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四十九話
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悠司と使うためではない。飾っておくためだ。この素敵なマグカップを諦めて、誰かに買われたら後悔すると思ったからだった。
レジで会計を済ませ、店のロゴが刻まれた紙袋に商品を入れてもらう。ティーポットとマグカップは陶器なので、ギフトボックスに包まれた。
今日はティーバッグではない、茶葉の紅茶を淹れて楽しもう。
その楽しみがあると思うと、紗英のささくれ立った心はいくらか落ち着いた。
デパートを出ると寒風が吹き、首を竦める。
マフラーが欲しいな、と思った。
こんなとき、悠司さんなら肩を抱いてくれるのに……
ふとしたことで彼を思い出してしまい、涙が零れそうになる。
かぶりを振った紗英は、努めて悠司のことを考えないようにした。
まだこんなにも、彼に未練があるのだ。
けれど時間が経ったら、身分違いなのだから仕方ないと、失恋を受け入れられるのではないだろうか。
電車で帰宅するため、通勤客でごった返す駅のホームで並んでいた紗英は、ふと呟いた。
「そっか……。私、失恋したんだ……」
だから、こんなにも心が痛いし、受け入れるのが難しいのだ。
これまでのクズ男たちに対しては、こんな感情を抱いたことはなかった。裏切られるたびに、やっぱりね、という確信が湧いただけだ。だから失恋したなんて、思っていなかった。
つまり、紗英は本当の意味で恋愛をしていなかったのだ。
悠司に会うまでは。
彼と濃密な時間を過ごして、体を重ね、たくさんのキスをして、そして好きになった。
あの時間が濃厚だったからこそ、失ったことがこんなにも悲しい。
「でも……いつか、忘れられるのかな……」
電車に揺られて駅から出た紗英は、アパートへの道をとぼとぼと歩いた。
悠司との幸せな思い出は、忘れられそうにない。ただ、この胸の痛みがいつかは消えるのか。それだけだった。
アパートの階段を上り、バッグから鍵を探ろうとしたとき、ぎくりとする。
紗英の家の扉前に、何者かが座り込んでいる。
一瞬、悠司かと思ったが、彼が共用廊下に座り込むような品のない仕草をするわけがない。
紗英に気づいた男は、だるそうに立ち上がった。
「よお、紗英。遅かったな」
「ま、雅憲⁉ ここでなにしてるのよ!」
なんと、二股をかけられて別れた元カレの大類雅憲だった。
わざわざ荷物を紗英に持ってこさせ、しかも浮気相手の車で取りに来たというセコい男だ。合い鍵を返してと言ったのに、音沙汰がないので、紗英は玄関のシリンダー自体を交換したのだった。この男なら、紗英のいない間に堂々と部屋に入って、物色してもおかしくないからである。
案の定、雅憲は薄汚れたパーカーに破れたジーンズ姿で、髪はボサボサだった。もとからアルバイトを転々としていたが、真面目に働いている様子ではない。
「おまえさぁ、なんで鍵が変わってんの? オレ、何時間もここで待ってて、すごいしんどかったんだけど」
相変わらず自分のことばかり考えている男で、進歩がない。被害者面するのは雅憲の癖のようなものだった。
「それはシリンダーを交換したからよ。あなたが合い鍵を返さないからでしょ。今さら私になんの用なの?」
「なんでそんなことするんだよ。オレを外で待たせて寒い思いさせて、おまえはなんとも思わないのか?」
甘ったれた言い分に、呆れた紗英は深い溜息を漏らした。
こんな身勝手で幼稚な男に振り回されていた過去の自分が情けない。
「あなたにここで待っててくださいなんて誰も頼んでいないでしょう。浮気相手の女の家で暖まったらいいんじゃないの?」
そう指摘すると、雅憲はきょとんとした顔をして、うろうろと視線をさまよわせた。
「オレ、浮気なんてしてない。なあ、紗英、寒いからさっさと部屋に入ろうぜ」
どうやら浮気相手の女とは破局したようだ。だから紗英のところに戻ってきたのだろう。
以前の紗英なら、情に絆されて雅憲を部屋に入れてあげたかもしれない。
クズな人間を甘やかすことに慣れていた自分は、それがふつうなのだと思い込んでいた。
でも、今は違う。
紗英は悠司とともに過ごして変われた。
毅然として、紗英に依存しようとする雅憲に言い放つ。
「あなたとはとっくに別れているわ。よりを戻す気もないの。だから部屋には入れられない。貸した十五万円も合い鍵も返さなくていいから、もう帰ってちょうだい」
はっきり言うと、雅憲は唇を尖らせた。
彼は紗英より年齢が六歳上なのだが、そのわりには思考が幼稚で、それが顔に出やすい。
「なんだよ、なんでそんなこと言うんだよ! おまえはオレが可哀想だと思わないのか⁉」
突然怒り出した雅憲は、紗英が手にしていた紙袋を引ったくる。
取り返そうと手を伸ばしたが、紙袋はコンクリートの床に叩きつけられた。
ガチャン、と陶器が割れた鈍い音がする。
強かに打ちつけてしまったので、ティーポットやマグカップが割れてしまったのだ。
「なにするのよ!」
「おまえが悪い! 謝らないと許さないからな!」
どこまでも被害者ぶる雅憲は、紗英の腕を掴んで揺さぶった。
レジで会計を済ませ、店のロゴが刻まれた紙袋に商品を入れてもらう。ティーポットとマグカップは陶器なので、ギフトボックスに包まれた。
今日はティーバッグではない、茶葉の紅茶を淹れて楽しもう。
その楽しみがあると思うと、紗英のささくれ立った心はいくらか落ち着いた。
デパートを出ると寒風が吹き、首を竦める。
マフラーが欲しいな、と思った。
こんなとき、悠司さんなら肩を抱いてくれるのに……
ふとしたことで彼を思い出してしまい、涙が零れそうになる。
かぶりを振った紗英は、努めて悠司のことを考えないようにした。
まだこんなにも、彼に未練があるのだ。
けれど時間が経ったら、身分違いなのだから仕方ないと、失恋を受け入れられるのではないだろうか。
電車で帰宅するため、通勤客でごった返す駅のホームで並んでいた紗英は、ふと呟いた。
「そっか……。私、失恋したんだ……」
だから、こんなにも心が痛いし、受け入れるのが難しいのだ。
これまでのクズ男たちに対しては、こんな感情を抱いたことはなかった。裏切られるたびに、やっぱりね、という確信が湧いただけだ。だから失恋したなんて、思っていなかった。
つまり、紗英は本当の意味で恋愛をしていなかったのだ。
悠司に会うまでは。
彼と濃密な時間を過ごして、体を重ね、たくさんのキスをして、そして好きになった。
あの時間が濃厚だったからこそ、失ったことがこんなにも悲しい。
「でも……いつか、忘れられるのかな……」
電車に揺られて駅から出た紗英は、アパートへの道をとぼとぼと歩いた。
悠司との幸せな思い出は、忘れられそうにない。ただ、この胸の痛みがいつかは消えるのか。それだけだった。
アパートの階段を上り、バッグから鍵を探ろうとしたとき、ぎくりとする。
紗英の家の扉前に、何者かが座り込んでいる。
一瞬、悠司かと思ったが、彼が共用廊下に座り込むような品のない仕草をするわけがない。
紗英に気づいた男は、だるそうに立ち上がった。
「よお、紗英。遅かったな」
「ま、雅憲⁉ ここでなにしてるのよ!」
なんと、二股をかけられて別れた元カレの大類雅憲だった。
わざわざ荷物を紗英に持ってこさせ、しかも浮気相手の車で取りに来たというセコい男だ。合い鍵を返してと言ったのに、音沙汰がないので、紗英は玄関のシリンダー自体を交換したのだった。この男なら、紗英のいない間に堂々と部屋に入って、物色してもおかしくないからである。
案の定、雅憲は薄汚れたパーカーに破れたジーンズ姿で、髪はボサボサだった。もとからアルバイトを転々としていたが、真面目に働いている様子ではない。
「おまえさぁ、なんで鍵が変わってんの? オレ、何時間もここで待ってて、すごいしんどかったんだけど」
相変わらず自分のことばかり考えている男で、進歩がない。被害者面するのは雅憲の癖のようなものだった。
「それはシリンダーを交換したからよ。あなたが合い鍵を返さないからでしょ。今さら私になんの用なの?」
「なんでそんなことするんだよ。オレを外で待たせて寒い思いさせて、おまえはなんとも思わないのか?」
甘ったれた言い分に、呆れた紗英は深い溜息を漏らした。
こんな身勝手で幼稚な男に振り回されていた過去の自分が情けない。
「あなたにここで待っててくださいなんて誰も頼んでいないでしょう。浮気相手の女の家で暖まったらいいんじゃないの?」
そう指摘すると、雅憲はきょとんとした顔をして、うろうろと視線をさまよわせた。
「オレ、浮気なんてしてない。なあ、紗英、寒いからさっさと部屋に入ろうぜ」
どうやら浮気相手の女とは破局したようだ。だから紗英のところに戻ってきたのだろう。
以前の紗英なら、情に絆されて雅憲を部屋に入れてあげたかもしれない。
クズな人間を甘やかすことに慣れていた自分は、それがふつうなのだと思い込んでいた。
でも、今は違う。
紗英は悠司とともに過ごして変われた。
毅然として、紗英に依存しようとする雅憲に言い放つ。
「あなたとはとっくに別れているわ。よりを戻す気もないの。だから部屋には入れられない。貸した十五万円も合い鍵も返さなくていいから、もう帰ってちょうだい」
はっきり言うと、雅憲は唇を尖らせた。
彼は紗英より年齢が六歳上なのだが、そのわりには思考が幼稚で、それが顔に出やすい。
「なんだよ、なんでそんなこと言うんだよ! おまえはオレが可哀想だと思わないのか⁉」
突然怒り出した雅憲は、紗英が手にしていた紙袋を引ったくる。
取り返そうと手を伸ばしたが、紙袋はコンクリートの床に叩きつけられた。
ガチャン、と陶器が割れた鈍い音がする。
強かに打ちつけてしまったので、ティーポットやマグカップが割れてしまったのだ。
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「おまえが悪い! 謝らないと許さないからな!」
どこまでも被害者ぶる雅憲は、紗英の腕を掴んで揺さぶった。
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