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第4章 国主編

第119話 タタールのくびき(1) ~モンゴルのルーシ侵攻~

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 ルーシの地は、ロシアから始まって、ベラルーシを経てウクライナに流れ黒海に注ぐドニエプル川の中流域に当たる。
 キエフ大公国の中枢をなしていたが、同国は11世紀頃から分裂の兆しが見え始め、一旦は統一を取り戻したムスチスラフⅠ世が1132年に没すると、ますます分裂の傾向が鮮明になっていった。

    ◆

 十数年前、モンゴル高原を統一したチンギス・ハ-ンは周辺の西夏や金といった国への侵略を始めるとともに、中央アジア遠征を開始した。
 中央アジアを支配していたホラズム・シャー朝は整然と侵入してきたモンゴル軍に敗北を重ね、国王アラーウッディーン・ムハンマドはアム河を越え西へと逃走する。

 チンギス・ハーンはこれに対し、四駿四狗ししゅんしくと讃えられる8人の最側近のうちの二人、ジェベとスブタイにムハンマドの追討を命じた。
 命令を受けたジェベ・スブタイ両将軍は二つの万人隊トゥメンを率いて西進を始め、グルジアまで進む。
 肝心のムハンマドはカスピ海中の島ですでに客死していたが、両将軍はさらに進撃を続けカフカス北麓の遊牧民レズギ人、アラン人、チェルケス人などを破りキプチャク草原に入った。

 この事態にキプチャク草原の遊牧民ポロヴェツ族は北西方面に避難を始め、ルーシに援助を求めた。ポロヴェツ族の長コチャン・カンの娘を妻にしていたガーリチ公ムスチスラフが説得に応じ、ポロヴェツ・ルーシ連合軍を組織した。

 連合軍は東へ進み、アゾフ海の北岸、カルカ川の河畔でモンゴル軍を迎え撃つ。いわゆるカルカ河畔の戦いである。

 モンゴル軍は事前にポロヴェツ族の一部や放浪民プロドニキと総称される特定の領主を持たないルーシ人を味方に引き入れていたものの、数量ではまだまだ劣っていた。

 ポロヴェツ・ルーシ連合軍は、急造の連合軍である上、大軍であるおごりもあり、偽って退却を始めたモンゴル軍に対し安易に攻撃をしかけ、戦線が延びきったところで逆にモンゴル軍に包囲され大敗を喫してしまった。

 モンゴル軍は敗走する連合軍を追ってなおも進みつつ、分隊をヴォルガ川とカマ川の合流点周辺にあるヴォルガ・ブルガールへと派遣した。
 しかし、モンゴル軍は、現在のサマラ州のヴォルガ川屈曲部付近で、ヴォルガ・ブルガール軍の待ち伏せにあい、大敗した。いわゆるサマラ屈曲部の戦いである。
 モンゴル軍の征西軍はそれまでほとんど負け知らずであり、初めての大敗といってよかった。

 この戦いの後、モンゴル軍は、キプチャク草原を去り、中央アジアに戻っていった。

    ◆

 それから十数年、モンゴルの脅威は忘れ去られ、ルーシの諸公はまた前のように互いに抗争を続けていた。

 その間にモンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハーンは亡くなり、その三男であるオゴディが第2代皇帝となっていた。
 オゴディは、チンギス・ハーンの長男ジュチの息子バトゥを総司令官と、スブタイらを副司令として再び征西軍をおこした。

 モンゴルの西征軍はヴォルガ川を越え、ヴォルガ・ブルガールへの侵略を開始すると、一年に及ぶ戦いで、ビリャルやブルガールといった都市を陥落させた。

    ◆

 次はいよいよルーシ諸国の番である。
 ルーシが抜かれればポーランド、ハンガリーなどの東欧諸国が直接モンゴル軍と接触することになる。そうなればもう他人事とは言っていられない。

 フリードリヒは、アークバンパイアであるローラの眷属けんぞくの一人、ラウラ・ロルツィングに対し、ルーシの情勢を探ってくるように命じた。
 いつもアリーセばかり頼りにしては後継者が育たないと思ったからだ。

 ロートリンゲンからルーシまでは、途方もない距離がある。
 普通に徒歩での旅は無理なので、魔女のイゾベル・ゴーディがほうきに乗せて飛んでいくこととなった。

「本当は大公閣下のおそばにずっといたいんだけどねえ。最近はこんな仕事が多くて困るよ」とイゾベルが愚痴を言う。
「大公閣下の護衛なんてやることがないじゃないですか。それよりも、こういう仕事で大公閣下の役に立つ方がよっぽどやりがいがありますよ」

「そんなものかねえ…って、もしかしてあんたも大公閣下のことが?」
「…………」

 ラウラは答えなかった。しかし、この場合の沈黙は肯定しているに等しい。

「まったく…ライバルが多くてかなわないよ」
 イゾベルは再び愚痴を言った。

 飛んで行くとはいえ、ルーシまでの道中は長い。
 あれこれ雑談をしているうちにラウラとイゾベルは次第に意気投合していった。

「しかし、魔女はたくさんいるってのに、何でよりによって私なんだ?」
「隠密行動をとるとはいえ、諜報ちょうほう活動にはやはり危険が伴います。まして、今回は戦場を探る仕事ですからね。魔法の実力が一番のイゾベルさんが適任と思われたのでしょう」

