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三十五話
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ほっとした紗英は、思わず口にした。
「これなら、私が掃除しなくてもいいですね」
訝しげに眉をひそめた悠司は問いかけた。
「……紗英。きみは調理道具を丸ごと用意したり、掃除するつもりでいたり、母親のように世話を焼くのに慣れているんだな。今までの恋人は紗英を家政婦のように使っていたのか?」
はっとした紗英は、自分がクズ男の支配から抜けきれていないことに気づいた。比べるつもりではなかったのに、つい紗英の中で今までと比較してしまっていた。
「あ……そうです。その通りです。今までの人たちは、私に掃除も洗濯も料理も全部させていました。私自身、違和感がなかったわけじゃないんですけど……」
険しい目をした悠司は、紗英の腕を引いて革張りのソファに座らせた。悠司も隣に腰を下ろす。
彼を怒らせてしまっただろうか。
悠司は紗英の目をまっすぐに見ると、ゆっくりと話し出した。
「俺がクズ男になってしまうから付き合えないと、きみは言ったね。でも、俺は紗英が今までに付き合ってきた男たちとは違う。俺はきみに甘えるかもしれないが、それは依存ではない。俺は自立している。甘えるのは、きみにキスしたいとか、一緒にいたいとか、そういう意味の甘えだ」
彼の言葉は、紗英の胸に深く浸透した。
悠司の言う通りだった。
今までのクズ男たちは、そして母親も、紗英に依存していたのだ。
彼らが依存しているからこそ、紗英は違和感があった。このままでいいのだろうかと悩んでいた。だが、母親も元カレの誰も、まともに取り合おうとはしなかったので、これまで解決しなかったのだ。それは紗英への依存を続けたいからにほかならない。
甘やかさない、甘えられない、などと懊悩してきたが、問題の正体は相手からの依存だったと知る。
「悠司さんの言う通りです……。私、今まで、依存されてたんですね……」
「それもきみが優しいからだと思う。その優しさにつけいるのは、卑怯だと俺は思うよ」
「実は……母親のしつけが元なんです。私が甘えることを許さない人で、『なんでも自分でやりなさい』と躾けられて育ったんです。だから大人になっても、うまく人に甘えられなくて、ほかの人から依存されてばかりになってしまうんだと思います」
誰にも話せなかった母親のことを、悠司にはするりと打ち明けられた。
この話の流れがあったからこそかもしれない。
悠司は優しく紗英の肩を抱き寄せる。
「俺には、甘えていいんだ。少しずつでいい。きみに頼りにされたい」
「……悠司さんを頼りにしてます。だって、仕事のことで頼ってるじゃないですか。私の上司ですもの」
「そうだけどな。仕事はまた別だ。きみに、男として頼りにされたいし、甘えられたい」
「甘えるというのは、こうしたり……ですか?」
紗英は剛健な胸に、ぽんと頭を預ける。
すると悠司はいっそう彼女の肩をきつく抱いた。
「そうだね。小さなことから、始めていこう。俺がきみを受け止めるから、なにも心配いらない」
「悠司さん……ありがとうございます。あなたがいてくれて、よかった」
「俺も、紗英がいてくれてよかったよ。お母さんのことも、よく話してくれたね」
紗英は彼の胸の中で、ふるりと首を横に振る。
頼りがいのある悠司のおかげで、これまで抱えていた呪いのような懊悩が消えていくのを感じた。
愛情を返せない人に囚われるのは、もうやめよう。
私には、悠司さんがいる――。
そうすると、すっきりした胸には悠司への恋情が残った。
私は、悠司さんのことが、好き……。
でも、勝負のことがある。
果たして、はっきり「好き」と言っていいものかどうか迷いがあった。
もしかすると、言わなくてもいいのかもしれない。
恋人とか、そうじゃないとか、明確にする必要はないのかもしれない。
少なくとも今は、すぐ傍にある悠司のぬくもりを大切にしたかった。
そうして寄り添っていると、窓の外に曇天が広がっていることに気がつく。
「悠司さん……雨が降りそうですけど、そろそろ買い出しに行きませんか?」
「ん。そうだな。スーパーまでは歩いてすぐだ。傘を持っていこうか」
ふたりは支度をして、マンションを出た。
片手に折りたたみ傘を持った悠司は、空いたほうの手で、紗英と手をつなぐ。
こうしてスーパーへ買い物に行くのは初めてのはずなのに、なぜか紗英は自然に感じた。
悠司と特別な場所へ行ってデートしなくても、ふたりでいられたら幸せなのかもしれない。ゆるりとした気持ちで、そんなふうに思えた。
胸のうちを打ち明けられたからかな……悠司さんは受け止めてくれた……。
過去の憤りを明かし、それを受け止めてもらえたことが、悠司への信頼へつながっていた。
つないでいる手から伝わる悠司の熱が愛しい。
特に話をしなくても、沈黙が続いても、気まずい雰囲気にはならなかった。
彼の体温を感じているだけで、紗英は安心できた。
ややあって、スーパーへ着いた。
高級住宅街だけあって、スーパーも高級店である。珍しい野菜などの高額商品がたくさん置いてあった。
「これなら、私が掃除しなくてもいいですね」
訝しげに眉をひそめた悠司は問いかけた。
「……紗英。きみは調理道具を丸ごと用意したり、掃除するつもりでいたり、母親のように世話を焼くのに慣れているんだな。今までの恋人は紗英を家政婦のように使っていたのか?」
はっとした紗英は、自分がクズ男の支配から抜けきれていないことに気づいた。比べるつもりではなかったのに、つい紗英の中で今までと比較してしまっていた。
「あ……そうです。その通りです。今までの人たちは、私に掃除も洗濯も料理も全部させていました。私自身、違和感がなかったわけじゃないんですけど……」
険しい目をした悠司は、紗英の腕を引いて革張りのソファに座らせた。悠司も隣に腰を下ろす。
彼を怒らせてしまっただろうか。
悠司は紗英の目をまっすぐに見ると、ゆっくりと話し出した。
「俺がクズ男になってしまうから付き合えないと、きみは言ったね。でも、俺は紗英が今までに付き合ってきた男たちとは違う。俺はきみに甘えるかもしれないが、それは依存ではない。俺は自立している。甘えるのは、きみにキスしたいとか、一緒にいたいとか、そういう意味の甘えだ」
彼の言葉は、紗英の胸に深く浸透した。
悠司の言う通りだった。
今までのクズ男たちは、そして母親も、紗英に依存していたのだ。
彼らが依存しているからこそ、紗英は違和感があった。このままでいいのだろうかと悩んでいた。だが、母親も元カレの誰も、まともに取り合おうとはしなかったので、これまで解決しなかったのだ。それは紗英への依存を続けたいからにほかならない。
甘やかさない、甘えられない、などと懊悩してきたが、問題の正体は相手からの依存だったと知る。
「悠司さんの言う通りです……。私、今まで、依存されてたんですね……」
「それもきみが優しいからだと思う。その優しさにつけいるのは、卑怯だと俺は思うよ」
「実は……母親のしつけが元なんです。私が甘えることを許さない人で、『なんでも自分でやりなさい』と躾けられて育ったんです。だから大人になっても、うまく人に甘えられなくて、ほかの人から依存されてばかりになってしまうんだと思います」
誰にも話せなかった母親のことを、悠司にはするりと打ち明けられた。
この話の流れがあったからこそかもしれない。
悠司は優しく紗英の肩を抱き寄せる。
「俺には、甘えていいんだ。少しずつでいい。きみに頼りにされたい」
「……悠司さんを頼りにしてます。だって、仕事のことで頼ってるじゃないですか。私の上司ですもの」
「そうだけどな。仕事はまた別だ。きみに、男として頼りにされたいし、甘えられたい」
「甘えるというのは、こうしたり……ですか?」
紗英は剛健な胸に、ぽんと頭を預ける。
すると悠司はいっそう彼女の肩をきつく抱いた。
「そうだね。小さなことから、始めていこう。俺がきみを受け止めるから、なにも心配いらない」
「悠司さん……ありがとうございます。あなたがいてくれて、よかった」
「俺も、紗英がいてくれてよかったよ。お母さんのことも、よく話してくれたね」
紗英は彼の胸の中で、ふるりと首を横に振る。
頼りがいのある悠司のおかげで、これまで抱えていた呪いのような懊悩が消えていくのを感じた。
愛情を返せない人に囚われるのは、もうやめよう。
私には、悠司さんがいる――。
そうすると、すっきりした胸には悠司への恋情が残った。
私は、悠司さんのことが、好き……。
でも、勝負のことがある。
果たして、はっきり「好き」と言っていいものかどうか迷いがあった。
もしかすると、言わなくてもいいのかもしれない。
恋人とか、そうじゃないとか、明確にする必要はないのかもしれない。
少なくとも今は、すぐ傍にある悠司のぬくもりを大切にしたかった。
そうして寄り添っていると、窓の外に曇天が広がっていることに気がつく。
「悠司さん……雨が降りそうですけど、そろそろ買い出しに行きませんか?」
「ん。そうだな。スーパーまでは歩いてすぐだ。傘を持っていこうか」
ふたりは支度をして、マンションを出た。
片手に折りたたみ傘を持った悠司は、空いたほうの手で、紗英と手をつなぐ。
こうしてスーパーへ買い物に行くのは初めてのはずなのに、なぜか紗英は自然に感じた。
悠司と特別な場所へ行ってデートしなくても、ふたりでいられたら幸せなのかもしれない。ゆるりとした気持ちで、そんなふうに思えた。
胸のうちを打ち明けられたからかな……悠司さんは受け止めてくれた……。
過去の憤りを明かし、それを受け止めてもらえたことが、悠司への信頼へつながっていた。
つないでいる手から伝わる悠司の熱が愛しい。
特に話をしなくても、沈黙が続いても、気まずい雰囲気にはならなかった。
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