4 / 48
四話
しおりを挟む
仕事中は忘れていたものの、終業時刻になったら、彼氏に浮気されてフラれたショックを一気に思い出してしまった。
もう目の腫れは引いているが、心の傷はそう簡単には癒えそうにない。
「はあ……」
溜息をついて、デスク周りを片付ける。
このあとはひとり暮らしのアパートに帰って、彼氏と知らない女が使った自分のベッドにかけていたシーツや布団を洗濯して、彼氏が置いていた荷物を引き渡して、その代わりに渡していた合い鍵を返してもらい……。
憂鬱な作業ばかりで気が滅入る。
そんなとき、落ち込んでいる紗英の神経に爪を立てるかのような、甲高い声が耳に届いた。
「桐島課長、これから飲みに行きません?」
さらさらしたストレートロングを揺らした木村だった。
親しげに悠司の腕に、自らの腕を絡みつけて、胸を押しつけている。
胸の谷間が見えるような際どいインナーは、わざとだろう。男性なら、ついそこに目がいってしまうのではないだろうか。
だが無表情の悠司は木村から顔を背けている。
絡みついている彼女の腕をさりげなくほどくと、彼はこう言った。
「俺はこれから、飲みの予定がある。木村さんはほかの人と行きたまえ」
途端に木村から不平の声が上がった。
「え~? どんな飲み会ですか?」
彼女の問いを無視して、悠司はこちらへやってきた。
帰ろうとしてバッグを手にしていた紗英は思わず硬直する。
え、まさか……私じゃないよね?
悠司と飲みに行く予定など立てているはずがない。
それなのに、まっすぐに紗英の前へ来た悠司は、爽やかな笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、海東さん。約束通り、ふたりで飲みに行こうか」
「は……い……?」
いつ約束したというのか。まったく記憶にない。
悠司の後ろを追いかけてきた木村が、縋りつくように声を上げた。
「海東さんと、ふたりきりで飲むんですか⁉ わたしもご一緒していいですよね。ねえ、海東さん」
「ええと……」
その前に、悠司とふたりきりで飲む約束などしていないのだが。
紗英が戸惑っている間に、悠司は木村へ向かって軽く手を上げた。
「仕事の話だ。木村さん、今日は遠慮してくれ」
そう言われた木村は、ふて腐れたように唇を尖らせつつも、身を引いた。
どうやら仕事の話があるようだ。
今日起こった顧客トラブルのことか、もしくは契約件数についてだろうか。
どちらにしろ、苦手な上司と酒を飲むなんて、楽しいわけがない。
けれど断るわけにもいかなかった。
「では、行こうか。海東さん」
「はい……」
悠司に促され、囚人の気分で紗英は彼についていった。
タクシーに乗って辿り着いたのは、ラグジュアリーホテルだった。
会社員の飲み会といえば居酒屋が定番なので、紗英は目を丸くする。
「あの、ここでいいんですか?」
「そうだよ。最上階のバーが俺のお気に入りでね。その前にレストランで食事しよう」
壮麗な玄関前の車寄せにタクシーが停車すると、ホテルのドアマンが慇懃な礼をした。
悠司が料金を支払うと、音もなくドアが開いたので、紗英は車から降りた。タクシーの料金は経費で落とすだろうから、紗英が財布を出さなくても問題ないだろう。
悠司は車を降りると、紗英の手を取った。
彼の手の熱さに、どきりと鼓動が跳ねる。
「海東さんが回転ドアを通れないと困るからね」
冗談めかして言った彼はお辞儀するドアマンの脇を通り抜け、慣れた態度で回転ドアをくぐる。
悠司に手を引かれた紗英も慌てて歩調を合わせ、回転ドアを通った。
高級ホテルのロビーに入ると、そこには夢の城のような豪奢な空間が広がっていた。
高い天井に煌めくシャンデリアが吊り下げられ、滝に似せた水が流れるオブジェが鎮座している。それらが磨き上げられた床に反射して、キラキラと輝きを放っていた。
ゆったりとしたピアノ演奏が流れるロビーには、着飾った人々が瀟洒なソファに座っていた。
豪勢な空間に圧倒されていると、悠司はロビーの奥にあるコンシェルジュデスクへ向かった。