「そこまで言われると照れるな…」
「頼りにしてますよ。イゾベルさん」

「ああ。わかったよ」

    ◆

 ラウラとイゾベルはモンゴル軍を監視し、その構成や戦術を探っていくことにする。

 モンゴル軍の戦闘ドクトリンはチンギス・ハーンの時代から基本的に変わっていない。

 モンゴル軍は基本的に10進法で編成されており、兵力千の連帯10個からなる万人隊トゥメンが基本的な編成単位で、広く間隔を開けた3個縦隊が並列して1個軍団として活動する。

 万人隊トゥメンは、前衛となる3個軽騎兵連隊+4個重装甲騎兵連隊+下馬戦闘できる3個軽騎兵連隊で構成される。他に兵站へいたん馬車連隊と攻城部隊がいる。

 攻城兵器には平衡錘投石器のトレビュシェットなどが使われる。これはもともと中国で発明され、ヨーロッパに伝わったものだ。

 また、鉄炮てつはうという火薬を使った炸裂さくれつ兵器もかなりの殺傷能力があった。

 攻撃は無停止攻撃が原則であり、弱敵は包囲し、強敵は3個縦隊で集中突破する。

 夜の闇の中、ラウラがモンゴル軍を探っていると、殺気を感じたので、咄嗟とっさに振り返った。
 棒手裏剣のような投擲とうてき武器が飛んできたので、間一髪で避ける。

 攻撃してきた男は何やらわからない言葉で叫んでいる。おそらく応援を呼んだのだろう。
 すぐに何やらわめきながらこちらに走ってくる集団の音が聞こえた。

 ──ちっ。しくじった。逃げられるか…

 とりあえずイゾベルがいるところまで逃げれば、ほうきに乗って空へとのがれることができる。

 逃げの体勢を取ったところで、先ほどの男が短刀で切りかかってきた。ラウラも短刀を抜き応戦する。

 ラウラは諜報ちょうほう活動を行う者として、忍者のような訓練を受けており、身のこなしは相当に軽かった。
 が、相手もその動きに付いてくる。どうやら相手も同じ忍びの者のようだ。

 ラウラは、切りあいの中、すきを見つけて、半歩下がると手裏剣を相手に投げつけた。手裏剣とは、このように至近距離で投げつけるのが基本である。

 手裏剣はうまいこと相手の胸に刺さり、相手は一瞬だけひるんだ。
 そのすきをついてラウラは全速力で逃走を図る。

 もう応援の者たちが視認できるところまで迫ってきている。
 ラウラは、とにかく全速力でイゾベルの待つところを目指して走った。

 すぐ後ろを忍びの男が、その後ろを応援の者たちが追いかけてくる。手裏剣程度の殺傷力ではすきは作れても足は止められないということだ。

 同じ忍びの訓練を受けた者どうし、ではあるが男女の体力差によりじりじりと距離が縮まってきた。

 男が懐に手を入れる。また、投擲とうてき武器か?
 命中してスピードが少しでも落ちれば、後ろから切りつけられてしまう。

 ──これはまずいな…

 ラウラがやぶれかぶれで後ろを向いて反撃しようかと考えた時…

 炎の矢が雨のように降ってきた。
 イゾベルがラウラを見つけて援護してくれたようだ。

 炎の矢は敵を貫き、その足を止めた。

 ラウラはイゾベルのところに駆け寄る。

「早く乗りな!」

 イゾベルは既にほうきで飛ぶ体制に入っている。
 ラウラは急いでほうきまたがった。

 その瞬間、ほうきが高く舞い上がり、敵の男たちは遥か眼下となった。
 なにやら大声で叫んでいる。負け惜しみだろうか…

「危ないところをありがとうございました。イゾベルさん」
「まったく、あんたいつもあんなことしてるのかよ」

「いつもという訳では…今回はたまたま忍びの者に見つかってしまって簡単には逃げられなかったんです」
「とにかく無事でよかった。
 ところで奴らはどうする。焼き殺すか、それとも氷漬けか?」

「いえ。逃げられたのですから無益な殺生はやめておきましょう」
「あんたも人が良いな。でも、それじゃ私の気が収まらない。一発だけやらせてもらうぜ。
 土よ来たれ。石の弾丸。ストーンバレット!」

 石礫いしつぶてが男たちを襲う。
 石は原始的な武器ではあるが、威力は相当なものがある。
 死なないまでも、当たり所が悪ければ重傷を負ってしまう。

 あちこちで「うわぁ」という悲鳴が上がる。

「これくらいで許してやるよ。感謝しな」
 聞こえているか疑問だが、イゾベルは敵の男たちに向かって叫んだ。

「さて、これからどうする。敵軍の構成やなにかはだいたいわかったんだろ」
「ええ。そうですが敵の戦い方なども見ておかないと…」

「まだ、当分帰れないってか?」
「申し訳ございません」

「何もかも閣下のおんためだ。仕方ないさ」
 イゾベルは若干の皮肉を込めて言った。
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