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三十七話

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「手を切らないよう、気をつけてくださいね」
「さすがにそれは大丈夫だ。できたのから、まな板にのせていくから」
 悠司は慣れた手つきで、つるりとじゃがいもの皮を剥くと、さっと流水で洗ってからまな板にのせる。
 それを乱切りにした紗英は、ザルに入れた。タマネギはざっくりと切る。そして悠司が皮むきしてくれたニンジンも、乱切りにする。少しだけ遊び心を入れようと、薄くスライスしたニンジンに包丁で細工して、ひとつだけハート型にしてみた。
 インゲンも水で洗ってから、ヘタを切り取る。
 野菜の用意が整うと、冷蔵庫から牛肉を取り出す。
 肉を一口大に切って、油を引いた深鍋で炒める。そのあとに野菜を投入して肉と一緒に炒め、馴染んできたら水をひたひたくらいに注ぐ。
「悠司さん。お砂糖ください」
「はい、どうぞ」
 クリアーな砂糖壺を渡される。
 紗英が鍋にスプーンで砂糖を入れていると、背後では悠司が米を用意していた。
「煮込むのに、ある程度時間がかかるだろ? 米も炊こう。やっぱり肉じゃがには米だよな」
「いいですね」
 シンクで米をといでいる悠司の姿を見た紗英は、胸に感激が染み渡るのを感じた。
 今までのクズ男たちで、そんなことをしてくれる人は誰もいなかったから。
 ううん、もう比べるのはやめよう……悠司さんは悠司さんなんだから、彼だけを見よう。
 もう過去を振り返って悲観する必要はない。
 悠司が受け止めてくれたのだから。
 彼の優しい言葉のひとつひとつが、紗英を変えたのだった。
 そう思った紗英は、鍋に向かう。
 酒、醤油、みりんなどの調味料で味付けをして、落としぶたをする。中火から弱火にして火加減を見ながら、じゃがいもやニンジンなどの固い野菜が煮えたら完成だ。
 途中で味見もして調整しなければならないので、鍋の前からは離れられない。
 ぐつぐつと煮えている鍋を見ていると、すっと紅茶のカップが差し出された。
「あ……ありがとうございます」
 炊飯器のセットを終えた悠司が、紅茶を淹れてくれたのだ。
 両手でカップを受け取った紗英の手が、じんわりと温まる。
「ティーバッグだけどね。砂糖はいる?」
「ううん。ストレートが好きだから、大丈夫です」
 悠司は紗英のほうを向きながら、無地のカップを傾けた。
 こんなふうにキッチンでお茶を飲みながらまったり話すのも、小さな幸せを感じる。
「そういえば、紗英は紅茶派なの? それとも珈琲派?」
「職場には珈琲しかないから珈琲を飲んでるんですけど、実は紅茶が好きですね」
「そうなんだ! 家では茶葉から淹れてるの?」
 花模様が描かれたカップを片手にした紗英は慌てて手を振った。
「カフェみたいな淹れ方も憧れますけど、家ではそこまでする余裕がなくて、ティーバッグしかないんです」
「まあ、ティーバッグは手軽なんだけどね。レストランで美味しい紅茶を飲むと、家でもこれ飲みたいなと思うよな」
「そう! そうなんですよ。ポットと茶葉だけ買えば、できますかね……」
 悠司と高級ホテルのレストランで食事したときに飲んだ紅茶の味を思い出す。
 豪華なコース料理を食べたあとの余韻が残っているのもあるだろうが、まろやかで芳醇な味わいで、とても美味しかった。
 微笑んだ悠司は、紅茶のカップを掲げる。
「今度、デパートへ一緒に買いに行こうよ」
「えっ?」
「紅茶の茶葉と、ティーポット。それにおそろいのマグカップも欲しいな」
 またふたりの約束ができた。
 悠司はふたりきりで会うたびに、次へとつなげてくれる。
 しかも『一緒に』という言葉を彼が使ってくれることに、紗英の胸は躍った。
 小さな未来の約束事だけれど、悠司が提案してくれる予定が、たまらなく嬉しい。
「行きたいです……」
「いつにする? 来週でいいか?」
「えっと……」
 言いかけた紗英は、鍋がぐつぐつと煮立っているのに気づいた。
 慌てて手にしていたカップを置き、火加減を調整する。蓋を開け、じゃがいもを菜箸で突くと、まだ少し固いというくらいだ。
「もう少しですね。味見しましょうか」
 小皿にお玉で少量のつゆを掬った紗英は、悠司に手渡す。
 彼は味見をすると、「うん」と頷いた。
「ちょうどいいよ。紗英も味見してみて」
 返された小皿に、またお玉でつゆを掬う。
 つゆを飲み、舌の上で味わう。
 甘くもなく、しょっぱくもなく、ちょうどいいくらいだ。
 紗英は小皿を手にして、笑みを浮かべる。
「いいですね」
 すると、悠司が頬にくちづけしそうなくらいの距離に顔を近づけてきた。突然のことに、紗英の胸はどきりと脈打つ。
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