ホテルコンシェルジュとやり取りを済ませると、すぐに彼は遠くからピアノ演奏を眺めていた紗英のもとへ戻ってくる。
「レストランは六階だ。エレベーターを使おう」
「はい。あの……桐島課長」
ピアノの音に紛れて、先ほどのことを訊ねようとしたが、軽く手を上げた悠司に制される。
「外では名前で呼んでほしい。俺の身分や会社のことは漏らしたくないのでね」
「わかりました。では……悠司さん」
「いいね。俺も、紗英と呼ぶから」
もう目の腫れは引いているが、心の傷はそう簡単には癒えそうにない。
「はあ……」
溜息をついて、デスク周りを片付ける。
このあとはひとり暮らしのアパートに帰って、彼氏と知らない女が使った自分のベッドにかけていたシーツや布団を洗濯して、彼氏が置いていた荷物を引き渡して、その代わりに渡していた合い鍵を返してもらい……。
憂鬱な作業ばかりで気が滅入る。
そんなとき、落ち込んでいる紗英の神経に爪を立てるかのような、甲高い声が耳に届いた。
「桐島課長、これから飲みに行きません?」
さらさらしたストレートロングを揺らした木村だった。
親しげに悠司の腕に、自らの腕を絡みつけて、胸を押しつけている。
胸の谷間が見えるような際どいインナーは、わざとだろう。男性なら、ついそこに目がいってしまうのではないだろうか。
だが無表情の悠司は木村から顔を背けている。
絡みついている彼女の腕をさりげなくほどくと、彼はこう言った。
「俺はこれから、飲みの予定がある。木村さんはほかの人と行きたまえ」
途端に木村から不平の声が上がった。
「え~? どんな飲み会ですか?」
彼女の問いを無視して、悠司はこちらへやってきた。
帰ろうとしてバッグを手にしていた紗英は思わず硬直する。
え、まさか……私じゃないよね?
悠司と飲みに行く予定など立てているはずがない。
それなのに、まっすぐに紗英の前へ来た悠司は、爽やかな笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、海東さん。約束通り、ふたりで飲みに行こうか」
「は……い……?」
いつ約束したというのか。まったく記憶にない。
悠司の後ろを追いかけてきた木村が、縋りつくように声を上げた。
「海東さんと、ふたりきりで飲むんですか⁉ わたしもご一緒していいですよね。ねえ、海東さん」
「ええと……」
その前に、悠司とふたりきりで飲む約束などしていないのだが。
紗英が戸惑っている間に、悠司は木村へ向かって軽く手を上げた。
「仕事の話だ。木村さん、今日は遠慮してくれ」
そう言われた木村は、ふて腐れたように唇を尖らせつつも、身を引いた。
どうやら仕事の話があるようだ。
今日起こった顧客トラブルのことか、もしくは契約件数についてだろうか。
どちらにしろ、苦手な上司と酒を飲むなんて、楽しいわけがない。
けれど断るわけにもいかなかった。
「では、行こうか。海東さん」
「はい……」
悠司に促され、囚人の気分で紗英は彼についていった。
タクシーに乗って辿り着いたのは、ラグジュアリーホテルだった。
会社員の飲み会といえば居酒屋が定番なので、紗英は目を丸くする。
「あの、ここでいいんですか?」
「そうだよ。最上階のバーが俺のお気に入りでね。その前にレストランで食事しよう」
壮麗な玄関前の車寄せにタクシーが停車すると、ホテルのドアマンが慇懃な礼をした。
悠司が料金を支払うと、音もなくドアが開いたので、紗英は車から降りた。タクシーの料金は経費で落とすだろうから、紗英が財布を出さなくても問題ないだろう。
悠司は車を降りると、紗英の手を取った。
彼の手の熱さに、どきりと鼓動が跳ねる。
「海東さんが回転ドアを通れないと困るからね」
冗談めかして言った彼はお辞儀するドアマンの脇を通り抜け、慣れた態度で回転ドアをくぐる。
悠司に手を引かれた紗英も慌てて歩調を合わせ、回転ドアを通った。
高級ホテルのロビーに入ると、そこには夢の城のような豪奢な空間が広がっていた。
高い天井に煌めくシャンデリアが吊り下げられ、滝に似せた水が流れるオブジェが鎮座している。それらが磨き上げられた床に反射して、キラキラと輝きを放っていた。
