上 下
25 / 56

二十五話

しおりを挟む
 指摘された木村は唇を噛みしめた。
 彼女は隣の紗英を、じろりと睨みつける。
「では……海東さんを課長の補佐から外してください」
「理由は?」
「彼女には山岡さんほどのキャリアはありませんし、役不足です。きっと桐島課長の足手まといになります」
「……木村さんがそれを指摘するのは非常に滑稽なんだが。海東さんが俺の補佐に就任したのは本部長も認めたことだ。きみがそれを非難するのなら、まずは契約件数で海東さんを超えてからにしたまえ」
 ぐっと息を詰めた木村はもうそれ以上なにも言わず、踵を返してデスクへ戻っていった。
 美貌では社内で誰にも負けないであろう木村だが、契約件数としては低迷している。さらに退去者とのトラブルも抱えているので、伊豆の担当を数多く請け負っている紗英とは雲泥の差だった。
 私は、悠司さんの私情で補佐に選ばれたわけじゃない……。実力が認められたということなんだよね。
 そう思うと、なんとしても伊豆の新施設を成功させようという気持ちが湧いてくる。
 小さな溜息を吐いた悠司は、紗英に言った。
「木村さんのことは気にするな。きみは自分の仕事を精一杯こなしてくれ」
「はい。承知しました」
 返事をした紗英は、さっそく伊豆周辺に関しての情報収集にあたった。

 やがて出張の日がやってきた。
 小型のキャリーケースを引いた紗英は、漆黒のキャリーケースを引いている悠司と新幹線のホームに並び立つ。
 出張は一泊の予定だが、施設のほかに工房やレストラン、農家など視察するところが多い。
 伊豆に終の棲家を決める人は基本的に都内住まいなど、地元ではない顧客が多いので、いかに伊豆がおしゃれで暮らしやすい場所かということをアピールする必要がある。そのため工房と契約して施設へクラフトアートなどの出張に来てもらったり、農家を訪問して野菜の仕入れ状況をうかがったり、レストランはどんな店か、値段は相応かなど、現地で調べることは山ほどあるのだ。
「伊豆ではレンタカーを借りよう。中伊豆あたりは車移動でないと回りきれないからな」
「私が運転しましょうか?」
「そんな気を使わなくてもいいよ。きみは俺の隣に座って景色でも眺めていてくれ」
「観光じゃないんですから……」
「入居者がいたら、その家族が伊豆を観光することになる。だから今回は観光して楽しいかという点も気にかけないといけない」
「なるほど。わかりました」
 到着した新幹線に乗り込み、指定席の座席に着く。ふたりの席は、もちろん並び合っていた。悠司は自分の分と紗英のキャリーケースを荷物棚にしまうと、彼女を窓際の席に促す。「私が窓際でいいんですか?」
「もちろん。景色を見ながらきみの顔も見ていられるという最大のメリットが俺にはある」
 冗談なのか本気なのかわからないが、苦笑した紗英は窓際のシートに腰を下ろした。
 悠司は購入したお茶と弁当が入ったビニール袋を、紗英に手渡す。
「あ、ありがとうございます」
 もちろん悠司の分もある。駅の売店で買っておいてくれたのだ。
「どういたしまして。経費の内だ」
「そうでしょうね。……これは、経費ではないんですけど……」
「ん?」
 渡すなら、さっさと渡してしまおうと思った紗英は、鞄から薄いピンク色の紙袋を取り出した。それを隣の席の悠司の膝に、そっとのせる。
「これは?」
「……シュシュのお返しです」
「開けてもいいか?」
「どうぞ」
 笑みを浮かべた悠司は嬉しそうに紙袋を開ける。
 彼の反応が怖くなり、紗英は小さくなっていた。
 悠司さん、喜んでくれるかな……?
 デパートの紳士用コーナーで、あれでもないこれでもないと迷った結果、無難なものに落ち着いてしまった。
 ちらりと見ると、悠司は青いハンカチを手にして、満面の笑みを見せている。
 広げると、チェック柄のなんということはない無難なデザインだ。あまり奇抜でもよくないと思い、ありきたりなものにした。
「俺のために? ありがとう。大切にするよ」
「……よかったら、使ってください」
 丁寧にハンカチを折りたたんだ悠司は、スラックスのポケットに入れる。
 とりあえず、使ってもらえるようでよかった。
 ほっとした紗英は、もらったペットボトルのお茶のキャップを開けた。

 新幹線は予定時刻通りに発車すると、ややあって伊豆付近の駅に到着した。
 駅を降りると、ふたりはレンタカーを借りて、伊豆の各地を回った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

お見合い相手はお医者さん!ゆっくり触れる指先は私を狂わせる。

すずなり。
恋愛
母に仕組まれた『お見合い』。非の打ち所がない相手には言えない秘密が私にはあった。「俺なら・・・守れる。」終わらせてくれる気のない相手に・・私は折れるしかない!? 「こんな溢れさせて・・・期待した・・?」 (こんなの・・・初めてっ・・!) ぐずぐずに溶かされる夜。 焦らされ・・焦らされ・・・早く欲しくてたまらない気持ちにさせられる。 「うぁ・・・気持ちイイっ・・!」 「いぁぁっ!・・あぁっ・・!」 何度登りつめても終わらない。 終わるのは・・・私が気を失う時だった。 ーーーーーーーーーー 「・・・赤ちゃん・・?」 「堕ろすよな?」 「私は産みたい。」 「医者として許可はできない・・!」 食い違う想い。    「でも・・・」 ※お話はすべて想像の世界です。出てくる病名、治療法、薬など、現実世界とはなんら関係ありません。 ※ただただ楽しんでいただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 それでは、お楽しみください。 【初回完結日2020.05.25】 【修正開始2023.05.08】

夜這いを仕掛けてみたら

よしゆき
恋愛
付き合って二年以上経つのにキスしかしてくれない紳士な彼氏に夜這いを仕掛けてみたら物凄く性欲をぶつけられた話。

ぽっちゃりOLが幼馴染みにマッサージと称してエロいことをされる話

よしゆき
恋愛
純粋にマッサージをしてくれていると思っているぽっちゃりOLが、下心しかない幼馴染みにマッサージをしてもらう話。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

性欲のない義父は、愛娘にだけ欲情する

如月あこ
恋愛
「新しい家族が増えるの」と母は言った。  八歳の有希は、母が再婚するものだと思い込んだ――けれど。  内縁の夫として一緒に暮らすことになった片瀬慎一郎は、母を二人目の「偽装結婚」の相手に選んだだけだった。  慎一郎を怒らせないように、母や兄弟は慎一郎にほとんど関わらない。有希だけが唯一、慎一郎の炊事や洗濯などの世話を妬き続けた。  そしてそれから十年以上が過ぎて、兄弟たちは就職を機に家を出て行ってしまった。  物語は、有希が二十歳の誕生日を迎えた日から始まる――。  有希は『いつ頃から、恋をしていたのだろう』と淡い恋心を胸に秘める。慎一郎は『有希は大人の女性になった。彼女はいずれ嫁いで、自分の傍からいなくなってしまうのだ』と知る。  二十五歳の歳の差、養父娘ラブストーリー。

処理中です...