たいだろう? キミは心臓も肺も全てが一度氷漬けになって仮死した。ゆっくり呼吸を繰り返すことで、体の芯に残る冷気を消すんだ」
その言葉に従い、男は呼吸を深くした。ただ、その顔はまだ警戒に染まったままだし、身構えた体勢はいつでも逃げられるように準備している。
怯える獣のようだなと、ラシャは少し微笑んだ。
「お腹が空いているようなら、これを。ゆっくり噛んで小さくしてから呑み込めよ」
ラシャは、餌付けだなと思いつつも荷物から取り出した干し肉を男の前に差し出した。
逡巡したのち、少し離れたところから腕を伸ばしてひったくられる。
それほど美味しいものでもないし、硬くて食べにくいものだが、男は頑丈な顎でムシャムシャとかじっている。よほどお腹が空いたのか、いつでも何でも食べられるように鍛えているのか。
その様子を見ながら、火の小さくなっていた焚き火に薪をくべた。
この野営地には獣避けの護符を貼っているため、魔獣もそれほど近づいてはこない。とはいえ、寒い夜に火がないと凍える気温だ。
銅製のコップに注いだ水を焚き火で温め、干し肉を食べ終えた男に差し出す。
「……ゥッ……」
お礼か何か言おうとした男だったが、その声は言葉にならず、掠れて聞き取れない。
「声が出ないのか? 『隷属の首輪』が喉を締め付けていたせいだろうか」
自分の喉を触った男は、そこでようやく『隷属の首輪』が外れている事に気づいたようだ。驚きで目を丸くしてラシャをみるので、頷いてやる。
「首輪は外れた。そのために一度キミを氷漬けにする必要があったんだ。ただ、首輪が外れても喋れないというのは想定外なんだけど」
逆に男は思い当たることがあるのか、顔をしかめて首を振った。
男が舌を出す。赤い舌の真ん中に、刺青でも入れたかのような黒っぽい模様が入っている。
「その模様は……なるほど、それも呪印か。魔法封じの呪印で声を封じられたんだな」
ラシャはしばらくその模様を眺めたが、考えるのを諦めて首を振った。
ラシャの知識には偏りがある。呪いに詳しい訳ではなく、魔導具の仕組みに詳しいだけだ。『隷属の首輪』も正攻法で呪いを解いたのではなく、一度殺して首輪の反応を誤魔化しただけの裏技だ。
自分用に温まったコップのお湯へ乾燥した花をいくつか落としてかき混ぜる。
「首輪はある程度仕組みが分かっていたからどうにかなったが、それについては調べてみないとわからないな」
花の浮いたお茶を飲むラシャに釣られて、男も手元のお湯を少しずつ飲む。
先程までの警戒を露わにした様子から変わり、今は地面に腰をおろして少し落ち着いた様子だった。まだラシャから距離を取り視線を外すことはないが、敵ではないと認識したようだ。
「とりあえず『隷属の首輪』は外れた。俺は奴隷が主人を殺して逃げようが知りはしない」
その言葉に、男はラシャに刺すような視線を向ける。
その表情には、さすが死を覚悟して奴隷商人を殺しただけあると思わせる強い感情がこもっている。奴隷商人を全く主人だと思っていないし、なんなら主人と呼ぶことに不満しかないようだ。
何か訳がありそうだとは思ったが、ラシャはそのまま続けた。
「呪印は厄介だがそのままにしておくのも手だ。喋れなくても獣を狩るなりして暮らしていくだけの力があるように見えるし」
おそらく、魔獣を殺し、護衛を殺し、奴隷商人を殺したのは、生き残ったこの男だ。それだけの力があれば、森で獣を狩り、必要最小限に街へ出るだけでも生きていけるだろう。
ただ、ラシャはこの男をかなり気に入っていた。その緑の目、今は薄汚いが整っている事が見て取れる顔、生きることをギリギリのところで掴み取る強運に興味を惹かれる。
「ただ……キミ次第だけど」
だから、一つの道を提示する事にした。
「呪印を消してあげようか。キミが俺のペットになるなら」
男はラシャを疑わしげに見た。
「消すあてはある。それに、ちょうど綺麗な毛並みのペットを探していたんだ。もちろん大事に可愛がるし、奴隷のような扱いもしないし、奴隷商人に引き渡したりもしない」
そしてまた一つ、大事な条件。
「ペットは可愛がるし尊重したいけど、一つ条件がある。俺と毎日キスをする事になる。……それが無理ならこの話は無かったことにするけど」
男は考えるように顎に手を当てた。
声の出ない男が1人で生きていく苦労と、得体の知れない男にペットとして飼われる苦労、どちらの方がマシな生き方か。
プライドの高い男なら前者だろう。
ただ、この男はそうではないようだ。
「…………」
ラシャを指差して頷く動作は、ラシャの提案を飲むと言っていた。
ただ、ふてぶてしく笑みを浮かべた男の顔を見ると、プライドがないというのも違和感がある。どうやら、ペットという条件を飲んだとしても、その後、ラシャをどうにでもできるという自信があるのだろう。
それだけの修羅場をくぐってきたのかも知れない。
男の身長はラシャより少し大きく、細身ながらも引き締まった筋肉と長い手足の柔軟さは十分に鍛えられていることが分かる。それを見て取ったラシャは20歳を過ぎているのかと思っていた。
だが、その態度や表情はどこか無鉄砲さも感じる。もう少し年下なのかも知れない。
「よかった。それじゃキミはペット。俺はご主人様だ」
ラシャは男が何を考えていたとしても、どうでもよかった。ペットが逃げ出す算段をしていようが、他の何を考えてようが。ただこの男をしばらくそばに置きたいほど、興味を惹かれていた。
「まだ暗くなったばかりだ。明日ここを出発して、俺の家に招待しよう。もし朝になってやっぱり嫌になったなら、勝手にどこかへ逃げてくれてもいいから」
ラシャは最後まで逃げ道を残す。ペットにも自分で納得してついてきて欲しかった。
「俺はラシャ、キミの名前は……言えないか。文字は読める? 一文字ずつ書くから指を差して」
男は『レオン』という名だと判明した。
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