ゆったりとしたピアノ演奏が流れるロビーには、着飾った人々が瀟洒なソファに座っていた。
豪勢な空間に圧倒されていると、悠司はロビーの奥にあるコンシェルジュデスクへ向かった。
ホテルコンシェルジュとやり取りを済ませると、すぐに彼は遠くからピアノ演奏を眺めていた紗英のもとへ戻ってくる。
「レストランは六階だ。エレベーターを使おう」
「はい。あの……桐島課長」
ピアノの音に紛れて、先ほどのことを訊ねようとしたが、軽く手を上げた悠司に制される。
「外では名前で呼んでほしい。俺の身分や会社のことは漏らしたくないのでね」
「わかりました。では……悠司さん」
「いいね。俺も、紗英と呼ぶから」
3
お気に入りに追加
77
あなたにおすすめの小説
クソつよ性欲隠して結婚したら草食系旦那が巨根で絶倫だった
山吹花月
恋愛
『穢れを知らぬ清廉な乙女』と『王子系聖人君子』
色欲とは無縁と思われている夫婦は互いに欲望を隠していた。
◇ムーンライトノベルズ様へも掲載しております。
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
性欲の強すぎるヤクザに捕まった話
古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。
どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」
「たまには惣菜パンも悪くねぇ」
……嘘でしょ。
2019/11/4 33話+2話で本編完結
2021/1/15 書籍出版されました
2021/1/22 続き頑張ります
半分くらいR18な話なので予告はしません。
強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。
誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。
当然の事ながら、この話はフィクションです。
【完結】Mにされた女はドS上司セックスに翻弄される
Lynx🐈⬛
恋愛
OLの小山内羽美は26歳の平凡な女だった。恋愛も多くはないが人並に経験を重ね、そろそろ落ち着きたいと思い始めた頃、支社から異動して来た森本律也と出会った。
律也は、支社での営業成績が良く、本社勤務に抜擢され係長として赴任して来た期待された逸材だった。そんな将来性のある律也を狙うOLは後を絶たない。羽美もその律也へ思いを寄せていたのだが………。
✱♡はHシーンです。
✱続編とは違いますが(主人公変わるので)、次回作にこの話のキャラ達を出す予定です。
✱これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。
【※R-18】私のイケメン夫たちが、毎晩寝かせてくれません。
aika
恋愛
人類のほとんどが死滅し、女が数人しか生き残っていない世界。
生き残った繭(まゆ)は政府が運営する特別施設に迎えられ、たくさんの男性たちとひとつ屋根の下で暮らすことになる。
優秀な男性たちを集めて集団生活をさせているその施設では、一妻多夫制が取られ子孫を残すための営みが日々繰り広げられていた。
男性と比較して女性の数が圧倒的に少ないこの世界では、男性が妊娠できるように特殊な研究がなされ、彼らとの交わりで繭は多くの子を成すことになるらしい。
自分が担当する屋敷に案内された繭は、遺伝子的に優秀だと選ばれたイケメンたち数十人と共同生活を送ることになる。
【閲覧注意】※男性妊娠、悪阻などによる体調不良、治療シーン、出産シーン、複数プレイ、などマニアックな(あまりグロくはないと思いますが)描写が出てくる可能性があります。
たくさんのイケメン夫に囲まれて、逆ハーレムな生活を送りたいという女性の願望を描いています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる