22 / 56
二十二話
しおりを挟む
「好きだよ」
ぼうっとした紗英は、真摯な双眸で告げられたその言葉に酔いしれる。
なんて心地いい響きなのだろう。
悠司さんが、私を好き……。
けれど次の瞬間、はっとして、取り決めた恋人契約について思い出した。
悠司が「好き」と言うのは、かりそめの恋人なのだから、契約のうちなのだ。本気ではない。
私もあなたが好き、と言えたら、どんなにいいだろう。
けれど紗英は戸惑うばかりで、なにも返せなかった。
悠司のことはもちろん嫌いではない。もしかしたら、好きかもしれない。
だが自分の気持ちにも整理がついていないのに、恋人契約しているという理由で恋情を口にするのは、なんだか抵抗があった。
うつむいている紗英を、悠司はなにも言わずに肩を抱いていた。
そのとき、強い風が吹いてきた。
悠司は紗英を守るように、そっと腕で包み込む。
「風邪を引いたらいけない。そろそろ戻ろうか」
「そうですね」
悠司が助手席側のドアを開けたので、紗英は車に乗り込んだ。回り込んだ彼も運転席に着く。
だが悠司はすぐにエンジンをかけず、ジャケットの懐からなにかを取り出した。
「これ」
「……なんでしょう?」
てのひらにのるほどの白い紙袋を手渡される。
ふかふかしたものが入っているのが、手触りでわかった。
「開けていいですか?」
「うん」
紙袋を開けると、そこに入っていたのは、ピンクのシュシュだった。
キラキラしたサテン生地が、ウィンドウから射し込むかすかな光に輝く。
「あの、これは……」
「プレゼントだ。ピンクが好きみたいだから」
職場で、シュシュの名称を教えたことを悠司は覚えていたのだ。さらに体を重ねたときの下着の色がピンクだったので、それになぞらえたのだろう。
もしかしたら彼は、みすぼらしいライトグリーンのシュシュを見て、哀れに思ったのかもしれない。
でも、プレゼントをもらえたことは素直に嬉しかった。
「もらっていいんですか?」
「もちろん。つけてあげるよ」
ピンク色のシュシュを手にした悠司は、優しく紗英の髪をかき寄せる。
紗英は彼が髪をまとめやすいよう、少し頭を前に傾けた。
悠司の指先がうなじに触れて、くすぐったい。
まとめた髪の束をシュシュに通した悠司は、シュシュを捻ってもう一度髪を通した。
「はい、できた。とても可愛いな」
「シュシュが……ですか?」
「違うよ。きみが可愛いと言ってる」
フッと笑った悠司は、愛しげに目を細めて紗英を見つめた。
可愛いと言われて、紗英の顔が朱に染まる。
「ありがとうございます。シュシュ、大切にしますね」
「うん。気に入ってくれたなら嬉しいよ」
エンジンをかけた悠司は、ライトを点灯した。
車はゆっくりと、煌めく夜景を残して走り出す。
紗英はそっと、髪の後ろに結ばれたシュシュに指先で触れた。
新品のサテンのシュシュはさらりとしていて、とても肌触りがよかった。
プレゼントをもらえるなんて思わなくて、びっくりしたけれど、今も心がふわふわと浮き立っていた。
そうだ。悠司さんにお返ししたいな……なにがいいかな……。
なにが欲しいですかと訊ねるのも無粋な気がするので、紗英はあれこれと考えた。
突然高級品を贈ったら悠司は驚いてしまうだろうから、シュシュの値段に見合ったものがよい。ハンカチとか、キーケース、もしくは靴下……なんて、ちょっと生活感が出てしまうだろうか。
ちらりと悠司の顔を見ると、次々と移りゆく街灯に照らされた横顔に陰影が刻まれていた。
「今日は一日付き合ってくれて、ありがとう。とても楽しかったよ」
「私のほうこそ、ありがとうございました。悠司さんのおかげで思い出に残る一日を過ごせました」
「思い出か……。なんだか今日が最後みたいな言い方するね」
「えっ? 最後じゃ……ないんですか?」
かりそめの恋人なのだから、一度きりのデートかと思っていた。
もしかして、次もあるのだろうか。
悠司は焦ったように前のめりになると、苦笑を零した。
「おいおい。一回だけなんて言ってないだろ」
「そうですけど……」
じゃあ、何回あるの? とは、怖くて聞けなかった。
ぼうっとした紗英は、真摯な双眸で告げられたその言葉に酔いしれる。
なんて心地いい響きなのだろう。
悠司さんが、私を好き……。
けれど次の瞬間、はっとして、取り決めた恋人契約について思い出した。
悠司が「好き」と言うのは、かりそめの恋人なのだから、契約のうちなのだ。本気ではない。
私もあなたが好き、と言えたら、どんなにいいだろう。
けれど紗英は戸惑うばかりで、なにも返せなかった。
悠司のことはもちろん嫌いではない。もしかしたら、好きかもしれない。
だが自分の気持ちにも整理がついていないのに、恋人契約しているという理由で恋情を口にするのは、なんだか抵抗があった。
うつむいている紗英を、悠司はなにも言わずに肩を抱いていた。
そのとき、強い風が吹いてきた。
悠司は紗英を守るように、そっと腕で包み込む。
「風邪を引いたらいけない。そろそろ戻ろうか」
「そうですね」
悠司が助手席側のドアを開けたので、紗英は車に乗り込んだ。回り込んだ彼も運転席に着く。
だが悠司はすぐにエンジンをかけず、ジャケットの懐からなにかを取り出した。
「これ」
「……なんでしょう?」
てのひらにのるほどの白い紙袋を手渡される。
ふかふかしたものが入っているのが、手触りでわかった。
「開けていいですか?」
「うん」
紙袋を開けると、そこに入っていたのは、ピンクのシュシュだった。
キラキラしたサテン生地が、ウィンドウから射し込むかすかな光に輝く。
「あの、これは……」
「プレゼントだ。ピンクが好きみたいだから」
職場で、シュシュの名称を教えたことを悠司は覚えていたのだ。さらに体を重ねたときの下着の色がピンクだったので、それになぞらえたのだろう。
もしかしたら彼は、みすぼらしいライトグリーンのシュシュを見て、哀れに思ったのかもしれない。
でも、プレゼントをもらえたことは素直に嬉しかった。
「もらっていいんですか?」
「もちろん。つけてあげるよ」
ピンク色のシュシュを手にした悠司は、優しく紗英の髪をかき寄せる。
紗英は彼が髪をまとめやすいよう、少し頭を前に傾けた。
悠司の指先がうなじに触れて、くすぐったい。
まとめた髪の束をシュシュに通した悠司は、シュシュを捻ってもう一度髪を通した。
「はい、できた。とても可愛いな」
「シュシュが……ですか?」
「違うよ。きみが可愛いと言ってる」
フッと笑った悠司は、愛しげに目を細めて紗英を見つめた。
可愛いと言われて、紗英の顔が朱に染まる。
「ありがとうございます。シュシュ、大切にしますね」
「うん。気に入ってくれたなら嬉しいよ」
エンジンをかけた悠司は、ライトを点灯した。
車はゆっくりと、煌めく夜景を残して走り出す。
紗英はそっと、髪の後ろに結ばれたシュシュに指先で触れた。
新品のサテンのシュシュはさらりとしていて、とても肌触りがよかった。
プレゼントをもらえるなんて思わなくて、びっくりしたけれど、今も心がふわふわと浮き立っていた。
そうだ。悠司さんにお返ししたいな……なにがいいかな……。
なにが欲しいですかと訊ねるのも無粋な気がするので、紗英はあれこれと考えた。
突然高級品を贈ったら悠司は驚いてしまうだろうから、シュシュの値段に見合ったものがよい。ハンカチとか、キーケース、もしくは靴下……なんて、ちょっと生活感が出てしまうだろうか。
ちらりと悠司の顔を見ると、次々と移りゆく街灯に照らされた横顔に陰影が刻まれていた。
「今日は一日付き合ってくれて、ありがとう。とても楽しかったよ」
「私のほうこそ、ありがとうございました。悠司さんのおかげで思い出に残る一日を過ごせました」
「思い出か……。なんだか今日が最後みたいな言い方するね」
「えっ? 最後じゃ……ないんですか?」
かりそめの恋人なのだから、一度きりのデートかと思っていた。
もしかして、次もあるのだろうか。
悠司は焦ったように前のめりになると、苦笑を零した。
「おいおい。一回だけなんて言ってないだろ」
「そうですけど……」
じゃあ、何回あるの? とは、怖くて聞けなかった。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜
yuzu
恋愛
人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて……
「オレを好きになるまで離してやんない。」
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる